2022年年賀小話
『七度四分のお正月』 進行豹
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「双鉄さま、双鉄さま! おかえりなさいませ。すぐにお迎えできなくてすみません!」
袂のせいで、階段をしずしずとしか下りられない。なんともどがしいことでしょう。
「日々姫に晴れ着を着付けてもらっておりましたの……で」
ふすまをあけた眼の前に、けれど双鉄さまのお姿はなく。
「……いいな。新しい晴れ着か。きらびやかで、お前にとても良く似合っている」
お声。低いところから――!
「双鉄さま!? いったいどうなされたのですか?」
「いや、なに。大事はない。少し発熱しただけだ」
「発熱!? 大事ではないですか!!」
「微熱だ。37.4℃。なれぬ雪国への出張で、少し体が驚いてしまっただけのことかと思う」
「あああ、なんということでしょう。とにもかくにもおやすみ――は、もうされておられますね」
いけません。
緊急時にこそ落ち着くことが第一です。
慌てずまずはひとつ大きく深呼吸して――
「すううう。はあああああ」
――うん。落ち着きました。
では、なすべきことを考えましょう。
双鉄様はお熱を――ああ、左様です!
「お熱には絞り手ぬぐいが一番ですよね、わたくしすぐに用意してまいります」
「それは助かる、ありがt」
「絞り手ぬぐいでございます! それから、水分補給のためのおみかん。ああ! 加湿。加湿も必須でございますね。
石油ストオブに火をつけて……うん。いま鉄瓶に水を足してまいります」
「ああ、うむ。ハチロク」
「大丈夫です、双鉄様。清美機関士が大昔お風邪を召されたときのこと、わたくしきちんと覚えております。
双鉄様のお風邪にも、きっと役立つ看病を果たしてみせましょうとも」
「う……む」
「水を足して参りました! っと、お部屋、すでに温まってきておりますね。
なによりのことですが、お体、汗をかいてらっしゃるのではないですか?」
「いや、ハチロク――すず」
「お体を拭くには新しい手ぬぐいが必要ですね。と、申しますかお着替えも」
「すず! 頼む」
「!!?」
「落ち着いて。僕の話を聞いてくれ」
「あ……あ、はい」
いやだ。わたくし。
落ち着こう落ち着こうと思っていたのに、完全に舞い上がってしまっておりました。
清美機関士にも大昔、同じお叱りを受けたこと――いまさらながら思い出します。
「今の僕に何より必要なのは安静だ。静かに休むそのことだ。
だから、すず。あれこれと世話を焼いてくれることは嬉しいのだが――」
「はい。かしこまりました。わたくし、おやすみの邪魔をしないよう、すぐにお外に」
「いや」
がっしりと。布団の中から伸びた手が、わたくしの足首を捕まえます。
「双鉄さま?」
「あ、いや――いや――すまん、すず。いっていい」
「いえ。双鉄さま、わたくしをお引き止めになられようとしてくださった……のですよね?」
「うむ。あー……その、だな。素直にいえば、僕はすずに、そばにいてほしいと思うのだ」
「はい!」
「だが、安静の邪魔をしないよう側にいてほしいということは、何もするなというに等しいと思い直した。
せっかくのすずの正月休みを、晴れ着姿を、そのように無駄な時間につきあわせるなど」
「いえ! いえ――双鉄様」
するり、と帯紐を解いてしまいます。
きちんと脱ぐには日々姫の手助けが必要ですが、必ずやわかってくれるはずです。
「わたくしの晴れ着の役割でしたら、すでに見事に果たされました。
『似合っている』と、お褒めいただいたあの瞬間に」
「……うむ」
「その上でわたくしが静かにお側にいることが、
双鉄さまのお休みの助けになるのでしたら。それほど有意義な時間は他にありませぬ。
わたくし、すずは。双鉄様の妻ですので」
「そうか。なら、甘えよう」
――安心してくださったのでしょう。
双鉄さまのお顔がほっとゆるみます。
まぶたが静かに降ろされれば、まつげの長さがふと目につきます。
「なんでもいい。目につくものを順番に。
お前の声で、低く落ち着いたその声で、僕に静かに聞かせてほしい。
それこそが、僕にとってはなによりの子守唄になる」
「かしこまりました。双鉄さま。だんなさま」
声。わたくしの声。
普段どおり、と意識をすれば、なんだか上ずってしまいそうです。
「お布団があり、わたくしの大事な双鉄さまが、その上でお休みになっておられます。
お布団のわきには……ああ、おかわいそうに、よほどご気分がすぐれなかったのでしょうね。
双鉄さまらしくもなく、背広が脱ぎ捨てられてしまっています」
と、と、と、と軽やかで静かな足音。
日々姫がそっと、様子を覗きにきてくれます。
「背広のわきには、旅荷。双鉄さまのご愛用のトランクと、見慣れぬ紙袋もございます。
中身はきっとお土産でしょうね。
ああ――うふふっ、石炭も覗いておりますね?
津輕の石炭でございましょうか? わたくし、楽しみでございます」
しーっと合図を送ってそののち、双鉄さまを指差せば、日々姫もすぐに察してくれます。
あっというまに晴れ着をきれいに、わたくしから剥がしてしまいます。
「双鉄様の枕元には、ちりがみ、ゴミ箱。なんとご準備がよろしいことでございましょうか。
こんなときにこそ、わたくしを頼って、使っていただけましたなら、それもうれしいことですのに」
日々姫が再びと、と、と、と静かに階段を上がっていきます。
その間にわたくしもお寝間に着替えて――あら
「双鉄さまは……よほどお疲れだったのでしょうね。眠りに落ちてしまわれました。
ですので、おやすみを妨げないよう――」
そっと、そうっと、布団をめくって、お隣に……
「いまわたくしの真横には、大好きな双鉄さまの寝顔があります。
ですので当然、妻として――」
(ちゅっ)
そうっと軽く口付けて、
わたくしもこの唇と、そうしてまぶたをやすませましょう。
「おやすみなさい、双鉄さま。明日の朝には、お熱、下がられますように――」
;おしまい