あねさと / LeBlanc 2023/07/08 08:05

AIで感じた徒然

あねさと です。

先日 AIに関する私見を記事として掲載しましたが、今記事では当該記事を書くにあたって調べたこと、感じたこと、参考にしたトピック、書こうと思いつつ最終的に割愛したこと、etc……を、徒然と書き連ねていきたいと思います。


★哲学的ゾンビ

“AI”に関して考察する際に真っ先に浮かんだ言葉がこれでした。

哲学的ゾンビ”はあくまでも(心の)哲学における思考実験上の存在でしかないのですが、AIが高度な発達を遂げれば、それは哲学的ゾンビ的な存在になりうるのではないかと感じたのでした。

しかし、それならば創作物に見られるような“人工知能(超高度なAI)”と人間を隔てる差は何なのか? それは“心”の有無だけなのか? そもそも“心”とは何なのか? “心(の源)”もプログラム(の集合体)ではないのか? (倫理的な問題を度外視すれば)それを人工的につくり出すことも出来るのではないか?


−−−−−みたいな問答も生じてくるだろうな……。


というか調べてみると、実際にプログラミング的な視点で“心”を研究する動きがあったりで、この分野は想像以上に進んでいるようでした。


これらの事項は“心の哲学”とか“意識のハード・プロブレム”と呼ばれ、哲学のみならず、脳科学、そしてAI研究におけるホットなトピックスで、ご興味を持たれた方は調べてみると面白いですよ。


個人的には入門書として。ちょっと古い本ですが「哲学的な何か あと科学とか(飲茶 著)」をお薦めします。もともとは同名のサイトに掲載された記事だったのですが、書籍化された際に読みやすく内容が整理されました。(それと引き換えに、サイト内の記事が一部割愛されました)。





★人間機械論

先のトピックスとも関連しているのですが、要するに人間も“高度な機械”にすぎない、という考え方で、これは結構古くからある考え方でもあります。特に自然科学の研究とその成果が大きく花開いた19世紀には、この考え方がマルクス主義等の社会科学にも影響を及ぼすこともありました。(唯物史観てやつですね)。

また別の言葉では“物理主義”といって、先の“心”等も、脳という一種のコンピューターに組み込まれたプログラムによる現象であると解釈し、人間の行動や心理についても全て物理法則から導かれる物理的現象であり、物理学に還元できる(物理学で説明できる)という考え方ですね。


この考え方は結構根深いというか、自然科学の発展に大いに関わっていまして、そもそも自然科学は“神”とか“霊魂”のような超自然的現象を排した形で自然現象を説明しようとしてきた歴史があるわけですね。

そしてそこで用いられたものが“数学”−−−−−−−というか、多くの自然現象には規則性があり、数式を用いて説明可能であったがゆえ、数理モデルを採用してきたわけです。


だがしかし、生命現象のその全てを、物理法則だけで全て説明できうるものなのでしょうか?−−−−−−−−多くの科学者はそう考えているようですが、果たして……??



ちなみにこの人間機械論、そして唯物論−−−−−−厳密には“物理主義”と“唯物論”は同一ではないのですが、これらが共産主義の残虐な側面の背景になっていることもあって、個人的には嫌悪感が拭えなかったりします。





★機械の中の幽霊

先の“人間機械論”−−−−−−−−人間(を始めとした生物全般)を精巧な“機械”に見立てて、その全てを工学的、物理学的観点から説明していく考え方を目にした時、思い出したのがこの言葉でした。

機械の中の幽霊”という言葉は、もともとは英国の哲学者:ギルバート・ライルが“心身二元論”を批判する際に使用した言葉なのですが、1967年にユダヤ系ハンガリー人で英国の作家でもあるアーサー・ケストラーの著書名としてよく知られていて、英国のロックバンド:ポリスの4枚目のアルバムのタイトル(Ghost in the Machine)にもなったり、士郎正宗先生の代表作「攻殻機動隊」の英語タイトル(GHOST IN THE SHELL)の由来元とも言われたことがありますね。(ケストラーではなく、ライルの言葉からの引用が正しいようですが)。


ケストラーの「機械の中の幽霊」は、彼の後半生における著書の代表作でもあるのですが、ライルの言葉を引用しながら、心のみならず物理現象の“還元主義”的アプローチへの批判を展開した著書としても知られています。

この“還元主義”というのは、自然科学の解釈説明における支配的考え方の一つで、要するに複雑な現象も、基本となる理論(の組み合わせで)説明可能(基本となる理論に“還元”して説明できる)という考え方なのですが、先述した“人間機械論”も、人間を“還元主義”的に説明しようとしたものと言えるのですね。

ですが、ケストラーはこのような“単純な理論/モデルに還元して説明する”ことに警鐘を鳴らしたわけです。


残念ながら「機械の中の幽霊」は現在絶版となっているようですが、(私も持っていない……残念!)、ケストラーの著書は他にも刊行されていますので、お目に語った際にはぜひご一読されることをお薦めします。

