ゴーピンク 完全なる敗北
1
肌を刺すような冷たい雨の中、巽マツリはオレンジ色の救命ジャケットをはためかせながら、息を切らして走り続けていた。
街灯の光すらろくにない夜の闇が、まるで果てのない宇宙のように辺りを包んでいる。
ひどく痛む全身を引きずるようにしながら、それでも足を止めるわけにはいかない。時折、背後を気にして振り返るその表情には、隠しきれない怯えと焦りが浮かぶ。
マツリは追われていた。
―ーゴーゴーファイブの活躍により成果を上げられないことに業を煮やした冥王ジルフィーザが、秘蔵の切札として呼び出したのが“冥界魔闘士”だった。
剣技に長けたゾード、怪力を誇るグール、驚異的な素早さを有するジーン。
ゴーゴーファイブ抹殺の命を受けた三体の災魔は、日没と同時に爆発するという羽を街中にばらまき、ゴーゴーファイブに勝負を挑んできたのだ。
日が沈みきるまでに自分たちを倒してみせろ、これはゲームだ、と不敵に笑う三体の姿に、マツリは激しい怒りが沸き上がるのを感じていた。
まるで遊びのような感覚で、大勢の罪もない命を踏みにじろうとしている……。
救命士として、日頃からたくさんの命と間近で触れ合ってきた彼女にとって、それは決して許されない行いだった。
(絶対に許さない……! こんな計画、必ず阻止してみせるわ……!)
こみ上げる熱に突き動かされるように、マツリたちは魔闘士に立ち向かった。
しかし、ジルフィーザの切札として召喚されたその戦闘力は、これまで倒してきた災魔獣たちとは文字通り格が違っていた。
圧倒的な強さを持つ三体の悪魔を前に、ゴーゴーファイブは……マツリは……。
「ッ……!」
必死に繰り出していた足がもつれて、マツリは前のめりに転倒した。立ち上がろうとするが、体に上手く力が入らない。
もはや体力の限界だった。
狭い路地裏の一角。マツリは腕だけを使って這うように体を動かし、ちょうど前後から死角になっている建物の影へと身を潜めた。
荒く上下する肩を、腕を交差させてギュっと抱く。
汗と雨の混じった液体が頬を伝い、浅い呼吸を繰り返す口の中へと滑り込んできた。酸味と苦味。目を瞑ると、先程の戦いが鮮明にまぶたの裏でフラッシュバックする。
冥界魔闘士の圧倒的な力に、なす術もなく痛めつけられる自らの姿。
あらゆる攻撃、あらゆる作戦が通用しなかった。開発されたばかりの新兵器、Vランサーで隙を狙った決死の一撃でさえ、あっさりと跳ね返されて……。
アンチハザードスーツをズタズタに破壊され、あまりの痛みに地面で悶える中、絶望を知らせるかのように日が落ちていく。
それでもなお立ち上がろうと顔を上げたマツリは、目の前の光景に思わず舌をもがれた。
ビルとビルの間。その細い隙間から差し込む赤い日差しが、燃え尽きる寸前のロウソクのように微かに揺れながら、ふっ、と沈み、世界を夜が包んでいく。
それはこの先、マツリの脳裏に一生焼き付くことになる、絶望の景色だった。
時が止まったように思えたのは、もちろん錯覚で。
夜の訪れと共に、しかし街は明るく弾け、けたたましい、破壊の渦へと飲み込まれた。
街中に放たれた羽爆弾の威力を、マツリはその全身でもって味わうこととなったのだ。
激震、轟音、明滅……。守らなきゃいけない街が、目の前で……。
「くっ……ぅ……」
気がつくと雨足は去っていたが、雨に代わって涙が頬を伝っていた。
街そのものが息絶えたかのような静寂の中に、マツリの微かな泣き声が溶けていく。
(負けた……。完全に……)
これまでの戦いで幾度となく災魔獣を倒し、街の危機を救う中で、マツリは救命士として、戦士としての確かな自信を培ってきた。
どんな敵が現れようと必ず地球を守ってみせると、魔闘士たちとの戦闘に挑む前も心にそう誓ってゴーピンクへと変身したのだ。
しかしそれらは思い上がりに過ぎなかったことを、この戦いによって心と体に刻み込まれてしまった。
誇りも信念も打ち砕くかのような、無慈悲なまでの力の差。
魔闘士たちに、ただの一太刀浴びせることすら敵わないまま、街は災禍に飲まれたのだ。
それは人の命を守ることを使命とする彼女にとって、初めて味わう、決定的な敗北だった。
抱えた膝に顔を埋めながらマツリは、冷たさと熱が入り混じったような感情に苛まれていた。
『ふふふ〜♪ どこかなァ? ゴーゴーファイブ〜♪』
そんな中、陰惨とした雰囲気とはあまりにかけ離れた、陽気な声が突如として響いた。
その声を聞いた瞬間、マツリの肩はビクリと跳ね上がるような反射を見せた。その勢いのまま上げた顔を、恐る恐る、壁から半分ほど乗り出してみせる。
