●痴人の略~事の顛末~①●


中天にかかる満月が柔らかな光で、極楽全体を照らしている。
快い啼き声の極楽鳥も体を休め、今はただ静かな静寂があるだけだった。
そんな極めて快適な環境の中、唯一の光が差している場所がある。白澤の薬屋、極楽満月の露天風呂だった。



白い肌をした二人の青年が心地よい湯舟に浸かり、それぞれ丁度良い湯加減の快感にため息を上げている。
二人とも頭から湯をかぶったらしく、全身がずぶぬれでそれぞれの美貌に湯の線が伝っていたが、どちらも頓着した様子はない。



「はああ・・・気持ちいいです・・・」



より白い肌をした、すっきりした筋肉に覆われた青年が、万感のため息をついて湯に首元まで深く浸かる。
いつもは陶器のように白い肌が、湯で温められて頬が上気して紅くなり、明らかに和んでいる様が、容姿の美しさも伴って可愛らしく感じられる。
ゆったりと湯に浸かる麗人に、もう一人の美男が声をかけた。



「もう薬の効果は無くなった?」



そう言って白澤は鬼灯の隣に座り込んだ。



「はい、おかげさまで浄化されたようですが・・・」



「でもお前のメンタルケアがまだ済んでないよね」



そう言って白澤が鬼灯の身体に身を寄せ、肩に触れる。



「別に必要じゃありません・・・メンタルケアなど・・・」



「いーや、必要だね!自分から「欲しい」とか「イイ」なんて言うなん・・・おぶ!」



白澤は顔面を強かに殴られて水面を滑り、壁に激突して止まった。白澤の通過したあとの温泉は、見事に湯が割れて底が見えていた。



「そんなこと・・・言ってません・・・」



苦々しい声で鬼灯は言うと、激しく波打つ温泉の湯に揺られながら、両手で救った湯で顔を洗った。



壁からずり落ち、強かに打った顔面痛そうに覆いながら、白澤は再び湯に浸かり、顔を湯に浸し、言った。



「うそだね!いっぱい、いつも言わない言葉使ってたよ!その癖が治るまでお前を返さないからね!」



温泉の治癒効果ですぐに顔の腫れを引かせた白澤が鬼灯に迫り、美しい鬼は忌々し気に舌打ちをして顔を逸らした。



「冗談じゃありません。もう現世の視察は終わって、明日から通常業務です」



「だから業務中に襲われて、あんな言葉出されたら、お前が淫乱だってバレちゃうじゃんか!」



鬼灯は大波を生じさせて白澤に大量の湯をぶっかけた。
波は温泉の半分の湯をかっさらい、白澤は一分近い窒息を余儀なくされる。



「ぶはあああああ!何するんだよ!暴力鬼!」



「さっきから、あなたが失礼なことを連発するからです。いい加減にしてください」



鬼灯が冷たくそう言って、白澤に背を向ける。
しばらく気まずい雰囲気が流れ、静かな鈴虫の音色だけが月夜に響き渡る。



「鬼灯、もう現世に行って仕事するの止めてよ・・・」



小さな声で白澤がポツリとつぶやいた。鬼灯が犯行の声を発してくることはわかっているが、白澤の気持ちとしては言わずにはわれない。



その言葉を聞いて、鬼灯は深くため息をついて湯へさらに沈み込むと、吐息交じりに言った。



「いえ・・・現世での体験は裁判で重要な経験ですから・・・」



「やっぱり・・・」



そうか、と白澤はギャグのように頭をガクっと垂れてそのまめ湯舟に頭まで浸かってゆく。



「でも、スーツではもう働きません」



すると白澤がゆっくりと浮上し、案外真摯な目で鬼灯を見つめた。



「本気?」



「本気です。スーツは着ません」



そう言って鬼灯は白澤に近寄り、頭を抱え込んで軽く白澤に口づけた。
理性のあるうちに鬼灯の方から白澤に、こんな可愛らしい口づけをしてくるなど、百年に一度、あるかないかの珍事だ。
当然白澤は舞い上がり、鬼灯を激烈に抱きしめる。



「ほおずきっ・・・!」



成人男性二人分の体重が一気に沈んだ湯舟は大きく波うち、湯は温泉の外にまでこぼれ出した。
喜び笑顔の白澤を見下ろし、母性に似た感情を覚えながら、鬼灯はその重さを心地よく感じながら、再びいたずらっぽいため息を吐いた。



来週には市役所の短期バイトが入っている。白澤には悪いが、今度もスーツで挑まなければならない、という事実は、黙っていることにした。



(季節も季節ですし、シャツになるだけですからね・・・)



そんな詭弁を心に浮かべながら、鬼灯は白澤の唇に自分の可憐な花弁を押し重ねた。



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