シロフミ 2020/08/06 22:51

犬のお世話・その5

「……ね、シロー、わかる?」
 ソファーの上、シローをぎゅっと抱きしめながら、マキはシローの耳にだけ届くように、そっと囁きます。
「わんっ。わふっ」
 笑顔のマキにこたえるように、シローも嬉しそうに目を細め、ぐりぐりとマキのおなかに顔を押し付けてきました。
「わう?」
「えへへ。そうだよ?」
 くす、と笑顔を浮かべ、マキは答えます。
 シローにもちゃあんと伝わっているようでした。心の中にほわっとした温かさを覚え、マキはもう一度、シローの顔を抱き締めます。
「わぉん!」
 そんなマキを思いやるように、シローは舌をぺろんと伸ばし、そのおなかをぺろぺろと舐めてきました。
「ひゃう……っ!?」
 いきなり敏感なところを舐められて、くすぐったさに息を詰め、マキは笑い出しそうになってしまったのをぐっと唇を結んで声を堪えます。
「もぉ、シロー、びっくりするじゃないっ」
「わう?」
「わう、じゃないわよっ」
 ちょっと唇を尖らせて、マキはシローのあたまにぎゅっと手を載せました。リビングのソファーの上でじゃれあう二人を見て、パパたちは『本当に仲がいいねぇ、ふたりは』と笑っています。
 一か月ぶりにシローと逢えて、確かにマキも大喜びでした。でも、それだけではありません。
「もぉ。……みんなにはナイショなんだから。ね?」
 だから、マキはそっとシローの首に顔をうずめて、ひそひそ話をするように小さくつぶやきました。
 世界の誰にもないしょの、マキと、シローふたりだけのひみつを。
「……シローの赤ちゃんね、あたしのおなかにいるの♪ ……ちゃんと元気に育ってるよ。だから、あたしね、もうすぐママになるの」
 シローとのお別れが決まってから、マキはなんども、なんども、何度も何度も。シローと、いっぱい、いっぱい愛し合いました。
 シローは、一生懸命腰を振って、硬く大きく膨らんだおちんちんで、マキの小さなおなかの中に、なんどもなんども、何度も何度も溢れんばかりに、熱くて濃くてどろどろの、赤ちゃんのもとを注ぎ込んでくれました。
 マキも、なんどもなんども、気絶しそうになりながら、いっぱいいっぱい、シローをキモチ良くしてあげました。
 ですから、あれからもう一度も、マキの『お月さま』はやって来てはいません。
 マキの小さなタマゴと結びついた、シローのありったけの愛の証が、今も、マキのおなかの中で小さな鼓動となって、力強くとく、とく、と響いているのです。
「……シローも、もうすぐパパになるんだよ?」
 そう言うマキの笑顔は、シローと無邪気にじゃれあうときの少女のものでも、最愛のパートナーと精一杯身体を重ね合うときの『女の子』のものでもありませんでした。
 おなかに宿した小さな生命を守り、育てる――そんな決意を秘めた、穏やかで優しい笑顔でした。
「わんっ!!」
「あは。そうだねっ。……あたしも、シローも、いっぱいいっぱい、がんばったもんね……」
 思わず、マキは涙ぐんでしまいます。
 大好きなシローを、これからもずっとずっと、大好きでい続けることの証。そう誓ってキスを交わし合ったマキのおなかですくすくと育っているのは、まさにその愛の結晶なのですから。
「うん。あたし、がんばって、元気な赤ちゃん、産むからね……」
「わう!!」
 それが、マキがシローにずっとずっと伝えたかった言葉でした。
 新年になってマキが引っ越した先の新しいお家は、おじいちゃんの家とは随分離れていて、これまでみたいにお父さんもお母さんも、気軽に行ったり来たりできる場所ではありません。ですから、おじいちゃんの家に引き取られたシローとマキが会えるのも、これが初めてなのです。
 マキにはいっぱいいっぱい、シローに話したいことがありました。きっとそれはシローも同じのようでした。
「わう……わお、わんっ!!」
 力強く、シローが吼えます。甘えん坊でわんぱくだったシローも、しばらく見ないうちに頼もしいくらいに勇ましくなっていて、小さなママになろうとしているマキを体じゅうで励ましてくれます。
 それがマキにはとても、とても嬉しかったのでした。
「シロー……だいすきっ」
「わぉん!!」
 ぎゅうっと抱きしめあう小さなふたりを見ていたマキのパパやママたちは、本当にあの子達は仲が良いわねえ、と笑い合いました。
 まるできょうだいみたいよ、と言うマキのお母さん。小さな頃からいっしょだからなぁ、というマキのお父さん。目を細めるおじいちゃんとおばあちゃん。
 ……でも、そんなのはみんな的外れもいいところです。
 こんなにもお互いのことが大好きなふたりが、きょうだいなんかであるはずがありません。いまも、マキのおなかの中では、ふたりの愛の結晶が、すくすくと育っているのですから。
 シローは嬉しさに、尻尾を千切れそうなくらいにぶんぶんと振り回して、マキにぎゅうぎゅうと圧し掛かります。じゃれ付いているのだと分かってはいても、自分よりもずっと大きなシローに飛びつかれてはマキもたまりません。
「わおんっ!!」
「ちょっと、こらぁ、シローってばっ」
「ぁおんっ。わおん。わふ、ぐるるぅ!!」
 最近、だいぶ暖かくなってきて、ちょっと暑苦しそうなシローの冬毛は、それでもマキの大好きなもこもこ毛皮です。シローの匂いをいっぱいに吸い込んで、枯れ草の中に沈みこむような気分に、マキはそっと目を閉じます。
「もぉ……そんなに乱暴にしたら、赤ちゃんびっくりしちゃうよぉ……」
 そう言うと、まるでそれに答えるように、マキのおなかの中でもぴくりっと小さな動きがありました。
 白く小さなマキのおなかの中、パパとママの語らいに返事をするように、赤ちゃんがばたばたと動き出したのです。
「ぁんっ……」
 おなかの奥を、こつんと元気良く蹴飛ばされ、マキは思わず声を上げてしまいました。
 まだ服の上からではあまり目立ちませんが、お風呂に入ればマキのおなかはちいさくぽこんと膨らんでいます。わんぱくで悪戯好きなパパにそっくりの赤ちゃんは、マキのおなかの中で毎日のように暴れていました。
 それはたいてい、おなかがすいたという合図です。だからマキは、好き嫌いもせず、たくさんご飯を食べるようになりました。引っ越してから外で遊ぶことは減ったわりに、ご飯をおかわりばかりするようになったマキを、マキのパパとママはちょっとだけ不思議に思っていました。
「あは。シロー、赤ちゃんもね、パパに会えて嬉しいって言ってるよ?」
「わう?」
「わかるよ。あたし、ママだもん♪」
 どうしてと首を傾げるシローに、マキはちゃんと説明してあげます。
 おなかの中の赤ちゃんは、ヘソの緒というものでママと繋がっているのです。ですからそこを通じて、おなかの中にいる赤ちゃんとマキははっきりと心が通じ合うのでした。
 いまも、マキにはヘソの緒を通して、赤ちゃんの気持ちが伝わってきます。
「シロー、だいすき……」
「わぅ……」
 パパたちが見ていないのをちらりと確認すると、マキはそっとシローの口に、自分の唇を当てました。
 前のお家ではどんなときでも、ずうっと一緒だったシローに毎日会えないのはとても寂しくて、辛い事でした。
 でも、とマキは思います。いま、マキのおなかの中にはシローの赤ちゃんがいます。だから、自分は一人じゃない。どれだけ言葉にしても伝えきれない想いを伝えるために、マキはぎゅうっとシローを抱きしめます。
「シロー……っ」
 これからどんどんと、赤ちゃんは大きくなってゆくのでしょう。マキのおなかの奥、生命をはぐくむゆりかごの中で、生命の海に満ちた袋の中に包まれてすくすくと育つシローとマキの赤ちゃん。
 その光景を想像すると、胸がいっぱいになって、いとおしくなって、マキはそぉっと膨らんだおなかを撫でます。
「あは……♪」
 わぉん、というシローの吼え声にあわせて、こつんとおなかを蹴飛ばす赤ちゃん。
 その息の合い方がなんだかおかしくて、マキはくすっと笑いました。
 わんぱくなパパと、可愛らしいママは、もういちど優しくキスを繰り返します。そんな幸せなふたりに見守られながら、赤ちゃんはマキのおなかの中の、穏やかなゆりかごに揺られて、また元気に動くのでした。










