ちょっとイケないこと… 第十二話「謝罪と反省」
(第十一話はこちらから↓)
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「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい…」
純君は謝り続けている。お腹にあるスイッチを押すと予め録音された台詞を喋る、一昔前に流行った「ぬいぐるみ」みたいに何度も同じ言葉を繰り返す。
感情の起伏が感じられない玩具と違い、その声からは悲嘆と悲愴が伝わってくる。
「ごめん…なさい!!」
ついに純君は泣き出してしまう。すでに可愛らしい瞳から涙は溢れていたけれど、そこに嗚咽が混じることで号泣を始めてしまう。
純君がこんなにも盛大に泣くのを見るのは、果たしていつぶりだろう。少なくとも彼が中学生になってからは一度も目にしていない。
――もう、泣かないで…。
私は出来ることなら、そんな風に声を掛けてやりたかった。あくまでも姉らしく、目の前で泣きじゃくる弟を慰めてあげたかった。だけど私にはそれが出来なかった。なぜなら彼の涙の理由は、私に大きく関わったものだったから…。
今の私に出来ることはただ一つ。彼が泣き止むのを待って、彼の口から事の顛末を聞くことだけだった。
枕の下から見つかったもの、それはショーツだった。彼の部屋にあるはずのない、あってはならないものだった。そうだと分かった瞬間、疑問が幾つも頭に浮かんだ。
――あれ~?おかしいな~?
私はまるで「名探偵」にでもなったみたいに。だけどそこに使命感や正義感などは微塵もなかった。「たった一つの真実」になんて、私はたどり着きたくなかった。
そこで、私は一つの事実に行き当たる。それは最初から気づいていたことだった。
疑問が幾つも脳裏を掠めたとき、あえてその問いだけはしないように避けていた。あるいはそれさえ訊いていれば、彼にあらぬ疑いを掛けずに済んだのかもしれない。私が無意識の内に除外していた問い、それは…。
――これは、誰の?
という、ごく当たり前の質問だった。
明らかに純君のものではない、女性ものの下着が部屋から見つかったという事実。だとすれば真っ先に問うべきは、それが果たして誰のものであるのかということだ。一体どのようにして手に入れたものなのか。盗んだものなのか、貰ったものなのか、買っただけのものなのか。(それはそれで「なぜ?」という疑問は拭えないが…)
仮にきちんと対価を支払って手に入れたものならば、それは決して犯罪ではない。理由はどうであれ、その行為は正当性を帯びることになる。
だけど、私は最初からその可能性を否定してしまっていた。
見覚えのある下着。それは紛れもなく「私のショーツ」だった。
もちろん名前が書いてあるわけではなく、私としてもいちいち自分の所有している下着一枚一枚を覚えているわけではない。
だけど、その下着だけは覚えている。はっきりと記憶と網膜に焼き付いている。
――前面上部に小さなリボンのあしらわれた「黒いショーツ」。
それは、あの日。私が初めて○○さんの家で『おもらし』した日に穿いてたものに間違いなかった。
あの夜のことは数週間経った今でも鮮明に覚えている。我慢の限界、理性の崩壊、膀胱の決壊、羞恥の公開、先立たぬ後悔、不可能な弁解、甚大な被害、汚辱の布塊。それら一つ一つの感慨を、私は詳細に渡って述懐することができる。
それをきっかけにして、私と彼の関係は進んだ。いや、進んだといって良いのかは分からない。だけど現に今日だって、ついさっきまで彼の家にお邪魔していたのだ。そこで、またしても『おもらし』をしてしまったのだ。
だけど、今日に限っていえば。深夜の洗面所での惨めな後始末を私は免れていた。まるで何事もなかったかの如く、粗相の物的証拠の隠蔽および隠滅に成功していた。