すっかり夜闇に慣れた右目は、湿気で白みがかった景色の向こうに、おぞましい悪魔の影を捉えた。
それは先の戦いで自分をボロボロに痛めつけた魔闘士の一人。相手を小馬鹿にしたような話し方が特徴的な、確か、ジーンと名乗っていた敵だった。
それを認めた瞬間、もうとっくに冷え切っていた肌に、さらなる悪寒が走っていくのをマツリは感じた。
街の破壊はあくまで“ゲーム”を楽しむための余興に過ぎず、奴らの目的は最初から、ゴーゴーファイブの抹殺なのだ。
マツリは左手首のゴーゴーブレスへと視線をやる。羽爆弾に吹き飛ばされた時の衝撃で、変身が解けるほどのダメージを受けてしまっている。もう一度ゴーピンクへ変身できるかは分からなかった。
いや。仮に変身できたとしても、先ほどその実力の差を、嫌というほど見せつけられたばかりなのだ。
たった一人であの敵に立ち向かう……。その想像は、生々しい死の実感をマツリに与えた。
体が震えだす。
こちらに気付かず、路地裏に入ってくることもなく、そのまま通り過ぎて行くことを祈るしかない。マツリは息すら止めて、できる限り体を小さく縮め、固く目を閉じた。
しかし、その祈りが届くことはなかった。
『ふんふ〜ん♪ でておいで〜 ゴーゴーファイブ〜♪』
鼻歌交じりの軽い声とは不釣り合いに威圧的な足音は、ジーンが路地裏へと入りこちらへ近付いてきていることを告げていた。
マツリの緊張は極限にまで達した。このままジーンが歩いてきたならば、ものの十数秒で自分の真横を通り過ぎる。その時、隠れる術もなく地べたで縮こまっている自分を、敵があっさり見落として素通りしていく等という展開は、もはや現実逃避にも近い希望的な観測だった。
それでも今のマツリに残されたのは、その薄氷のような可能性だけだ。
(お願い…… 気付かないで……)
静けさを嫌うような存在感を持って迫りくるジーンの足音に、マツリは数秒後の自分の姿をいやでも想像させられる。
恐らくジーンは、標的を見つけたからといって簡単に息の根を止めるようなことはしないだろう。ただ楽しむためだけに、これだけの破壊活動を行ったのだ。
その淀みきった欲望を、追い詰めた獲物を使って満たそうとするに違いない。そして自分には、それに抵抗する術がない。となれば……。
全身の血が逆流するような感覚。
その時、マツリはハッとして目を開けた。自らの状況を俯瞰したことで気付かされたのだ。
一切の抵抗を諦め、ただ死を待つだけの己がいることに。
死を待つだけということは、それはもはや、死んでいるのと同じことだ。しかしマツリはまだ生きていた。その証拠に、うるさいほど強く心臓が脈打ち、『抗え』というサインを送り続けている。
このまま何もせず縮こまっていれば、ただジーンに見つかり、オモチャにされた挙げ句、ちっぽけな虫けらのように踏み潰されて終わるだろう。
戦士として、そんな散り方だけは絶対に御免だった。
たとえ結果が同じだとしても、臆病に逃げ惑った末、嘲笑を浴びて死んでいくくらいなら――。
『どぉこかな〜♪ 弱虫のゴーゴーファイブ〜♪』
「わたしに何か用!?」
ジーンに被せるように、マツリは勇ましい声を上げて壁から飛び出した。
まっすぐ敵を見据える美貌に浮かんだ覚悟の色が、雨に濡れてキラキラと反射していた。
2
『へぇ、素直に出てくるなんて偉いじゃないか。それとも、とってもおバカさんなのかなァ?』
真正面から姿を現した標的を、ジーンは立ち止まってまじまじと観察した。その声は先程までと同じ軽く陽気なトーンだったが、獲物を前にして隠しようもない殺気が混ざっていく。
「何とでも言いなさい。あなた達がどれだけ強くたって、わたしは諦めたりしない!」
至近距離で相見えた悪魔の姿にも怯むことなく、マツリは凛とした声で言い放った。
同時に、左手首のゴーゴーブレスを顔の横へと構え、巽家の家紋が刻まれたカバーを跳ね上げる。
また変身することができるかは賭けだった。
先の戦いで一度、変身が解除され、ブレス自体にも大きなダメージが与えられた。
要となる集積回路にまで損傷は届いていなければ、無事に動く可能性は充分にあるはずだ。
「……着装ッ!!」
その可能性に懸けて、マツリは全力の掛け声と共にEnterボタンを押し込んだ。
瞬間、マツリの身体にぴったりと張りつくように、光の粒子となったインナースーツとアンチハザードスーツが展開される。
粒子はそれぞれが結びついて強靭な繊維となり、僅か十分の一秒にして全身を包み込んでいく。
マツリの顔に浮かんだ希望の表情は、しかし次の瞬間、痛みと驚愕に歪んだ。
「ああああぁああああぁ!?」
