神待ちイブくんSS『プラスチックスマイル』
「がるまにオンリー」にて限定頒布していた『神待ちイブくん』のSSになります~!ヒロイン視点になります。そして本編のネタバレがあるので、気になる方はご注意ください。
こちらの続き、書いてはいるのですが私がちょっと満足していない部分がありまだ公開しておりません……当初、同人誌として販売予定だったのに申し訳ありません!
ひとまずこちらのSSは無料で公開していたので、Cienで再掲させて頂きます!
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1 プラスチックスマイル
イブくん。やっぱり、私、あなたに生きていてほしい。
その言葉を口にすることは、とても残酷で、無責任だって、私分かっているんだよ。
ねえ、イブくん。
私たちはどうやって生きていけばいいんだろうね?
あなたにとって、冬の日の朝は、まだ美しいまま?
◇
子供の頃の記憶は朧気だ。
けれど、散らかった部屋から顔を上げた瞬間、親が私というわが子を殴ろうとしているシーンだけはなぜか頭に残って離れない。それに対してもう恐怖を覚えることはなくなったけれど、その暴力行為によって私の選択肢がひとつ増えたことに間違いはなかった。人と対話する上で、ぽこっと浮かんでくる選択肢。よくあるでしょう、ゲームなんかで。
「①会話する ②耐える ③無視する ④逃げる」
私はここに「⑤暴力をふるう」がチラついて離れない側の人間になっていた。
高校を出たあと、私は里親の家を出た。
何度も引き止められ、大学への進学も進められたけれどすべて断って18の春には東京へと向かった。東京の煌びやかさに惹かれなかったわけではないけれど、それ以上に家賃の高さやこの先やっていけるかどうかが不安で胸がチリチリするのを今でも覚えている。高卒、資格もこれといってなく、私は何も知らないまま東京という希望を持った地に足を踏み入れた。
事務職を選んだ理由は、これといってない。わざわざ東京を選んだ理由もこれといってない。私には何もないから、これ以上何もかもなくなると困るのでせめて普通でありたかった。地元に残って工場で細々と働くのがきっと一番安寧だったと分かっている。けれど、親がいない私にとっての「普通の女の子」は、東京で、会社に勤めている女の子だった。だからそこまで給料が良いわけじゃないけど、事務職を選んだ。
がらんどうのマンションに入り、トランクを片付けたあとケトルでお湯を沸かしてカップラーメンをすする。割りばしの味が奇妙に広がって、スープを飲んでいるのか割りばしを食べているのかわからくなった。嗚咽が漏れる。蛍光灯を買うのを忘れて真っ暗な部屋のなか、私はフローリングに直で座っていた。お尻が痛い。けれど一人の部屋は、なんと安心するんだろう。
私はこのまま、ここで死ぬのだろうか?
一人の部屋は死ぬほど安心するのに、死んでしまいたいくらいの孤独に襲われる。
息が詰まりそうだったあの家を出られたこと、なのに誰かにやさしくされたくて堪らない。
その会社は、幸運なことにすごく緩かった。最初は慣れないことも多かったけれど、慣れればどうということもなかった。若い女だからか男の社員から話しかけられることも多かったけれど、特別に不愉快なことは別に起こらない。
入社して2年ほど経ってから、やっと後輩が出来た。その子も高卒で、初めて入社したのがうちの会社だという。
「〇〇さんって、すごく大人びてますよね。私と余り年変わらないのに」
「そうかな? 最初は結構ヘマしてたよ、慣れればなんとかなるよ」
「だって一人暮らしなんでしょ? 私はまだ実家だから親に頼っちゃうこと多いなぁ……」
「あー、まあ、そっか」
私は運ばれてきた飲み物を口にしながら「うち、千葉のほうだから。流石に実家から出ないと、だったんだよ」と薄っぺらいポテチみたいな笑顔を浮かべた。後輩は謙遜のせいか、ややぎこちなさそうに「私も一人暮らししてみようかなあ」とぽつりと呟いた。
「やめた方がいいよ、頼れる実家があるなら」
「……ですかねぇ。高卒だと給料低いですしねー」
「うん、家賃も光熱費もバカ高いからさ、自分に使えるお金って全然ないんだよね」
「はー、もっと資格とって別の会社で働こうかなー」
「ほんとに」
人は置かれた場所で咲くならば。
ああ、私ってどこで咲けばいいんだろう?
