ひゅー!!! 2022/11/21 08:28

搦めとられた翼

 荒々しい岩肌が突き出した採石場の跡地を、その背景とは対象的なまでに鮮やかな桃色のシルエットが駆けていた。
 ホウオウレンジャー、“天風星”リン。
 世界を暗黒に染めようと目論むゴーマ族から平和を守るため戦う、ダイレンジャーの一員にして唯一の女性戦士だった。

(気力はこの辺りから感じるわ。奴らより先に見つけないと……)

 すでに転身を済ませ、ホウオウレンジャーの姿となっていたリンは、ダイレンスーツに包まれた全身の感覚を研ぎ澄ましながら辺りを見回す。ダイレンジャーの中でも最も気力の扱いに長けているリンは、他のメンバーよりもいち早く標的の元まで辿り着こうとしていた。
 五星戦隊の新たな戦士、キバレンジャーへの変身が可能になるアイテム『白虎真剣』。その存在が明かされたのは突然のことだった。
 これまでもたった五人で幾度となくゴーマ族を退けてきたダイレンジャーに更なる戦力が加わることは、戦いのパワーバランスが一層大きく傾くことを意味する。
 ダイレンジャー達は新たな仲間を増やすために。ゴーマ族は何としてもキバレンジャーの誕生を阻止するために。相反する目的を抱えたまま、正義と悪は同じ標的を求めて奔走する。
 しかしこの日、運命は悪に味方した。

「遅かったわね、ホウオウレンジャー」

 上空から降ってきたのは鈴の音のような澄んだ声。反射的に崖の上へ向き直ったホウオウレンジャーの目に映ったのは、艶やかな黒髪を風に漂わせ、巫女の装束に身を包んだ女性の姿だった。

「イヤリング官女! それは……!?」

 その名を叫んだあと、ホウオウレンジャーはすぐに敵の左手に握られている物の存在を認めた。白い虎の意匠が施された短剣が、陽の光を返して眩しく輝いている。まさしくダイレンジャーとゴーマが血眼で探し求めていた、白虎真剣そのものだった。

「ほっほっほ、スピード自慢という割には、随分とノロマなことね。ご覧の通り、お探しの物はわらわの手の中よ」

 美しい顔に邪悪な笑みを浮かべて、イヤリング官女は見せつけるように白虎真剣を掲げる。その左手の周囲が、空間ごとグニャリと歪んだ。その部分だけ光の屈折率が変わったかのように、空気が揺らめき、捻れ始めると、リンに反応させる間も与えぬまま、その渦の中へと白虎真剣は消滅していく。
 時間にして一秒にも満たない内に空間の歪みが元に戻ると、イヤリング官女の白い指は、もう何も握ってはいなかった。

「あッ! 白虎真剣をどこへやったの!?」

「あなたが知る必要はないわ。もはや白虎真剣は我らゴーマのもの。もっと有効な使い方をさせてもらうまで……」

 問いに答えながら、イヤリング官女は崖から大きく跳躍した。鮮やかな宙返りと共に地面へ落下してゆく間に、その端麗な姿はみるみる形を変え、着地を決めた時には恐ろしい怪人の姿にまで変貌していた。
 艶やかな黒髪という特徴はそのままに、肌は青白く染まり、巨大に膨らんだ耳に、名の由来であるイヤリングが輝く。大きな口から覗いた緑の眼球が、獲物であるホウオウレンジャーをしかと捉えていた。

