Hypnotic Yanh 2021/05/30 15:02

『めぐりあい宇宙』未使用曲M-72考察・もう一つのエンディングの可能性

また催○や同人に関係ない話ですいません。そちらが見たい方は
 催○オナニー・同人音声の日記
をご覧ください。

『めぐりあい宇宙』のエンディング曲バージョンについて

『機動戦士ガンダムⅢ・めぐりあい宇宙編』(以下「めぐりあい宇宙」と記載)には、劇場公開版と(あの悪名高き)特別編の2種類のバージョンがあることは良く知られている。が、ここで考察したいのは、それ以外のもう一つのバージョンがあった可能性についてである。
 現在知られている劇場公開版「めぐりあい宇宙」のエンディング音楽は、以下のようになっている。カツ・レツ・キッカの三人組がカウントダウンしてアムロの乗るコアファイターが脱出するタイミングで、井上大輔の歌曲「めぐりあい」がワンコーラス流れる(実際には1番の歌唱が終わった後にコーダ(終奏)に繋がるよう編集されている)。そのコーダにかぶる形で永井一郎の最後のナレーションが入り、エンドタイトルバックと共に同じく井上大輔の歌曲「ビギニング」が流れる(こちらも2番が省略されている)。非常に感動的な、素晴らしい選曲である。

未使用曲M-72について

 だが、めぐりあい宇宙のサウンドトラックには、M-72という楽曲が存在する。劇中一度も使われたことのない曲である(特別編でも)。ただしこの曲は、比較的最初期から知られており、1982年3月17日の本編劇場公開直後にリリースされた(3月21日。ただしそれ以前=劇場公開前に店頭に並んでいたという情報あり)サウンドトラックアルバム『機動戦士ガンダムⅢ めぐりあい宇宙』(これが正式なアルバムタイトル。なぜか『編』はつかない。以下「オリジナルサントラ」と記載)には既に収録されている。Side2・7曲目の「仲間たち」と題された曲である(実際には同じく未使用曲M71-Bと連続している)。
 この「オジリナルサントラ」には、めぐりあい宇宙で使用された曲の半分程度が収録されており(同じような曲調のものを省いており順当な選曲である)また、ほぼ本編で使われた順序を崩しておらず、サントラアルバムとしても屈指の出来なのであるが、この未使用曲M-72が収録されていること、本来ならもっと前に使われている「めぐりあい」がラストに配置されていること、この2点が非常に不可解な印象を与えている。もう1つの楽曲「ビギニング」は、ちゃんと劇中利用の順で収録されているのに、である。

「めぐりあい宇宙」のミュージックナンバー

 「劇場版 機動戦士ガンダム 総音楽集」(以下「総音楽集」と記載)のライナーノーツによると、「めぐりあい宇宙」の楽曲はその前の二作とは異なり、ストック曲を利用する溜め撮り方式ではなく、絵コンテや原画を元にタイムテーブルを作って作曲する方法が取られたらしい。それにより映像と音楽のシンクロが飛躍的に増したことで、めぐりあい宇宙の完成度を前二作と比べ飛躍的に向上させている。
 そのため、ミュージックナンバーは前作の「哀・戦士編」では36にすぎないのに対し、めぐりあい宇宙では72に増加し、同一テーマの曲でもシーンによってテンポや演奏が微妙に異なるという贅沢な作りを行っている。同じく総音楽集によると、録音は82年2月8日から9日にかけて行われており、この段階では作画も相当程度進んでいたとみえ、Mナンバーは劇中の使用順と完全に一致している。この後、件のM-72も含め4曲(テイク違いを利用されたものを除く)が、ダビング段階または初号試写後に修正または差し替えられたものと思われる。総音楽集では、この未使用曲が使われた(はずの)場所を特定しており、M-72(つまり最後の曲)は当然ながらエンディングで使われたはずであった。

本来の「めぐりあい宇宙」のエンディング

 当初の、渡辺岳夫のプランにあった「めぐりあい宇宙」のエンディングは以下の通りである。
 ア・バオア・クーの爆発と同時にM-72がゆったりと始まる。映画中に何度も使われた”繋がり”のテーマである。やがて爆発からアムロの搭乗したコアファイターが現れ、ランチで避難していたホワイトベースの仲間たちが歓喜の声を上げる。原始的な信号灯を使い誘導されるアムロ。それを見てアムロは「ララァごめんよ、僕には帰る場所があった」と呟く。音楽が段々と盛り上がっていく。この先にセリフはない。アムロはコアファイターから出てみんなの待つランチに向かう。全員の笑顔。アムロが抱かれる直前に、画像は燃え盛るア・バオア・クーに切り替わり、そこに廃棄されたコアファイターが横切る。音楽は鎮魂歌のような鐘の音を鳴らしつつ、月と太陽が交差し、最後のナレーション「〜この戦いの後、ジオン共和国と地球連邦の間に、終戦協定が結ばれた」がかぶる。
 そしておもむろに、「めぐりあい」が流れ始め、宇宙空間を写しつつエンドタイトルロールが始まる。途中にシャアの乗るザンジバルが挿入され、物語が続くことが暗示されると、ワンコーラスののちにコーダへ繋がり、音楽が全て終わり画面が暗転したのち、最後のメッセージ"And now... in anticipation of your insight into the future."が示され、長い物語が終わりを告げる…
 極めて映画的な、感動的なエンディングである。これが想像でないことは、実際の映像と曲を合わせて聞いてもらえればわかるが、曲の尺はもちろん、曲調と映像とも完全にマッチしている。素晴らしい!(もしかしたらシャアのザンジバルは「ビギニング」に置き換えられた際に若干ずらされたかもしれない)

「オリジナルサントラ」の謎?