――そうだ、私は今…。
「ノーパン」なのだった。本来であれば持ち帰るべきはずの『おもらしショーツ』を道中で捨てて来たのだ。私は穿かないまま帰宅し、そのまま弟の部屋を訪れていた。
これではどっちが犯罪者なのか分かったものじゃない。純君のことを問い質す前に私だって罪を犯している。「痴女」「露出狂」、罪名でいうなら「猥褻物陳列罪」。
だけど、それにしたって。彼の犯した罪がそれで洗い流されるわけではなかった。どうして彼がそれを枕の下に隠していたのか。そもそもなぜそれがここにあるのか。私は毅然とした態度で、平然を装いながらも、彼に言詮させなければならなかった。
ひとしきり泣いた純君は落ち着いている。相変わらず顔を手で覆っているものの、ひとまず会話が出来そうな程度には回復している。私は彼に訊ねてみることにした。
「これ、お姉ちゃんの…だよね?」
動かぬ証拠を突き付けつつ、彼を問い詰める。責めるような口調にならないように気をつけながら、あくまでも確かめるというだけのつもりで訊いた。
「本当にごめんなさい!!」
再び、純君は謝罪を口にする。またしても泣き出してしまう。まるで子犬のように「わんわん」と声を上げて泣き叫ぶ。
私は困り果てた。時刻は一時前、朝の早い両親はとっくに寝ている時間帯である。こんな深夜に喚いているとなれば、何事かと起きて来てしまうかもしれない。
今ならまだ私と純君、二人だけの秘密に留めておくことができる。いつの間にか、私自身も共犯者になってしまったかのような気分だった。
ベッドに座った純君の元に近づく。彼の手に優しく触れ、包み込むように握る。(もちろんショーツを床に置いてから)
純君はつぶらな瞳から大粒の涙を零しながらも、恐る恐る私の目を見返してきた。戸惑ったような顔で(戸惑っているのは私なのだが…)上目遣いで見つめてくる。
守ってあげたくなるような幼さを滲ませた表情に、私は純君を抱き締めたくなる。だが、まだそうするわけにはいかない。彼の口から真相を聞いてからでなければ…。
「どうして、こんなことしたの?」
今一度、訊き方を変えて言ってみた。というよりも彼を犯人だと決めつけた上で、その動機について触れた。
「ごめ…」
再び、同じ台詞を繰り返そうとする純君を。
「もう謝らなくていいから」
私はすげなく打ち切った。少しばかり厳しい口調になってしまったかもしれない。彼の体が怯えたように震えたのが、掴んだ手からも伝わってきた。
「ちゃんと、話してみて」
怒らないから、と私は念押しした。
暫しの沈黙が訪れる。純君の表情が次々と変化する。彼は迷っているらしかった。どう話せばいいものか、あるいはどこから話すべきなのか、分からない様子だった。
私は純君を急かしたり追い込んだりすることなく、彼が自ら話し出すのを待った。
やがて、彼の口元がもごもごと動き始める。微かに開いた唇から、ぽつりぽつりと自供が始められる。
「その、ちょっと気になって…。女子が、どんな『パンツ』を穿いてるのかって…」
軽犯罪における犯行の動機とはいつだって、好奇心による興味本位から生まれる。ごくごく一般的な好意に過ぎなかっただけの感情が、やがて恋心へと変わるように。
「だから、それで…」
彼はその先を言いづらそうにしている。それでも私は決して助け舟を出さない。
「お姉ちゃんの、なら…。すぐ手に入りそうだったから…」
無差別ということか。たまたま近くにあったのが私のものであったというだけで、「誰のでも良かった」のだろうか。
「イケないことって、分かってたんだけど…。どうしても我慢できなくて…」
罪の意識はあったらしい。だとすれば直ちに許されるというわけではないけれど、少なくとも情状酌量の余地くらいはある。
――というか、もう許す!!
