我々は、それよりも強力な兵器をまた作ればいいじゃないか!(なげやり)
「妖縛奇譚」とか「触手くんF」で音声をいただいた浪実みお様が「ご意見歓迎」と言って記事を書いていたので便乗します。
競争があるのは良い事だと思います。
おわり。
……という訳でもないような気もしますね。
競争しているはずが妙に画一化してしまうというか、いっせいに目指すところが定まってしまって、内容は似たり寄ったり、質的に差別化しようと無理して破綻してしまうみたいなことはありがちなんじゃないかと思います。
おおよそ、企画を作る人は「○○のような物をハイクオリティーでつくろう」と言う発想が多いと思います。
たまにソシャゲーのイラストの指示書などを見せてもらうと、「あのゲームのように塗ってください」とか「こういうタッチが受けているので、今回の方向性とします」みたいな感じなんですよ。
商業の世界での競争は、創る事じゃなく売る事ですから競争する事で多用性や新しいものが生まれるというのとは時として真逆に作用する感じがします。
それは過当競争であったりして、販売戦略的な考えの上での競争でしかなくて、営業とかプロデューサー的な立場の物の見方の中で、作り手の方がそこを時には逆手に取って、なんとかごにょごにょやって作りたいものを作ってしまうという駆け引きなども入ってこないと結局は界隈ごと自分の首を絞めてしまうような事もあるんじゃないかと思います。
いや作り手が主導権を握るべきだという訳ではなく、どっちの要素も必要かなと。
……というか、今は知りませんけど商業エロゲーにもそういう時代があったような気がします。
同人DLでも一部では同じような事が起きているのかもしれませんね。
凄い数の作品が毎日出るわけでレッドオーシャンの中「売り要素」主動で埋没を免れようと必死です。
……それでね。
売れたものに追従するだとか、売れたものが価値基準になるとか、本質よりも共有すると言う方に価値の重みがあるとか……。
「それは、血を吐きながら続ける・・・、悲しいマラソンですよ」
……とか言いそうになるんだけど。
「じゃあ、お前がそういうの打開するやつ作れ」って言われるから、ごもっともにしかならない。
私は協調性薄い性質から、周り見て、俺……悪い意味で浮いてね……? って思ったりするんだけど。
突然自分の番が巡ってきたりするかもしれないので、その時までせいぜい協調性のない自分を固持する事に気を付けています。あいや、作品的に。
でも時々日和ります。
よくわかんない結論ですいませんね。あーあ。