ここのつ/信号屋 2022/11/30 08:52

シャベッタ

シャベッタ

「そういちろうにゃ!」
「ん?」

ふと名前を呼ばれて振り返ると、部屋の入り口に全裸の少女が仁王立ちしていた。

「そういちろうにゃあああああああ!!!!」
「わあああああああ!!!???」

隣の部屋からドンッと壁を殴る音が聞こえる。

「すみません!!!!」
「すみませんにゃ!!」

謝罪の絶叫がこだまする。いや、ここはそれほど気密性の高くないアパートなので突き抜けていく……。
静かになった部屋で、改めて少女に向き直る。

「お前は」
「……」
心当たりがある。

「毛玉?」
「左様にゃ!」
「左様て」

満足げな表情を浮かべる少女を横目に、飼い猫の姿を探す。
ねこちぐら。いない。
キャットタワー。いない。
トイレ。いない。
俺の足下。いない。

「はあああぁ……」
「どしたにゃ」
「おあぁっ」

少女は音もなく、いつの間にか俺のすぐ後ろにぴったりとつけていた。
揺れるふわふわの白い髪と、ふっくらとした乳房が眼前を覆……ふっくらとした……?
「あああああ」
「静かにするにゃ」
「ぅるせぇ〜〜〜〜!!!!」
小声で、力の限り、叫んだ。

===

「そういちろうのにおいにゃー♪」
俺のお古のパジャマを見に纏った少女…毛玉は、嬉しそうに襟元の匂いを嗅いでいる。

「……」
賢者モードの如き沈痛な面持ちでうつむく俺に、毛玉がふたたび音もなくすり寄ってくる。

「どうしたにゃ」
「どうもこうも……」
「けだまと話せてうれしいにゃ?」
「……」

まだほんの少し青みが残る、幼い瞳がきらきらと輝いている。
「……そうだな」
「けだまもにゃ!」

なんだか一気に力が抜けて、俺は情けない顔で「へへ」と笑った。

===

「めしうめぇにゃ」
「ごはんおいしいって言いなさい」

毛玉はちゃぶ台の前であぐらをかいて、即席の鮭茶漬けをスプーンで掻っ込んでいる。
日頃の自分の言動をしばし反省する……。

「しかし、どうすっかな」
「にゃ?」
「お前のことよ」
毛玉が、空になった茶碗を勢いよくちゃぶ台に戻す。パジャマの袖で拭かれる前に、ティッシュで毛玉の口元をぐいとぬぐった。

「ごちそうさまにゃ」
「おそまつさま」

毛玉はごろりとその場で横になる。
初めて見るのにあまりにも見慣れているようなその姿に、思わずため息をつく。

「どうしたにゃ?」
「や、別に……」
伸びをする毛玉をぼんやりと視界に入れながら、頭の中ではさまざまな思いが交錯していたが……

「俺も寝るかぁ……」

この飼い主にしてこの猫あり、である。

===

「そーいちろーーにゃ」
「イッデ」
腹の上に何かが勢いよく飛び乗ってきた。
ああ、夢ではなかったのだ。

「あそぶにゃ」
「何して」
「あれがいいにゃ」

俺のパソコンを指さす。
「PCはまずいて」
「あれがいいにゃ」

頑として譲らない。お猫様はいつもそうだ……
「はあ……何がしたいの」
「ほのおがバババってなってむしがドーンってなるやつにゃ」
「あー、st◯amの地◯防衛軍か…」
猫には難しいと思うが、監督付きなら、まあ。

いつの間にかスリープしていたPCの電源を点ける。
「なんかいっぱいあるにゃ!」
「汚いデスクトップで悪かったな」
「にゃあー?」

デスクトップにごちゃごちゃと配置されたフォルダ類に、毛玉がふいに手を伸ばす。
あっ、待ってそのフォルダは

「ちょちょちょちょ」
「にゃー、これみたことあるにゃ」
「あるのかよおおおお」

俺のオカズ集……もとい肉感的な美女達の芸術フォトグラフィーがフルスクリーンで表示されてしまった。
「けだまとにてるにゃー」
こいつ、自信過剰である。だが、言われてみれば……
「って、やめなさい」
「なんでにゃああああ」
バツボタンをクリック。

飼い猫をそういう目で見るのは……よくない!

