尾上屋台 2017/09/04 04:40

体罰は死んでしまいました

時折、体罰が話題になることがある。

体罰がありか否か、という点では、俺は無しだと思っている。
思っているんだけど・・・という話を、今回は。
ていうか、そんな単純な話でもなかろうに、この手の話題になると、俺が普段からこれは勉強になると思っている有識者でも、途端にその経験のなさを露呈させてしまう。

無しだと言っておきながら、 実際のとこ、ある意味ではありなんじゃないかとも思ってるんだよね。
しかしこのある意味って部分は、もうなくなってるんだよって部分もまた、忘れてはいけない。

体罰そのものについては、かつてそれが良いこととされていたような時代でも、やっぱり必要悪だったと思うんだよね。
さらに言えば、必要ですらない悪である場合が、ほとんどだったわけでさ。

俺が小学生だった頃は、子供心にも「こんなことする必要ないだろう」って体罰が、結構横行してたよ。

忘れ物をすると、前に立たせて強烈なビンタを喰らわす図画工作の先生がいた。
女の子でもおかまいなしでね。
ずばーんって教室中に音が鳴り響くくらいで、そりゃもうホントに容赦なかったよ。
あと、急にキレてぶん殴る社会の先生がいた。
この先生が厄介なのは、最初は口頭で注意してるんだけど(例えば授業中におしゃべりしてるから等で) 、時々変なスイッチ入っちゃって、どんどん自分の中で盛り上がっていっちゃって、最後にボカーンと。
このスイッチがどこで入るのかよくわかんなくて、普段は明るくても、こういった得体の知れなさみたいのがあって、ちょっと気持ち悪かったよな。
この教師については色々エピソードもあるんで、また別の機会に話してみるよ。

そして三、四年時の先生、確か算数の教師だったと思うんだけど、この人の体罰はタチが悪かった。
この人の体罰はしっぺなんだけど、これがまた執拗なんだよ。
突き出した手首にぴしっと一発、みたいので終わることがまずないと言っていいくらいで。
ごめんなさいだかすみませんでしただかを言えばおしまいなんだけど、言い方が気に食わないと、また腕を突き出させて、びしっと強烈なヤツがくる。
これがね、どんな言い方したらいいか、なんかこの先生独特の基準があって、なかなか一発でクリアできなくてね。
俺なんかちょっと生意気なとこあったから、二、三発は絶対に喰らってた。
でさ、ある日友人が、ものすごい数のしっぺを喰らったのよ。
その友人、なんつうか、元の造作で、いつもニヤついてるような顔してたのよ。
ホントにニヤついてることは少なくて、元からそういう顔つきしてる。
これがさ、ひょっとしたらその先生からすると、普段から気に食わなかったんだろうね。

ある日その彼がしっぺの餌食になったんだけど、もうね、一発目から音がすごかったんだよ。
鞭みたいに、パーンと空気が割れる感じで。
うわーこれは痛いとか思いつつ、すぐ傍で俺は見てたんだけど(ていうか、その直前に俺は四、五発喰らってた)、その彼はニヤニヤしてるの。
もちろん心からニヤついてるわけじゃなくて、顔の造作で。
そしたらさ、なに笑ってるってことで怒りに火がついて(と言ってたけど、前から狙ってるフシはあった)、五発、六発って、びしびししっぺ喰らわせていくわけよ。
でもさ、かわいそうに、彼の顔はニヤついたまんまなんだ。
俺が数数えてたのは、十発までだったよ。
もうそこからは、見ていられなくてね。
既にミミズ腫れになってるのに、何度も腕を突き出させて、思いっきりしっぺする。
彼は泣き笑いだよ。無論、笑ってるわけじゃないのに、そう見える。
その先生は文字通り口角泡を飛ばしながら叱責してるんだけど、何言ってたかは覚えてない。
とにかく執拗に、しっぺ地獄は続いたってわけさ。

俺はその時初めて、ヒステリーって言葉を聞いたんだ。
しっぺ地獄が終わった後、誰かが呟いてね。
その先生は女性だったんだけど、ほんのちょっとしたことでもキーってなって、手を出す。
ただのストレスじゃないってのは、手を出して収まらないことで、なんかどんどんエスカレートしてくんだわ。
当時はちょっとでも触れたら爆発する危険物みたいな感じで見てたけど、この先生は太ってる子を施設みたいなのに入れようとしたり(なんの施設かわからんけど)、色んな意味で危険な人間だったよな。
当時、二十代後半くらいだったのかなあ、俺もこの歳になるとそのくらいの年頃はまだまだ未熟だよなあとわかる部分もあるんだけど、今考えると、言動の端々におかしなとこはあったよな。
それもなんか、悪意があるんだよ。
控えめに言ってもサイコパスって感じで、よくこんな人間が教師やってたなあと、今にして思う。

と、俺が経験、あるいは見聞きしてた体罰がこれだけだったら、俺も間違いなく、というか全面的に体罰禁止の立場に立ってたと思う。
どう考えてもこれはおかしいって体罰が、横行してたからさ。

ところが、高校に入ってから、ちょっと考え方が変わってね。
今はもうないんだろうけど、怒られるようなことをすると、結構ゲンコツが飛んできた。
でもさ、怒られる前に、必ずどうしてそれが悪いことなのかってのを、きちんと説明するんだよね。
で最後に「このことを忘れるなよ」ってことで、ごつんと頭にゲンコツを喰らう。
「すいませんでした!」
「おう。次からは気をつけろよ」
みたいな感じでね。

