自〇未遂したときの感想&その後の人生観
こんばんは、花露るねです♡
先日は配信キャンセルしてすみませんでした💦
咳がひどくて配信するのはきついなっていう状況でした。薬飲んで今は落ち着いてます。ちなみにこの薬はすごい効くけど便秘になるので嫌いです。
それはそうと今日はいつもと趣向が違った記事でも書こうと思います。
ここ数日、自殺について考える機会が多いです。
有名人の自殺、知り合いの兄弟の自殺の話を最近聞いたし、私が小学生のときに自殺した祖父の命日も近いので、私が自殺未遂したときの感情も思い起こされます。
そこで1回自分の気持ちに整理をつける意味で書いてみようと思います。
今つらい思いをしている人へのメッセージとかではありません。ただの主観の体験談です。
自殺未遂したときのことですが、その前からずっと長い間死にたい気持ちを抱えていました。
家族問題が主な理由で、それ以外にも何やっても上手くいかないし未来に希望もないし死んだ方がマシだなと常々考え、首吊りの方法を調べていつでも死ねるように道具を用意していました。
明らかに鬱病だと自分ではわかっていたけど、薬を飲んだところで問題が解決する訳ではないので病院には行きませんでした。
毎日のように「今日の夜死のう。最期にあれ食べよう」みたいな気持ちで過ごし、いざ死のうとする時間になったら「眠いから今日はもういいや」となって朝を迎えました。
今思えばあの時はまだ本気で自殺しようと思ってなかった気がします。
というのも、月末に(普段は会えない遠くに住んでる)友達と遊ぶ約束をしていて、その予定を私は楽しみにしていました。
だからなんとなく思いとどまれてたんだと思います。
そして無事予定通りに友達と遊んだ日、この世の未練がなくなったと感じました。
生きてたら結婚して子供ができて幸せに暮らす可能性もあるのかな…とか考えることはあったので、完全に未練がなくなったとは言い難いかもしれないです。
でもとにかく、差し迫った未練はなくなりました。
そして自殺を考えた初期の頃にあったような、家族への恨みなどもほぼなくなってました。
「家族を呪ってやる」みたいな気持ちも全くなく、私が死んだ直後は迷惑かけるだろうけどその後はもうあの人たちも勝手に生きていくだろうしどうでもいいやってかんじ。今も別に恨む気持ちはありません。
友達と遊んだ日の深夜、アラームで目覚めて1回目の自殺未遂をしました。
この時は割と入念でした。
自殺してる途中で見つからないように深夜帯に決行しました。スマホの電源を切ったり遺書を机に置いたり、自分なりにやるべきことをやってから首を吊りました。
方法はいわゆる非定型というやつで、ドアノブに縄をかけるアレです。腰が浮くぐらいの高さに輪っかがあって、地べたに座り込んだら締まるという具合です。
サイトには「上手くやれば苦しくない」と書いてあったので、膝立ち状態で苦しくない位置を探りました。
座り込む(首を締める)踏ん切りがつかず、30分ぐらいダラダラしてたと思います。
結果、この時は断念しました。
自分は死ぬ勇気すらない臆病者だと思いました。
でも、この経験から「足がつかない高さで吊れば苦しくても逃げられないから死ねる」ということがわかりました。
2回目の自殺未遂は、1回目の2週間後あたりだったと思います。
失敗したあとも自殺のことばかり考えてました。
「自殺したら地獄にいくのか」といったことも調べまくりました。
やっぱりどこのサイトでも、自殺すると魂になってからも苦しむとか後悔すると書いてありました。
それはやだなーでもまあいっか、という気持ち。
私のおじいちゃんが今も苦しんでると思ったら悲しい気持ちにはなりますけどね。
そういえば私の祖父だけでなくその母(ひいおばあちゃん)も自殺してるので、「私もそのあとに続けばいいんだ」と勇気はもらえました。
今生きてる訳なので2回目の自殺も失敗に終わったんですが、このときは結構いいところまでいきました。
「今日の深夜に死のう」っていつも通り思ってた日の夜10時ごろ。
2日ほどご飯を食べてなかったのでベッドから起き上がって、「ご飯食べるか死ぬかしよう」と思いました。
ものすごく死にたいとかつらい悲しいという気持ちはなかったです。明日ドーナツ買いに行こうとか考えてました。
冷蔵庫を開けたら(2日前に自分が作った)ご飯があって、電子レンジでチンするのが面倒くさいから1回死ぬか〜と思って自室に戻りました。
そしていつでも死ねるように用意しておいた、輪っかになった紐とタオルとバケツを出してきてドアノブに紐をかけました。
前回座って死ねなかったので、今回はドアの上部に輪っかをもってきて、バケツの上に立ってバケツを蹴り飛ばして吊る作戦です。
首に巻くタオルの位置を少し調整して、今度は躊躇いなく吊りました。
正直このときもそこまで本気じゃないというか、苦しかったら中止すればいいしっていう気軽なかんじ。
吊った瞬間は「うわーやばいことしたかも」っていう感情。
それからすぐぼんやりと「クレしんのホラー回見たいな〜ほらあの有名なやつ…」と考えてました。それと内容は覚えてないけどうっすら家族のことも考えてた気がします。
クレしんのことを考えてる途中で家族に見つかって下ろされました。
実際に吊っていた時間はすごく短かったのではないかと思います(後遺症がなかったので)
無自覚ながらドアをドンドン蹴っていたらしく、その音で異変を察知されたようでした。
抱きつかれた瞬間は何が起こっているか全くわからず、数秒経ってから「あ、首吊ってたんだった!しかも失敗してる!」と気づきました。