===

「ねむいにゃ」
「昼だもんな」
地◯防衛軍には5分で飽きたらしい。そういえばこいつ、子猫の頃に買ったオモチャにもものの三日で興味を失っていたな……。

「そーいちろー」
うとうと、うとうとと舟を漕ぎながら、毛玉が肩にもたれてくる。
猫ではない香りが鼻をくすぐる。多分、人間の女の子の香りだ。知らんけど……

「お布団で寝なさい」
「おふ……」
ぐぅ、と音を立てて、毛玉が倒れ込んだ。
「間に合わなかったか……」
ひとりごち、その身体をベッドに運び込もうと試みる。
「んぐ」
気の抜けた身体は重たい。が抱えられないわけでもない。
ベッドの真ん中…いや、少し傍のほうに毛玉を寄せて、毛布をかけて。

「……俺も寝るか」
そのまま隣に倒れ込んだ。
下心などない。

===

頬に温もりを感じ、目が覚める。
うっすらと目を開くと白髪の少女が俺の顔を舐め……
「舐め!?」
「にゃあああああ」
毛玉がびっくりしてそっくりかえる。

おおおおおちけつ。これは毛玉。俺の飼い猫。毛玉をしょっちゅう吐くからってばあちゃんに名前をつけられた可哀想な猫。白くてふわふわの…

「にゃあ〜」
白くてふわふわの少女がしょんぼりと、バツの悪そうな顔をしてこちらを見つめている。

「ごめん」
真っ赤になった頭では、その一言を絞り出すので精一杯だった。

===

晩ごはんは、レトルトカレー。
「いただきます」
「いただきますにゃ」
念のため、玉ねぎは入れないでおいた。

「うめ……おいしいにゃ」
「いい子」

毛玉は、カツカツと不器用な手つきでカレーを口に運ぶ。時々ぺろぺろと唇を舐めながら、満足そうな微笑みを浮かべて。

なんだかんだで、毛玉がこの姿になって一日が過ぎようとしている。ずっとこのままでは困るよな、という考えと、なるべく長くこうしていたい気持ちとがせめぎ合っている。

とはいえ、毛玉がどうしてこうなったのか、どうしたら元に戻るのか、一つの手がかりもない。考えるだけ無駄なことなのかもしれない。しかし、急に元に戻ってしまったら、あるいはずっと元に戻ることがなかったら……

「そういちろう」
ふと毛玉がこちらに向き直る。
「どうした?」
「たのしいにゃ」

無垢な瞳がまっすぐにこちらを捉える。

「まいにち、たのしーにゃ!」

「……そっか」
一瞬、ふわりと頭の中をもやが覆い。
何かが頬を伝った気がした。

===

「あそびたいにゃ」
「夜だもんな……」

猫は薄昼薄暮性。人の生活リズムに慣らしてはいるが、やはりこの時間帯が一番といきいきするようだ。

「そーいちろー、あそんでにゃー」
「つってもなぁ」

こいつの最近のお気に入りは魚の形の蹴りぐるみだ。当然、人間の身体には小さすぎて使い物にならない。
かといってブンブン振り回すおもちゃは危険だし、何よりまた隣人の壁ドンを受けてはたまらない。さて…

妙案。

「こっちおいで」
「ねるにゃ?」
「俺はね」
「えーにゃ」

眉をハの字にする毛玉を尻目に、ベッドの端に潜り込む。
「俺が魚の役ね」
「……にゃ!」

けりけり。かみかみ。
「いたいいたい」
「にゃー」

毛玉に背後から優しく抱きしめられながら、ついでに蹴られたり殴られたり噛まれたりしている。俺、天才かもしれん。

「へへ、そーいちろーにゃ」
「楽しそうで何より」

目を閉じてうとうととしていると、背中をつたう少女の温もりが、不思議と猫のそれに感じられてくる。いや、実際猫のそれではあるのだが…。

ここ最近の毛玉の様子を思い返してみる。毎日気ままに遊んではいたが、思えば暑い日でも俺の膝に乗りたがっていたな。PCにかじりつく俺のまわりを所在なさげにウロウロしていたりもした。毎日俺の上で丸くなって寝て……

瞼が重くなる。
けりけり。むにむに。

明日からは、もう少し、構ってやることにしよう……。

この記事が良かったらチップを贈って支援しましょう!

チップを贈るにはユーザー登録が必要です。チップについてはこちら

記事のタグから探す

月別アーカイブ

記事を検索