「次はお前の首も、阿古丸様へ捧げてあげるわ!」

「やれるもんなら、やってみなさい!」

 相対するホウオウレンジャーもまた、威勢のいい叫びと共にダイレンロッドを構えた。全身に漲った気力がロッドにも伝わっていき、そのしなやかな肉体と一体になっていく。静かで隙のない、美しい気力の流れ。
 目の前の邪悪を退け、白虎真剣を取り戻す。目的が定まったリンの瞳もまた、真っ直ぐに敵だけを見据える。
 互いが構えを取ったまま、風の音だけが鳴る時間が続いた。
 その静寂を破り、最初に仕掛けたのはホウオウレンジャーだった。地面を蹴って高く跳び上がった彼女は、自らの身長を優に超える長さを誇るダイレンロッドを振り下ろした。
 円形の刃が地面を抉り、砕かれた石が辺りに飛び散る。寸前で真横に身を躱していたイヤリング官女は妖力による反撃を試みる。攻撃を空振ったホウオウレンジャーの姿勢が整うまでの僅かな隙を狙った、的確なカウンター。
 その狙いを貫くように、ホウオウレンジャーの鋭い蹴りが炸裂した。地面に突き立てたロッドを軸に、振り下ろした勢いを遠心力に変えて回し蹴りを繰り出したのだ。

「ぐうッ……!」

「まだ終わりじゃないわよ!」

 胴を思い切り蹴り抜かれたイヤリング官女が後退ったのを追うように、桃色のグローブに包まれた拳が、ブーツに包まれた踵が、目にも留まらぬ連撃となって悪を打ち抜く。小柄でパワーには欠けるホウオウレンジャーだが、それを補って余りあるスピードは凄まじい威力を産み出す。
 顔への蹴りがヒットし、後ろへ思い切り吹き飛んだイヤリング官女に、ホウオウレンジャーは再び渾身の力でロッドを薙いだ。完璧なタイミング……そう自讃したのは誤りではない。
 しかし後ろへ倒れかけたイヤリング官女は、その勢いのまま上体を思い切り反らせて、ロッドを鼻先で回避した。宙返りのように二度、三度と跳んで大きく距離を取る。
 これだけ痛打を浴びせたというのに、イヤリング官女の身体には傷の一つもなく、ダメージが通った様子も見られない。やはり阿古丸直属の怪人というだけあって、これまでの敵と同じようにはいかないらしい。ダイレンロッドを握る指先に力が入る。

「ほっほっほっ、少しは抵抗してくれないと、遊び甲斐がないというものよ」

 言葉とは裏腹な怒気を孕ませながら、イヤリング官女は右手に鈍く光る短剣を出現させた。ダイレンロッドのリーチの長さとは比較にならない武器に、ホウオウレンジャーは思わず失笑する。

「あら、そんな武器で私と戦おうっていうの?」

 それにイヤリング官女は攻撃で応じた。
 足先が十数センチほど地面から浮き上がり、剣を構えたまま宙をスライドするかのようにホウオウレンジャーへと向かっていく。
 敵の太刀筋を読み、それを弾くように振るったダイレンロッドを、短剣はスルリと抜けた。どこからがフェイントだったのかすら分からない無駄のない動き。

「え……っ」

 短く漏れた驚きの声と同じタイミングで、銀色の刃がホウオウレンジャーの胸を切り裂く。

「きゃああぁ!!」

 短い悲鳴。それと共に、ダイファイバーを用いて造られた強靭な戦闘スーツから、そのダメージを表すかのようにパッと火花が上がる。
 懐に潜り込まれてしまえばリーチの長さは関係ない。怯んだホウオウレンジャーは、イヤリング官女が次々と振るう剣先を避けることも出来ないまま、肩に、太ももに、もう一度胸にと、その斬撃の嵐を浴び続けた。

「ああぁ! うあッ! く、うぅん!」

「ほらほら、どうしたの? 自慢のロッドはただの飾りかしら!?」

 薙ぎ払うような剣捌きに数歩ほど後ろへ圧されたホウオウレンジャーとの距離を、イヤリング官女は剣を振り上げながら一瞬にして詰める。
 咄嗟に盾として差し出したダイレンロッドも間に合わず、ホウオウレンジャーの胸に刃が押し当てられた。柔らかな二つの膨らみが、硬く冷たい金属に押し潰される感触に、ホウオウレンジャーがびくりと反応した瞬間。敵は吐き捨てるような冷笑と共に、その刃を引いた。

「……雑魚め」

「きゃああぁああああぁ!!」

 噴き出す火花の勢いに押し飛ばされるかのように、ホウオウレンジャーはくるりと回転して地面に倒れ込んだ。吐息のような苦悶と共に、斬り裂かれた胸をギュッと抱きしめる。
 肌を切り裂かれたと錯覚するような鋭い痛みが敵への意識を逸らさせた。二秒にも満たない警戒の空白は、イヤリング官女が距離を詰めるには充分すぎる時間だ。

