【田中ユタカ誕生60年祭】
【田中ユタカ誕生60年祭】
ありがとうございます!
おかげさまで大きな事故もなく無事に開催されました。
心配されたお天気も、見事なまでの五月晴れとなりました。
僕が生まれ育った故郷の街で、ひと足早い還暦のお祝いをいただきました。
■僕の故郷の街
今回の会場となった千里中央は僕の故郷と言って間違いない街です。
半世紀以上前、昭和の時代、大阪万博に合わせて大阪北部の千里丘陵に「千里ニュータウン」が開発されました。広大な竹藪の丘に当時はモダンな団地が建ち並びました。
千里中央はその中心的な街です。
何度か小さな引っ越しはありましたが、僕はずっとこのニュータウンで育ちました。
「デビルマン」の最終回部分を立ち読みしたのは、今回の会場の向かいに現在もある書店の店頭でした。西陽が紅くまぶしかったことを覚えています。
はじめて親同伴でなく映画を観たのも会場のすぐ傍のショッピングモール内のシアターです。「カリオストロの城」に興奮しました。
僕の子供時代からのたくさんの思い出がこの街にあります。
まさにその場所で、読者の皆様から60年をお祝いいただけることは本当に感慨深いです。
■青空
記念本やお土産の品々、ポスターなどを我が家から会場へ運ぶために、朝から会の運営を担ってくれる読者の皆さんが僕の家まで来てくれました。(遠方の方は前日から先乗りして大阪入りしてくださっていました)
その際、母(89歳。ポケモンGO重課金勢レベル74)とも会ってくれました。
母はとても喜んでいました。
ありがとうございます。
会場設営。
ひこていさんによる『愛しのかな』イラストのカラープリントがズラリと展示されます。かなの作品世界が繊細に立ち上がります。
デビュー単行本「ファースト・タッチ~初恋~」からの僕の初期単行本が会場の後ろの机に並べられます。
いつも「雀魂」配信でお世話になっている龍蒼さんが作ってくださった漢気あふれる大漁旗が、昨年末の【『愛人[AI-REN]』25th記念ファンミーティング】に続いて登場です。
縦2メートルを超える巨大布ポスター。今回はそれが2枚。
「田中ユタカファンミーティング」と「初夜」カバーイラストのリメイク。
人間よりも大きな笑顔のあいと愛美が壁に拡げられると一気にイベントの空気になりました。
見事なまでの五月晴れ。
青空の下、僕の故郷の街。
■「ぼくの漫画道」(Aパート)
60年記念祭らしく、子供時代から『愛人[AI-REN]』連載開始前までの「田中ユタカ史」を語りました。
「ぼくの漫画道」(Aパート)。(※Bパートは11月に東京で)
1966年(昭和41年)生まれ。「ウルトラマン」と同い年なのが数少ない自慢のひとつです。
昭和のテレビっ子でした。
家にカラーテレビが来た日の光景をなんとなく覚えています。
あの頃は毎日夕方は子供番組がずっと再放送されていました。
たくさんの特撮、たくさんのアニメ。
母にテレビからカセットテープに録音してもらった主題歌を、飽かず聴いていました。
「仮面ライダー」はリアルタイム。
「帰ってきたウルトラマン」もリアルタイム。
「宇宙戦艦ヤマト」もリアルタイムでしたが、本放送は裏番組の「アルプスの少女ハイジ」を観ていました。
テレビで観ている特撮やアニメが、本でも読めるというのが漫画への興味の始まりだったと思います。
親戚の家で読んだ「キカイダー」にドキドキしました。
テレビで観たのとは違う!
はじめて自分で意識して買ってもらった漫画単行本は「デビルマン」第3巻です。
デビルマンとジンメンの戦いが描かれている紫色のデビルマンが表紙のKCコミックスです。
テレビとは全然違う!
「ゲゲゲの鬼太郎」から水木しげる妖怪に夢中になりました。
ぬりかべや一反木綿だけでなく子泣きじじいも描けるのが自慢でした。
絵を描くのが好きな子どもでした。
怪獣を描きました。妖怪を描きました。ヤマトもスーパーカーも描きました。
「ヤマト」から順調に松本零士ブームに。
うっかり大人向けの作品まで読んでしまったりもしていました。
中学生の終わりに「ガンダム」に出会って高校生になるころには富野喜幸監督を「富野さん」などと呼ぶようになっていました。「イデオン」のセリフを暗唱し、学食のテレビで「ザブングル」を観ていました。
高橋留美子先生の「うる星やつら」に衝撃を受けて、生徒手帳に「うる星やつらファンクラブ」の会員証を入れて得意になっていました。
大阪でのDAICON 3でアマチュアがアニメを作ったという噂に興奮を覚えたりもしました。
順調ですね。
まだ漫画やアニメのファンを指す「オタク」という言葉もなかった時代です。
■記念本
過去の自作の絵を描くのは、実はこれまでずっと苦手に感じてきました。
特に『愛人[AI-REN]』のあいやイクルの姿を描くことには、何か申し訳ないような気持ちを覚えるのでした。
もう死んでしまった人を無理に描いているような感じがして。
Fantiaの活動を通じて読者と近くなり、イラストのリクエストを受けるようになりました。
当然、過去作のキャラクターをリクエストいただきます。
時には、僕がまったくイメージしていなかった彼や彼女たちの場面を。
リクエストにお応えしようとがんばりました。
そうしていくうちに、あいもイクルもかなも大吉も、みんな、自分の中で"過去作"ではなくなりました。