 ……ここをお読みの皆さんは、想像妊娠、という言葉をしっていますか?
 女の子が、ほんとうは赤ちゃんができていないのに、いろいろな理由でそう思い込んでしまって、実際に身体が赤ちゃんができたときのような反応を示してしまうというものです。
 なかには本当に、おなかのなかで赤ちゃんが動くのを感じてしまったり、他のひとにもそう思わせてしまうことまであるそうです。

 これまで何度も繰り返したように、イヌと人との間で、赤ちゃんが産まれることはありません。たとえ受精が起きて、赤ちゃんの素と、おんなのこのタマゴが結びついたとしても、それが人間の女の子のおなかの中で育つことは決してないのです。
 ですから、このお話の中で、マキのおなかのなかに赤ちゃんがいることはなく、マキがシローの赤ちゃんを産んであげられることは、悲しいことですけれど、絶対にありえません。

 ですから――
 ここから先は、マキの夢。ぜんぶ、ぜんぶ夢。
 何が起きても、どうなっても、夢なのです。

 ……そういうことに、しておきましょう。










「はぁ、はぁっ、はぁっ……んッ…!!!」
 閉ざされたカーテンの隙間から、明るい春の陽射しが差し込んでいます。もうすぐお昼が近いというのに、薄暗い部屋の中には、途切れることなく、切羽詰った少女の吐息が響いています。
 厳重に閉じられた鍵は、誰にもこの場所を侵させないという決意の表れのようでした。
 もっとも――引越して以来、忙しくなってしまったマキのパパとママは、今日も朝早くから出掛けていて、一人お留守番のマキ以外は、誰も家にはいません。
「はぁ、はぁ、はぁっ……」
 もっとも、もうお昼前になろうというのにダイニングにはさめた朝ごはんが手を付けられないまま並び、当のマキはずっと自分の部屋の中に閉じこもっているのを知れば、さすがにマキのパパたちも顔色を変えることでしょう。
「はあっ……ふ、ふうっ、っふ、っ……」
 堅く閉じられた子供部屋の中には、サウナのような熱気が立ち込めています。
 まだ新しいベッドの上は、まるで洪水のようにぐっしょりと湿っていました。シーツどころかマットレスまでたっぷりと濡らすそれは、おもらしなどではなく、もっとぬるぬると熱い液体です。
 その上で、大きめのパジャマの上だけを羽織った格好で、マキは荒い息に肩を上下させていました。そのパジャマも、いまやおへその上まで大きく捲れ、マキの腰から下は丸裸でした。
 剥き出しの太腿はすっかり汗を浮かべ、白い肌を覗かせています。赤い顔はしっとりと汗ばみ、マキの目元にはうっすらと涙さえ滲んでいます。
 小さな手のひらがシーツを掴み、ぎゅうっと引っ張るたび、汗に湿ったシーツが引き絞られて波打ちます。
「ふうっ、ふぅー、っ、っはあっ……」
 苦しい呼吸を繰り返し、なんとか息を整えようとするマキですが、それもままならないほどに全身が疲れてきっていました。
 夜中から始まって、いままで。もう十時間以上も、マキはずっとずっと、一人で戦っていたのです。
「んぅっ……!!」
 ハダカの下半身の、脚の付け根からおヘソの上、マキのちいちゃな胸のすぐ下までが、ふっくらとまあるく膨らんでいます。しなやかな手足とはアンバランスなおなかの膨らみは、確かに人間の赤ちゃんに比べてしまえばさほど大きなものではありません。
 けれど、マキにとっては何もかもが初めての、一世一代の大仕事なのでした。
「ぁっ、んぅ……っ」
 桜も咲き、心地よい陽射しに溢れた穏やかなこの春の日に。
 すっかり大きく育ったマキとシローの赤ちゃんが、いよいよ産まれようとしていたのでした。



