06：喜びと罪 06

　通話口から聞こえるのは、吐息混じりの恭平の声。

『……ななみ、声を聞かせて』
「恭平さん……ダメです……」

　抗うように言葉を発するが、声は震えてしまっていた。
　それは拒絶の震えではなく、自分自身への戒めと、欲望への怯え。

『さっきの胸元、もっと見せてよ』

　息を吸う音が、スマートフォンの向こうでリアルに響いた。
　そのたびに、ななみの皮膚がじわりと粟立つ。
　彼女の体が、音に、言葉に、反応してしまっていた。

（隆がいるのに……こんなの……）

　だが手は言うことをきかない。
　カメラに胸元が 映るように、アングルを調整する。

『ななみ、胸の柔らかさを見せてほしいな』
（そんなの……）

　抵抗を思いつつも、ブラジャー越しに胸に指を撫でて。
　いやらしく映るように指を沈ませていく。

『ああ、すごいよななみ……』

　興奮している荒い息につられ、ななみの呼吸も乱れていた。

「もう、これ以上は……」
『スカートの中も、見たいな』
「…………」
『ななみ、下着、何色？』
「……白……です」
『スカート、上げて』
「……はい」

　その“お願い”の響きに、ななみの内側が疼く。
　恭平は、命令ではなく、「求めてくれる」。
　それが彼女の罪悪感の防波堤を静かに崩していく。
　カメラを切り替え、足の間に画面を向ける。
　そしてスカートをゆっくりと捲り上げていった。
　白いレースのショーツ。通話越しに、見られている。
　見られることが、羞恥とともに快楽を運んできてしまう。

『……触ってみて。俺が触ってると思って』
「ダメ……です……ッ」
『お願い。ななみが感じるところ、全部教えて……』
　駄目だと思っているのに、指が、動いてしまう。
　濡れた下着の下に指を差し入れて、そっと擦る。
　小さな吐息が漏れ、画面の向こうの恭平もまた、自らを扱いていた。
『イイよ、ななみ……すごく綺麗だ……気持ちよさそうだ……』
「お願い、そんなこと言わないで……」
『顔を見せて、ななみ……！』

　カメラの位置を顔に戻す。
　紅潮した頬と、快楽に歪んだ表情。
　これが自分の本性だと、突き付けられているようだった。
　その時、トイレに誰かが入ってくる気配がした。
　カツン、カツンとリノリウムを叩く足音。
　ななみは息を呑む。

「恭平さん、誰か入ってきて……」
『このまま続けて』

　囁くような恭平の声に背筋に震えが走った。
　なのに、ななみの指は止められない。

（……聞こえちゃう……）

　けれど、その恐怖すら快楽の燃料になっていた。
　トイレの個室という、ただでさえ背徳感の強い密室。
　その静寂を破るように、隣の個室に誰かが入ってくる音がした――。

　カチャ、ガタン、そして衣擦れ。
　完全な沈黙ではなくなった空間に、ななみの呼吸が凍りつく。

（お願い……気付かないで……）

　それでも、スマートフォン越しに聞こえる恭平の吐息が、彼女の身体をどうしようもなく揺さぶる。

『ななみ……感じてる？　もっと……教えて……』
「っ……っ、っ……♡」

　耳元で囁くその声が、現実感を遠ざけていく。
　ななみは唇を噛み、喉の奥に声を押し殺しながら、指をゆっくりと動かした。

　濡れた音が、どこか現実のものではないように思えた。
　足を揃え、スカートを押さえ、口元を覆って。
　あらゆる欲望を密封しているつもりなのに、身体の奥では別の爆発が始まっていた。

　隣の個室からは紙の音、流水の音。そして足音。
　やがてトイレの扉が開く音がして、空間がふたたび静寂に包まれる。

「――はぁっ♡　あぅ、も、もう……恭平さん……人がきたって、言ったのに……♡」
『そうだよ。全部、俺のせいにして。ななみが悪いんじゃない。欲しいって言ったのは俺だ』

　その言葉に、涙が滲む。
　甘い嘘と、優しい暴力。
　声で、言葉で、ななみのすべてを奪い去っていく。

「んんっ、んっ……そんなこと、言われちゃったら……♡　あっ、あぁっはっ……♡」
『ああ、ななみ……俺も、もう……！』
「恭平さん……ッ！」
『ああ、イくよ……！』

　その瞬間、頭が白くなり。
　ななみは狭いトイレの個室の中で、新たな傷がついたことを思い知り涙が落ちる。
　けれどそれ以上に、満たされてしまった現実に、口元が緩んでしまっていた。
　自分でも嫌になるほどの幸福が彼女の内側に満ちていた。