全身を激しい痛みが貫き、まるで電撃を浴びせられたかのように、その体がピン、と硬直する。
マツリは一瞬、変身の隙を突かれてジーンからの攻撃を受けたのかと思ったが、真相は違っていた。
ゴーゴーブレスの損傷は、その機能の心臓となるICチップにまで達しており、役目を果たし切る前に限界を迎えてしまったのだ。
光の粒子がマツリの体を覆っていく過程でブレスはオーバーフローとショートを引き起こし、その過負荷が電流となって着用者の肉体を襲ったのだった。
「あぁああぁ! あううぅ……!」
数秒で痛みから開放された彼女は、思わず地面に倒れ込む。
反射的に上体を支えた両手には、しかし、真っ白なグローブがしっかりと着装されていた。
その両手で頭の辺りを確かめると、メットも確かに着装されていることが分かった。
ゴーピンクは未だに残る痛みに顔をしかめながらも、小さく頷き、再び立ち上がる。
(これでまだ、戦える……!)
バイザーの奥から敵をまっすぐに見据えるマツリの瞳は、戦士としての力強さを帯びていた。
「人の命は地球の未来! 燃えるレスキュー魂! ゴーピンク!」
しなやかな肢体がさらにキュッと締まるようなスーツの着衣感と共に、ゴーピンクへと変身したマツリは高らかに名乗りを上げる。
先ほどの戦いで破損させられたアンチハザードスーツは、一度変身が解除しミクロ状にまで分解されたことで、再び原型を取り戻していた。
消耗した体力もスーツから供給されるエネルギーによって瞬時に大きく回復し、体の奥底から力が湧いてくるのを感じる。
(よし。これなら……)
完璧に元の状態になっているとは言い切れないが、少なくとも、これで眼前の敵に立ち向かうことができる。
グローブに包まれた両拳を胸の前に構え、僅かに腰を落としてゴーピンクは戦闘態勢をとった。
『まだ楽しませてくれるのかい? フフフ……』
それを余裕たっぷりに見届けて、ジーンは右手に握る三叉の槍の切っ先を、これ見よがしにゴーピンクへと向けた。
『いいね。それも今度は、二人きりだよ』
遠くに稲光が走る。
厚い雲で弱まった月明かりの中、二人は微動だにしないまま睨み合っていた。
些細な敵の動きも見逃すまいと神経を尖らせるゴーピンクに対し、ジーンは相手がどう仕掛けてくるのかを楽しそうに観察しているようだ。
雷鳴がようやくこちらまで届いた瞬間、その轟音と共に、ジーンが斬りかかった。
ゴーピンクは浅く息を吸うと、大振りな上段斬りを半身になってするりと躱し、振り下ろされた三叉の槍を両手でしっかりと掴んだ。
その槍を力の限り引いて、体勢を崩し前のめりになったジーンの胴に渾身の前蹴りを浴びせる。
『うおォ!?』
流石のジーンも自らの勢いを利用された攻撃に声を漏らす。
ゴーピンクは矛を手放し、素早いステップで後退した。
『やるじゃないか、ゴーピンク。そのくらいは抵抗してくれないとね』
指先で顎を撫でながらジーンは嬉しそうに笑う。
対するゴーピンクは言葉を返すこともせず、臨戦態勢のまま集中力を高めていた。
ジーンが再び槍を構え、今度は空気をも貫くような速さの突きを繰り出した。
それをゴーピンクは、横跳びの要領でまたも回避する。コンマ数秒でも反応が遅れていれば、メットごと頭蓋を貫かれていただろう。
魔闘士の中でも圧倒的なスピードを誇るジーン。その槍術をあっさりと二度も回避してみせたのは、偶然ではなく、地の利を活かした戦術だった。
もしも縦横無尽に槍を振り回される広い空間での戦闘なら、昼間の戦いでそうだったように、ゴーピンクにそれを避ける手立てはない。
しかし今のような横幅の狭い路地裏であれば話は別だ。ジーンの大きな体躯をも超える長さを持つこの槍を、横薙ぎに扱うことは物理的に不可能。
となれば敵の攻撃を、振り下ろすような上段斬り、もしくは突きの二種類にまで絞ることができる。
「はあァ!!」
ゴーピンクは突きを躱した勢いのままジーンの懐に潜り込むと、鎧の隙間から覗くドス黒い筋肉へ、全力のパンチを打ち込んだ。ジーンから低い呻き声が漏れる。
敵が怯んだその隙を見逃さず、ゴーピンクはひねりを加えながら地面を蹴り上げ、空中で体を一回転させると、遠心力を利用してジーンの顔面へと渾身の回し蹴りを炸裂させた。
『ぬうゥ!?』
しなやかな肉体を完璧に操る華麗な攻撃に、ジーンは大きくバランスを崩して三歩ほど後ずさった。
着地したゴーピンクも同じく距離をとり、確かな手応えと共にまた戦闘体勢をとる。
『なるほど、ヒット・アンド・アウェイという訳だねぇ? しかしその集中力がいつまで持つかな』
