めるとりーずん 2020/10/31 19:36

色仕掛け文庫 第三巻 サンプル

 
 扉は三つ。
 びくともしない。
 
「いい加減に覚悟を決めよーぜ」
 と、面倒そうに口にしたのは戦士のゴルキ。俺はひとまず鼻で笑っておく。
 不落不落とずっと噂されてきた魔王城は想像の域をまったく出ないほど軟弱な造りで、なんなら今まさに俺達三人の手に落ちようとしていた。
 潤沢に用意していた治療アイテムは未だ荷物の中にしまったままだし、トラップ探知のアーティファクトは相変わらずピーピーガーガーと意味のない音を立て続けている。ただの騒音発生装置になっているのはコイツ自体のせいじゃない。まともなダンジョンならちゃんと罠を検知して役に立ってくれる。まともなら。
 つまりこの城はまともじゃない。その辺の柱を小さめのトンカチでカツンと一発やれば一気に瓦解するのではないかと思ってしまう。
 なんのためにこの魔王城の周辺を十日間もぐるぐるしたと思っているのか。
「扉を触って通って、仲良く抜けて、魔王倒して仕舞いだろ?」
 ゴルキは明らかにイライラした調子で続けた。
 正直言って、ゴルキの言い分もわからないでもないし、同時にわかりたくない部分もある。なんせ、間取りが予想通りなのだ。外観から考察した城内部の構造はほぼほぼ予想通りで、最後まで予想通りであるならばこの扉の少し先に魔王が待っているに違いないのだ。だったら四の五の言わずにさっさとケリをつければいい、というのはわかる。非常にわかる。
 
 が、今すぐにわかってやるつもりはない。
 
「どうしたものですかね……」
 弱気につぶやいたのは僧侶のヨシュアだった。年齢差のせいか俺達三人の中では発言が控えめではあるけれど、かつてはマダルトの街きっての天才少年と言われていただけあって呪文の扱いは本物だ。泥臭い育ちの俺やゴルキと比べたら、毛並みが良いというのは間違いなくこういうヤツのことを言うのだろう。
「もう一回、ちゃんと整理しよう」と俺は提案する。
「ふん」とゴルキが不満げに鼻を鳴らした。
 話し合わなければならないことは二つ。
 
『ねぇ、はやくう』
 
 この娼館の客引き並みに甘ったるい声と、そして扉についてだ。
 
 部屋は男三人がくつろぐには少し広いくらいだろうか。
 石造りにも見える部屋の壁は所々で深い緑色が混じっていて、何の鉱物が使われているのかわからない。とにかく頑丈だ。それは扉も同じで、色や浮き出た模様に違いこそあるけれど、ヨシュアに呪文を一発放ってもらったところで焦げ跡すら残らなかった。
 〝声〟は、この三つの扉すべてを俺たちが同時に触れることで通ることができると話す。
 つまり扉一つにつき一人だ。
 
『ね~え?』
 
「おっ」
「うわ」
「また出ましたね……」
 
 目の前の光景に俺たちは三者三様の反応をする。
 まるで壁をすり抜けるように出てきたのは女。女に継ぐ女。さらに女。どれもが半透明の幻のように、けれどその贅沢すぎる体付きを目一杯に見せ付けてくる。
 顔立ちは嘘のように整っていた。鼻筋に幼さの残る顔立ちから気品を漂わせるほどの切れ長の目をした女まで。けれど体の凹凸はどれも凄まじく、豊満と言うにも生易しいほどの乳房が、それぞれの腕やお腹に押し合いへし合いしている。一様に黒いボロ切れのようなものを胸と腰に巻きつけているだけなのがまた危うい。
 肉林、とはこのことか。
 