「こら、誰が寝ていいと言ったの?」

 頭上から降ってきた声にハッと顔を上げたホウオウレンジャーの首を、イヤリング官女の細い指が掴み上げた。

「ぐぁ!? ぁ、ぐ、うぅ……ッ!」

 イヤリング官女の腕が上がっていくのに連れて、そのままホウオウレンジャーの上体も持ち上がっていく。血に染まったような真紅の指先が、首を覆う白い生地へと食い込んで気道を圧迫する。何とか指を引き剥がそうと試みるが、イヤリング官女はまるで意に介さずにホウオウレンジャーの首を更に締め上げた。

「は、離し、なさ…… くあぁああ……!」

 足先が地面から離れた瞬間、ホウオウレンジャーの苦悶は一際大きさを増した。浮いた右足で必死にイヤリング官女を蹴るが、苦し紛れの抵抗は何の意味も成さない。
 強靭なダイレンスーツを容易く貫通してくるその圧力は、今相対している敵が自分たち人間とは全く異なる種であることをまざまざと伝えていた。
 酸素を遮断され、視界がぼやけると同時に、中心から白い光が広がっていく。目に映っているのではなく、脳の奥から漏れてくるような光。続いて身体が重力から解き放たれ、ふわりと浮き上がるような快感がリンを包んだ。

「うァ…… か、はっ…… んっ…… あぁ、ん…… ぁあぁああ……」

(まずいわ……。落とされる……。で、も……)

 死へと誘う快楽が焦燥までもを飲み込んでいく。力を失い開かれた指からダイレンロッドが滑り落ち、カラン、と高い音を立てた。マスクの奥で苦痛と快感に歪むリンの瞼から涙が溢れ、少しずつ閉じていく。意識を失うまであと数秒。
 その時、イヤリング官女はホウオウレンジャーを思い切り投げ飛ばした。その細い腕からは考えられない膂力が、ホウオウレンジャーを数メートルは遠くの地点に叩きつける。

「うああぁあ!! くっ……げほ、けほっ……」

 目まぐるしく転回する視点と、背中から地面に墜落した痛み。突如として気道が開かれ、こみ上げてくる咳と唾液。それらに一帯となって責め立てられながら、それでもホウオウレンジャーはすぐに立ち上がった。
 イヤリング官女は近付いてくることなく、間合いを保ったまま愉しそうに笑う。

「ほっほっほっ、ダイレンジャーには地獄の苦しみを与えろというのが阿古丸様からのご命令。気持ち良さそうに喘ぎながら死なれたんじゃ、命令を果たしたとは言えないわね」

「なっ!? 気持ち良くなんかないわよ!」

 辱めを反射的に否定し、リンは下唇を噛む。
 怒りのまま向かってどうにかなる相手でないことは、首や背にジワジワと広がる嫌な痛みが告げていた。悔しいが、近接戦闘では敵の方が上手のようだ。
 しかしホウオウレンジャーはまだ、自身を戦士たらしめる能力を使ってはいない。離れた敵へ精神を集中させると、身体の中心に火が点き、その熱が血管を通して全身に駆け巡るように、筋肉や神経に力が澄み渡っていく。気力こそがダイレンジャーの最大の武器だった。

「口だか目玉だか分からないけど、すぐに黙らせてやるわ! はあっ!」

 叫びと共にホウオウレンジャーの両腕から放たれた気功は、空気を自在に圧縮、膨張させて風を操作する自慢の技だった。大岩をも軽く吹き飛ばす威力の透明な砲弾が、イヤリング官女へと真っ直ぐに飛んでいく。

「……幼稚な技だこと」

 だが、遠距離からの攻撃を目論んでいたのは敵も同じだった。その瞬間、イヤリング官女の両胸に垂れた黒髪が独りでに動き出し、ミサイルのような勢いで急伸した。そのまま黒髪は目に見えない気功の技をあっさりと貫き、突然のことに反応もできないホウオウレンジャーの身体を、ぐるりと絡め取る。