立ってられず、その場にうずくまってひたすら咳をしました。手の痺れもしばらく収まらず、首の痛みを感じました。
結構びっくりしたのは、おしっこを漏らしていたことです。直前にトイレに行ってたのに。死ぬまでいってなくてもおしっこは漏れるんですね。
あと頭がぼんやりして思考が不明瞭になりました。
家族から何か尋ねられて「〇〇だ」と言いたいのに、〇〇という簡単なワードが思い出せなくなりました。
しばらくしたら身体のおかしな症状はなくなったので、本当に軽度で済んだのだと思います。ちょっとの間ご飯食べるときに喉が痛かったです。
2回目の自殺未遂から学んだことは多くありました。
まず、未遂するまでは「自殺できた人はすごい。勇気ある」と思っていたけど、別に自殺するのに勇気はいらないということ。
衝動的にやってたまたま助けが入らなかったから完遂できただけで、私の未遂となんら精神性は変わらないと思います。
私もあのまま気づかれなかったら、絶対に自殺できていたと確信しています。勇気を振り絞った訳ではなかったです。
そしてどれだけ普段から死にたいと思ってても、やっぱり本当に死ぬときは「衝動的」に動いてるんだなと感じます。
本来私は自殺するなら家族が起きてない深夜にやるべきだったし、遺書など用意すべきでした。でもそれらに気を配る間もなく吊っていました。
何もかもに絶望して…満を持して…って訳じゃないです。
そういうものなんだと思います。
あのとき自殺じゃなくご飯を食べる選択をしていれば、そこで一旦冷静になって衝動性が薄れて「ご飯のあと自殺」という行動は起こさなかったはずです。
自殺衝動が起こったときに、どう気を紛らわすかが肝です。
それから2回目をやるまでは、「死にたいけど痛いのはこわい」と思っていました。
でも、今はこわいと全く思いません。
全然痛くなかったからです。
サイトには「上手く吊れば苦しくない。すぐ意識がなくなる」と書いてあったけど、やってみるまでは半信半疑でした。
やったからこそ、サイトに書いてあったことが真実だと知りました。
苦しくないどころか、自分が今吊っているということすら忘れてました。クレしんのことをぼーっと考えてただけです。発見されなかったらあのまま死んでいたし、はっきり言って自分が死んだことにも気づかなかったと思います。
よく怪談で「自殺したことに気づいてない霊が何度も自殺行動を繰り返す」という話があって「そんな馬鹿な。私なら気づく」と思ってたけど、気づかないです。
あの時死んでたら、「あれ?死んでない。ちゃんと吊らなきゃ」とか「クレしん見なきゃ」とか考えながらその辺を彷徨う霊になってたでしょうね。
自殺未遂をやって今思うことは、次は絶対死ねるということです。
苦しくないのがわかったので、もう死ぬのはこわくありません。
そしたらすぐにでもまた首吊ればいいじゃんって話なんですが、いつでも死ねるとわかったらやりたいことやっとかないと損かなという前向きな気持ちも湧いてきました。
ほんといつでも死ねるんですよ。もちろんタイミングを選んだり準備するのは大事ですけどね。
「死ね」って言われたら「わかりました〜」ってその人の前で躊躇いなく死ねる境地に来ました。
だからこそ、「こんなことするのは良くないよね…」「この恥ずかしい動画を将来子供に見られたら…」とか気にしないようになりました。
どうせ死にたいと思ったらすぐ死ねばいいんだし。
誰がなんと言おうと好きなことして生きて、どうにもならなくなったら潔く死ぬ。
私の人生はそれでいいです。
吹っ切れてしまえば気楽なもんですよね。
まあこの経験がなかったら、私のゲームや動画はこの世に存在してなかったでしょうね笑
公衆便所になりたい女がいたっていいじゃない…それが包み隠さない素直な私なんだもん…
あのとき死んでたはずなのに今も生きてる私がやるべきことの1つが、エロゲを作って人を癒やすことなんじゃないかなと思ったりします。
世の中にはしんどくても頑張って生きてる人がたくさんいるので。そういう人たちを一時でもエロで癒やせたら私が生きてる価値もあるなと。
それに私には子供がいないから死んだら後世に残すものが何もないかと思いきや、今となってはゲームがありますからね。
私が死んだあともゲームを通じて誰かの記憶の片隅に残るなら、こんなにありがたいことはないです。
そうやって私は日々自分が生きた証を同人活動で残すのでした。
今もメンヘラ全開なので死にたい気持ちはあるんですけど、衝動を抑える対策とかやってるので大丈夫です。
何も更新せず放置してたら死んでるってことなのでそのときは「あーついにやったか」と思っといてください。まあそんなことにはならないはずです!心配ご無用です。楽しく好きなことして過ごしてます。
野糞ゲームが遺作になるの嫌ですし…
あと1番引っかかってるのはおじいちゃんのことですね。私が自殺したらおじいちゃんの二の舞です。
おじいちゃんは自殺したことを後悔しながら私の行く末を見守ってるんだと思います。だから私が普通に生きて死んだあとにおじいちゃんと再会して「私はおじいちゃんと同じ道は選ばなかったぞ笑」って言わないといけないような気がしてます。
自分が死にたいと本気で思ったことで、死ぬほどつらい思いをしてる人の気持ちに寄り添えるようになったのは財産だとも感じます。
「今すぐ死にたい」となった人は、まず一旦私の野糞ゲームでもやってください笑 そしたら自殺衝動がすっと冷めてくるかもしれません。
どうしたって死ぬときは死ぬので、そのときにできるだけ後悔ないようにしたいですね。
私はありのままにドスケベ女として楽しく同人活動していきます〜♡
私が生きてたからこそ出会えたここの皆さまのこと大好きです♡