ジーンの口調はこれまで通りの陽気なものだったが、その語気に僅かな苛立ちが含まれていた。一方的に狩るだけだと思っていた獲物に、二度も反撃を受けたのだ。
「あら、案外楽に勝てそうで拍子抜けしてるんだけど。ひょっとしてあの三体の中で、あなたが一番弱いのかしら?」
それはゴーピンクが今考えうる中で、最も敵の怒りに火を付けるだろうセリフだった。
メット越しでも分かるよう、大袈裟なジェスチャーで嘲笑してみせる。
(さあ、もっと怒りなさい……! 怒りは攻撃を単調にするわ……!)
その思惑通り、間髪入れずにジーンが飛びかかってきた。槍を大きく振りかざす。今度は上段斬り。僅かに左上から。
そこまでを零点下の秒数で思考して、ゴーピンクは右へ跳びながら半身になった。あとは振り下ろされた槍を掴んで、また蹴りを食らわせてやるだけだ。
槍が振られる。
轟音と共に。
上段斬りでは、なかった。
ジーンは力任せに、路地裏の壁を破壊しながら、無理やり横薙ぎに槍を振るったのだ。
「え……?」
吐息が混じったような驚きの声は、ギャリギャリとコンクリートを砕く異様な音に掻き消された。
槍が狙う先にはゴーピンクの姿。
半身になったことで横薙ぎの攻撃を正面から受けることになってしまった、そのあまりに無防備な胸を、邪悪な刃がザクリと切り裂いた。
「あああぁああぁ!!」
パッと火花が吹き上がり、辺りが一瞬だけ明るく照らされる。
ダメージを受けた胸を強調するように仰け反るゴーピンク。ジーンもその隙を見逃すことはない。
ゴーピンクが体勢を立て直すのも待たず、さらなる凶刃が彼女を襲った。
「うあッ!? はぁう! きゃあぁ!」
一度体勢を崩されてしまえば、その圧倒的なスピードに追いつくことは不可能だった。斬りつけられて体を反らした次の瞬間には、もう鈍く光る槍が眼前に迫っている。
「くあぁ! あッ! くううぅ!!」
ゴーピンクは火花と白煙を散らしながら斬られ続ける。
それはあらゆる災害を想定して造られたアンチハザードスーツでも、装着者へのダメージを抑えきれていないという証だった。
「ああぁう! くあああぁ!」
『ほらほら、お腹がガラ空きだよ?』
続け様に胸を責められて大きく仰け反ったゴーピンクの腹部へ、ジーンは笑いながら槍を突き刺した。
「ぐふっ!? ぅ、ううぅ……」
スーツを着ていなければ体を貫かれて即死していただろう。そう実感させるほどの重い突き。
しかしスーツは火花を上げながらも槍を受け止めてみせた。
ゴーピンクは、自らの腹にめり込もうとする槍を左腕でしっかりと掴む。
「捕まえたわよ……!」
少しも衰えていない凛とした眼差しで敵を睨むと、空いた右手を腰にぶら下げたファイブレイザーへと伸ばした。
しかしそれを手に取るよりも前に、ジーンの愉快そうな、しかし凍りつくような恐ろしい声が響いた。
『バカだな。捕まえたのは僕の方だよ』
「きゃあああぁあああぁぁ……!?」
瞬間、ゴーピンクの視界をめちゃくちゃな光の線が走った。熱。激痛。全身の筋肉がギュッと硬直して、白いブーツの踵が浮き上がり爪先立ちになる。
槍を通して強烈な電撃を浴びせられたと理解するまで、さらに数秒を要した。
「あ、あ、あああぁああぁあぁ!!」
状況が分かっても逃れる術はない。ゴーピンクは槍を突き立てられたお腹から流れ込んでくる圧倒的な破壊のエネルギーに、ただ身を晒し、叫ぶことしかできなかった。
電撃はアンチハザードスーツの内部回路をズタズタにしながら、ゴーピンクの全身を駆け回る。
「はうぅ! あッ! つあぁ!」
その異常な負荷に耐えかねてショートを起こすたび、身体の至るところから火花が飛び散る。
暗がりの中、その姿は残酷な美しさを放っていた。
『ほらほら、これで終わりじゃないんだろう?』
万事休すかと思われたその時、ジーンはいきなり槍を握り直すと、空に弧を描くように大きくそれを振るってみせた。
「うわあああああぁぁ……!!」
槍を掴んだまま電撃によって硬直していたゴーピンクは、その先端にくっついたまま、いとも容易く吹き飛ばされる。
空と地面がぐるりと逆転したような浮遊感のあと、今度は背中から思い切り、アスファルトへと落下した。
「あぐうぅ! はっ……ぅあ……ッ」
受け身もとれずに叩きつけられ、衝撃のあまり息もできないゴーピンクは、全身に刻まれた痛みから逃れようとするように地面の上でクネクネとのたうった。
深いダメージを負ったスーツから白煙を上げながら、ゴーピンクは地面に両手をついて、ゆっくりと体を起こす。その様子をジーンは楽しげに見守っていた。
(こいつ……私を嬲って、楽しんでる……!!)
