山葵は今こんなことを考えている~人に見られるということ~

まえがき

「山葵は今こんなことを考えている」と題して、随筆的な、コラム的な、エッセー的な、心象スケッチ的なことを徒然なるままに、きれぎれに、まとめていくのもいいかもしれない。と思って書いてみた。もしかしたら、今後なんか思いついたら他にも書くかもしれないし、書かないかもしれない。エロのことも書くかもしれない。とりあえず今回は、Twitterを見たり、ディスコ―ドなどで人と接してきてここ一年くらい考えてきたことを書いてみた。

人に見られるということ

先に誤解のないように書いておくと、これは善い、悪い、という話ではない。
ただ、事実と個人の選択だけがある。
万が一にもいないとおもうけれど、こういう話をすると禁止していると思い込む人間がいるので、先に記述しておく。

Twitterを始めたのは2014年の末だった。かれこれ5年くらい利用し、2019年6月24日現在ツイーヨは12万。きっしょツイ廃かよ。
きっかけは、pixivで小説投稿しついでに告知とかするかって流れだ。
最初はどういう使い方をしていいかわからなかったが、最近は慣れた気がする。
小説や参加作品の告知したりエロ絵を集めたり、下らない話題を拾ってきたり、人とリプを飛ばし合ったり、おおむね愉しく利用している。
慣れた結果、考えるようになってきたことがある。
当たり前のことであるから、これを読んで当たり前だなって思ってくれればいいと思う。

・Twitterはプライベートな場ではあるが、パブリックな場でもある
・あらゆる発言をする自由があるが、発言の責任は負わなければならない
・人から見られる場であり、人にどう見られるかを演出できる場でもある

というような、言ってみれば普通のことだ。
それに、根を同じとする問題についての話でもある。
それぞれについて細かく書いていこうと思う。

Twitterはプライベートな場ではあるが、パブリックな場でもある

よく、Twitterは個人的な呟きをする場であるから他人からとやかく言われる必要はないというような話が出てくる。
それはある意味で正しく、ある意味で間違っている。
なぜなら、他人が見られるようになっているからである。
だったら、見たくないやつは見なければいいというような話があるが、そんなことを言ったところで見るやつは見る。お前が見たくないものを見ないことはできることはできるが、他人にそれを強要はできない。

鍵をかけて誰からも見られないようにしていない以上、Twitterでは他人の目に触れてしまうのである。
そして、お前の発言を見た他人はそれぞれに何かを思う。おもしろがられることもある。好かれることもある。不愉快に思われることもある。怒りを買うこともある。呆れられることもある。
自分のハンドルネームのようなものがあって、パーソナルめいたものもあるTwitterは5ちゃんねるとかニコ動のコメ欄みたいな陰でコソコソなんでも言って大丈夫な、見過ごされやすい場所じゃない(いうて脅迫・犯行予告は逮捕される)。
だから、お前のアカウントの発言はお前の、仮名とは言え個人の公的な発言として見られてしまう。

あらゆる発言をする自由があるが、発言の責任は負わなければならない

当然、誰にでも自由に発言をする権利がある。どんな発言をしてもいい。しかし、責任が伴う。
そして、同じ自由と責任をあらゆる人間が持っている。
だから、お前が誰かを攻撃したり、迂闊な発言をすると言われた本人に逆捩じを喰らわされたり、不快だと感じた誰かに攻撃されることだってある。
悪意があるかどうかは関係がない。そんなことは聞き手はわからない。わかる人もいるけどね。
発言に対して不特定多数から攻撃されると炎上ということになる。
それを甘受しろというのではない。
それに対して反撃するのもまた自由だからだ。
結句、公に発言するということは、発言者の意向に関わらずリアクションがあるということなのである。リアクションを起こさなくても、無言で引かれることだってある。

確かに世の中には文脈を読めないやつもいる。理屈が分からないやつもいる。言葉が足りないやつもいる。
そんなやつを相手にするのは疲れる。しかも不特定多数だと大変だ。
故に、そんな面倒にならないようにするには発言に気を付ける必要がある。
それでも言いたいことがあれば言えばいい。
発言の結果何が引き起こされるか、少し考えてから判断する方がいいと思う。

人から見られる場であり、人にどう見られるかを演出できる場でもある

そこで問題になるのが、お前が何のためにその発言をするかということだ。何かをするには、何のために、という動機、指向が必要だからだ。
いい人として見られたければいい人に見えるようにふるまう必要があるだろう。
攻撃的な発言を繰り返せば攻撃的な人間だと思われる。
自虐を繰り返したりかまってちゃんムーブばっかりしたりすると、そういう人間に見られる。
何も考えずに好き勝手発言したって別に構わない。損をするのも得をするのもお前だ。
他人に見られているのは、お前が他人に対して見せている部分だけなのだ。
他人は少なくともその部分からお前を判断する(でもたまに言ってないことを言ったように勘違いする奴もいる)。
全ての要素を吟味して判断されることはない。
いわんや140文字で切り取られた文章で何が判断できる?
お前が出来ることは、自分の振る舞いを決定することだけだ。

Twitterやインターネットだけでなく社会においてもそうだ。ネットも社会の一部だってのは知ってるから言わなくていい。しかし、現実とネットはしばしば分別されることがある。
社会のルールなんてくそくらえと思うが社会という公に出ていくには常識人っぽい顔をしなければならん。人に会う時とかは多少見栄えのいい服着ていくようなもんだ。

俺は社会からなるべく離れて生きたいから引きこもって、人から嫌われそうな話はツイキャスでしてるわけだが。

と、まあこんなところだ。
当たり前の話だろ馬鹿、って思ってくれたらいいなと思う。

ただ、一つだけ付け加えることがあるとすれば――

画面の向こうにいるのは自分と大して変わらない人間である

お前が人間であるように相手は別の人間なのである。
別の思想を持ち、倫理観を持ち、思考力を持ち、知識を持っている。
いくら話し合ったところで完全に分かり合うことはできない。
そして、おおよその場合社会的に、精神的に強い人間じゃない。大半は弱者だ。
お前が傷つくように、相手も傷つくことがある。

傷つけることはいいことじゃない。
これは俺の個人的な見解だけれど、どんな人間も自分の行いよりも重い罰や悲惨な目に合う必要はない。
知らない大勢の人間から殴られるってのは、酷い話だ。
傷つけるなら、個人でやって欲しい。
他人を晒上げて誰かに攻撃させるようなやり方は賢明だと思う。俺は何も言わないでコッソリ軽蔑する。
そういうつもりじゃなくても、沢山のフォロワーがいる人がそういうことやるっていうのは、そういう結果を招く可能性があることだ。

と、まあまとまりのない文章かもしれないけどこんなところだ。
こんな下らない文章をここまで読んでくれてありがとう。
以上のことを踏まえて、前立腺開発を公約に掲げてる山葵は人からどう見られるつもりなんだ?

追記
この手の、人からどう見られるか、見られたいかという話について深い洞察をしている小説があるので、興味があれば読んでみてください

https://www.amazon.co.jp/dp/B01916B8TU/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1

朝井リョウ 「何者」

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