めるとりーずん 2020/04/02 19:54

色仕掛け文庫 第二巻 サンプル

色仕掛け文庫 第二巻」に載せていただきました。
「えきすとら・あくたー」のサンプルです。
 
 
 
   *   *   *


 
 東の砦が落ちた。
 
 タピオカ国で虐げられてきた姫を王子様が颯爽と救い出す。そんな内容の劇は、その主演である校内でも有名なカップルが文化祭の直前でまさかの破局に至るという、リア充の鑑とも言えるほどの凄まじい爆発っぷりを見せていた。挙句にはプログラムも変更できないということであれば果たして二人は役柄をどう演じるのか。公衆の前で大喧嘩するのかそれともサブタイトルにあったキャッサバの妖精とかいうけったいなイキモノが二人の仲を取り持つのか。話題性の強すぎる演目に、文化祭なんてとニヒルを気取っていた生徒たちですら野次馬として体育館に押しかけているという。
「…………ふ」
 僕もまた、ぎゅうぎゅうに押し込められていく体育館を窓の外に眺めながら、椅子の上で携帯端末を手の中に転がしていた。液晶には相変わらずの文面が映し出されている。
 分かってないなあ。
 昨日から何度も見たそのグループメッセージに僕は残りカスのような優越感を摂取する。そうでもなければやっていられない。輪投げ屋の当番なんて。
 僕は窓際に寄せた椅子から、床に示された投擲位置と、その奥で粗雑に散らばった景品たちを眺める。お菓子。お菓子。ぬいぐるみ。お菓子。ぬいぐるみ。深く考えた上でのラインナップとは到底思えない。
 長い廊下に数箇所ある広場は丸めた雑巾とほうきで野球の真似事ができるくらいには広く、隣と隣と、そのまた隣のクラスの代表同士でこの場所をめぐって紳士的なジャンケンが行われたという。
 一般開放はまだ明日。
 そのせいだろう。愉快な音楽は流れているけれど、隣のお化け屋敷の店番も友人に誘われて体育館に向かってしまった。体よく押し付けられた仕事を馬鹿正直にこなす僕を、ヤケに目つきの悪いウサギが嘲笑っている。
 蹴飛ばしてもいいかな。文句は言われないと思う。もし言われたら水道に水を張って沈めてやる。構いやしないだろう、こんな景品のひとつが水死体で発見されたとしても。
 目の痛くなるようなチャチな装飾と、いやにコミカルな音楽と、そして人気の消えた屋内。
 あれ、不気味だ。最悪だ。
 引き受けるんじゃなかった、店番なんて。
「書記じゃん」
 椅子から落ちたと思った。まだ椅子の上だった。
 僕は慌てて端末をポケットにしまう。いろんな意味で心臓に悪い。この人は僕が心不全になったらどうするつもりなんだ。
「……書記ですけど」
「あっ、ついに認めた!」
 ひょこっと姿を現した先輩は、やっぱり文化祭の空気にアてられているのかいつもよりスカートの丈が短く、長めの髪も片側を横向きに結んでいた。とてもあざといと思う。その程度で、あざといと思ってしまうのが僕で、そう思わせるのが先輩だ。
 得意げな顔をした先輩が近づいてくる。僕はなにとなく顔を逸らす。変わらぬファンシーな音楽にぽわぽわと空気が弾むのを感じる。意外といい曲かもしれない。
「書記は見に行かないの? 劇」
「先輩こそ行かないんですか?」
「んー、わたしはここがいいかな」
 ほら、でた。
 先輩は僕の隣に立ち、背中を壁に預けた。視界の端に見える肌色がいつもより五センチは広い。僕の身長は一年で一・九センチしか伸びていないのにずるいと思う。隠して欲しい。えっちだし。
 椅子持ってきますか? 別にいいよ。
 別にいいらしい。
 仕事はないのだろうか、と心配になるけれど言わない。こんな見た目で生徒会役員の先輩はなぜか僕を書記と呼ぶ。書記っぽい顔だからだそうだ。習字はちょっとだけやっていたけど、多分関係ないと思う。本物の役員の書記は僕とは二十センチくらい違いそうなイケメンだったから、それも関係ない。書記っぽい顔だから、書記なんだろう。
 書記っぽい顔ってなんだ。
「輪投げ?」
「そうです」
「投げていい?」
「券があれば」
「わたし生徒会なんだけど」
「何の関係があるんですか」
「書記じゃん」
「書記じゃないです」
「さっき認めたじゃん」
「……書記だったとしても、だったらなんで無料ってことになるんですか」
「生徒会の書記君はいろいろおごってくれたよ?」
 ぐさ。
 聞きたくなかったなあ、それ。
「僕は生徒会じゃないので」
「でも書記でしょ?」
「じゃあ訂正します。書記じゃないです」
「なあんだあ、つまんない」
 先輩が壁から身体を浮かす。
 ああ、失敗した。と思ったら、先輩は両腕を背中に回して、また壁に体重を預けた。
 ほっとした自分に歯噛みしたくなる。
 