屈辱に奥歯を噛み締めながら、ゴーピンクはホルスターからファイブレイザーを抜くと、素早く構え、引き金を絞った。
圧縮されたエネルギーが白い光弾へと姿を変え、一直線に飛んでいく。
ジーンはそれをあっさりと矛で弾いてみせた。
そして余裕げにゴーピンクを見返そうとして、その動きが、一瞬固まる。
弾がもう一発、ジーンに向かって猛進していた。
ゴーピンクは一瞬の内に、二発の弾を撃ち込んでいたのだ。囮となる一発目と全く同じ軌道で、しかしタイミングを少し遅らせて。
囮を弾いたジーンの姿勢はすぐには戻らない。ゴーピンクの狙い通り、二発目の弾が命中する――
『浅知恵だね』
――直前、ジーンは小さく呟いて、赤く染まった瞳から光線を発射した。
それはファイブレイザーの弾をあっけなく飲み込み、その先のゴーピンクの胸へと正確に着弾した。
「うあぁああぁああぁ!!」
衝撃のあまり、ゴーピンクの華奢な体は飛び上がった。そのまま尻もちをつくように地面へと崩れ落ちる。
しかしそれだけでは終わらない。ジーンの体が禍々しいオーラをまといだし、それに伴ってその赤い瞳が煌々と輝き出したのだ。
何か、とてつもない一撃がくる。
直感したマツリは内股になりながら何とか立ち上がろうとするが、ダメージのあまり膝の力が抜けて再び崩折れてしまう。
ジーンはもう、彼女が立ち上がるのを待ってはくれなかった。
禍々しいオーラが、ジーンの両眼から赤い光線となって吐き出された。先程より一際赤く、そして強い光。
「ぁ……」
ゴーピンクはその凶光が自分の体を飲み込んでいく様を、ひどく絶望的な気持ちで見つめていた。
「ぁ、く……ぅ……!」
痛みよりも先に熱が来た。
アンチハザードスーツの表層が、爛れるように溶けていく程の強烈な熱。
あっという間に剥き出しになった純白のインナースーツは、表層とは違って焦げが広がるようにボロボロと焼け焦げていく。
「あぁああぁ……! うあぁああぁ……!!」
赤だけの世界の中、マツリは文字通り全身が焼かれるような感覚に、ただ悶えることしかできない。
やがて露出した電子回路は熱暴走を起こし、断続的に火花を散らし始めた。あらゆる災禍の中でも着用者を守るように設計されたはずのアンチハザードスーツが、いとも容易く溶かされ、破壊されていく、絶望。
「う、くうぅ……! ぅあ、ああぁあぁ……!」
文字通り全身を責め立てる絶え間のない攻撃に、限界を迎えたスーツが一際大きな火花を吹き上げた。
血しぶきのように胸から吹き出た白い光。それが崩壊の合図だった。灼熱により損傷したアンチハザードスーツは、連鎖を起こすように立て続けに火花を吹き出させ……。
「ああァ! きゃあああぁあああああぁぁ!!」
あっという間に、ゴーピンクの体を爆発の渦へと飲み込んだ。
3
「ん、ぁ……はっ……はぁっ……」
グラグラと揺れる脳が少しずつ平衡感覚を取り戻していく。苦しげな吐息がメットの中に反響する。
ゴーピンクは荒く肩を上下させながら、堅いアスファルトの上に倒れ伏していた。
変身は何とか保っている――というよりは、あまりのダメージに“変身解除”という機能すらもダウンしてしまったのかも知れない。
