あねさと / LeBlanc 2023/06/09 10:52

AI について、私見

◎最初に

ちょっとタイミングを失した感がありますが、いま巷で話題のAI −−−−−−−−AIによる画像、音楽、文筆作品等の生成について、私見を述べていきたい−−−−−−−と思い、色々と調べ、テキストを書いてみたのですが、述べたいことが多すぎて冗長になり、うまくまとめることが叶いませんでした(大恥)。

この件については内閣府からもドキュメントが公表されていますし、経済界や法曹界からも意見が表されてますので、興味のある方は参照してみてください。
(私がまとめるより、Googleで検索するほうが早いです;爆)


とはいえそれで終わるのも何なので、重要なトピックを箇条書きにして並べてみました。



◎AIとは〜その定義と特徴

★artificial intelligence の略で、「コンピュータという道具を用いて“知能”を研究する計算機科学の一分野 を指す語、である。
★“人工知能”とも言われる。
★通常のプログラムは予め記述された条件のもとでしか演算できないが、AIは所々の条件とその結果を学習し、以降の演算に反映させることができる“学習できる”プログラムである。
★学習が深まる事により、より最適な解を提示できるようになる。



◎AIの利用とその拡大

★ゲーム等で使われたケースがある。
★チェスや将棋等でもその真価を発揮している。
★自動車用オートマチック・トランスミッションの変速プログラム等でも使われている。
★日本語変換インプットメソッドも広義のAIと言える。
★現在は文書/画像生成、音声による読み上げなど、幅広い利用が進んでいる。



◎AIの問題点

○学習に関する問題点

★学習に他人の著作物を許諾なく利用する可能性がある。
★多くのクリエイター、そしてエンターテイナーから、AIの学習に自身の作品を利用されることに拒否反応を示している。
★経済界の一部からは、上記クリエイター及びエンターテイナーに権利を譲渡する要請しているケースがある。
★我が国においては、内閣府からはAIの利用(学習及び生成にまつわる著作権の扱いについて)ガイドラインを公表している。
★それによるとAIの学習について、“著作物に表現された思想または感情の享受を目的としない利用行為”については原則許諾なく利用可能だが、“必要と認められる限度”を超える場合や“著作権者の利益を不当に害することとなる場合”は対象とならない。
★法曹界の一部からは“著作権侵害の可能性”だけで制限をかけることは問題ではないかとの意見もある。
★フェイク情報を学習してしまう可能性もある。



○生成物に関する問題点

★AIによる生成物の著作者は誰に?
★内閣府のドキュメントによると

・AIが自律的に生成した生成物については、知的財産権の権利対象とはならない。
・人間がAIに指示を出して生成された生成物についても権利は発生しない。
・但し、人間がAIを道具として創作物を生成した場合(創作的意図及び創作的寄与がある場合)は、権利が発生する。


◎AI普及による社会的影響

★著作権や肖像権の侵害、フェイク情報が氾濫する可能性が指摘されている。
★無邪気にその発展を喜んでいていいのか?
★すでにAI学習/生成用に、権利を譲渡させる動きが出始めている。
★人間性の否定につながる恐れはないのか?
★経済的利益のために人間性が脅かされていいのか?
★“我々が目指すべき社会”を考えた技術開発をいま一度考える必要があるのではないか?



◎私見

色々箇条書きにして書き連ねてきましたが、いかがだったでしょうか。

AIそのものについては、使い方を間違えなければ非常に有用であることは間違いないと思います。特にアニメの現場など、純粋にマンパワーで動かしているような職域であれば、AIの恩恵は大きいのではないかと思います。

また技術的な見地から言っても、これがどのように発展していくのか、そしてそれが“人間の思考プロセス”に解明につながるのかという点でも興味深いことでしょう。

とはいえ私個人としては、AIは使わないと思います。リアルな絵が必要とするような画風でもないし、その気になれば自分で写真撮って加工もできるし、何より“自分で描く”楽しみがなくなってしまうのはイヤですから。

そしてAIがもたらす社会的影響を考えれば、安易に利用するべきではないなとも思います。Ci-enやPixiv等でAI生成物の掲載を認めない動きが広がっていますが、数々の問題点がクリアになっていない現況ではやむを得ないのではないかと思います。

ですがこれに対して“AIをどんどん利用しよう”、“AI使って何が悪い”といった意見も散見されます。

しかしAIを利用することによる影響について少しでも考えたことがあるのか、その無邪気さには首をひねるというのが正直な意見です。

しかもAIに利用に関して肯定的な意見の多くがIT関連の技術者や経済界の人間で、技術が持つ危険性や社会的影響、そして人間性について一顧だにしない人が少なくない界隈の人たちでもあるところが大きく気になります。

AIといえども所詮はプログラムであり、そこに感情はなく、価値観や倫理感といったものはありません。

人間の幸福といった数値化出来ない事象には解を提示することは出来ないのです。



◎最後に

今回のテキストを作成するにあたって、駄文を連ねるよりも、トピックを箇条書きにして、あとは内閣府の文書なり、識者の解説に委ねたほうがわかりやすいと判断し、最終的にこのような形にまとめたのですが、その際に思い出した二つのエピソードを最後に紹介したいと思います。



一つは我が師と崇める漫画家:藤子・F・不二雄(藤本弘)先生の代表作「ドラえもん」。そのエピソードの中からてんとう虫コミックス第17巻に収められた「週刊のび太」という作品。

そこには“まんが製造箱”なる ひみつ道具が登場し、これに手塚治虫先生の漫画を入れてその画風を分析し、手塚先生の技量を身に着けるというシーンが有りました。その後のび太が手塚先生になったまんが製造箱に漫画をオーダーし、「スペース シンドバッド」という作品が生成されるのでした。

まるで現在の状況を予言したかのようなシーンですが、藤本先生がご存命であったなら、現況をどうお考えになるか、 ちょっと興味が湧きますね。



もう一つは、少し古い話になりますが−−−−−−、佐村河内守氏を覚えていらっしゃいますか?

耳が聞こえない作曲家−−−−−−現代のベートーヴェンとして話題になった方でしたが、実は多くの曲を新垣隆氏が作曲していたという騒動がありましたね。

この佐村河内氏は(全聾ではないが難聴ではあったらしい)作曲はしなかったものの、新垣氏に曲の構想は伝えていたということで、共作に近いところもあったようですが、実務はほぼ新垣氏が行っていたわけで、正しくは佐村河内氏はプロデューサーであり、作曲したのは新垣氏だったという話でしたね。

巷に“AI作家”と称している人物がいると聞いた時、“それって、佐村河内氏と変わらないのでは?”と感じたのでした。

要するに、佐村河内氏と新垣氏の関係がそのまま“AI作家とAI”に変わっただけだと−−−−−−−−。


“AI作家”はクリエイターなのでしょうか?


皆さんはどう思いますか?

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