サーチライト 2022/09/05 23:17

活動報告193回目

こんばんは。坂下です。


ドラッグストアで買い物中、「石焼風ビビンバ」という冷凍食品を見かけ、立ち止まりました。


「石焼ビビンバ」……そもそもこれは「ビビンバ」の一種類にすぎません。ですが「ビビンバ」の前に「石焼」が付くと、不思議とリッチな、高級でおいしい、そんな気がしてきます。(坂下はビビンバ、結構好きです)


ただ冷凍食品である以上、何をどうやっても「石焼」にはならない。素直に売るなら「冷凍ビビンバ」、真面目に行くなら「石焼ビビンバ風冷凍ビビンバ」にすべきなのに、それを無理を承知で「石焼風ビビンバ」と名付ける。
たとえ「石焼ビビンバ」に似た味になったとしても率でいえば100%でノット「石焼」、なのにそいつは「石焼(風)」と名付けられたビビンバになるわけです。


「石焼ビビンバ」を「石焼」と「ビビンバ」に切ったとき僕はどっちによだれを垂らすか考えるとこれは「石焼」で、本来僕が好んでいる味は「ビビンバ」の方が出しており、頑張ってる度合も間違いなく「ビビンバ」が8はある、2:8でビビンバのはずなのにこれは理不尽なんじゃないか、そう理性が叫ぶわけですがやっぱり「石焼」に軍配が上がり8:2くらいで「石焼」がおいしそうに感じる。これはもう理不尽の極みです。


この理不尽な区分けに気づけたのは、「100%石焼ではないビビンバ」が「石焼(風)」と名付けられたことによるもの。
果たしてこいつがより正確に表現されて「石焼ビビンバ風ビビンバ」とか、背伸びはせずに「冷凍ビビンバ」とか名付けられた時に、僕はこの理不尽に気づけたのか。


そう考えると、完全に間違えている「石焼風ビビンバ」という「名前」が掘り起こすものの正体に僕は一人ドラッグストアでおののいたのです……
嘘です。そんなにおののいてはいません。


僕が美味しいと感じるものは「石焼ビビンバ」なのに、僕が美味しいと思うものは「石焼ビビンバ」である。


無理を承知で「石焼」と「ビビンバ」の隙間風を吹かした名付け親は、僕が「ビビンバ」に対して抱いていた欺瞞を暴き、叫んでいたのです。
お前が本当に好きなのは石焼かい? ビビンバかい? どっちなんだい? ヤー!!!


……なんということでしょうか。僕は今日、ある不確かな名付けの不幸を嘆くのではなく、己が瞳と向き合うことを余儀なくされたのです。


「石焼風ビビンバ」なる不確かな名付けは、その意味で成功しているのではないか。
「石焼風ビビンバ」と「石焼ビビンバ風冷凍ビビンバ」を並べた時、どちらが「石焼ビビンバ」に近い味を出してくれると思うのか。これはなぜか「石焼風ビビンバ」であって、「石焼ビビンバ風冷凍ビビンバ」は確かなはずなのに「石焼ビビンバ」から遠く離れていく。もう石焼でない感が満点である。


何気なく使う詠唱魔法「(風)」は、適切に発動できた時、むしろ実態から離れて望みの反応を呼び覚ます能力を持つ。
名前とは「どうありたい」、「どうあってほしいのか」を伝えるものであるならば、これはむしろ名前として正しいのではないか。
「100%石焼ビビンバではない」のに、「石焼風ビビンバ」と名付けられた彼(or彼女)は、むしろ幸福な名前を付けてもらえたのではないか。


言葉の面白さを教えてもらったような気がして、とても楽しい買い物が出来た一日でした。



……僕が好きなのは「石焼」だい、ヤーッ!!!!


注 なお、石焼風ビビンバは買っていません。納豆買って帰りました


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