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したい印のまりあ 2021/02/16 17:30

よくある話

 何事にも、適、不適というものはある。世間体や、しきたりと言った形で現れることもあるし、行儀や、マナーとして現れることもある。
 どうにも、肩が凝るな、と思うようなこともある。例えば、好きで始めた葉巻だけれど、私の周りには、女がそんな太い葉巻を吸うなんて、みっともない、と言う人は、それなりにいる。
 たとえば、免許を取りたい、自分で車を運転したい、と母に相談してみれば、我々のような人間は、そのような事は他人に任せなければ世間が許さない、なんて言う。
 堅苦しくて、肩が凝る。
 良い思いだって、きっと同じくらいしているのだろうけれど。
 喫茶店で珈琲をすすりながら、私はとある人を待っている。あいにくだが、今のところロマンスとは無縁だから、心がときめくような待ち合わせでは、ないのだが。
 葉巻を始めてから、まだ三年と少し、という所だろうか。それに費やしたお金を考えてみる。きっと安い車の一台くらい、買えたんじゃないかしら、と、ちらりと思う。一本二千円の葉巻。一日に何本吸っているかも分からない。それが三年。うん、車くらい、きっと買える。
 けれど葉巻を吸うようにならなくたって、私は車を手に入れられなかったのは間違いないし、それに葉巻をやめて貯蓄するなんて、したくない。この香りが、日常、いや、私の人生から消えてしまうなんて、まるで死ぬのと同じだ。
 いつかは嫁に行かなきゃいけないんだから、アルバイトでもしてみたいな、と思う。だがこれも、私の住んでいる世界では、世間が許さないことの一つだった。
 そもそも、このご時世に、嫁に行かねばならない、と何の疑いもなく信じている自分もまた、紛れもない「この世界」の住人なのかもしれない。
 テラスの先にある駐車場を見やる。高級車ばかりが止まっているのは、土地柄、というものだろう。メルセデス、BMW、アストンマーチン、レクサス、エトセトラ。
 あの中で運転したいのはどれかな、と、頭のどこかで考え始める私がいた。よくない。このままではうきうきしてしまう。この気分を誰かに話したくなってしまう。話せばまた、「はしたない」とか「することじゃない」とか、そういう言葉が、私を待っている。
 テラスの緑色を、じっと見る。観葉植物だ、と気付くのに、何故かは分からないが、少しだけ時間がかかった。



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したい印のまりあ 2021/02/16 14:43

嘘と兵隊

嘘と兵隊


 たった一通のメールで、私の恋愛は終わった。
 たった一言だけ記されたメールで、私の恋は終わった。
 振られたら、もっと悲しいと思っていた。彼のことが大好きで、何よりも大好きで、だから終わってしまったら、きっと身が引き裂かされるような思いすらするものだと思っていた。
 けれど、ああ、終わっちゃった、と、白い紙にインクを一滴落としたように、ぽつんと感じただけだった。
 おしまいって、あっけないんだな、と、インクがシミを作っていくように、じわじわと、感じ始める。シミはシミ、定形がない。だから、その感情は、その感想は、千変万化した。
 あっけなく終わった恋。実らなかった恋。何度体を重ねたかも覚えていない。何度デートに行ったか分からない。恋の楽しさを、彼のぬくもりを、夜のディズニーランドを思い出す。薄ぼんやりと、彼の方から告白してきた事を思い出す。
 シミはシミでしかなかった。はっきりとした形、名状できる形は持っていなかった。
 我ながら結構、似合いのカップルだと思ってたんだけどなぁ。
 チカチカと通知ランプを点滅させているPHSを、画面を消したまま、ぼんやりと眺める。


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したい印のまりあ 2021/02/16 14:20

一番大切な物

 一番大切な物


 ようやく一つのプロジェクトが片付いた。仕事納めまであと数日、というこの日に。一つの仕事を完成させたことに、感慨など今更沸いては来ない。次の大規模案件まで、細々とした仕事をするだけのこと。そして年末年始の休みがある。
 幸いなことに、私の所属している会社は、何かと理由を付けて酒を飲みたがる奴は少数派だし、少数派の彼らは彼らだけで楽しむ事を知っている。やれ忘年会だ新年会だ納会だ、と、飲み会という名のハラスメントの応酬に巻き込まれることもない。
 仕事は忙しいし、給料も決して良い方ではないだろう。だが、慣れた。理不尽な顧客の要望、無茶な営業の約束、曖昧な上司の指示、全部。
 そう、慣れていた。安物のオフィスチェアにも、サービスであるだけ有り難いまずい珈琲にも、滅多に掃除されない喫煙室にも、いつも売り切ればかりの自販機にも。
 思い切り伸びをすると、ぎぃ、と、椅子の背もたれが大げさな音を立てた。腰が痛い。肩も痛い。、ずっと酷使している指も痛い。年末は、まずは整体か、鍼か、その辺りから始めよう。後は帰省して、そして正月が明けたらまた所沢に戻ってくる。田舎に帰る夜行列車のチケットはきちんと抑えてある。正月は思い切り実家でだらけよう。日がな一日、こたつでミカンを食べていよう。
「ちょっと、煙草吸ってきます」
 一応チーフに一言入れてから、私は珈琲の入った紙コップを手に、喫煙室に向かう。おう、お疲れ、と、チーフは人ごとを人ごとらしく扱ってくれた。
 ああ、本当に疲れた……。
 煙草を吸いながら、少しだけ感慨に耽る。全く、社会人というのは馬鹿らしい、正月休みがあって、その後は五月まで休みらしい休みがない。五月にドバッと休みがあったかと思うと、またお盆まで休みがない。お盆に休みがあって、そして年末まで。
 煙を吸う。珈琲をすする。心の中の何かがほぐされる。
 そういえば、今年は有給をほとんど消化していない。三月辺り、消化しないとまずいと上から言われるかも知れない。私には私の事情があって休みを取れなかったのだが、休みを取らないとまずい、という会社の建前も、一応分かる。まとめて休めるなら、久々に旅行にでも行こう。

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