『はやくしてよぉ』
『うふふふ』
『触るだけでいいのよ?』
『もう待てないわぁ』
 
 それぞれがそれぞれに身体を擦り付けあいながら、甘そうな吐息を吐く。いまにもぼろ切れがズレそうに、あるいは解けてしまいそうになっていた。
 俺はため息しながらゴルキに目を向ける。先ほどまでのしかめっ面とはうってかわって、体勢はやや前のめりに、鼻息を荒げている。女たちの体に翼や尻尾など悪魔的な特徴こそ見られないけれど、こんな、壁を平気で通過してくるような謎の存在にまっすぐ欲情できるコイツには呆れを通り越して感心してしまう。
「な、なあ早くしようぜ?」とゴルキが息をまく。
「バカ。それこそ思うツボだろ」
 なあ、と俺はヨシュアの方に振り返る。最近顔立ちも大人びてきた青年は、わずかに頬を赤らめて顔を逸らしていた。女性が苦手なのは相変わらずか。
そ、そうですね。と返す言葉にもやはり覇気がなく、俺は追加で息を吐いた。そろそろ窒息するかもしれない。
 女たちは互いに身を寄せ合ったり、乳房を持ち上げてみたり腰を突き出してみせたり、あるいは流し目を向けてきたりと流動的かつ扇情的だ。そのうちの一人、童顔な可愛らしい女性と俺は目が合い、彼女は乳房の片方をたゆんと持ち上げてウインクした。
 そしてそれが合図だったかのように、女性たちの幻影は煙と消える。ゴルキは舌打ちをし、ヨシュアはほっと息を吐いた。まだ部屋の中に甘い香りが残っているかのような気がした。
 
 状況はこうだ。
 
 まず第一に、部屋の前面に黒い扉が三つ並んでいる。
 掴んで押し引きできるような取っ手はなく、非常に頑丈で、破壊による通過は難しい。

 第二に、脳内に直接響くような女の声と、一定時間ごとに現れるほぼ裸体の女性たち。
 おそらく〝声〟と女性たちは同一の存在だと思われる。
 姿こそ人間だけれど壁をすり抜けて来る時点で非常識だ。第一印象のインパクトは大切かもしれないけれど、少しハメを外し過ぎに思う。おそらくまともな教育を受けていないのだろう。少なくとも俺は両親に壁をすり抜けろと教わった覚えはない。
 そして彼女たちは俺たちとの性的な行為を望むような発言を繰り返している。これは彼女たちが初めて姿を見せた時に、判断の早いヨシュアが攻撃呪文をぶっ放した後も変わっていない。火炎は半透明の彼女たちを通過し、その後ろの壁に広がって消えた。
 彼女たちは驚きもしなければ逃げることもしなかった。ただ変わらぬ様子で俺たちを扉へと誘うばかりだ。
 
 第三。
 これは〝声〟や彼女たちの発言によるものだ。なんでもこの三つの扉は俺たち三人がそれぞれ一人ずつ、全ての扉に同時に触れることで通過ができるという。
 通過した先にはそれぞれの小部屋があり、その小部屋を抜けるとまた一つの大きな部屋に繋がっていて、そこで魔王が待っている、という話だった。しかし〝声〟によると小部屋に入った時点で、俺たちに『そういうコト』をしたいという意思が見られた場合、一瞬にしてめくるめくような世界を――――それこそ先ほどみた彼女たちと一晩中まぐわうような――――体験をすることができるという。それらは本当に一瞬のこととして処理される。だなんて、そんなワケのわからないことを言われたがゆえに、俺たちはこうして立ち往生しているのだ。
 可愛い女の子とえっちなことがしたければ、できますよ? という誘いである。魔王の待つ部屋の直前でだ。
 これを罠かどうかを本気で議論するほうが馬鹿げている。
 