アンチハザードスーツはボロボロに破壊されていた。
圧倒的な熱により無残にも溶かされ、露出したインナースーツも焦げついてしまっている。
「ぁ……ぐ、ゥ……!」
剥き出しになった神経回路が外気に触れるだけで、ひりつくような痛みが走り、苦悶の声が漏れる。
『今ので生きてるなんて、やっぱりしぶといねぇ♪』
ジーンの声を受け、反射的に立ち上がろうとしたゴーピンクの腕から、ガクリと力が抜けた。
薄く雨水の張ったアスファルトに崩れ落ち、その顔が苦痛に歪む。
(力が……入らない……)
深いダメージを負った状態から“気合い”で立ち上がり、その上でまたボロボロに痛めつけられたのだ。
彼女のか細い体は明らかに限界を訴えていた。
『どうやら限界のようだね。これ以上、無理はしない方がいいんじゃない?』
「余計な、お世話よ……。私はまだ、戦える……!」
それでもなお立ち上がろうとするゴーピンクのお腹を、ジーンの無慈悲な蹴りが襲う。
「あぐうぅ!? ううぅ……! くっ……」
内臓を圧迫するような重たい衝撃に、ゴーピンクの体は地面の上を何度も転がっていく。
仰向けになって投げ出された彼女の腕の先に、先ほどの爆発で飛ばされたファイブレイザーの姿があった。
唯一残された反撃の手段を掴もうと、ゴーピンクは必死で腕を伸ばす。まだジーンに手傷の一つも負わせていない。ここで諦める訳にはいかなかった。
グローブに包まれた指先が、ようやくファイブレイザーに触れようとした時、その掌をジーンの足が踏み潰した。
「うァ!?」
『いけないなぁ〜。この期に及んでまだ逆らうつもりだなんて』
ゴーピンクの手を踏みにじりながら、ジーンは愉悦に声を弾ませる。
そして右手に掲げた長い槍の柄で、ゴーピンクの太ももを小突いてみせた。
ほんの僅かな力だったが、ジーンが狙ったのは、アンチハザードスーツの破壊箇所だった。
「くああああぁあああぁぁっ!!」
ゴーピンクの絶叫が上がる。
露出した神経回路を直接責められるのは、まさに傷口を抉られるような激烈な痛みだった。
ジーンはその悲鳴を満足そうに堪能しながら、まるでクラシックを演奏する指揮者のように槍を振るう。
「いやあぁああッ!! あぁ!! きゃあぁああぁぁぁ!!」
ゴーピンクはその指揮の通りに、美しくも残酷な歌声を搾り出される。
なんとか破壊箇所を隠そうと必死に両手で体を覆うが、二本の腕ではとても間に合わない。
「はうぅっ!! あうッ! ぐ、ぅ……んあああぁあぁぁ!!」
ボロボロになった桃色の戦闘スーツを身に纏ったまま、足元で悶え続ける女戦士。
その無様な姿に、ジーンの嗜虐欲はドンドンと膨れ上がっていく。
「ククク……命乞いでもしてみるかい、ゴーピンク」
「だ、誰がッ……うあああぁあああああぁぁぁ!!」
意識が飛びそうになるような痛みに悶絶しながら、それでもゴーピンクの心は未だ折れてはいなかった。
死をも覚悟してこの戦いに挑んだのだ。たとえその通りの結末が待っていても、敵に許しを乞うことなど決してありえない。
(私は最期まで……戦い抜いてみせる……!!)
