有坂総一郎 2022/07/02 00:00

東條幕府の考察

東條幕府の考察

戦車開発、ガソリン、オクタン価、発動機と考察して方向性と注意しなければならない落とし穴がある程度見えてきた。

そして今度は東條幕府を考察してみようと思う。

一般的に戦時戦後問わず東條内閣は評判が良くない。閣僚であった人物や親交のあった人物も基本的な姿勢は概ね批判的である。

けれど、いくつもの側面、視点から見ると少なくとも昭和帝政期における如何なる宰相よりも上手く国家運営を行っていたことがわかる。

いや、それでも少なくとも器ではなかった。だが、それ故に誰よりも職務に邁進した結果であるとも言える。

だが、それもまたマッチポンプであると語ることも可能だ。統帥権や陸軍の政界浸透も常に東條とともにあったのだから。

しかし、彼は批判的なモノたちが言うほど無能であるのか?いや、それはない。少なくとも無能である者が陛下の信任を受けるなどあり得ない。

平和を勝ち取ろうと努力したと言われて国内的評価の高い広田弘毅は同じく絞首刑となり悲劇のそれ扱いであるが、陛下は彼に批判的で東條には擁護こそしていないが格別の配慮をされている。

では、独裁的だったか?それも否である。彼は確かに兼任して史上最高の権力掌握を行ったが、それは個人に権力が集中しているように見えるが、そこにあるのは総理大臣としての東條、陸軍大臣としての東條、内務大臣としての東條、参謀総長としての東條、軍需大臣としての東條であり、同一人物による個人集中ではないのだ。それは東條の残された逸話や彼のメモで良く理解出来る。

ならば、それだけ兼務しないといけないほど閣僚は無能だったのか?それもない。外務大臣の東郷はノモンハンの一件の後始末で外交的勝利を引き出した一流の外交官である。大蔵大臣の賀屋は近衛内閣などでも蔵相を経験しているが、戦時財政の構築を行った一流の財政家である。商工大臣や軍需次官に起用した岸は満州以来の盟友で後の総理である。同じく軍需省で起用した藤原は財界人なだけに戦時生産体制を立て直す役割を担っている。

これほどの人物を適切な時期に適切な人事に充てるそれは宰相としての才覚であると言えよう。

では、なぜそこまで評判が悪いのか、その本質と彼が何を考えていたのか探っていこうじゃないか。

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