東京に出てきて、思った以上に代わり映えのしない毎日が続いた。
そんな中、私は無為にSNSを徘徊する悪癖がついていた。
SNSは、東京のネオンなんかよりずっとずっとギラギラで、ビカビカで、煌びやかでうさんくさくて、私はそんな光に集まっている一匹の虫だ。
「この人顔がいいな」
私は特に、顔が良いと思った人をリストに分けてウォッチングしていた。顔が良いだけではなく、私好みの少し中性的でほっそりとしていて、それでいて私と同じがそれ以上にネット中毒っぽい人を集めた、お気に入りのリスト。
——こいつは自我が濃すぎる、こいつは女の匂わせが鬱陶しい、こいつは顎がなんかヤだ、こいつは整形がちょっと失敗して目につく、こいつはほぼ加工だな、こいつは、こいつは、こいつは。
ルッキズムの眼差しでSNSを徘徊していく。ふう、と息を吐くころには、目がガビガビに乾いていた。
少し休憩しよう……と思ってベッドにスマホを放って、飲み物を取りに冷蔵庫へと向かった。何もない。仕方なくレモンサワーを取り出す。今度また注文しとかないとな……。
「あれ?」
ベッドに戻ると、いつの間にかスワイプされてしまっていたみたいで、画面が知らないアイコンに切り替わっていた。おそらくオススメ欄に出てきていたのだろう、コンカフェとかメン地下やってそうな感じの男の自撮りだ。
「イブくん?」
わー、いかにもな名前。
でも……、と私はしげしげと画像一覧を見つめる。結構、好みだ。かっこいいし、中性的でスタイルも細くて良い。どこまで加工してるんだろう、でも洗練された観察眼をもってしても、持ち合わせた顔面はなかなかのモノだろう、と判断を下した。
プロフィールには意味深な一言が乗っているだけで、どこの店に所属しているかとか普段は何しているのだとかまでは乗っていない。大学生? 見た感じ、20歳くらいかな。
ざっくりとタイムラインを漁ってみる。極端に笑顔が少ない。マスクは黒。猫の写真……これは子供の頃の写真かな。食べ物も、なんとなく無機質……安っぽい缶チューハイやエナジードリンクのえにゃーもんばかり飲んでる。体に悪そう。どことなくダウナーな雰囲気のイブくんは、やっぱり生活もダウナーだった。
「あ……これ」
イブくんは、何か月か前までコンカフェで働いていたみたいだ。
けれどこのコンカフェのアカウントからはフォローが外されているし、出勤表にも名前は書かれていない。やっぱり……もう辞めちゃったのか。
(顔が好みだから、ちょっと会ってみたかった……なんつて)
そんな度胸、私にはないことを、私が一番知っている。
私はSNSの大海をさ迷ってはいるものの、持っているものはROM専アカウントとハマったジャンルの交換垢だけだ。積極的に交流はしていないし、するつもりも毛頭なかった。オナニー目的で裏垢男子たちのフォローはしてるけど、ほんとにオナニーだけの存在。自慰が終わればティッシュと一緒にポイ捨てする。
私はイブくんを見つけて以来、イブくんのアカウントをよく覗くようになった。
どうやら永久鍵垢もあるっぽくて、フォローしたいけどFF0だから多分通して貰えないし最悪ブロックされそう。目の前にイブくんの記憶や日常の断片がぶら下がっているのに、それを拝見できないのはすごく辛い。
イブくんはよくツイ消しをするので、迷った末に通知をオンにした。定期的に@tos宛てにいろんなことが投稿されている。「うざい」「死にたい」「ありえないからねー」イブくんは常に不満を口にしている。あんなにかわいらしく、かっこよくて、きれいなのに。イブくんにはどんな世界が見えているんだろう。
「あ……」
その日、私は珍しく遅くまで残業をしていて会社を出たのが21時過ぎだった。
会社を出た瞬間、ぽぽんっとイブくんの通知オンが鳴った。「月、」とだけ書かれている。添付されている写真は、真っ暗な中にぼやけて浮かんだ月だった。
ふと上を向く。同じくしてぼやけた月明り。朧月夜だ。
東京の空をきれいだと思ったことは一度もない。けどその時、私はこの空が今まで見たなかで一番きれいに思えてならなかった。
イブくんがいつも通り病んでいると、私は無性にホッとするようになっていた。
それに気が付いたのは、イブくんを監視し始めてから三か月くらいが経過した頃だった。
自分は性格が悪いな、と自覚しているけれど、自分の中のもやもやや寂しい気持ちが、イブくんの中にも存在していて、その苦しみを共有しているような気持ちになれるのだ。
私はいつしかイブくんに自分を重ねたり、勝手に共感したりと、どこか依存じみた思考を持つようになっていた。イブくんは裏垢男子じゃないから裸になったりおちんちんを見せたりなんかしない。けれど私は、イブくんがこの世の男の中で一番魅力的に思えてならなかった。
いつかイブくんに会いたい。
イブくんに会えるなら、お金だって払うのに……イブくんはどうやらまだ無職のままらしい。どこで暮らしているのだろうか? こんな都会で、一銭も稼がず暮らしていけるのは……もしかして、実家太い感じ? それだったら幻滅しちゃうかも。
自分の思考回路にモヤモヤし始めて、イブくんのアカウントで「実家」「親」「地元」など、繋がりそうなキーワードをかたっぱしから検索する。しかし1つも引っかからなかった。素性を明かさないタイプ?