ただケストラーが展開した理論の中には、今となっては問題と言えるような箇所も散見されますし、70年代〜90年代初頭にかけてブームを巻き起こした“ニュー・サイエンス”のバックボーンとなっているところもあるので、留意は必要です。


それとは別にケストラーは政治小説家としての顔も持っていて、彼が著した「真昼の暗黒」は20世紀における名著の一つとも言われている作品。じつはこの原典版(ドイツ語原稿)が近年発見され、このテキストからの翻訳が「日蝕」というタイトルで刊行されたそうです。う〜ん、欲しいな……。


※完全に余談ですが、ケストラーの本は「ホロン革命(原題:Janus)」と「神は躓く(The God That Failed)」の二冊を所有しています。





★生物と無生物のあいだ

昨今の高度化したAIの登場は、それが人類に対して有益なのか、それとも驚異となるのか、議論が尽きないわけですが、直近の社会的影響はともかく、遠い未来の話としての、人類滅亡に至る“驚異”となるかについては、AIが高度に賢くなるのであれば、それはないだろうなと思っています。(但し、それが人類の幸福につながっているかと言うと、それは違うと思うのですが)。

というのも、現状の“機械”というのは、エネルギーやら資源をバカ喰いする存在なのですね。


機械を動かすためのエネルギーを生み出し、供給するには巨大なプラント、そして大掛かりなロジスティクスが必要となりますし、機械そのものをつくるのにも大きな工場が必要です。(もちろんそこにも多大なエネルギーを必要とします)。

機械の保守点検を機械で“自己完結”するシステムはありませんし、今後それが生まれても、自己生産まで行くかどうか−−−−−−−間違いなく言えるのは、エネルギーの調達は厳しいということです。

といいますか、機械で自己完結しなくても、人間を奴○労働させれば事足りるので(苦笑)、AIが高度に賢ければ、人間絶滅させることなく温存し、自分たちの都合のいいように飼い慣らし、働かせるのが一番でしょう。


機械というのは生物に比べて圧倒的にコストがかかるのです。


といいますか、生物の最大の特徴が“ハードウエアに関するコストパフォーマスンスに優れる”ところだったりします。


実を言うと、多くの生物を構成している蛋白質というのは非常に壊れやすい高分子化合物で、放っておけばすぐに分解してしまうような不安定な物質だったりします。


それなのに何故私達は100年近くも生き続けられるのでしょうか−−−−−?


それは生物が、自分を構成する物質を(分解する前に)壊し、一方で外部から(栄養として)吸収した物質で新たに自身をつくる−−−−−そのプロセスを寿命が訪れるまで延々と続けるからです。


これが無生物との大きな違いであり、まさにこれが“生きている”こととも言えます。


言い換えると、自己の存在のために延々と自転車操業しているのが“生物”というものだと。


その生物は黙ってれば死んでしまいますから、生きるために活動しなければなりません。植物ならば葉を開いて太陽光線を浴び、栄養素をつくっていくことでしょう。動物は捕食活動をし、栄養を摂取しなければなりませんね。


とにかく“いまを生きる”こと、死ぬことを回避することが最重要となります。


一方で多くの生物種には寿命が定められており、否が応でも死を迎えることになります。死は不可逆で、死んでしまえば二度と生き返ることはありません。ですから自身の分身を残すことで種としての永続を図るようになります。それが単なる細胞分裂から他者の遺伝子を組み合わせ、シャッフルする“生殖”に変化しても、目指すところは同じです。


いまを生き”、“子孫を残す”−−−−−−−これが生物の絶対命題になります。


そうすると“いまを生きる”ために危険を回避し、エネルギー源を確保し、生殖相手を探し、子孫を残すための行動を最適化させるために、情報処理が必要となってくるでしょう。少なくても“危険には近づかない”、“これは食べられる”、“パートナーとなる相手へのアプローチ”、etc……。などなど、生きること、子孫を残すことのために必要な“感情”が生じてくるでしょう。


これらは機械から生み出されるでしょうか−−−−−−?


そんなことを夢想すると、生物と機械の間にはまだまだ大きな隔たりがあるように思います。



福岡伸一先生が著した「生物と無生物のあいだ」(講談社現代新書)という本は、分子生物学の観点から“生命”について洞察した本であり、先生の人柄が反映されたかのような文体で語る生命の神秘に息を呑む。ぜひご一読を。



……とまあ、AIから生物まで随分と飛躍したものですが(笑)、AIに関しては危機を覚えつつも、生物と無生物のあいだにある大きな隔たりを前にしては、どんなに高度なプログラム手法を駆使しても、“知性”は獲得できても“心”を獲得することは難しいだろうという気がします。


そしてその“心”こそが創造の源であると言うことを思えば、“創作活動”は人間による人間のための人間の活動であり、AIに担わせるべきものではない−−−−−−−と、ちょっとカッコよく締めてみました。

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