俺は言葉ってものとずっと付き合ってきて、その力を信じてる部分が大きいんだけど、同時に人間ってのは、その力に溺れやすいとも思ってる。
言葉で説明すれば必ずわかってくれるとか、まあ言いたいことはわかるんだけど、それだけでは足りない部分ってのもまた、少なからずあると思ってるんだ。
ていうか、言葉で説明されただけのことって、意外と忘れるんだよな(笑)。
痛みを伴って初めて、反芻できる言葉もある。
もうひとつ付け加えると、言葉で説明しただけですべて片付くっていうのも、なんか驕りを感じるよな。
人間は、脳だけで生きてるんじゃないからさ。
ガツンとやってもらった方が、心に響くこともある。
いきなりぶん殴るのは論外としても、言葉だけってのも、ちょっと驕ってるんじゃないかって。
大体さ、説明しても、相手がそれを理解できるだけの頭を持ってるはずだって前提が、もう間違ってると思うよ。
そこまで頭良かったら、そもそも怒られるようなことしてないんじゃないかって。
要はさ、どちらかだけでも足りなくて、セットで怒らなくちゃいかん時も、あるんじゃないかって。

で、この高校の時もちくちくゲンコツもらったけど、一度としてその教師を恨むようなことはなかったな。
さっき書いた通り、まずなにがいけなかったのかを真剣に説明してくれる。
そしてこのことを忘れるなよって感じで、ゴツンと痛みがくる。
そうなるとさ、まあ忘れないんだな。
その時はよくわからなくても、考え直して「こういうことか」ってのが、わかったりする。
こういうことやっちゃいけないんだって、身体でもわかる。
こういう過程を経るとさ、むしろゲンコツもらってありがたい気分にもなるんだわ(笑)。
さらに言えば、手を出させて申し訳ない気持ちにもなったな。
人間さ、言葉だけで全てわかるってもんでもないよ。

俺はそういう経験があるもんだから、体罰ってものが、全て悪だと思ってるわけじゃない。
でも体罰の何がいけないかって、それが結局のとこ、暴力だからだと思うよ。
けどさ、体罰を盛んに攻撃する人の言葉って、結構暴力的じゃない?(笑)
ああ、言葉の暴力はオーケーっすか、いくら攻撃しても相手が悪だからオーケーっすか、みたいに思わされることが多いなあ。

先日、体罰について、学生の頃の先輩と話したんだ。
その先輩が話してたのは、それこそ先生も涙を浮かべながら「殴った俺も痛いんだぞ」って話で。
それ見たらさ、やっぱ生徒も悪いことしたんだなって、理解するよな。
今時の子たちからすれば漫画みたいに見えるかもしれないけどさ、俺らの時代にはいたんだよ、本当にこういう教師が。

その先輩と俺は、格闘技やってた経験があるんだけどさ、それでわかるのは、痛い殴り方と怪我させちゃう殴り方ってのは、全然違うってこと。
同じ殴るでも、ちゃんと叱ろうとしてる教師は、痛みこそ与えるけど、怪我させちゃうような殴り方は絶対しないよな。
そしてこれだけ世間は、体罰ってものに対して厳しくなってるでしょ?
その頃の教師も、もう殴り方なんて忘れてるよな。
それらを横目に叱り方を覚えてくはずだった教師も、いなくなってると思う。
そう、もうきちんとした体罰ができる教師ってのは、間違いなく絶滅してるよ。
今行われる体罰は、ほぼ全てがただの暴力に成り下がってるんじゃないかな。

今でも体罰に肯定的な人間は、全てではないにしても、いい体罰ってのを受ける経験があったんだと思う。
そして体罰に反対しつづける人は、こういった経験がないんだとも思う。
特に自分が頭がいいと自覚してる人に多いでしょ?
殴られて、ハッと目が覚めるあの感覚を知ってたら、そこまで体罰ってものに攻撃的にはなれないよ。
およそ進学校出身かなんかで、もしあるとしても、理不尽な体罰しか受けてこなかったんだと思う。
そういう世界ばかりではないよ、とその頭のいい人たちには言っておきたいね。
そして自らの正しさを立証する為に、相手を攻撃することは、暴力ではないのかなって。

暴力の全てを否定したら、格闘技もスポーツも、全部ダメっていえばダメだろう。
でも何故か、体罰はダメで戦争はオーケーみたいな、そういうの、こっちからするとなんとも倒錯してると思うよ。
暴力がダメなら、言葉の暴力を含めた、全ての暴力を否定してもらいたい。
あらゆる人間を、自らの正しさを立証する為に攻撃することをやめてもらいたい。

俺はそんな出来た人間じゃないんで、色々と間違えながら、殴られながら、自分の道を進んでいくよ。

あの頃俺が高校で受けたような体罰であれば、俺は喜んで体罰賛成派に回りたいと思う。
しかしながらどう考えてもおかしい体罰の方が多かったことも、身にしみてわかってる。
俺が高校で受けたようなものは、それこそまだ教育に真剣な教師がいた頃の、残滓のようなものだったんだろうな。
生徒と教師が信頼しあってないと、できないことだとも。
つまり、もうああいった経験ができることは、既にそれ自体が奇跡みたいになってるんだと思う。
そしてそんな一握りの幸運だけを指して、体罰賛成だなんて、なかなか言えたもんじゃないんだよね。
今の世でいきなり体罰なんて奨励されたら、百人の内、九十九人は理不尽な暴力にさらされるだけだと思う。
それは、絶対にダメなことだよ。

どこかに、今でもきちんとした体罰ができる、自らも生徒以上に心を痛めながら、真剣に叱ることが教師がいるんじゃないかって希望は、なかなか捨てきれない。
失われたものが、どこかで息を吹き返してくれるんじゃないかって思いが。
それでも今は、認めなくちゃいかんよな。

あの頃の体罰はもう、死んでるんだよ。

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