見られる体:思春期の乳房をめぐる身体の変化と社会のまなざし「第5章」
第5章:わたしの体を、わたしの言葉で
ここまで、胸という体の一部について、からだの変化や「見られること」、社会の中での言葉やイメージなど、いろいろな角度から学んできました。
最後のこの章では、「わたしの体を、わたしの言葉で語ること」の意味について、いっしょに考えていきましょう。
「自分の体」なのに、自由に話しにくい?
思春期になると、体の変化について話すのがなんだかはずかしく感じることがあります。とくに胸のこととなると、「話してはいけないもの」「さわらない方がいい話題」だと思ってしまうかもしれません。
でも、よく考えてみてください。
胸は、だれのものでしょうか?
お父さんでもお母さんでも、先生でも友だちでもありません。
胸は、あなたの体の一部であり、あなたのものです。
だからこそ、本当はもっと自由に話していいはずなのです。
それなのに、話しにくい空気があるのは、わたしたちの社会が「胸」について話すことを長い間避けてきたからかもしれません。
「語らない」とどうなるか?
もし、だれも胸について語らなかったら、どうなるでしょうか?
胸に対して感じた「もやもや」や「不安」や「うれしさ」は、そのまま心の中にたまりつづけます。
また、胸についての間違った思いこみや、からかいの言葉だけが一人歩きしてしまうかもしれません。
つまり、「語らないこと」は、体を大切にする気持ちや考える力を弱めてしまうことにもなるのです。
話すことは、勇気がいるかもしれません。だけど、「語ること」には、体を自分のものとして取りもどす力があるのです。
「わからないこと」は、問いにしていい
ときどき、大人たちは「胸が大きくなるのは女性ホルモンのはたらきだから」と、生物学の説明だけでおわらせてしまうことがあります。
たしかに、それも大切な知識です。でも、それだけで本当にすべてがわかるのでしょうか?
- 「どうしてこんなに目立つようにできているの?」
- 「もっと目立たない形ではだめだったの?」
- 「このふくらみって、誰のためにあるの?」
こういった問いは、「おかしな質問」として笑われることもあります。けれど、答えがないとしても、問い続けていいのです。
「わからないけど、知りたい」
「自分の体のことだから、もっと考えてみたい」
それは、とてもすてきな出発点です。
本当の意味で「自分の体を生きる」ということ
「胸があるからこうしなきゃいけない」
「胸が目立つから、見られてもしかたない」
そんなふうに、自分の体を「他の人の目」にあわせて動かすのではなく、
自分の感じ方や言葉に耳をすませて、自分で決めて生きていくこと。
それが、本当の意味で「自分の体を生きる」ということではないでしょうか。
あなたにしか書けない「ことば」がある
最後に、みなさんにお願いがあります。
ここまで読んできたことをふり返って、あなたが感じたことを「自分のことば」で書いてみてください。
たとえば、こんなふうに問いかけてみましょう。
課題:「あなたのことばで、胸のふくらみを表してみよう」
- 胸がふくらむって、どんなこと?
- どんなふうに感じる?
- 自分の体について、どんなふうに考えたい?
- まわりの目が気になったとき、自分にどう声をかけたい?
- これから胸とどうつきあっていきたい?
どんな答えでもかまいません。正解はありません。
あなたにしか語れない、あなたの体のことばを、大切に書いてみてください。
おわりに
胸という体の一部からはじまって、からだの見え方、社会の目、言葉の力、そして自分自身の気持ちへと、たくさんのことを見てきました。
この学びを通じて、みなさんが少しでも「自分の体を大切にすること」「語っていいと思えること」「誰かの体も尊重できること」に近づけたら、わたしたちはとてもうれしいです。
あなたのからだは、あなたのものです。
そしてそのことを、語る力もまた、あなたの中にあります。
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