「どっちにしろ通らなきゃならねえんだろう?」とゴルキは言った。
 
 まあ、一理ある。
 そのヤケに真面目そうな表情の奥で、アレらと交わる気満々な気配をもう少し上手に隠していればの話ではあるが。
 俺はゴルキへ向かって口を開く。
「意思はしっかり統一しておいたほうがいいだろう。魔王と戦う前だぞ」
「わかってるわかってる、オレだってそこまでバカじゃねえよ」
 いいやお前は結構バカだ。腕の立つバカだ。
 そんな言葉を飲み込んで俺はヨシュアにも目を向ける。
「ヨシュアはどう思う?」
「そうですね、そういう行為がしたいという意思、というのが曖昧で……」
「そこなんだよな」と俺も相槌をうつ。「小部屋に入るのはまあいい。それは仕方ないとして、そのめくるめく世界とやらに連れて行かれる条件がよくわからない。『そういうコトがしたい』と口に出したら連れて行かれるのか、それとも頭の中で念じたら連れて行かれるのか、あるいは深層心理まで探られるのか」
「深層心理は……、ちょっと厄介ですね……」
「なんだあ? お前も期待してんじゃねえかヨシュア。女はいいぞ?」
「ちょっと黙ってくれゴルキ」
「はーいよ」
 俺の注意にゴルキがふて腐れた声を出した。
 
 にゅう。と。
 また壁から出てきた人影に俺たちの視線は集まる。
 
『もう決まった~?』
『早く遊びましょう?』
『私、もう熱くなってきちゃったのだけど……』
 
 出現した女体のうちの一人が、腰に巻いたボロ布を軽くつまんでめくり上げた。
 その下から露になった白い下着に、ヨシュアはわかりやすく顔を逸らし、ゴルキは「おお……」と感嘆の声を上げた。
 衣類は貧相だけれど、肌は美しく清潔感のある張りを見せる。たくし上げたボロ切れの下で、その女性はむちむちの太ももをこれでもかというほどに擦り合わせている。
 これを目の保養とするか、目の毒とするか。どちらにしろ刺激が強すぎる。
 
 乳房を寄せたり、今度は後ろ向きに布をめくって見せたり、先ほどよりも一層淫猥なパフォーマンスを見せたのち、やはり煙と消える。相変わらず甘ったるい空気が残っているような気がして、俺は顔をしかめた。
 
「……深層心理だったら、避けようがねーよな」
「お前と一緒にするな」
「へいへい」
 
 一応ゴルキの言葉には突っ込みを入れておく。
 しかし、深層心理か。それだったら俺も本当に避けられるか自信はない。
 頭でいくら否定したところで心の奥底まで塗り潰せるわけじゃない。俺がアレらを人間の女性でなく、ヒトの形をしたナニカだと認識できているかどうか。
「……というか、本当に、そういうコトだけなんですかね?」
 俺はヨシュアを見る。
「だけっていうと?」
「いや、そういう、なんていうか、本当に〝そういうコト〟をするだけって、おかしいじゃないですか。魔王との決戦の前にいかがわしいことをするなんて」
「……どうせ死ぬなら先に女を抱かせてやるっていう粋な計らいだとか」
「本気で言ってないですよね?」
「まさか」
「やっぱり罠だとは僕も思うんですよ。でもトラップ検知がぜんぜん反応しないじゃないですか。あの幻影みたいな姿が映し出される原理もよくわからないですし。僕が魔王だとして、自分に襲いかかってくる冒険者に女性をあてがう心理状況がまったく理解できないんですよね。ほんとに〝そういうコト〟は起こるのか、起こったとして、僕たちは無事に三人で魔王の元にたどり付けるのか。……あるいは色香で惑わせて、洗脳を企んでるなんてことも考えられますよね」
「まあ、考えられるとしたらそれくらいか」
 俺とヨシュアはお互いに頷き合う。
 