 サウンドトラックの録音日が2月9日で、映画の公開日は3月17日であると先にも書いた。そして、映画の最終リプロダクションと並行して、オリジナルサントラの編集とマスタリングも行われていたはずである(レコードプレスは一般的に映画プリントの製作より時間がかかる。同時に曲名入りのライナーノーツも作らねばならない)。
 もし早い段階で、M-72と「めぐりあい」の差し替えが決定していたとしたら、M-72は別の曲と差し替えられていてもおかしくない。これもくり返しになるが、同曲「仲間たち」の前半はM-71Bで、総音楽集によるとセイラの脱出時の音楽だったらしく(公開版では効果音のみ)、この曲全体が未使用曲だという非常に奇異な状態になっている。
 ちなみに、もしオリジナルサントラで、この曲(「仲間たち」)を削除したとしても、他の印象的な曲(例えばテキサスコロニーでの戦いの曲や、ジオン公国関連曲など)と入れ替えることは十分に可能だったと思われる。
 にもかかわらず、なぜオリジナルサントラでこの曲が残されたのか?

仮説

仮説1

 M-72と「めぐりあい」の入れ替えの決定が遅くサントラの編集が間に合わなかった

仮説2

 入れ替えは決定していたがM-72が名曲でこのまま世に埋もれてしまうに忍びなかったためサントラでは残すことにした。

 関係者が存命なうちに確認したいところであるが、おそらくは1で間違いないであろう。
 想像するに、以下のような経緯だったと思われる。2月の下旬か3月の初めに、一度は上記の構想のまま音声ダビングまたは初号フィルムが作成されたが、その後富野が翻意し(あるいはスポンサーやレコード会社からの強い要望があって)M-72は削除され今見られるバージョンに変更されたのである。同時に、M-71B(M-72の別編集)もそれ単独で利用されると違和感が出るため同時に削除された。オリジナルサントラの編集はそのタイミングではもう間に合わず(おそらく2月末にはプレスに回っていたと思われる)、そのまま出荷された。これが当時の経緯だと思われる。この説であれば「めぐりあい」が本来あるべき配置にないことにも説明がつく。

不可解な「特別編」の音楽

 世間一般では極めて評価の低い(同意する)特別編では、エンディングの曲は以下のように差し替えられている。
 コアファイターの脱出から少し間が空いて、「哀・戦士編」M-21の前半部分が流れる(この曲は劇場版哀・戦士編のエンディング曲で、特別編では井上大輔の「哀・戦士」に差し替えられており使用されていない)。ただし前半部分のみであるため、曲はアムロがランチに辿り着く前に終わってしまう。そして唐突に永井一郎のナレーションが流れ、無音のままコアファイターがフレームアウトすると、また唐突に「めぐりあい」が流れ始める(映像と全くシンクロしていない)さらに曲が終わる前にラストメッセージが表示されると、曲は何の余韻もなく2番の途中でフェードアウトする。
 この修正がいかに稚拙であり作品の質を貶めるものであるかは数多く語られているため繰り返さないが、なぜこのような編集にしたかである。富野は特別編を作る際、めぐりあい宇宙のエンディングは本来は「めぐりあい」で終わるはずだったので元に戻した、ようなことを言っている。それは、今まで述べてきた仮説とも合致する。ではなぜ、本来使われるべきM-72に戻さず、中途半端に哀・戦士M-21などを使ったのか。それもあれほど雑な編集で!

終章・なぜM-72は使われなかったのか?

 結局「特別編」については、富野からラストを「めぐりあい」に戻して欲しい旨の指示を受けた若い編集スタッフが、本来のM-72の存在を知らず使わなかった哀・戦士M-21を勿体ないと思い付けたしたにすぎない(そうでも思わなければ悲しすぎる)。
 そもそも、1982年の段階で、なぜM-72を「めぐりあい」に変更したのか。上記の富野の発言からすると、富野はラストは「めぐりあい」で終わるべきだと思っていたのは間違いない。とすれば、その変更は製作側ではなく、スポンサーやレコード会社などの、外部からの強い要請(圧力)があったものと推察できる。とすれば、オリジナルサントラに未使用曲が堂々と残っている理由も説明がつくと思うのだがどうだろうか?なお、当時は現在と違い映画館が総入れ替え声でないため、エンドロールが始まると客は出てゆき次の回の客が入場するというようなことが普通に行われていたらしい。つまり、エンドロールの曲(=めぐりあい)など誰も聞かないということだ。曲を売りたいレコード会社が、エンドロールより前に主題歌を持ってきたいという考えは一応は理に叶っている。
 82年3月の初旬に、初号試写が行われ、レコード会社より主題歌の利用が少ないと言われた。製作サイドはM-72を削除し(同時にM-71Bも)「めぐりあい」に差し替え、さらに「めぐりあい」で終わるはずだった部分に「ビギニング」を挿入した。その後M-72の存在は忘れられ特別編にも利用されなかった。こんな経緯だったのではないだろうか?

 以上、推論に推論を積み重ねており、正しいかどうかは分かりません。是非ともどなたかこの謎を解いていただきたい。または、これに関する文献があるなら教えていただきたいです。

この記事が良かったらチップを贈って支援しましょう!

チップを贈るにはユーザー登録が必要です。チップについてはこちら

月別アーカイブ

記事を検索