私は元々、弟には甘いのだ。己の罪を白状する健気な彼の姿に、私の方がいい加減耐えられなくなってきた。
あるいは、私の下着で済んで良かったのかもしれない。
もしこれが人様のものだったら、私一人の裁量ではどうにもならなかっただろう。中学生のやったこととはいえ、裁きは免れない。(それが裁判によるかは別として)
仮に同級生に知られでもしたら、彼は「死刑判決」を下されることになるだろう。女子からは軽蔑の視線を浴びせられ、男子からは好奇の目で見られ、一生その罪咎を背負って生きていくことになる。
ほとぼりが冷めるまで「カノジョ」だって出来ないだろうし、「いじめ」にだって遭うかもしれない。いくら己の犯した罪の報いであるとはいえ、それはあんまりだ。
――だって、純君はこんなにも…。
私は彼を抱き寄せた。姉弟でこんなこと生き別れになってからの再会でもなければ本来あり得ないことだ。それでも私は彼の頼りない体を、ほんのちょっと見ない間に逞しくなった体を抱き締めていた。
「もう大丈夫だから」
慰めるように言う。そんなにも穏やかな声が発せられたのは自分でも意外だった。もっとこわばるかと思った。不器用に不自然になってしまうかと思っていた。
だけどその声はごく自然に口から出た。それはやっぱり私がお姉ちゃんだからだ。弟の罪を許してあげられるのは、姉である私をおいて他にいないのだから。
「誰にも言わないから」
私は純君を抱き締めたまま言う。彼が心配に思っているだろうことを先回りして、まずはその不安を拭ってやることにする。そう、これは秘密なのだ。私と純君だけの誰にも知られることのない二人だけの…。
それでも私は姉として、もう一つ彼に言っておかなければならないことがあった。
「もう二度と、こんなことしないって約束できる?」
私は抱擁を解いて、きちんと純君に向き直ってから言う。誰にだって過ちはある、問題はその後どうするかだ。同じ過ちを二度と繰り返さないことこそが重要なのだ。それさえ誓ってくれたなら、この件については今後一切話題にしないことにしよう。私自身もそう誓った。
純君は首を縦に振った。頭を上下し何度も頷いた。最大限の了承のつもりらしい。だけど、私はそれだけでは許さなかった。
「ちゃんと返事をしなさい。わかった?」
心を鬼にして私は言った。(ずいぶんと甘い鬼がいたものだ)
「はい…。わかりました」
純君は素直に答えた。はっきりと誓いを立てた。
「よしっ!」
あえて無理矢理に渋面を作っていた仮面を外した。満面の笑みで純君に対面する。それこそが私にとっての面目躍如であるというように。
「それにしても…」
姉としての責務を果たし、一仕事を終えたことで気が緩んでいたのかもしれない。私は口を滑らせてしまう。二人で立てたはずの誓いを、私自ら破ってしまう。
「よりにもよって、お姉ちゃんのを盗らなくても…」
私は言ってしまう。さも、ぶっちゃけるみたいに。彼がした行為の気まずさから、つい余計なことを口走ってしまう。
「そんなに欲しかったなら、言ってくれれば良かったのに…」
言った途端に後悔する。そんなこと言うべきではなかった。たとえ冗談であっても決して口にしてはいけなかった。慌てて訂正を試みる。「ごめん、今のはナシで!」と軽い調子で軽はずみな前言を撤回しようとする。あるいは姉と弟の関係であれば、それも十分に可能であろうと高を括っていた。
だけどその言葉はすでに私の口から発せられ、不穏な意味を持ち始めていた。
「本当に?」
彼は訊き返してくる。その声は驚くほど冷静で、真っ直ぐな響きさえ持っていた。
「えっ…?」
私も聞き返すことしかできなかった。彼のそれよりさらに無意味な言葉を返すのが精一杯だった。
「もしちゃんと言っていれば、お姉ちゃんは『パンツ』を僕にくれたの?」
いよいよ彼の問いが意味を帯び始める。想定外の言及。私の冗談に端を発した、まさかの本気(マジ)。彼の眼差しは真剣(ガチ)そのものだった。
「いや…それはその…」
今度は私が口ごもる番だった。
「わざわざ『盗む』必要なんて、なかったってこと?」
ねぇ、と純君は迫ってくる。私は彼のことが段々と怖くなってきた。私の知らない別の誰かであるかのような気さえした。
「そんなわけないでしょ!冗談に決まってるじゃない…」
思わず声を荒げてしまう。そうでもしなければ彼の追求から逃れられそうにないと判断したからだ。
「じゃあ、嘘をついたってこと?僕をからかったの?」
それでも尚、純君は引き下がらない。あろうことか私を「嘘つき」呼ばわりする。私は自分の置かれている立場が分からなくなった。
――どうして、私が責められているんだろう…?