「えっ!? な、ぁ、これは!?」

「さあ、地獄の苦しみの始まりよ。わらわの黒髪地獄、とくと味わいなさい」

 イヤリング官女の美しい笑い声と共に、ホウオウレンジャーが空へと浮き上がった。しかし彼女を羽ばたかせたのは自らの翼ではなく、身体に巻き付いた触手のような黒髪だ。
 まるでその一本一本が意思を持っているかのように蠢き、肌よりも敏感なダイレンスーツの表面を撫で回す。不快感に上擦った声を漏らしながら、ホウオウレンジャーは何とか拘束を解こうと黒髪を掴んだ。
 しかし艶やかな髪の束は、そのフワフワとした柔らかな感触とは裏腹に、まるで束になった鋼鉄のワイヤーのように強靭で引き千切ることすら叶わない。

「く、ううぅ! こん、な……! あぐっ!」

 ギチギチと軋むような音を立てながら、黒髪はホウオウレンジャーの華奢な身体を激しく締め上げる。ダイレンスーツを装着していても、内蔵を搾られているかのような圧迫感だった。もしも変身していなかったら、既に身体を引き千切られていただろう。
 かつて紐男爵にも同じような責めを受けたことがあったが、その苦しみは比較にならない大きさだった。

(私を締め殺そうったって、そうはいかないんだから!)

 しかし、ホウオウレンジャーがこの程度で諦めることはない。
 確かに強力な拘束ではあるが、五人の中でも最も強いホウオウレンジャーの気力を集中して放てば、脱出の目は必ずあるはずだ。
 身体を締めつけられる苦しみの中でも、鍛え上げられたホウオウレンジャーの精神はすぐに集中し、気力を練り上げ始める。

「おほほ、お馬鹿な娘ね」

 しかしその目論見が成るのを、敵が黙って見ていることはなかった。
 イヤリング官女が両腕を顔の前でクロスさせると、その交点に赤い光の筋が走る。それが凝縮された妖力であることを悟ったホウオウレンジャーの背に冷たいものが走った。
 身体に巻き付いたこの黒髪が、電線のようにあの妖力をここまで運んできたら……。その想像は間を置かずに現実となった。
 放たれた赤熱を帯びた雷光が、艶やかな黒髪を伝い駆けってくる。拘束された身体は防御すら許されず、ホウオウレンジャーはただ、その凶光に無防備なまま晒された。

「うあああぁあああああぁあああぁ!?」

 悲痛な叫び声と同時に、胸から勢いよく火花が噴き上がる。胴を黒髪に巻かれながら、ホウオウレンジャーの背は限界まで仰反った。
 肌が跳ねるような衝撃と痺れを感じたのは一瞬で、それはすぐに皮膚を焼かれるような熱さ、そして激痛へ変わり、ホウオウレンジャーの全身を襲う。
 痛みは表層だけでなく、身体の内部までもをじっくりと痛めつけた。黒髪を通じて注ぎ込まれた悍ましい妖力が、肉体を隅々まで蹂躙し、皮膚を突き破って外へ飛び出そうとするかのような……。

「ああぁあ!! あッ! あぁああぁあ……!!」

 ダメージのあまり、二度、三度と火花を飛び散らせるダイレンスーツ。
 鮮やかな緋色を急速に失いながら地面へ落ちていく火花を眺め、イヤリング官女はその鬼のような形相で、大袈裟に体を揺らし嘲けてみせた。
 
「ほっほっほっほっ、あらあら、気力がスパークしたのかしら?」

「ぅ、うぁ……。こ、んな……。く、ぅ……」

 自らのダイレンスーツから立ち上る白い煙に包まれたまま、ホウオウレンジャーは痛みの余韻にうなされていた。
 これまでの戦いでもゴーマからの激しい攻撃を受けたことは幾度となくあったが、気力によって力を発揮するダイレンスーツに妖力を流し込まれる痛みは、今まで味わったどんな責めよりも鮮烈なダメージをホウオウレンジャーに与えた。

