じょモク Mar/06/2026 21:39

『吾輩は猫である』を読む ”前” と ”後” で、認識が変わってしまった話【読書感想文】

 先日、久方ぶりに、DLチャンネルさん所で、オーディブルの話を投稿したわけだが……。
 読書すると脳内声優が読み上げるタイプの人間に、Audibleが最適解だった件

 え?
 朗読を聞いただけで、読書って言っていいの?

 何をおっしゃるうさぎさん。

 そもそも、読書が大衆化したのは活版印刷の発明によって、とされているようで。
 もっと遥か昔は、音読が主流、つまり……ゲームで登場する吟遊詩人や、日本で言えば琵琶法師など、音で物語を聞く方が圧倒的に歴史ある行為だった。

 つまり、朗読で本を読むというのとても伝統的な行為なのは、確定的に明らか。
 自らで字を追って黙して本を読み終える言葉の意味が読了の大半を占めているというのなら、
 朗読で本を聞いて読み終えることを、「朗読了」と、私は勝手に呼ぶことにする。
 (朗読は、本を読む人と聞く人がいることで成立する行いであり、"朗読を行った" "聞くために朗読を受けた" のように積極性が双方に存在しており、能動的である)

 ともすれば、自分で声に出して読み終えるなら音読了といった所か。
 (自らで音を出して読み上げるという自己で完結してしまう。また、音読を聞くというのは、聞くためというより、聞こえたという状態に近い。消極的な読み方。)


 あと、一応……。

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               ネタバレ注意

 まあ、約120年前の小説に、ネタバレって……と思ったけど。
 私も『吾輩は猫である』を読むまで内容ほとんど知らなかった(なんかふわっとどこかでネタバレ見たかも)ので、ネタバレなく読んだ経験をしているので……。
 
 


本を読むと良くも悪くも感覚が変わる

 オーディブルにて、『吾輩は猫である』を朗読了してから、小説を読んだ時の感覚に変化が起こってしまった。

 端的に言うなら、今自分が読んでいる小説の全て、『吾輩は猫である』を大なり小なりモチーフにしている病に陥った。
 これは、『幼年期の終わり』を読み終えた時に起きた “全てのSF作品は『幼年期の終わり』の影響下にあるように見える疾患” を発症した時の状況に似ている感覚だった。

 どうしてもこしても、この小説は『吾輩は猫である』のあの部分を、あの小説は『吾輩は猫である』のこの部分を元に構成されているのではないかと考えるようになった。

 『吾輩は猫である』が、なんやかんやの変遷を経て現代ナイズドされていくように見えてしまう。
 2000年代の『吾輩は猫である』は、「戯言シリーズ」に見えてしまうし、2010-20年代の『吾輩は猫である』は、「陰の実力者になりたくて!」のように見えてしまった。



 なぜそんな状態になるのかを考えてみると、私はいろんな作品に結び付けることで、『吾輩は猫である』を読んだときの記憶や感覚を忘れないようにしているのではないだろうか、と思うのだ。

 読み終えた『吾輩は猫である』は、印象的で心に残る作品だった。




文学とは鵺であると改めて感じた

 「鵺」という妖怪は、頭は猿、背は虎、尾は狐、足は狸、音は鵺とされており、その様子から、物事が判然としない様。
 または、見る方向によって姿が変わる万華鏡のような存在というニュアンスも持っていると思う。

 しかし、文学とは鵺である。万華鏡ではない。
 万華鏡のように綺麗になることはない。

 自らを写す普通の鏡になり得る。
 普通なのだ、決して誇張されることなく、綺麗にもならない。
 ありのままの、普通の自分を認知する。

 自分の人生経験を入力することで、見る側の座標が変化し、そこから見える文学の体験は、自らが経験した人生の何かの部分が刺激され、酸いも甘いも写してしまうがゆえに、本を読むのに苦しく感じるようになってしまうからだ。

 妖怪に化かされたような、得も言われぬ自らしか知り得ない体験をする。

 それほどに、化け物じみた不朽の強度を感じた。

 『吾輩は猫である』は、約120年前の小説である。
 オーディブルで聞いた文章が、現代的にある程度校正されているだろうとはいえである。

 人の普遍性というか、性根的な文化の変わらなさというか、時代を感じているようだった。
 恐ろしい話だ。
 

『吾輩は猫である』が、課題図書対象外だった話

 かつて、私が通っていた学校では、課題図書という本を読んで感想文を出すという宿題があった。基本的には文学小説が課題図書の対象であったのだが、何故か『吾輩は猫である』だけは対象外だった。
 今読み終えたならば、理由はなんとなくわかる。

 『吾輩は猫である』は、教師をめちゃくちゃバカにするし、現代で言うSNSの悪い部分 (約120年間、国民性が変わらないことが証明されているようでもあった)を描いているようだったし、終わり際には、自ら命を絶つことが最も良いことではないかという話が出てきたり。
 最後は、太平を得るには命が無くなることであると言い切ってしまった。