 先ほどまでのうのうと聴こえていた野次馬たちの声はいつしか聴こえなくなっていた。何かアクシデントでもあったのか、いよいよ体育館の中は冗談じゃ済まされない状況になってきたのかもしれない。
 遠くを見れば予報に違わぬ晴天。女心と秋の空だとか、秋空からすれば無責任な汚名を着せられたものだと思う。出るとこに出れば勝てるんじゃないだろうか。その場合、被告は誰になるのだろう、なんて、俗な考えを巡らすこともなく、そ知らぬ顔をした鱗雲がぽこぽこと浮かんでいる。
「書記も気になる?」
「はい?」と僕は振り向く。
「演劇の、あの二人」
 先輩は僕ではなく、僕の頭越しの外を眺めていた。
 少し前のめりの姿勢に、腰に巻かれたセーターの袖が太ももを隠すようにゆらりと揺れた。腕まくりされた白いブラウスとぱつぱつの前ボタンに、ついに僕は目のやり場を無くし、一緒に外を見る振りをする。
「そうですね。あれだけ派手にイチャイチャしてましたから」
「書記もイチャイチャしたい?」
「相手がいないので」
「誰かいないの? 好きな人」
 いら。
「先輩こそどうなんですか?」
「わたし?」
「東条先輩を振ったって聞きましたけど」
 意を決して振り返る。さっきより顔が近くて、目が泳ぎそうになる。
 負けるものか。
「なにそれ」と先輩がニヤついた。「誰に聞いたの?」
「風の、噂に」
「……ふーん。最近の風ってよくないね。さっきも一年の子に見られちゃった」
 そう言って、先輩はまた壁に身体を預けた。
 何を見られた、だとか。そんなことは聞かない。これは戦略的撤退だ。
「……仲、良かったんじゃないですか?」
「良かったよ? 昨日も自転車の後ろに乗せてくれてね、しっかり捕まったほうがいいよっていうから、後ろからぎゅってしてね。それで、みすずヶ丘のバス亭まで乗せてくれて。あそこって夜景がすごく綺麗でしょ? それで自転車止めてね、お手手繋いで、ちょっとだけお散歩して、また夜景見てさ。それでわたしが言ったの」
「……何て言ったんですか?」
「『ほんとにわたしに好きって言ってくれる人、全然いないんだ』って」
「そ、それで?」
「それで、告白されたの」
「それを、振ったんですか」
「うん、振った」
「…………」
 眩暈がした。
 えげつない。同情では済まない。できればお花をお供えにいきたい。
 もちろんわかってはいた。わかってはいたけれど、わかってはいても、それでもどうやら先輩はどこまでいっても先輩でしかないらしい。
 悪びれる様子もない。ずっとこの調子だ。僕が先輩を知ったときからずっと。もうそろそろ殺傷沙汰が起きるのではないかと警視庁も警戒を強めて日夜対策会議が開かれているという。もちろん嘘だ。
 ああ、東条先輩は、今日の文化祭に参加していないかもしれない。
 寝込んでいても不思議じゃない。本当に、最後の砦だったのに。
「信じられないよね」と先輩が頬を膨らませる。
「そうですね、信じられないです」
「告白するとか、なってないよ。全然なってない」
「たるんでますか」
「そう、たるんでる!」
 適当に語調を合わせておくと、先輩はふんと腕を組んだ。ブラウスのお腹の浮いた部分ががきゅっと締め付けられて、二次関数のような曲線が出来上がる。係数は低そうだ。
「違うんだよねえ」
「違いますか」
「そう、違う。途中まではほんとに良かったの。すごく良かったんだけどね、うーん、なんていうのかなあ、告白はちょっと違うんだよね。わがままだよね」
「そうですね、先輩は結構、わがままだと思いますよ」
「えっ、わたしが?」
「えっ?」
 僕は隣を見上げる。先輩はきょとんとした顔で僕を見下ろしていた。
「わたしって、わがままかな?」
「…………、まあ、世間一般的に言えば」
「うそ、ほんと? 告白するほうがわがままって感じしない?」
 わがまま? 東条先輩が?
 仲がいいと自覚していて、一緒に帰宅するほどの仲で、手を繋いで夜景を見て、いい雰囲気になって、それで、好きな子が寂しそうなことを言うから、想いを伝えて。
 それで、わがままとは。
「わがまま、ですか」と僕は景品に視線を逃がす。
「そう、わがままだよ。告白するなんてわがまま。全然良くないよ。全然潤わないよ。ぎゅーってならないもん。ぎゅーって」
「ぎゅー、ですか」
「そう、ぎゅー」
 僕は文明人としての会話を諦めて力を抜いた。
 潤いが足りないだとかドラマのOLみたいなことを言うけれど、どうしたところでもう東条先輩は彼女の舞台から消えてしまった。もしこれが物語なら、振られる一コマだけに使い捨てられる顔のない男子生徒になってしまった。脇役でもない。モブですらない。馬鹿みたいに頬を膨らませるこの人の、歴史のどこからも居なくなってしまった。これでもう通算で何人目だろう。
 
 僕は、そうはならない。
 絶対に。
 
「ぎゅーってなりたいだけなのにね。なんでこうなっちゃうんだろ。書記にはわかる?」
「……身に覚えはないですか?」
「やっぱり、おっぱい大きいからかな?」
 至極まじめな声色に、僕はうさぎと睨めっこを続ける。
「それとも可愛いからかなあ。ねーえー」
「知らないですよ。どっちもじゃないですか」
「えー、ほんと? えっちだなあ」
 僕の投げやりな言葉に、先輩は声を弾ませる。なぜ嬉しそうなのかよくわからない。
 しいていえば、態度が一番問題だと思うけど。
「輪投げしていい?」
「だから、券が必要で、え」
「えへ」
 肩が、ぐにゃっとして。
 暗くなって。
 声が、頬に掛かって。
 息が詰まった。
「これで、何回分?」
 回された腕に、先輩のまつげに、女の子の、匂いに。
 喉も、鳴らせない。
「三回と見た」
 勝ち誇ったような笑顔を残して、先輩が投擲用の輪を拾い上げた。未だ空気が涼しく感じて、短いスカートが際どく揺れて、秋の一日だった。
 
 

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