「さあ、わらわの黒髪地獄は始まったばかりよ」

 イヤリング官女は広げていた両腕で自身の黒髪を掴むと、そう高らかに宣言する。同時に、ホウオウレンジャーの身体は急降下を始めた。
 拘束から解放されたかという期待は、脳裡を掠めただけで直ぐに否定される。その速度は明らかに自由落下のそれではなく、忌まわしい黒髪は未だにホウオウレンジャーの身体に絡みついている。
 つまりこれは落下ではなく――

「ぐあぁあああぁ……!!」

 叩きつけだった。五メートルを優に超える、長く、強靭な黒髪を思い切りしならせたそのパワーは、先端に捕らえられたホウオウレンジャーの身体に何倍にもなってぶつけられた。

 まるで頭蓋が割れるような衝撃と痛み。視界がチカチカと点滅する。息が止まり、一瞬、自分が意識を保っているのかすら分からなくなる。
 そんな状態でもホウオウレンジャーは、戦士としての本能で地面に腕を立て、何とか立ち上がろうと試みる。

「こ、の……ああああぁあう!?」

 その健気な姿を嘲笑うかのように、再び赤い閃光。悲鳴。噴き出す火花と共にホウオウレンジャーの全身の筋肉が硬直し、砂に汚れたブーツの中で爪先がピンと伸びる。
 流し込まれた妖力は先程と同じ濃度だが、ホウオウレンジャーの受ける痛みは蓄積する毒のように確実に増していた。

「もっとよ。もっと、もっと苦しみなさい!」

 イヤリング官女の語気と共に締め付けは更に強くなり、ダイレンスーツに護られたリンの肉体から、ミシッ、と骨の軋む音がなる。再び足先が地面から離れて上空に吊られると、その痛みは一段と増すようだった。
 その上、敵は容赦なく更なる妖力を流し込み……。

「ゃ……いやっ……きゃああぁああああぁ……!!」

 長い黒髪を伝って赤い光が自身に走ってくる様は、逃れようのない恐怖となってリンの精神を蝕む。
 ダイレンジャーの装備は、装着する者の気力にその性能が大きく左右される。ホウオウレンジャーを――リンを倒す方法として、その精神をいたぶり抜くというイヤリング官女の策は最善の成果を上げていた。
 ホウオウレンジャーにとって、この攻撃は最大の弱点だったのだ。
 獲物の気力の乱れは、ダイレンスーツに絡みついた黒髪の一本一本が雄弁に伝えてくれる。イヤリング官女はその乱れの波を的確に突いて、ホウオウレンジャーの身体を振り回した。

「ぐううぅううぅ……!! うあぁあああぁぁ……!!」

 地面に、壁に、容赦なく叩きつけられたかと思えば、胴を引き千切らんばかりに黒髪がホウオウレンジャーを締め上げる。
 痛みは秒を重ねる毎にその激しさを増していった。

(だめ……。防御力が、下がって……!)

 ホウオウレンジャーの焦りすら見透かしたようなタイミングで、さらなる妖力が叩き込まれる。絶え間のない乱高下の狭間。天と地の感覚すら掴めない状態に置かれながら、その苛烈な痺れと痛みだけは、まるで衰えることなくホウオウレンジャーを苦しめた。

「ぅんあぁ! ぁんッ! あぁんっ!」

 黒髪を伝って赤い光が走るたび、ダイレンスーツは様々な箇所から派手に火花を散らせて、その攻撃が着用者へ効果的なダメージを与えていると敵に知らせてしまう。どれだけ耐えようとしても、妖力を流し込まれる度にリンの口は痛みにこじ開けられ、悶えるような悲鳴が漏れた。
 もはやホウオウレンジャーは、その扇情的な仕草と悲鳴で敵を愉しませるだけの玩具と成り下がっていた。

「んんぅ! ぐっ、うぅ! あぁあぁぁ……!!」

(だめ……。イヤリング官女、なんて強さなの……。このままじゃ、やられてしまうわ……)

