呪わしい皺の色 Mar/30/2025 14:40

かわいそうに

 小さい頃夜中に用を足しに行く時一人で行くのが怖くて祖父を起こしていました。彼は文句一つ言わずについて来て、私がすっきりするまで扉の前で待っていてくれました。かわいそうに……かわいそうに……と、外から声が聞こえるので、まだそこに彼がいることがわかり、安心したものです。

 「かわいそうに」というのが祖父の口癖で、車を運転している時にも好物のシチューを食べている時にも口にしましたが、大人達はまるで聞こえていないみたいに振る舞うのが常でした。まだ子供だった私は当然無視できず、何がかわいそうなのか、そしてどうしてみんなおじいちゃんをいないもの扱いしているのか尋ねました。すると、大人達は狂いのない方位磁針のように私に目を向け、「そんなこと二度と聞いちゃ駄目だよ」と言い聞かせました。祖母が急いで祖父を別室に連れて行きました。

 言い付け通り祖父の口癖について尋ねることはやめましたが、好奇心というものは他者がどうこうできるものではないのです。知りたいことを知るまで心はバタバタ走り回り、秘密が埋まっているところを探して何度も爪を振り下ろすのです。

 夢の中で、父が自分の胸を指差して、「ここに『かわいそうに』が埋まってる」と宣言しました。母が無言で包丁を渡して来て、アル中の叔父さんが「やれるもんならやってみろ」とけしかけます。私は刺した後に深く打ち付けるためのハンマーを探して家中をうろうろしますが、見つかりません。最後に訪れた部屋で祖母がそれを抱えていたからです。「これは絶対に渡さない」泣くように訴える祖母からハンマーを取り上げると、彼女は夢の住人の身のこなしで素早く扉の前に立ちふさがります。そして、震える手を自分の胸に当て、「私のここにも『かわいそうに』が埋まってる」と白状しました。右手には鋭器を左手には鈍器を構えた孫は喜びに体を震わせ、「かわいそうに」目がけて飛び掛かったところで目を覚ましました。尿意を覚えたからです。

 いつも通り祖父に付き添ってもらい、用を足します。扉の外からはお馴染みの言葉が届きます。やっぱり気になって、家族の言い付けも無視して「何がかわいそうなの」と訊いてしまいました。この時生じた沈黙を解釈するには私は幼過ぎました。まるで祖父がこの世界から旅立ったかのように感じたものです。しかし実際には、世界のほうが私達二人を置いて行ったのです。祖父は世界が私達の視界から消え去るのをただじっと待っていました。孫に打ち明ける秘密の性質を考えればどれだけ用心してもし過ぎることはないのです。そして、この場に私達だけが残っていることに確信を持つと、ゆっくり話し始めました。「お前は『ごみ箱に収まらないごみ』を知っているか?」祖父は孫が頷くのを待たずに言葉を続けます。「あれは認識の迷路だ。人間性への冒涜だ。装飾された狂気の入口だ。普通狂気の入口にそれらしい装飾はないものだが、唯一判明しているそこだけは粗末な羽で飾られている」祖父が難しい言葉を使うので、自分の知っている「ごみ箱に収まらないごみ」とは別の対象について話しているのかと思いかけました。確認の意味を込めて、私のクラスで来学期から「ごみ箱に収まらないごみ」を飼育することになったと告げると、大きな頷きが返ってきました。「羽をむしり過ぎないよう気をつけろ。さもなくばお前も消えてしまう」

 結局祖父が何を憐れんでいるのか明言することはありませんでした。けれども今の私にはわかります。彼が世界中の「ごみ箱に収まらないごみ」を憐れんでいたことが。そして、「かわいそうに」はいくら言っても言い足りないということが。

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