今でも元気ですぐそこにいるようになりました。
今回の記念本【愛人[AI-REN]デジタルアート集 taka9コレクション】と【愛しのかなデジタルアート集 ひこていコレクション】はその成果です。
自分一人では描くことのなかった絵を描かせてくれてありがとうございます。
■生原稿・絵コンテ
生原稿も手に取ってもらいました。
「オレンジクラブ」の雑誌表紙を飾ったセル画。
僕が原画を描いて、専門の業者さんがセル画に仕上げてくれていました。
コピック彩色の単行本カバーイラスト。
アルコールインクのコピックの上に散らされたホワイトが沁み込むことなく厚く盛り上がっているのを手で触って感じてもらいました。
単行本「ロマンス」収録の「プライベート・スイマー」。
古い原稿は、フキダシに貼り付けられたセリフの写植が、糊の劣化でポロポロはがれてきていました。
そして『愛人[AI-REN]』雑誌掲載版最終回。第5巻の単行本描き下ろしからは仕上げがパソコンになるため、この雑誌版最終回が、僕のフルアナログ最後の原稿になります。
『愛人[AI-REN]』の絵コンテも手に取ってもらいました。
僕は原稿用紙と同じサイズで絵コンテを描きます。それをライトボックスで透かして本番の原稿の下絵を描きます。
絵コンテの絵は時には最終的に作品になったものよりも生々しい印象になります。
■レア物お土産大会
今回の会場は僕の家からすぐ近所。その地の利を生かして、我が家の収納から発掘されたレア物をお土産としてお持ちしました。
初期の単行本、OVA「初夜」のDVD、当時の販促用テレホンカード。
「人魚姫のキス」のスペイン語版や、『愛人[AI-REN]』のタペストリー。
『愛人[AI-REN]』のジグソーパズルなんて、僕も存在をすっかり忘れていたものまで出てきました。
さらにtaka9さんからは大変貴重な品を提供していただきました。感謝いたします。
現在はマンガ図書館Zにも収録されていないレア本「大切な恋」。
僕ももう所持していない「初夜2」のテレホンカード。
そして『愛人[AI-REN]』最終話が掲載されたヤングアニマル。
参加者全員とのじゃんけん勝ち抜け戦。
にぎやかに盛り上がりました。
■サプライズ!赤いちゃんちゃんこ
やられました。
会もたけなわ、記念写真を撮ろうという段になって、サプライズで赤いちゃんちゃんこを贈られました。
「かんれきだもの 田中ユタカ 60」と書かれた特製の赤いちゃんちゃんこ。
シャンプーハットみたいな赤い帽子もセット。
さらには「還暦」と金文字で書かれたおめでたい扇子まで。
しっかり準備されていました。
思えば還暦イベントでは定番なのですが、自分には完全にサプライズでした。
それまでは「初愛~はつあい~」のカバーイラストが大きくプリントされたTシャツを着てはしゃいでいたのですが、観念して着ました。
不思議なもので、赤いちゃんちゃんこを身にまとってみると、俄かに還暦な気分になってくるものですね。
自分は落語ならもうご隠居として登場していい年齢なのだと。
実際の年齢と、自分の体感はなかなか一致しないものです。
皆様も覚えがあると思います。
30歳になった時、
「あれ? 30歳といえばもう立派な大人だと想像していたけれど、ちっともそんな感じがしないなあ」
とか。
その10年後には
「40歳、不惑と言うけれど、全然そんなんじゃない。惑いはいっぱいだよ」
とか。
節目の年齢になっても、想像していたより自分に"大人感"が感じられないのはよくあることだと思います。
年相応の実感は、いつも遅れてやってくる。
季節の移り変わりに似ていますね。
暦の上では秋になってもちっとも涼しくない。イメージしていた秋になるのはずっと後のことです。
まもなく始まる60歳代も、僕はしばらくは自覚薄く過ごすことになるのでしょう。
でも赤いちゃんちゃんこは、暦のように早めに自分に言い聞かせてくれるようでした。
「お前はもう、人生一回分の経験を積み重ねるのにじゅうぶんな時間を与えられたんだぞ」と。
「未熟ですから」という先送りの言い訳はもうできない。
言い訳なしの大人です。
一回きりの人生の最終盤に入るのです。
自分という人間の完成形に、近づかないとです。
■しあわせな漫画家
現代の60歳は、老け込むにはまだまだ早すぎる。
そうは言っても、人生の終盤に入ることは間違いありません。
こどものころから遅刻ばかりしていました。何かと世の中とうまく合いませんでした。
会場ではお話ししましたが、記事には書きにくいことも人生にはいろいろありました。
おカネがなくても、たった一人でも、始めることができる生きるためのお金稼ぎとして、僕は漫画家としてスタートしました。
そうして、そろそろ「お前の一生はどうだった?」と尋ねられる時期を迎えました。
今回、自分の生まれ育った街で、自分のこれまでの人生を読者の皆様と一緒に振り返って心から言えます。
「僕はしあわせな漫画家でした」
過去形にするにはまだ早いですが、将来過去形になった時もきっともう変わることはありません。
「僕はしあわせな漫画家でした」
読者の皆様に感謝いたします。
しあわせにしてくれてありがとうございます。
これからもどうぞよろしくお願いします。
(せいいっぱい長生きするつもりです!)
2026年5月25日 田中ユタカ