 辺りが見えないほどの白煙に包まれながら、リンは思わず心の中で弱音を漏らす。ホウオウレンジャーとして、これまでゴーマを幾度も打ち倒してきたからこそ、その経験が告げていた。
 目の前の敵の力量は、自分を大きく上回っている。一人では勝てないと。
 味わう度に苛烈さを増す妖力の痛みが、予感を確信に変えていく。

「くぁ……っ、あぁああああぁぁん!!」

「ほほほ、仲間の助けを期待しているなら諦めたほうが懸命よ」

 悲痛な叫びに被せるようなイヤリング官女の宣告に、己の胸中を見透かされたホウオウレンジャーの心臓がドクリと強く脈打った。

「はぁ……はぁ…… 急に、何を……」

 全身を鞭で打たれるような痛みの余韻の中、ホウオウレンジャーは声を震わせる。対するイヤリング官女は般若のような恐ろしい顔つきのまま、それでも続きを紡ぐ声には愉悦が満ちていた。

「お前の仲間はね、白虎真剣を囮にして遠く離れた場所まで分断し、わらわのお姉様達に遊ばれているのよ」

「な、なんですって……!?」

 そう。リン達の目的は白虎真剣を探し出すことで、それ故にリンを含め五人はバラバラに散っていたのだ。要となる白虎真剣がゴーマの手に渡った今、それを囮にダイレンジャーを罠にかけるのは造作もないことだろう。
 もっと有効な使い方をさせてもらうまで……。
 イヤリング官女の台詞が脳裡に蘇り、リンから熱を奪っていく。

「ほっほっほっ。ダイレンジャーの中で最も強い気力を持つお前が、三女のわらわ一人に手も足も出ないというのに、他の有象無象共にお姉様の相手が務まるのかしら」

 焦燥や絶望を煽るかのようにイヤリング官女は捲し立てる。力の源となる気力を徹底的に削ぎ落としてしまうことこそ、ダイレンジャーにとって何より有効な攻撃だ。
 しかしその企ては、ホウオウレンジャーに諦めとは全く逆の感情を与えた。

「さあ、地獄の続きを楽しみましょう…… ん?」

 イヤリング官女の高笑いが不意に途切れた。自らの黒髪をしかと掴まれる感触が、触手のように伸びた長い道を伝って脳にまでフィードバックしたのだ。桃色のグローブを通して感じるその圧力は、確かな力強さを帯びていた。
 もはや嫐られ、朽ちるだけの存在と見做していた獲物の思わぬ抵抗に、イヤリング官女は押し黙る。対する“獲物“は息を切らしながら、それでも澄んだ声で言い放った。

「許さないわ、そんなこと……!」

 その全身から、凄まじい気力が立ち上った。淡い桃色の光が辺りに広がる。決して眩しくはない優しい光。あらゆる感覚器として機能するイヤリング官女の黒髪は、ホウオウレンジャーの周囲の空気が暖められていくのを感じ取った。
 自らに迫った危機よりも、遠くの仲間の危機を知った時、ホウオウレンジャーの潜在能力は最大にまで引き出された。
 持ち前の負けん気は、死地に身を置くことで不屈の精神力と呼べるまでに昇華されていた。

「調子に乗るのも、ここまでよ! はあああっ!!」

 自らに巻き付く忌まわしい黒髪に、ホウオウレンジャーは溜まった気力を思い切り放出した。美しい桃色の気力が、長い黒髪を伝ってイヤリング官女の元へ走り抜けていく。
 先程まで散々に苦しめられた攻撃の意趣返しだ。マスクの奥で頬が綻ぶ。
 しかし。

「かかったわね――」

 イヤリング官女は不敵な笑みと共に、そう呟いた。

「――この時を待っていたわ」

 気力の全てを振り絞った一撃。ダイレンジャーにとってそれは、身体を護る気力までもを攻撃に転じる、リスクの大きな手段だ。
 裏を返せば“気力の全てを削がれた”状態となるこの瞬間を、イヤリング官女は雌伏して待ち侘びていたのだ。

「ぇ……?」

 ホウオウレンジャーに許されたのは、呆けたような一音を絞り出すことだけだった。
 イヤリング官女の身体から放たれた、先程までとは桁違いに強く、鋭い凶光が、桃色の気力をあっさりと飲み込み、その主であるホウオウレンジャーの全身までもを……。