「っは、ふぅっ、……うぁあ、あああぅ」
 マキの腰から下は、じんわりと、熱い熱いお風呂にずっと浸かっていたときのように火照っていました。
 おトイレに行きたい感覚を何十倍にもしたような、おヘソの裏側でちりちりと焦げるような感触が、ぼうっとしたマキの頭の芯を炙っているようです。この感覚はもう一日近くも、引いては押し寄せ、押し寄せては引き戻し、絶え間なくマキの身体を包んでいました。
 同時に、じくん、じくんと波のようにおなかの奥が疼く、赤ちゃんが産まれようとしている合図は、マキにもしっかりと届いていました。
 およそ4ヶ月近くの間、その内側に小さな生命を大切に大切に抱いていた神秘の揺り篭が、とうとうその役割を終えようとしているのでした。
「んぅっ、っは、っく……はぁ、はあっ、はぁっ」
 ぞくん、ぞくん、と背筋を貫くような衝撃に、マキの小さな身体がびく、と硬直します。
 今度の『波』はなかなか引いてくれません。始まってからいったい何十分、いえ、いったい何時間が経ったのでしょうか。永遠にすら感じられる長い長い時間、マキはベッドの上で、ママになるための試練にじっと耐え続けていました。

 ぞるっ。ぞるるっ。

 マキのおなかのなかで、すくすくと大きくなった赤ちゃんは、もう狭くなってしまった揺り篭に押し込められているのは嫌だと、むずがるように暴れています。
 妊娠から3ヶ月を過ぎたあたりから、やんちゃな赤ちゃんは毎日しきりに動いて、早く外に出たいと訴え続けていました。それがいよいよ本格的なものになったのは、一週間ほど前からです。
 これまで身体の外側へ膨らんでいた揺り籠が、徐々にその重さに引かれるように地面のほう――脚の付け根のほうへと降りはじめたのでした。それと時を同じくして、マキはおなかの奥に、ちりちりとした熱のようなものを感じるようになりました。
 それが、赤ちゃんが産まれる準備を始めていたのだと気づいたのは、昨日のことです。
「うーっ、っは、っ、あぁ……んぁ……っ」
 ぎゅっと目を閉じて、マキはじんじんと疼くおなかを、そっと撫でます。
 これまではぽよん、と膨らんで、ふっくらまあるく柔らかかったおなかの膨らみは、時間を経るにつれどんどんと緊張に硬くなり、ますますずっしりと重く腰の上にのしかかっていました。
 加えて、昨日の夕方から続いているこのちりちりとした感覚。次第に波のように強弱をあらわにしてきたこの感覚にあわせ、まあるく膨らんだおなかの中の揺り籠は、ゆっくりゆっくりと時間をかけて、その形を変えていました。
 これまでマキの身体の中に納まっていた赤ちゃんが、出口へと向けて身体の向きを変え、頭を下に、脚を上にして、おなかの下の方へと降り始めているのでした。
 そして今も、ぞぞっ、ぞぞっ、と得体の知れない感覚が、マキの腰骨の奥を這い回っていました。シローと深く深く繋がり合ったときにも感じたことのなかった、身体の中心で、マキは確かにその脈動を感じ取ります。
 けれど、肝心のマキのほうはと言えば、まだ全然準備ができていません。