地球の未来を託された戦士としての固い決意。それだけが今、彼女の心を支えていた。
「うああああぁああぁぁ……!!」
――数分間に渡ってゴーピンクを嬲り抜いたあと、ジーンの責めは突然にやんだ。
『しぶといねぇ、ゴーピンク……。もういいや』
「あ、くっ……ぅ…………うぅ……」
どれだけ痛めつけても望んだ反応を見せない獲物に、飽きたのか、諦めたのか。
ゴーピンクは激しく全身を苛む痛みの余韻に顔をしかめながらも、苛烈な責めに耐え抜き、憎い敵へ一矢報いたという気味の良さを奥底で感じていた。
しかしそれは同時に、この残酷な狩りだけでなく、あらゆる時間が今、終わろうとしていることを告げていた。
『それじゃあ……そろそろトドメといこうか』
「くッ……!!」
絶望のセリフを浴びせられながら、それでもゴーピンクはバイザーの奥から、真っ直ぐな瞳でジーンを睨み返す。
散る時は勇ましく。もう一滴の悲鳴さえ漏らしてたまるものか。
それが、今のゴーピンクにできる最大の抵抗だった。
ジーンは鋭く光る三叉の槍を、獲物に見せつけるように、ゆっくりと振り上げた。
その切っ先は心臓に向けられている。ゴーピンクはグローブに包まれた両手をギュッと、固くかたく握った。
『さようならだ。ゴーピンク』
振り下ろされた槍が自らに迫ってくるスローモーションのような映像を、ゴーピンクは奥歯をキツく噛み締めながら見つめていた。
まさに槍が胸を貫こうという、その瞬間、ゴーピンクは反射的に固く目を閉じた。
ぞわぞわ、と心臓から全身へと駆けるように、死の感覚が走る。
「っっ……」
しかし――。
五秒が経ち、十秒が経とうと、痛みも衝撃も、襲ってはこなかった。
まさか死んだことに気付かないほどの速さで心臓を貫かれたのか。瞼の裏を見つめながら逡巡するが、そうではなかった。
ゆっくりと開かれたゴーピンクの瞳に映ったのは、槍の先を寸前の状態でピタリと止めた、ジーンの姿だったのだ。
『なあぁんてね。そんな味気のない終わらせ方は、しないよ』
圧し殺していた恐怖心を撫で回すような声色に、ゴーピンクは息を呑む。
月の逆光で黒く影が掛かったジーンの顔には、これまでゴーピンクが目にしたことのないほどの純粋な“悪意”が、まざまざと浮かんでいた。
万策尽き、あとはトドメを刺さされるだけという獲物へ向けられた、悪意。
その意味を想像したとき、ゴーピンクは思わず、上擦ったような悲鳴を漏らした。
『ここまで楽しませてくれたんだから。お礼に、もっと相応しいプレゼントをしなくちゃね』
ジーンの全身から沸き上がるドス黒いオーラが、徐々に右腕へと集中していく。
先ほどアンチハザードスーツが破壊された時よりも、さらに威圧的で凶悪なオーラ。それをまとうジーンの周囲が陽炎のように歪んで見える様子を、ゴーピンクはただ見つめていることしかできない。
不吉の全てを綯い交ぜにしたかのようなオーラに圧倒されながら、ゴーピンクは自らの認識の誤りを、今になって悟った。
先ほどの責めを耐え抜いたことで、敵に一矢報いたと思ったのは、大きな間違いだった。
責め苦は終わったどころか、始まってすらいなかったのだ。
「あぁ…………ぁ………………」
固く結んだはずの唇を、畏れがこじ開けた。
ジーンにとってこの時間は、戦いでも、ゲームでもなく、それらを全てこなした後のボーナスステージに過ぎなかった。
ゴーゴーファイブ抹殺という当初の目的は、マツリたち五人と自分たち三人の実力の差を見定めた時点で、とうに別のものへと変貌していたのだ。
この責めは正真正銘、ジーンが満足するまで終わることはないだろう。そしてその気になった彼らは、人間の想像など遥かに超えるような苦しみを、痛みを、容赦なく与えてくるに違いない。
思考の果てにマツリの体が小刻みに震えだす。一度は心の奥底に封じ込めたもの達が、再びその肉体を蝕み始めたかのように。
かくして、その瞬間は呆気なく訪れた。
溜めに溜まった圧倒的な質量のエネルギーが、まるで落雷のように槍を伝い、ゴーピンクの体を貫く。
「ああああああああああぁぁ……!!」
いくつもの破壊箇所から、鮮血のように火花が吹き上がる。
ダメージを軽減する役割さえ失われつつあるアンチハザードスーツは、もはや美しい火花によってゴーピンクの苦悶をライトアップする照明器具に過ぎない。
「うあっ……!! うああぁあああぁあぁぁ!!」
もう執拗なまでに痛めつけられ、散々に苦しみを味わった上で、それでもなお、これまでで最も激しいといえる鮮烈な痛みだった。
絶えず注ぎ込まれる破壊エネルギーが、全身の血管を食いちぎりながら、皮膚を裂いて外へ出ようと暴れ回るかのような……。
「かッ……! ぁ、が……! は……ッ!」
全身を硬直させながら、もはや悲鳴にもならぬ音が喉から搾り出されていく。
一秒が数時間にも感じられる耐え難い○問。いつ終わりが訪れるかなど、教えてくれるはずもない。
「はッ……! ぐっ…………ォ……!」