 こりゃ……小中、、、高校でも読まない方が良いよなあ、って思った。

 あと、『坊ちゃん』も、田舎の陰湿な部分を湿度高めに描写しているから、大概やぞ、とも思ったけど、当時は課題図書対象 "内" だった。


 ちなみに、第二回日本ホラー小説大賞を受賞した『パラサイト・イヴ』は、学校の図書館には絶対に置いてはいけない。
 ある種のスライム娘的な存在が、人間の女性に変態して、男性を襲い、子種を採取して、目的の女性に子種を注入するために疑似的な男性器を生やして射出しようとしたら、擬態が完璧すぎるがあまり、射出する時の快感すら再現してしまい、未知の快感に腰ヘコ状態になる、とかいう性癖大破壊描写あるからね。
 (細かい話はネタバレになるので述べない)
 ※ゲーム方で、主人公のアヤをエロチックに描写していたけど、ゲームの方がかなり配慮した優しい描写だったなんて思うわけないやん……。
 

 あと、森鷗外の『舞姫』も結構な話で。
 留学に行った主人公が、俺はみんなとは違うんや! って、厨二心を拗らせたみたいに下町へ飛び出して、現地の女の子とねんごろの関係になるけど。主人公はやっぱなんか違うわとか思い直して、孕ませた相手をほっぽり出して帰国するというド畜生行為をかますので、教育上よくないよな。
 でも、国語教科書の参考書に載ってたりするんだよなあ。
 ちなみに、『舞姫』はヤンデレの源流を持っていると、確信したね、間違い俺は詳しいんだ!

坊ちゃんも朗読了

 『坊ちゃん』は昔読んだことあるんだけど、当時は全然わからんかった。
 が、今、朗読を聞くと、かなりすっきりした。

 ……そして、これは!
 古より伝わる学園モノのフォーマットや!!!

 って、なった。
 漫画『GTO』も、『坊ちゃん』を現代風(『GTO』の連載開始は1997年)にアレンジ料理したものやったんやなあ。
 もちろん、坊ちゃんからGTOの間に、いくつもの坊ちゃんフィルターのかかった学園モノの連盟作品がたくさんあるとおもうけど。

三四郎も朗読了した

 田舎から上京してきた学生が、悪友ともいえる人物との行動に巻き込まれながらも、気になる女性と付かず離れずの関係の不思議な駆け引きをする話なのだが……。
 ふと、思った。

 上京して、不思議な女性と出会う。

 新しく入学した学校で、やたら調子のいい事ばかりを言う学生と仲良くなり、まさに悪友ともと友達が色々と引っ搔き回してくれる。

 この、悪友、ヒロインとの唐突で不思議な出会い。
 得も言われぬ押し引きの関係……。

 これ、ギャルゲの源流では?
 『三四郎』というフォーマットを使って、現代にカスタマイズしたのがギャルゲ文脈だったのでは? みたいな印象を受けた。


 あと、外から見れば三四郎は、やたら無口というか鈍感系主人公みたいなムーブしている。
 現代から見た感覚だと、三四郎があまりにコミュ障すぎるというか、性の喜びを知らないガリ勉くんがハニートラップに引っかかるサンプルでも見ているのか、と思うこともない……。

『こころ』も朗読了した

 多くの人は、学校の教科書や参考書、問題集なのどで読んでいると思われるが。
 ホンマに載せて大丈夫か……?

 って、思いました。
 詳しくは、後で。


やっぱ、プロのナレーターはちゃいますわ!

 私の脳内で素人の私の声で朗読される文章とは全然ちゃいますわ。
 プロの人の朗読を聞いた後だと、文章が読みやすくなったような気がしてならない。

 読書しながら変な引っ掛かりが少なくなったような、すらすらと文章が頭に入りやすくなったような感じがする。

 ということは、自分の読書が下手だったんだなあ、と思いました。

 本を読むのは慣れとはいえど、人によって読み方も違うし、読みやすさや読み込みやすさも変わるわけで、脳内声優が頑張るタイプは、プロの朗読を聞くことは大いにアリ


文学に何か感情を動かされたら後戻りはできない

 私は、『吾輩は猫である』から始まり、色々と夏目漱石作品をオーディブルで聞いているが、読む前と後では違う見方を持たされてしまった。

 私は、夏目漱石作品という色眼鏡が私の身体に癒着してしまったような気さえする。

 これから、私は色々な作品を見る度、そして、国内にいる限り、夏目漱石作品の影響を意識していしまうようになったし、夏目漱石作品で得てしまった価値観という痕跡が染みのように残り続けることになってしまっただろう。
 ……この体験こそが脳に瞳を得たのかもしれない。

 良いことなのか、もしかしたら、悪かったことなのか。
 うーん、本を読むことは必ずしも善であるとは限らないとはなんとなく聞き及んでいたけど、その実例をより身近に感じてしまったような気がするぜ。

 今までなら、もっと小説は様々な人々の自由な発想によって、0から生み出てくるという曖昧で夢想的なイメージが存分にあったけども、今現在では……。
 それ以上はやめておこう。

 ま!
 エンタメは、一番人気に乗っかるのが基本とされているからね!





 以下、フォロー限定のネタバレ注意……。
 というよりも、文学というか情緒を動かされ、人間の芯を考えさせられるような小説とか物語は、ぜひ何も入れずに読んでほしいという我儘もあるので。

 夏目漱石作品は、様々な人々が研究し尽くして答えが出ているかもしれないが、それはそれとして。

 私が読んで感じて、踏み込んだ個人的な勝手な感想は、フォロー限定に。
 未読の人は、何も入れずに読んでほしいな、と思いました。


 このSNS大時代に、ネタバレとか(;^_^A
 と、思わなくもないけどね!

 

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ということで、夏目漱石作品をいくつか朗読了した個人的な踏み込んだ感想タイム

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