 ぞるっ、ぞるぅぅっ。びくっ。

「うぅっ……だめえ、勝手に動いちゃだめだよぉ……っ」
 はーっ、はーっ、と息を繰り返し、マキはおヘソの裏をごりごりと擦る赤ちゃんにおとなしくするように言い聞かせます。
 おなかの中の赤ちゃんをどうやって産めばいいのか。お家にあったむつしい百科辞典と、病気の治し方を書いた古い家庭の医学という本。それに、学校の図書館で保険の教科書をたっぷりと読んでべんきょうしたマキは、ママになるために知識をいっしょうけんめい思い出します。
(っ……まだ、まだ、だめ……っ)
 押しては引く焦げたようなおなかの中の疼きは、陣痛というそうでした。もともとは細い針がほんの少し通るほどしかない、小さな小さな揺り篭の出口を、大きな赤ちゃんが無事に通り抜けられるように、ほぐれて柔らかくなるまで、これは続くのです。
 それから、赤ちゃんを包んでいる膜が破れて、おなかの中の羊水という液が出てきます。そうなったら、いよいよ赤ちゃんを産むためにママが頑張る番でした。
 けれど、もう何時間も何時間も続いているのに、まだ全然、その様子がないのです。
(赤ちゃん。赤ちゃん、早く出てきてよぉ……っ)
 焦る心と共に、はやく赤ちゃんを産んでしまいたいと思う気持ちが合わさって、マキは大きく開いた脚の付け根に力を籠め、おもいきりいきんでしまいました。
「んっ、んんぅ……っ、はっっ……」
 ぐっとシーツを噛み締め、マキが息を詰めるたび、脚の付け根の大切なところがぱくぱくと口を開け、その奥にたわになったやわらかなひだひだをうごめかせます。
 けれど、いくらそうしてもマキのあそこは、くぱくぱっと蠢くばかりで、いっこうに赤ちゃんが産まれてくる様子はありません。
「んんぅ、ぅっ、んんんゅぅうーーーっ……!!」
 ぎゅっと捲り上げたパジャマの裾を掴む指が白くなるまで、強く強く力を篭めて、マキはおなかに力を込めます。
 けれど、あんなに動いて、外に出たがっている赤ちゃんは、なぜかおなかの中にとどまったまま、外に出てくる気配はありません。
「っは、はあ、はあっ、はあっ」
 ついに諦めて力をほどいたマキは荒くなった息を少しでも抑えようと、深呼吸を繰り返そうとしました。
「ふぁぅ……っ……ぁああああっ!?」
 けれど、今度はさっきまで静かにしていた赤ちゃんが勝手に動き出します。あそこからはくちゅ、くちゅと泡だった粘液がこぼれ、幼いつくりのあそこはきゅうっと伸び縮みを繰り返すのです。
 パパにそっくりの、やんちゃでわんぱくな赤ちゃんは、そんな小さなママの注意も聞かず、お外に行きたいと暴れます。パジャマの下でマキのおなかはゆっくりとカタチを変え、暴れる赤ちゃんの様子をはっきりと伝えるのでした。
「もぉ、い、いまはおとなしくしててってばぁ……っ」
 おなかの中の子宮がぽこんぽこんと蹴飛ばされ、小さなでずるずると、敏感な揺り篭の中を這い回られて、もうマキはすっかりくたくたでした。
 ぐったりと鉛のように重い手足を引きずって、マキはまた押し寄せてくる熱いうねりに唇を噛みます。
(っ……、)
 赤ちゃんが生まれるには、ママと赤ちゃんが力をあわせて一緒に頑張る必要がありました。でも、はじめて赤ちゃんを産むマキには、そのためにどうすればいいのかがなにも分からないのです。
 マキは赤ちゃんを産むため、いっしょうけんめいいきもうとするのですが、一方で赤ちゃんが産まれてこようとして身体の向きを変えるので、その刺激に腰が崩れてうまく力を入れられないのです。
「んっ、んんんぅーーーっ!!」
 どうしていいのかわからずに、マキはなんども、なんども、赤ちゃんが出てこれるようにいきむのを繰り返しました。
 けれどやっぱり結果は同じ。
 ママと赤ちゃんのすることがちぐはぐにかみ合わないままでは、はじめての出産という大仕事は、とても終わるはずがないのです。
 赤ちゃんの動きが本格的になったのは昨日の夜になってからですが、もう一日近くも延々とそれが続いているせいで、マキの腰から下はふにゃふにゃに蕩けてしまっていました。
「――……っ、」
 かすれた喉が、小さく吐息を繰り返します。
「……、シロー…………っ」
 いま、一番傍にいて欲しい相手の姿は、マキの隣にはありませんでした。
 ママになろうと必死に頑張るマキの、おなかの中の赤ちゃんのお父さん。そして、マキが世界で一番だいすきな、だんなさま。
 けれど、シローはずっとずっと遠くの、おじいちゃんの家に引き取られたままなのです。どんなにマキが願っても、ここに来てくれることはないのです。
 終わる気配を見せない初めての出産という大仕事。胸の中にわだかまる不安を掻き消すように、マキはベッドの隣にちょこんと座る、大きなぬいぐるみを見上げます。
 丸いボタンの両目をした、どこか愉快な表情をしたぬいぐるみは、真っ白な毛皮のイヌのぬいぐるみ。
 名前も『シロー』と言いました。お引越しをして、ずうっと一緒だったシローと離れ離れになったマキが、寂しくないようにと、パパが買ってきてくれたぬいぐるみでした。
(あたし、頑張る、からねっ……)
 その『シロー』の前脚にぎゅっと手を重ね、もうかたっぽのシーツを握る手に力を込めて、マキはぐっとおなかに力を入れていきみます。
「んぅっ……ふぅ、んんーーっ……っ!!」
 くちゅりと蜜をこぼしたあそこがぱっくりと開いて、マキのおなかの内側の色を覗かせます。とろとろとこぼれる蜜は白っぽく濁り、マキのお尻の下をぬかるみの大洪水にしていました。
 シローといっぱいいっぱいえっちをする時にだって、こうはなりません。きつく狭く、曲がりくねったマキのあそこが、大切な相手を受け入れるのとは別の、もうひとつの大事な役割を果たそうとしているのです。