「うぐああぁあああああぁあああああ……!!」

 その日一番大きな悲鳴と共に、ダイレンスーツは大爆発を巻き起こした。鮮血のように噴き出した大量の火花が地面に降り注ぐ。
 完全に無防備だった肉体に注ぎ込まれた大量の妖力は、一度の爆発だけでは到底処理が追いつかず、数秒の間を置きながら何度も、何度も美しい火花となってリンの叫びを彩った。

「あはぁああぁ!! ……んああぁ!! ……くううぅうう!!」

「ほほほ、逆転の期待を打ち砕く花火。風流なことね」

 断続的な火花を飛び散らせるホウオウレンジャーの姿を見上げながら、イヤリング官女は愉しそうに笑う。
 火花の勢いが弱まっていくに連れ、ホウオウレンジャーの全身を覆う白煙もまた少しずつ色を失っていき、ようやくその姿が顕となった。
 鮮やかな白と桃色の戦闘スーツは、至るところが黒く焼け焦げ、爆発の衝撃を在りありと物語る。
 鳳凰を象ったマスクも同じく無惨に破壊され、苦痛に歪む素顔が内部の基盤と共に露出していた。

「ぁ…… く、ぁ…… そん、な…… ダイレン、スーツが……」

 これまでの激しい戦いでも一度として破壊されることのなかった自慢の装備が、なす術もなく打ち破られた。渾身の反撃をあっさりと飲み込まれたことも加え、その事実はリンの心を絶望で凍らせるに充分な威力を発揮した。 
 しかしイヤリング官女が嗜虐心が、この程度で満たされることはなかった。

「お似合いの格好になってきたわねぇ。そのまま焼き鳥にしてあげるわ!」

「ぁ、やっ ……んああぁあああぁぁぁ!!」

 もう何度目とも知れぬ妖力をその身に浴びせられ、ホウオウレンジャーは身体を仰け反らせて悲鳴を上げる。穴の空いた器から中身が溢れるように、いくつもの破壊箇所から火花が噴き上がった。
 電撃のような痺れと、灼かれるような痛み。インパクトの後も、その二つが余韻となって身体にまとわりつく。苦しみのあまり本能的に閉じてしまった瞼の隙間からまた赤い光が差し、恐れとなって目をこじ開ける。

「ゃ、んな…… きゃああぁああああぁ!!」

 妖力による連続爆破。気力も尽きかけたホウオウレンジャーにとって、もはやダイレンスーツは艶めかしく肌に張りつくだけの布に過ぎない。ゴーマの攻撃を耐えるだけの力など残されてはいなかった。
 イヤリング官女はそれを見越し、わざと弱い妖力を間を置かずに流し込むことでホウオウレンジャーの味わう苦痛を最大にまで高める。

「ゃ、んぁ…… あはぁああああぁ!! ぁ、もっ、だめ…… いやああぁあああああぁ!!」

 気を失わないギリギリを見極めるかのように、何度も、何度も、微弱な妖力を流し込み続ける。赤い光。火花。悲鳴。永遠にも思えるような苦しみが、ホウオウレンジャーの闘志を、酸のように溶かしていく。

(ぃ、や……。これ以上は……もう、だめ……。ま、負ける……。負けちゃう……)

「きゃああああぁぁぁ! ぁ、はぁ! ぁ…… ぁ、うぁ…… んああぁ……」

 その溶け出した闘志が、股の割れ目から液体となって溢れ出した。太ももを包む桃色のタイツに、濃い染みの線が描かれていく。

「あぁ……っ ぁ、はぁあぁ……ッ」

「おほほほ、無様だこと。敵を前にして失禁するだなんて。わらわなら恥辱で死んでしまうわ」

 戦士としてあるまじき恥態を嘲られようと、言い返すだけの力さえホウオウレンジャーには残されていなかった。喉は吐息のような、喘ぎ声のような甘い音を鳴らすばかりだ。
 太ももを伝っていく生温かい感触は、痛みで朦朧とする彼女の意識に、それでもなお深い屈辱となって刻まれた。
 徹底的なまでに蹂躙された女戦士を見上げながら、イヤリング官女は見せつけるようにゆっくりと、頭の横に両腕を掲げた。もう何度となく繰り返された動き。しかしそれを目にしただけで、ホウオウレンジャーの身体は硬直し、上擦った悲鳴を漏らす。

