アイスクリーム帝国さんをフォローして、最新情報をチェックしよう!
フォローするにはユーザー登録が必要です。
アイスクリーム帝国 2022/12/28 12:00
アイスクリーム帝国 2022/12/15 20:30
『In the Rooms, in the Yellow』(全年齢向けコズミックホラー風小説)
足を踏み外した。
どこの階段だったかは、覚えていない。組み立て中のパズルのように――否、叩き壊したパズルのように、記憶が所々抜け落ちている。
……私は、見た事のない部屋にいた。
階段から落ちたはずなのに、その階段は周囲には見当たらない。ならば私は、いずこより落ちて来たというのか。
壁も天井も黄色い、奇妙な部屋だった。家具が何一つなく、それがよりいっそう奇怪な印象を際立てている。
……部屋のドアは、僅かに開いていた。
ここで立ち止まっていても仕方ない。私はドアを改めて開き、黄色い廊下に出る。
ドアのデザイン自体には、不可思議なものはなかった。一般的なドアと言っていい。
ならばこの場所は、人が作った建築物であるはずだ。誰かいないか、私は廊下の向こうに呼び掛けてみる。
返事はない。それどころか、何の物音もない。
私は、廊下を歩き出した。黄色い壁と天井が薄暗い照明に照らされており、何とも言えない不安感を湧き起こらせる。
……私は、察しの悪い方ではない。
ここが、かの『黄色い部屋々々』に似ている事には気が付いていた。無数に連なった黄色の部屋、そこに迷い込むという都市伝説――
だが、そんな事が有り得るのだろうか? あの都市伝説は、単なる創作であるはずでは?
ああ、しかし……創作である事と、非現実である事はイコールではない。
人間の想像力には、無意識の源泉がある場合も多い。それは創作者の過去の体験であったり、あるいはもっと根源的な、人間という種に刻まれたものであったりするのだろう。
私の友人だった画家も、そうだった。彼の怪物画は、純粋に想像力の産物であったが……同時に、一部の研究者にのみ知られる、古代の秘教の神々に酷似していたのである。
何故彼の無意識に、古代の神々の姿が刻まれていたのか、私は知らない。最早、知る方法もない。
……彼は本当に、自殺だったのだろうか? 最期に描き上げようとしていた、そして完成前に灰となってしまった、あの恐るべき黄色の絵は――
いや、止めよう。眼前の状況について考えねば。
都市伝説においては、この『部屋々々』には怪物がうろついているのがお約束だ。しかし幸いにも、今のところそのような様子はない。
目に付いた、扉を開く。
……そこにはある意味、予想外の光景が広がっていた。
正直、先程と同じ、何もない部屋が広がっていると思っていた。しかしこの部屋には、本棚と机があったのである――書斎なのだろうか?
適当に一冊手に取り、中を覗いてみた。妙に崩れた、読み難い文字ではあったが、私の知っている言葉ではあるようだ。
ただ、この年号は? 何かの間違いか?
それに、こちらの挿絵……描かれているのは、明らかに人間だ。人間だと分かる。
だが、極端に肥大したこの頭部は? まるで、人間のグロテスクなパロディだ。
年号は……遥かな未来となっている。ならばこれは、人間のさらなる進化、脳の増量を想像して描いた図なのだろうか?
何故だ――
前述の友人の怪物画に、妙に似ている。
頭部の肥大は、確かに脳の増量、知能の発達を示すものだろう。しかしこの『人間』が浮かべている怪物的な表情は、その知性が邪悪な方向に傾いている事を表してはいまいか。
知の発達と引き換えに道徳を失った、言わば退廃的進化。それが、人間の未来であると?
いや、単なる想像図だ。真面目に考えても仕方がない。
私は、その本を放り出した。別の本を手に取り、開く。
そして――悲鳴を上げた。
中身は、先程の本と大差なかった。頭部が肥大化した、人類の姿が載っている。
しかしそれは絵ではなく、写真であったのだ。
数年前。
私の住む街で、ちょっとした事件があった。陰謀論者の団体が、街中で奇妙な冊子をばら撒いたのである。
冊子の内容は、荒唐無稽としか言い様がないものだった。未来人が、研究のために現代の人間を拉致し、未来に連れ去っているのだという。
この冊子は街の住民から嘲笑の的となり、私の反応も概ね同じであったが、かの友人だけは違う反応を見せたのを覚えている。
彼は震える指でページを捲り、青褪めた顔で内容を追っていた。そして読み終えた後、独り言のように呟いた。
未来人の都市は、黄色だけで作られている。何故なら、視覚の退化した未来人に取っては、黄色だけが唯一認識出来る色であるからだ――
言い終えた後、彼は冊子を処分した。そして二度と、それを話題にする事はなかったのである。
……その、しばらく後だ。
周辺住民どころか警察ですら恐ろしさに身を震わせた、あの奇怪な『自殺』が起こったのは。
まさか。
ここは、かの『黄色の都市』であると? 私は未来人に誘拐され、未来に連れて来られたのか?
そんなはずはない。
そんなはずはない、が――
ならばあの写真は、どう説明すればいいのか。そして、あの年号は?
未来人による誘拐という仮説が、莫大な現実感と共に圧し掛かる。時空の果てに放り出された恐怖と孤独感が、私を脅かす。
……いや、落ち着け。
仮に。仮にだ――
ここが本当に未来人の施設だったとしても、しかしそれが何だと言うのか。都市伝説上で語られていた、怪物の徘徊する異界と比べれば、よっぽどマシではないか。
加えて、退廃的な進化を遂げていると言っても、結局のところ相手は人間だ。本の文字からすると、言葉は大きくは変わっていない――ならば、交渉だって出来るはずである。
そうだ。
話し合いを行い、元の時代に帰して貰えば良い。邪悪な未来人が交渉に乗るかは未知数だが、可能性はゼロではない。
現代人の、退廃のない真の知性ならば、未来人を説き伏せる事も充分可能なはずだ。
その考えは、いくらかの落ち着きを私に取り戻させてくれた。改めて、黄色い廊下を進んで行く。
……余裕は、瞬時に砕かれた。
何故だ。
ここに、あるはずのない物がある。
廊下の先、正面に掛けられた一枚の絵。あれは、友人が自殺の寸前まで描いていた、黄色の絵――
疑問が、恐怖を上回る。私は絵に駆け寄った。
……ああ、しかし。
ある意味、拍子抜けの答えだった。それは絵ではなく、ただの窓だったのである。
私が絵だと思ったものは、窓から見える外の景色に過ぎなかった。薄暗い照明のせいで、見間違えてしまったのだろう。
……けれど。
私は、絶望した。
ここには、怪物なんていない。何もいない。
窓の外には、廃墟しか存在しなかった。退廃の果てに、黄色の都市は滅び去っていたのだ。
それは、つまり。
私の交渉相手、私を元の時代に戻せるであろう未来人もまた――滅び去った事を意味していた。