 長い長い時間を掛けて、本当なら指一本入るのだってやっとのマキのあそこは、柔らかく伸び、カタチを変えて、おなかの中の赤ちゃんのための出口をつくっている最中でした。
「……っ、っは、はあっ、んうっ……はぁ、はぁーっ……」
(あ、あたしが、ちゃんと、頑張って、あげなきゃ……いけないんだから……っ、や、約束、シローと、約束したんだから……っ)
 目を閉じ、顔を真っ赤にしていきむたび、マキのそこはぷちゅぷちゅと蜜を吹き上げます。それをじっと見下ろす『シロー』のつぶらな瞳を見上げ、マキはぐっと奥歯を噛み締めます。
 きっとこの声が、シローのもとに届くように。その瞬間が、シローによぉく見えるように。マキはおおきく膨らんだおなかをそっと撫で、パジャマの上着を捲り上げます。
 めいっぱい広げられた両足の間で、マキの大切なところはすっかり薄赤く充血して、綺麗なお花のように、ほころんだひだひだを重なり合わせながら覗かせています。
 その奥の奥、ねとりとした粘液を溢れさせるその奥で、赤ちゃんをそっと包み、たぷたぷとぬめる液を満たしている膜が、じょじょに引き伸ばされ始めていました。
「ぁあっ、くぅぅっ……」
 そうです。赤ちゃんだって、産まれたくないわけがないのです。
 何日か前にはもう少し高い位置にあったおなかの膨らみは、腰骨の上から滑り落ちるように、脚の付け根――おなかの下の方へと、ゆっくりゆっくり下降を始めています。赤ちゃんがマキのおなかの中の揺り篭から、その出口へと進んでいるのです。
 すこしずつ、すこしずつ、赤ちゃんは産まれようとしています。
 でも、それはあまりにゆっくりで、もどかしすぎて、マキには永遠にそのときが来ないんじゃないかと思えるほどでした。だからマキはたまらずに、まだ準備が終わっていないのに、いきんでしまうのです。
「ふぅ、んぅぁぅぅあ……っ」
 おなかのなかでひっきりなしに動き回る赤ちゃんも、一生懸命いきみ続けるマキも、新しい生命を少しでも早く産み落とそうと懸命です。
 けれど、まだほんの小さなマキの身体も、初めて産まれてくる赤ちゃんも、分からないことだらけでそれをうまく伝え合えず、かみ合わずにいるのでした。
「……シローっ……」
 マキはたまらずに、すぐ傍でじっと手を繋いでくれている『シロー』を引き寄せ、ぎゅうっときつく抱きしめます。
「シロー、見てて……っ、あたし、頑張って、いっぱい頑張って、元気な赤ちゃん、産むからねっ、ちゃんと、ママに、なるんだからねっ……!!」
 小さな身体を軋ませる、うねる波のような衝撃の隙間、荒くなった息を辛うじて繋ぎながら、マキは『シロー』の身体に腕を回し、健気に語りかけます。
 ぬいぐるみの『シロー』も、どこか野原に似た優しい匂いをさせて、押し付けたマキの顔をそっと包み込みます。
 そうすることで、マキはまるで本物のシローに励まされているような気がしました。マキはそうやって、くじけそうになる心を、そうやっていっしょうけんめい奮い立たせるのでした。
「あたしと、シローの、赤ちゃんなんだから、……っ!!」
 ふたりが、何度も何度も、愛し合ったその証。大好きなシローの赤ちゃん。そう思うたび、どこからか途方もない愛しさがこみ上げてきて、マキの小さな胸はもうはちきれてしまいそうでした。
 いったんは挫けそうになってしまった心の奥から、湧き上がる歓びと元気が、疲れきったマキの身体にまた活力を与えてくれるのです。
 そして実際に、わずかに膨らんだマキの胸のふくらみの先端からは、じわりと白いおっぱいが滲んでました。パジャマを内側から汚しているそれは、大切な赤ちゃんにあげるためのものです。
 そう、新しい生命をはぐくみ育てるための準備は、小さなママの内側で、ちゃあんと進んでいるのです。
「ふぁああ……ッ!?」
 びくん! とマキが背筋を仰け反らせます。抱きしめた『シロー』を抱える腕に強い力がこもりました。
 マキの膨らんだおなかがゆっくりと動き、脚の間からさらにその下へと、その場所を変えていきました。おなかの中で赤ちゃんを抱きとめていたゆりかごが、ぎゅうっとカタチを変えて、赤ちゃんを外に出す手助けをはじめたのです。
 それは、とうとうマキの身体の準備が終わり始めた証拠でした。
 マキのおなかの膨らんだ部分はゆっくりと脚の付け根に向かって進み、そこは内側から盛り上がるように、じょじょに膨らんでいきました。
 おなかの中の小さな生命は、幼いママの息遣いに合わせて、いっしょうけんめい脚の付け根にある、小さな小さなゆりかごの出口へ進もうとしているのです。
 マキのおヘソの裏の、ちりちりという感覚が強くなります。三十秒に一回だった波が、二十秒に一回になり、炙るようなとろ火から、焦げるほどの強火へと。
「あ、あっ、あ、あっ、あ、あっ」
 マキは仰け反るようにして、その瞬間を感じ取っていました。おなかの中に焼けた鉄を飲み込まされたように、その熱はどんどん大きくなっていきます。
 そして、
「ふわぁぁああああっ!!!?」
 よりいっそう高く大きな声が、マキの喉を貫きます。これまでのいきみで感じたものとはまったくべつの、強い洪水のような力強いうねりが、マキの腰を、またたくまに塗りつぶしてゆきます。
 まるで杭か何かに貫かれたみたいに、深く、激しく。マキの頭のてっぺんまでを、衝撃が走り抜けてゆくのです。
 ひときわ大きく、おなかの膨らみが蠢き、マキの脚の付け根、ちょうどおまたの合わせ目の部分が、なにかに押し上げられるようにぐうっとせり上がってゆきます。
「あ、ぁ、ああ、ぁああっ!?」
(っ、あ、き、きたっ、赤ちゃん、あかちゃん、きてるっ……!?)
 大きな大きな熱い塊が。ずんっ、とマキの腰を貫きます。
 くちゅ、と広がったまきのあそこの奥。細い出口の中に引き伸ばされ、引っ張られ、とうとう耐え切れなくなった赤ちゃんを包む膜が、ぱちんと弾けました。