 もし洗脳が目的だったとして、魔王の元にたどり着いた時点で誰が洗脳されているかなんてすぐに判断できるだろうか。
 
「……やっぱり、求めればっていう条件がやっかいだよなあ」
「そうですね……」
 俺とヨシュアは同時にゴルキに目を向ける。ゴルキは「ん?」とこちらを見た。
「なんだよ」
「いや」と俺は片手を上げる。「誰が黙って『エロいことがしたいです』なんて願って、一人でイイ思いをした所で、小部屋を抜けてもお互いにバレないワケだろう? 一人だけ遅れてくれば察しも付くが、現実には一瞬だとかいう話が本当だとしたら何食わぬ顔で小部屋を出てきたらわからないからな」
「おいおい、オレを疑ってるのかよ」
「お前がよく反論できるなと感心してるくらいだ」
「やめてくれや。もうどれだけの付き合いだよ。オレのことは良くわかってるだろう? オレぁやる時はやるんだよ。あんな幻影なんか抱かなくたって魔王を倒せば街中の本物の女が抱き放題なんだから、構うこたぁ、……おっ、おおおっ、きたきた!」
「…………」
 
 また壁をぬるっと抜けてくる半裸の女性たちに、俺は片手で額を覆った。
 
「……ゴルキ」
「うるせえな、いいじゃねえか見るだけなんだからよ!」
「……はぁ」
 俺は女性たちへの注意をゴルキに任せて背を向ける。あんな肌色ばかり目にしていたら頭がおかしくなりそうだ。
「もしかして」とヨシュアが顔を逸らしながら続ける。「これが狙いですかね」
「うん? どういうことだ?」
「仲間割れですよ」とヨシュアが声を潜める。「現にいまラウザさんとゴルキさんがちょっと雰囲気よくないじゃないですか。これでまたゴルキさんが『早く行こう』って言ってもラウザさんは止めますよね? そんなことを繰り返しているうちに大喧嘩になって、魔王どころじゃなくなったら最悪ですよね?」
「それは確かに」
「慎重で問題ないと思います。別に今日必ず魔王のところにたどり着かなければいけないわけでもないですから。僕たちの間に亀裂が走るほうがよっぽど大変です。ここのところ偵察続きでしたから、ゴルキさんも、その、街で思いっきり羽を伸ばしてもらえれば多少は良くなると思いますから、冷静になるために一度戻るというのもアリかなと思いますね」
「なるほど」
 ヨシュアの言葉に俺は深く頷いた。
 確かに今日にこだわる必要はない。なにより相手の得体が知れない。魔王へたどり着く目的は大切だけれど、足元がおろそかになるのはよろしくない。
 
「よし、ゴル……、ゴルキ? おいおいおいおいおいおい」
「ちょっと、ゴルキさん!」
 
『ざ~んねん、桃色でした~』
『わたしもわたしも~!』
『お兄さん、わたしが先だよう。ほらめくってみて……?』
『今度は当たるかな~?』
「ふへ、へへへ……」
 
 ゴルキはいつのまにか女性たちに囲まれていて、腰に巻いた布切れをつまみ上げながら鼻の下を伸ばしていて、そして俺が奴の腕を思い切り引っ張ったのとヨシュアが障壁呪文を張ったのはほぼ同時だった。『ああん、もう』『やだあ』と数人の女性がなだれこんできて、障壁までも当然のようにすり抜け、同時に雲散した。
「はあ、はあ、……障壁が効きました?」
「い、いや時間切れだろう。ふつうに通り抜けてきた」
 俺とヨシュアは息を整えながら前方に注意する。しばらく経っても何も出てこないことを確認して、座りこんだまま呆けているゴルキに目を向けた。
 その後頭部に思わず罵声を浴びせそうになって、俺は眉間に力を込める。
「……あの、なあ、ゴルキ」
「触れたんだよ」
「なに?」
「触れたんだって、あの布切れ」
 ゴルキは右手を少し持ち上げ、座ったままこちらを振り返った。
 
 
 
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色仕掛け文庫 第三巻』へ出させていただいたお話のサンプルです。
自分の書いている物語の中ではかなり暗めの部類に入りますので、そういったものが好みの方はぜひぜひ。

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