コンカフェを辞めたイブくんの生活は結構荒んでいた。お金がないのかしょっちゅうペイペイで送金乞食しているし、友人も少ないのか写真はいつも一人だった。愚痴だって@tosに投げても通知オンにしてるから全部筒抜けだ。よくODやってエナドリがぶ飲みして、手首の傷跡を見る限りリストカットもやっている。私も安定剤を飲むけれど、それを乱用して幸福感を得ることを考えたことはなかった。イブくんは安定剤のほかにも、咳止め薬や他市販薬を大量に摂取しているみたいだ。
どういう気分になれるんだろう。
一抹の興味がわいてくる。けれどそれを自分でやろう、とは思えなかった。怖さの方が先立ってしまう。
裏垢の人たちの中にも、いわゆるキメセクというものをやっている人がいて、私はそれをこっそり見るようになっていた。イブくんと、こういうことをしてみたい……。私のなかにほの暗い、ねっとりとした湿度を保った感情が宿り始めていた。
「ん……っ」
最近、イブくんのことを思い浮かべながら自慰することが増えた。
コンカフェ時代の配信のアーカイブが残っていて、そこでイブくんの声を初めて聴いた。コメントに対してさらっと毒付くところや薄く笑うところ、唇のゆがみ方、目元、ちらっと見えた舌のピアス。すべてが私の記憶の中のイブくんが補完されていって、命に変わっていく。幻滅してしまうかも、なんか一ミリも思わなかったけれど、まさかここまで想いが強くなってしまうとは考えていなかった。「イブくん、イブくん……っ」目を瞑りイブくんのことを思い浮かべながら下着の上から弄ると既に濡れていて汚れてしまった。下半身がムズムズする。実際の人物で自慰をするのは、かなりの罪悪感と自己嫌悪に陥った。
イブくんにオナニーを見られたい、通話してえっちな指示をされたい、やさしい言葉をかけて貰いたい、イブくんに触られたい、イブくん、イブくん、イブくん……。
私、イブくんとお話してみたいな……。好きな音楽や、漫画の話をしたい。イブくんがどんな世界を見ているのか、知りたいよ。
『こんなつまらない夜に、だれか一緒にいてください。DMくださ、』
「共依存先、募集中……?」
イブくんのことを見つけてから半年ほどが経過した。その間イブくんはもう一度コンカフェに入店したが、またすぐに辞めてしまった。そのコンカフェは店員の質が余り良くなかったし、衣装もどこかダサかったから辞めて正解だけど、いよいよイブくんはお金に困窮し出したみたいだ。
ここ最近荒れていたのは、おそらくだけど同棲している女性と揉めたからだ……と私は推測する。
その日、私は会社を休んでいた。最近、なぜかなんとなく休みたいと思うことが増えた。なぜなんだろう、日常はゆるやかに過ぎていって、楽しくないけど不幸でもなくって、仕事にも慣れてお給料も以前に比べれば上がったはずなのに。
その『なんとなく』の不調を感じると、私は無意識にイブくんを見るようになっていた。そうすると好き、という感情が膨らんでいってラクになれるのだ。
ベッドの上からむくりと起き上がる。イブくんは不安定な性格だ。だから、今カノジョと喧嘩してこういう駆け引きをしているだけなのかもしれない。
カノジョ。私は、イブくんの何になりたいんだろう?