 ばちゃぁっ、びゅ、びゅるるっ!!

 堰を切ったように迸る、大量のぬめる粘液。ひっくり返ったように開かれたマキのあそこからどばっと液が溢れてゆきます。
 ぬかるんだベッドの上にあふれた生命の洪水は、ばちゃりと音を立てるほどの、愛のスープの海をつくりあげました。
「っぅうぁあああああっ、っんゅぅ、ぁあぅぅぅぅ!!!」
 破水です。
 はじけた羊膜の中から、赤ちゃんを包んでいた袋が破れ、赤ちゃんを大事に大事に守っていた卵胞の粘液が流れ出したのです。
 いよいよ、マキの出産が最後の段階に入ったことを示すものでした。
「ぁ、あっ、あ。あぁ、あぁっ」
 凄まじい圧迫力と共に、マキの腰がきしみます。脚をバタつかせ、下半身をのたうたせ、マキは懸命に叫びました。
 からだが内側から引き裂かれてしまいそうです。大人の女のひとですら、赤ちゃんの通り道はぎりぎり大きさなのですから、ましてまだ小さなマキのそこは、赤ちゃんが無事通り抜けるのには狭すぎるほどでした。
 本当なら、骨が軋んで肉が裂けて、とてもマキの身体には耐えられないだろう、大きな負担です。
 けれど。マキは苦しみや痛み、そんなものをいっさい感じてはいませんでした。
「っふ、ぁぅぁああああ!? ぅ、あ、あ、ぁぁあっ!!?」
(っ、う、産まれる、産まれぅ、赤ちゃん、産まれるよおっ……♪)
 ぼんやりとした意識の向こうで、マキの女の子の心が、はじめての『ママ』になる悦びにうち震えています。
 大好きなひとと愛を交わし、生命を繋ぎ、新しい命をはぐくみ産み落とす――それは、どんな女の子にも備わった、いちばん大切な想いなのです。そんな愛でいっぱいのマキには、痛みなんて届くわけがありません。
 ぬいぐるみの『シロー』の見ている前で、破水と共にマキのおなかの中の赤ちゃんの動きはますます激しいものになっていきました。
 元気いっぱいの赤ちゃんは小さな身体を精一杯踏ん張って、おなかの中を進んでゆきます。
 ときおり、ぎくんと緊張して、マキの下半身が強張ります。大きく内側から盛り上がって押し上げられた脚の付け根の部分からはじゅるじゅると、半透明の粘液が溢れ、滲んだ血がかすかにピンク色をした雫をシーツの上に飛び散らせます。
 その間から、ゆっくりと――赤ちゃんのいるゆりかごの出口が見えてきます。
 そのゆりかごの出口、くぱり、と開いたやわらかいひだひだの奥から、細くて狭いマキの孔の中を押し広げ、破れたぬるぬるの膜に包まれて、熱く大きな塊がぐうっとせりだしてきました。
 ちりちりとおヘソの裏側を擦るようにして、ぐりぐりと身体をねじり、確かに息づく生命が、ゆっくりとマキのおなかの奥から外に出て行こうとしています。
「ぁああああっ、あくぅっ!!」
 だいすきなシローのおちんちんを精一杯受け止めて、言葉にできないほどの快感をもたらし、余すところなくあかちゃんの素のを絞り取るための、えっちでいやらしい『おんなのこ』の器官は、いまやもう一つの大切な役割である、尊くて神聖な、生命誕生のためにその全力を注いでいました。
「ぁああうぅぁあっっ!!!?」
 またマキが声を上げると、丸い爪の生えた毛むくじゃらの前脚が、ぢゅぷり、と音を立ててマキの柔らかな孔から飛び出します。
 小さな小さな前脚は、びく、びくともがくように暴れ、マキのおなかの中からがら這い出そうとします。
「ふぅっっ、はあっ、んううぅぅぅっ……!! んくぅっ……」
 ぜいぜいと息を荒げ、『シロー』の首筋に歯を立て、噛み付きながら、マキはけんめいに赤ちゃんを産み落とすために下腹部に力を込め、ありったけのちからでいきみます。
 おなかの中の赤ちゃんも、狭い出口をくぐりぬけようと、必死になってもがいていました。マキのおなかの内側を激しく蹴り上げ、子宮の中にぐうっと脚を踏ん張ります。小さな小さな身体をせいいっぱいのたうたせて、細く柔らかなひだひだが重なり合う道を通り抜け、ママのおなかの外へと這い出そうとしているのでした。
「ぅあ、ぐ、ぅ、あああぅ、あ、あああっ!!」
 けれど何もかもはじめてのことばかり。初心者ママのマキはしゃにむにおなかに力を入れ、首を振りたてて呻きます。本当なら痛いとか苦しいとか、そんな気持ちのはずなのに、赤ちゃんの産みかたを勉強して読んだ本にはそう書いてあったのに、マキの頬にはなぜだか、後から後から涙が溢れて、ぼんやりと視界が歪んでゆくのでした。
 新しい生命が誕生するということは、とても素敵で、すばらしいものなのだということを、マキは知りました。
 おなかの中の赤ちゃんも、マキと一緒に、ひたすらに、懸命に頑張っているのです。その様子が、とくんとくんと高まる赤ちゃんの鼓動とともに伝わってきて、マキを励まします。
 なによりも愛しく大切に思うパートナーの赤ちゃんを、誰よりも好きなひとの生命を受け止めて、それを次の世代に繋いでゆく。
 それは、女の子として、生涯最大の歓びなのです。
「ぁああうぅ、くぅあ、ふわぁああああああああぅう!!!!」
 いちど、おなかの外に姿を見せてから、いったん奥に引っ込んで、また外へ。それを繰り返しながら、少しずつ、すこしずつ。赤ちゃんの顔が外に出てきます。それを見る余裕もないまま、マキはなんどもなんどもシローの名前を、赤ちゃんのことを呼びました。
(ぁ、赤ちゃん産んでるっ……あたし、シローの赤ちゃんっ……!! シローの赤ちゃんの、ママになるんだよ……っ!! シローっ、しろぉ、見て、見ててぇ……っ!!)
 しなやかな身体を弓のように仰け反らせて、マキはきつくきつく抱きしめたふかふかの『シロー』の毛皮に顔を埋め、息を止めておなかに力を入れます。