いや。
違う。
この地獄がいつ終わるかは、恐らく自分に委ねられているのだ。
そう思い至った瞬間、ゴーピンクはまるで何かを懇願するかのように、ジーンに向けて右腕を伸ばした。
(ぃ……ぃや……もう…………)
頭の中に、言葉が勝手に紡がれていく。
地獄の責め苦に、ついに救命戦士としての気高い精神までもがへし折られようとしていた。
それを表すかのように、ゴーピンクの秘所を包む桃色の生地に、濃い“染み”が広がり始めた。
それはみるみる内に大きくなっていき、やがてアンチハザードスーツから滲み出た淡黄色の液体が、太ももの間に水溜まりを産み出していく。
「ぅ……ぁ、がッ……! うぅ……や、ぁ……」
『おやおや、今さら消火活動でもするつもりかな?』
ゴーピンクの恥態を嘲るように笑いながらも、ジーンは決して責めを緩めることはしない。
それどころか、注ぎ込まれる破壊エネルギーの濃度は秒を重ねるごとに増していく。
恥辱……恐怖……絶望……。
胸の中に渦巻く最悪の感情が、崩れかけたゴーピンクの精神を激しく蝕んでいく。
バイザーの奥で苦悶に歪むゴーピンクの表情。その唇が、ゆっくりと、言葉を形どった。
「ゃ……んぁ…………ゃ、め……て……」
それは、ついにゴーピンクの口から漏れた哀願の言葉だった。
自らが発した言葉を耳にしたとき、ゴーピンクは、自分の中の何かとてつもなく大きなものが、コナゴナに砕けていくのを感じた。
救命士としての矜持。戦士としての誇り。
これまでの活躍で積み重ねてきたその全てが、圧倒的な悪の力によって叩き潰された瞬間だった。
「ぐ、ぁ……! も、ぅ……やめ、て…………」
うわ言のように同じ言葉を繰り返すその姿を見届けて、ジーンはようやく攻撃をやめた。
満足気に人差し指で自らの顎を撫でる。
猛撃がやむと同時に、ゴーピンクの体は糸が切れたかのようにガクリと地面に崩れた。全身からもくもくと白煙が沸き上がる。
「ぁ……ぅぁ…………ぁ…………」
完膚なきまでに叩きのめされ、全身をビクビクと痙攣させながら小さな呻き声を漏らすゴーピンク。
その体が、突然、淡い光に包まれた。
ダウンしていたアンチハザードスーツの“解除”機能が、強烈な電撃によって作動したのだ。
しかし限界を超えていたその機能は、もはや半分までしかその役割を果たすことはできなかった。
「ぃ…………ぁ……。そん、な……」
光が収まった時、光沢が艶めく桃色のスカートから伸びているのは、ゴーピンクの……マツリの、美しい生足だった。
着装の時点で、元に着ていた衣服は別空間座標へと転送されている。そのスカートの中を守るものは、何もない。
もはや指一本すら動かせないマツリは、だらしなく開かれた足を閉じることさえできず、屈辱にまつ毛を震わせる。
『ふん、無様だな……』
ジーンはその哀れな姿を一瞥したあと、これまでとは一転、刺すように冷たい口調でそう吐き捨てた。
そして、未だマツリの手元に転がるファイブレイザーをおもむろに拾い上げる。
『これが欲しかったんでしょ?』
その問いにマツリが身を強張らせた次の瞬間。
ジーンはファイブレイザーを、“ゴーピンク”にとっての最後の希望を、その秘部へ向けて、思い切り突き立てた。
「〜〜〜〜〜ーーーーッ!?」
なんの準備もなく突き込まれた硬く冷たい衝撃が、そのまま脊髄を伝って脳を貫いたとき。
マツリは絶叫と共に、びくんっ、と一度だけ背を大きく反らせて、ついに気を失った。人一人がアスファルトに崩折れる微かな音を最後に、辺りはようやく静寂を取り戻す。
『……あーあ、壊れちゃったァ』
それを見届けたジーンの声はまた、あの不気味なほど陽気な色を取り戻していた。
そして横たわるマツリを乱雑に掴み上げると、物凄い力でその肢体を放り投げる。
気を失ったマツリはなんの抵抗もできず、壁際に積まれていたゴミ袋の山へと埋もれてしまった。
そんなマツリを前にして、しかしジーンは彼女の命を奪うことはしなかった。
それは回復したマツリで再び遊びに興じるためか、それとも、マツリの“戦士としての死”を如実に感じ取ったからか……。
『さぁて、それじゃあまた、鬼ごっこの再開といこうか』
ジーンは禍々しい槍を握り直すと、もう興味を失った玩具のそばを素通りする子供のように、振り返りもせずにその場を立ち去っていく。
重々しい足音が離れていき、やがて夜闇には、弱々しい喘ぎ声だけが残された。
「ぅ、うぅ……ッ……ん、くッ…………」
気を失いながら、夢の中で未だに嬲られているかのように呻き続けるマツリ。
性器に突き入れられたファイブレイザーもそのままに、だらしなく投げ出された生足は痙攣し、アスファルトの上を力なく跳ね回る。
何もかもを蹂躙された救命戦士の、哀れな姿がそこにあった。
こうして、真の意味で『完全なる敗北』を喫したマツリの苦悶が、災禍に落ちた夜の街に滲みていくのだった……。
――Mission Incomplete――