本当にイブくんに触れていいのか分からなかった。インターネット越しに眺めている相手と、自分が直接話すというイメージが全く沸いてこない。
イブくんはかっこいいから。きっと、DMだってすぐに何通も送られてくるんだろうな。
私はそのまま冷蔵庫へと向かった。なんとなく喉が渇いた。ブーンと稼働音が耳に入る。電化製品の稼働音ってなんでこんなに耳に残るんだろう。夜寝ているとき、今でも時々気になってしょうがないときがある。冷蔵庫には何もない。一か月前に買ってきた新作のスイーツがそのまま腐っている。いや、コンビニのスイーツって腐らないんだっけ? なんか生きてるって感じがしないな、なにもかも。食べ物も、私も、この部屋も。
「初めまして。(絵文字)と申します。突然のDM失礼します、まだ共依存先募集してますか?」
一通のDMを送るのに、いったい何分かかっただろう。
返事は3分後に来た。その3分も、鉛のように過ぎていき、まるで1時間みたく思えてならない。生きた心地がしないのに、心臓はバクバクと鳴り続けている。
「会ったことあるひと? てかなんて呼んだらいー?」
イブくんは質問には答えてくれなかったけれど、返事が来たことにホッとする。
「姫ちゃんって呼んでください」
「わかった。おれ、今部屋から追い出されちゃったんだけど、姫ちゃんさんのうち新宿の近くだったら停めてくれないかな? 一晩だけでもいーんで(土下座の絵文字)」
あ、イブくん本気で困ってるやつじゃん。
私は笑顔になった。
「いくらでも泊まってってください! わたしんち、一人なんで」
「ほんとに共依存先になっちゃう感じ?笑」
「そのつもりで声かけたよ」
ムッとして半ば怒り気味に返答する。そこからイブくんは5分くらい返事をくれなかった。
あ……もしかして、引かれた感じ? また心臓がバクバクする。イブくんに嫌われたくない。というかもしかして今からホントにイブくんに会うの? ヤバい、お風呂入んなきゃ。服もマシなの着ないと……。
「じゃあ、そういう契約しよっか」
イブくんはどんな気持ちでこのメッセージを送ってきたんだろう。
未だ実感が沸かないまま、私は急いでシャワーに入って念入りにメイクをした。服も新しいものを選んで、気合入れすぎない風を装って……そのまま新宿へと向かった。
吐息を漏らすと冷たい夜の街にすっと溶けていった。
ツイッターで約束を取り付けたあと、私はイブくんを迎えに新宿へと向かった。歌舞伎町へと向かうのは気が引けたので『とりあえず改札の方へ向かってくれますか?』メッセージを送る。イブくんから絵文字のスタンプが送られる。了解ということらしい。私はスマホをカバンのサイドポケットへ閉まって、改札を出た。当たり前だが、人ごみがすさまじい。新宿は嫌いだ。だがイブくんは移動するための金も尽きているらしくここで落ち合うことにした。
小田急線とJR線を繋ぐ場所、ルミネのあたり……。イブくんはまだ来ていないらしい。スマホを片手に握りしめて、ぼうっと人の波を見つめていた。私は今、目的をもってここに立っている。そう考えると不思議とむなしくならなかった。駅の蛍光灯に照らされながら突っ立っていても、それは有意義な行いだ。イブくんと私は、今夜顔を合わせる。
もう一度DM画面を見た。「あ……」いつの間にか、イブくんが私をフォローしていた。どくんっと心臓が跳ね上がってスマホを地面に落っことす。スマホカバーの端っこに傷がついた。
どくどく、どくどく、血が、脈が、騒いでいる。
ああ私はこの傷を見るたび、今日のことを思い出す。
そんなちっちゃな未来を想像したら、不意に涙が込み上げてきた。
空を見上げる。新宿の空は汚い。ビルの明かりがずっと続いているから、星が見えるほど暗く澄んでいない。
イブくんと一緒にいたら、きっとこんな空でも、好きになれるんだろうな。
「姫ちゃん?」
スマホがぶるっと震えて、DMの存在に気が付く。無意識に顔を上げて前を向いた。
第一印象は棒だった。スキニージーンズを履いたイブは棒のように細長く、写真の印象とは変わって少し背が高い。
「イブくんですか」
近寄って見ると、手には缶が握られていることに気が付く。胡乱な瞳が私をとらえる。口がちょっと緩んでいて、動かすとピアスがきらりと光った。「そうです」「私、ツイッターの」皆まで言わずとも分かっているだろうが、イブはぼんやりとした瞳を一瞬きょろと動かしたあと、私を再び捉えた。
「遅刻してごめん、姫ちゃんさん」
そうやって新宿の夜からイブくんを見つけた日を私は今でも覚えている。>
きらっと光った。光って消えた。
私とイブくんと過ごした時間だけが色褪せずに残っている。忘れたいのに、目を瞑れば一瞬で思い出せる。夢のような時間が。幸せだったあの頃が。
「にくいよ、イブくん」
もう私の中から出てってよ。お願いだから、いなくなってよ。
(2話へ続く)
2025/6/24