 ぶちゅっ、くちゅっ、ぢゅぶっ。

 全身を使ってのはげしいいきみにあわせて、ゆりかごがぎゅうっと押し潰され、狭く細い、子宮の出口が思い切りこじ開けられます。
 まるで、身体をまっすぐに貫くほどの、圧倒的な衝撃でした。
 マキの身体を端から端まで突き抜ける、灼熱の鼓動。あそこのすぐ真上のまで達していた下腹部の膨らみが、ゆっくりと、マキの大きく広げられた脚の付け根の、さらに先端のほうへと動いてゆきます。
「か、あぁ、は……っ!?」
 頭が真っ白に塗りつぶされて、息が止まります。全速回転で跳ね続ける心臓まで、一緒に止まってしまったかのようでした。
 音も聞こえず、何も見えない真っ白な世界の中で、マキは一心に念じていました。

(こわがらなくていいよ。……うまれて、きて……っ。
 ママが、ちゃんと、うんであげるから…っ)

 まるで、溶岩の塊が、おなかの奥からせり上がってくるかのよう。
 長い長い時間を掛けて少しずつ柔らかくなったマキのあそこは、ひっくり返るように大きくめくれ上がり、反り返ってゆきます。
 同時にぐちゅり、と大量の粘液がベッドの上に溢れました。
 たったいままでマキのおなかの中にあった生命のスープが、ぱちゃりと広がるその上で、マキの可愛らしいおしりの孔はいきみに従ってきゅうっとすぼまり、そのすぐ上では生きよう、産まれようともがく小さな生命が、さかんに小さな前脚をばたつかせています。
 ぱくりと反り返って拡がった、あそこの出口。そのさらに奥に覗いたまぁるい子宮口を押し広げ、びくびくと裏返らせながら、粘液にぬめる毛むくじゃらの身体が、ぞりゅるるるっと滑り出してきます。
 妊娠4ヶ月という期間を経て、マキのおなかの中で大きく育った赤ちゃんの身体は、こんどこそ奥に引っ込むことはなく、マキの内腿の付け根の間から、しっかりと顔を覗かせました。
「ふ、……ぁ……は……っ!!!」
 まるで身体の中身の、内臓そのものがごぼっと形を保ったままで外に引きずられてゆくような感触でした。
 とほうもなく熱くて大きな塊が、おんなのこの中心を引き裂いていくかのようです。
 それは同時に、4ヶ月にも渡っておなかの中で共に時間を過ごしてきた赤ちゃんが、とうとうママの身体と離れて、ひとつの生命として生きることを決断する瞬間でもありました。
 どれだけ言葉を尽くしても語りきれようはずもない、溢れんばかりの歓びは、マキの全身を穏やかに、激しく、とめどなく包み込んでゆきます。
「あ、あ……っ♪、あ、あぅ……」
 ぞるっ、ずるっ、ずるるぅっ、と。
 粘液にまみれた肩を引き出すように、赤ちゃんがもがきます。もう、赤ちゃんを遮るものはありません。元気な赤ちゃんは、力強くも何度もぴくぴくと動きながら、マキのおなかの中から這い出してゆきました。
 熱く小さな塊がぢゅぽんっ、と身体の奥から引き抜かれたかと思うと、ばちゃり、後に残った後ろ足を羊水の水溜りに投げ出して、毛皮に包まれた仔犬が、マキの大きく広げた脚の間に産まれ落ちました。
「ぁは………♪」
 まだ、とてもちいちゃな赤ちゃん。たった今までおなかの中にいたとは思えないほど、元気いっぱいに暴れる新しい生命が、ばちゃばちゃと四肢を振り回します。
 まだ目も開いていない、幼く小さな生命。けれど、そんな小さな身体で、いっしょうけんめい狭く苦しい出口を潜り抜けて、赤ちゃんはこの外の世界に産まれてきてくれたのです。
「あ、は……っ」
 大きな大きな世界に生れ落ちた赤ちゃんは、全身でその悦びを訴えていました。
「っ、……っ!!」
 なにもかもがはじめての歓びに、マキはどうしようもないほどの感動を覚えていました。知らずに肩が、背中が打ち震えました。
 それを言葉にするすべをもたない、小さな少女は、ママになることができた嬉しさに、ただただぽろぽろと涙をこぼし、泣き続けるばかりです。
 とうとうマキは、本当の意味での『ママ』になったのです。
 それは、シローの赤ちゃんを産んで、本当の意味で、大好きな大好きなシローのお嫁さんになったことも意味していました。

 ――だってほら! 見てください!!