責められるべきは、純君の方なのに。それでも私はあえて、そうしなかったのに。いつの間にか私の方が責められる側になっていた。
「そうやってお姉ちゃんはいつも、守れない『約束』をするんだ…」
純君ははっきりとそう言った。私が一体いつ、どんな約束をしたというのだろう。しかも彼のその発言からは、さも私がその約束を「破った」のだと告げられている。だがそれも果たして何のことを言っているのか、理解不能だった。
私は腹が立ってきた。自分の犯した罪を棚に上げ、相手ばかりを責めるその態度にもはや我慢ならなかった。
「いい加減にしなさい!」
彼のことを突き放すように、私は言い放つ。
「女の子の下着に興味を持つなんて、恥ずかしくないの?」
触れてはいけないデリケートな問題に、土足で踏み込んでしまう。
「それはイケないことなの!わかる?」
有無を言わさずに私は断定する。間違っているのだと、恥ずかしいことなのだと。
「お願いだから、もう二度とこんなことをしないで」
さきほどまでとは違い、うんざりとした口調で呆れたような表情で言う。
彼は沈黙していた。私が責める口調になって以来、じっと私の罵倒に耐えている。反論はないらしい。かといって素直に受け入れてくれているようには見えなかった。その目は雄弁に語っていた。「裏切られた」という哀しみを…。
彼は項垂れた。私から目線を外して、床の上を見つめている。こと切れたように、まるでスイッチを切られてしまった玩具のように。
――ちょっと言い過ぎたかな…?
私は自省した。自制できなかった己の罵声を悔やんだ。だけど…。
むしろ、これくらいで良かったのかもしれない。さっきまでの私が甘すぎたのだ。本当はこれくらい厳しく叱りつけなければいけなかったのだ。
これも純君のためなのだ。こうでも言わないと彼は同じ過ちを繰り返してしまう。姉として弟を間違った道に進ませないために、これは仕方のないことなのだ。
「私は、純君を犯罪者にしたくないの」
今さらながら取り繕うような言葉を掛ける。
「『ヘンタイ』になんてなりたくないでしょ?」
私は言った。その後の末路を教え聞かせることで、彼を思い留まらせようとした。純君は相変わらず何も言わなかった。だけどきっとわかってくれたはずだ。
「じゃあ、今日はもう寝なさい」
私は立ち上がる。床に落ちた自分のショーツを拾い上げ、彼の部屋を後にする。
「お姉ちゃんは、違うの?」
久しぶりに彼は口をきいた。私の背中に向けて、不可解な質問を投げかけてくる。私は振り返った。
「どういう意味…?」
怪訝に思いながら私は訊き返した。彼の言葉の意味が本当に分からなかった。
再び彼は黙り込む。私から視線を外してそっぽを向く。何かを隠しているように、何かを知っているかのように…。
「僕、知ってるよ?」
彼は告発を始めてしまう。その状況はまるで、サスペンスドラマのラストシーン。
――やめて…!!
私は咄嗟にそう思った。その先を聞くことを拒んだ。だけどもはや手遅れだった。
「お姉ちゃんが『おもらし』しちゃったこと」
彼は「禁断のワード」を口にした。
トンネルに入ったように。私は突然、目の前が真っ暗になるような絶望を感じた。あるいはそれは、彼が私に秘密を知られた時と同じ心境だったのかもしれなかった。
――続く――