「ひっ……」

「これでトドメよ」

 その宣言の通り、先程の大爆発と同じほど――いや、それ以上に強く、赤い光が放たれた。
 割れたマスクから覗くリンの瞳は大きく見開かれ、自身の全てを飲み込み、喰らおうとする凶光を、ただ映していた。

「ぐッ、ぁ……! ぅあ……ッ! ぁ、が、ぁ……!!」

 体が爆ぜるような衝撃に、ホウオウレンジャーはもはや美しい悲鳴を奏でることすらできなかった。ただ濁った声だけが鳴り渡る。その全身はびくん、びくんと激しく痙攣し、肉体が意志から完全に分かたれたことを示す。
 妖力を流し続けたまま、イヤリング官女は黒髪を縮め、獲物を自らの顔の前まで引き寄せる。眼前で狂ったように悶えるホウオウレンジャーに、イヤリング官女は艶めかしい声で告げた。

「ぅ、お……ッ! ぁ、あァ……! ぐぁ……ッ!」

「お眠りなさい、ホウオウレンジャー。この世界が暗黒に染まる様、お前には特等席で見せてあげるわ」

 その囁くような小さな声が、千切れかけたリンの意識を刹那で繋ぎ止めた。その脳裡にある光景が浮かぶ。
 いつか叔父である道士・嘉挧の叱咤として体験した、ゴーマに支配された世界のヴィジョン。暗黒に飲み込まれ荒廃した大地で、人々が暴力の恐怖に追い立てられている絶望の景色だった。

「負け、ない……。負ける、わけ……には……」

 微かに残された正義の残滓が、リンの唇を僅かに動かした。譫言のように繰り返しながら、リンはその最後の力を振り絞るかのように、ゆっくりと右腕を持ち上げる。
 その涙ぐましい抵抗を、イヤリング官女は避けるどころか、警戒すらせずに静観していた。もはや目の前の獲物に反撃の力など一片も残されていないことは、未だリンに絡みつく黒髪が告げている。
 リンは敵に、己が力量の全てを見透かされていた。この黒髪に捕われた時点で、既に勝負は決着していたのだ。
 泥まみれのグローブに包まれたリンの指先が、イヤリング官女の甲冑へと触れた。やはり、ただ、それだけだった。リンの腕はそのままダラリと脇に垂れた。
 破壊されたマスクから覗く瞼は力なく閉じられ、形の良い眉が苦悶を形取っている。ブラブラと揺れる腕とは別に、桃色のタイツに包まれた太腿が小さく、そして次に大きく痙攣し、半開きとなった口からは弱々しい喘ぎ声が漏れる。
 風を操る桃色の戦士・ホウオウレンジャーは、イヤリング官女の黒髪地獄を前に屈辱的な完全敗北を喫したのだった。

「おっほっほ、ホウオウレンジャー、敗れたり」

 ホウオウレンジャーの、リンの意識が完全に失われたことを確認して、イヤリング官女はようやく黒髪による拘束を解いた。
 忌まわしい拘束から放たれた鳳凰は、しかし飛び立つこともできず、ただ重力のままに地面へと崩れ落ちた。
 その衝撃でまた胸から火花が噴き出し、仰向けに倒れたリンの背がビクリと仰反る。

「んぁ、あ…… ああぁ…… ゃ、め…… ぁあ、ん……」

 未だ夢の中で嬲られ続けているかのように、リンの身体は微かに痙攣し、その度に甘い声が漏れ出る。拘束から開放されても、リンを苦しめる黒髪地獄はいつまでも続いていた。
 こうして地に墜ちた鳳凰の扇情的な鳴き声は、無情な風に飛ばされ、岩々の狭間へと沁み入り消えていくのだった。

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