 産まれたばかりの赤ちゃんは、シローの小さかった頃に瓜二つ。まだ全身がぬるぬるに包まれていましたが、ふかふかの毛皮とつぶらな瞳を持つ、愛くるしい仔犬です。
 けれど、その毛皮の色は、マキの髪にそっくりな、つやつやした深い深い黒でした。
「あは……」
 羊水代わりの粘液の上で、いっしょうけんめい脚を踏ん張らせて、立ち上がろうともがく仔犬の赤ちゃん。その小さなおなかからは、細くねじくれたヘソの緒が伸び、いまもまだマキのおなかの奥にしっかりと繋がっていました。
 この赤ちゃんがマキと確かに血を繋げ、血肉を分け合ったことはもはや疑いようもない事実です。
 愛し合うふたりの血を、遺伝子を、間違いなく受け継いだ二人の赤ちゃんが、広げられたマキの脚の間で力強く身体を振り立てます。まるで泳ぐように、けれど少しずつ大きく。丸めていたみじかな脚で、ぬめる粘液のなかを暴れ回ります。
 その一挙一動が、マキのこころに歓びを湧き上がらせてくれました。
「あはっ……♪ ぅ、産まれたぁ…っ…!! シローと、あたしのっ、赤ちゃん、……産まれたよぉっ……!!」
 あとからあとから溢れ出す涙をぬぐうこともせず、マキはそう叫んでいました。シローとのお別れでも、こんなに泣いたことはありません。なにより、寂しさや悲しさの涙ではないのです。
 嬉しくて、嬉しくて、嬉しすぎて、泣いてしまうのです。
「ほらっ、見て? 赤ちゃん、シローにそっくりだよっ……♪」
 傍らのぬいぐるみ、『シロー』を通じて、ここにはいないパパに呼びかけるように、マキはそう語りかけます。
 マキには伝わってくるのです。産まれたばかりの赤ちゃんと、まだ繋がったヘソの緒を伝わって、言葉にできないほどの歓びが。

『ママ、ありがとう。産んでくれてありがとう』

 生命の誕生にともなう、人生最高の歓び。
 おんなのこの一生でもっとも大きな仕事を果たし、とうとうママになった幼いマキの胸を、深く深く満たしていました。
 大仕事を終えたばかりのけだるい身体で、マキは身体を起こし、赤ちゃんをそっと抱え上げました。
「がんばったねっ……がんばったね…っ」
 赤ちゃんの鼻先を覆っている羊膜を舐め取って、少しでも楽に息ができるように――両手や顔がぬるぬるになってしまうにも構わず、マキはそっと大切に、赤ちゃんを抱きしめます。
 赤ちゃんも大好きなママにほお擦りして、小さな鼻先をふんふんと鳴らして答えました。
 まだ声は出ないようですが――きっとパパと同じように、一生懸命元気にママに悦びを伝えようとしているのです。
「っ……」
 また、溢れそうになった涙に声が塞き止められます。
 マキは胸が一杯になって、なんどもなんども、手の中の小さな生命に頬をすり寄せ、そっとそっと、優しく撫でてあげるのでした。
 けれど――

「っ!?」

 それで、マキの大仕事がぜんぶ終わった訳ではなかったのです。
 びくん、とおなかの中で再度、熱く小さななにかが蠢く感覚に、マキは思わず声を途切れさせます。
 再び、体の奥でちりちりとした熱が燃え上がります。腰骨の奥にまで響いた激しい疼きに、背筋を仰け反らせたマキの――まだ、膨らんだままのおなかの下。
 たったいま新たな生命を産み落としたばかりの赤ちゃんの出口が、くちゅりと裏返り、そこから大量の粘液がごぽりと溢れ落ちてゆきます。
 それは、疑いようもない胎胞の破裂。
 ついさっき、マキがベッドの上で経験した、人間の正しい出産で言うならば破水にあたる現象です。
 つまり、二度目の破水――
「ふわぁあ……ぁは……♪」
 マキは、ようやくそのことに思い当たり、満面の笑顔を浮かべます。
 そうです。マキがその小さなおなかに宿していた生命は、一匹だけではなかったのです。
 初産、という大仕事を経て、ママになったばかりのマキには、いまや驚くくらい敏感になったおなかの中のゆりかごの中の様子がはっきりと感じ取れました。
 1、2、3、4……。まだまだたくさんの、兄弟たちが、次々とマキのまあるく膨らんだままのおなかの中で、次はボク達の番だよ、はやく産んでよ、と、『ママ』に口々にせがんでいるのです。
「そう、だよね……っ」
 イヌの赤ちゃんは、いちどにたくさん、たくさん産まれて来ます。
 なんどもなんども、焼けるほどに熱く、濃く、絶え間なく注ぎ込まれたシローの愛に、マキの幼い身体も一生懸命になって答えようとしていたのでした。
 重ねて分泌され、排卵されたたくさんのおんなのこのタマゴ。マキとそっくりに優しくて献身的なタマゴは、やんちゃで元気なシローの溢れんばかりの赤ちゃんのもとをありったけの優しさで受け止め、限りない愛情の塊となって少女のおなかを大きく膨らませていたのです。
「ぁああ……だめ……っ」
 ぶるぶると背中を震わせ、マキは忘我の中でつぶやきます。とてもではありませんが、こんなの、絶対に耐えられそうにないのです。
「死んじゃう……死んじゃう、よぉっ……シローっ……」
 心の底から、マキはそう思いました。
 大事な大事な、大切な、可愛い可愛い赤ちゃん。そのたった一人を産み落とすだけで、こんなにも胸がいっぱいになって、幸せで、満ち足りてしまうというのに。今日はこれから、あと何回これを繰り返せばいいというのでしょうか。
「あは……っ」
 本当に、本当に、本当の本当に。うれしくて、うれしくて、うれしすぎて死んでしまうかもしれない――そんなふうに感じることがあることを、マキははじめて知りました。
「シローっ……♪」
 マキはぎゅっと、『シロー』を握る手に力を篭めます。
 全身を包んでいた疲労も、いつしかどこかに吹き飛んでしまっていました。
「シローの赤ちゃん……あたしの赤ちゃん……みんな、元気に、産むから……ぅ、く、ぅあああっあああ!?」
 うわ言のようにつぶやいて、マキは新しくおなかの中で動き出した生命の誕生のため、ぐっと息を飲みます。
 マキの、ママとしての一番最初の大仕事は――まだまだ終わりそうにありません。


 (了)

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