BLっぽい漢詩のご紹介②
前回の続きです。
「少年を詠ず」(呉均)で引用されていた"鄂君が越の人に応えたように"…の部分ですが、これは「越人歌」という古代の詩(歌)の引用になっています。
越人歌
(作者不明・周)
今夕何夕兮 搴洲中流
今日何日兮 得与王子同舟
蒙羞被好兮 不訾诟耻
心几烦而不绝兮 得知王子
山有木兮木有枝 心说君兮君不知
"今日はなんと素敵な晩だろう この大河を渡ることができる 今日はなんと素敵な日だろう 王子と同じ舟に乗ることができる あなたを想うことができるなら 人から何と言われようと構わない あなたという人を知って私の心はこんなにも揺れ動いている 山に木があり木に枝があるように 私の心にあなたがあることを あなたはご存知ないのでしょうね"
日本語訳が載った書籍が見つからなかったので、拙いですが自分で訳してます…。
この歌は、始皇帝が中華を統一した秦よりも前の時代と、かなり古い時代のものです。
本の解説を読むと「楚の王子、鄂君が初めて領地へ訪れたとき、鐘や太鼓の音と共に川を遊覧した。越の国の漕ぎ手が歌ったが王子はその歌の言葉が分からず、傍にいた人に頼み楚の言葉に翻訳してもらった。それがこの歌である」とあります。(注1)。
翻訳してもらった歌詞が、こんなにピュアな恋の歌(それも自分に向けられたもの)だったのですから、さぞびっくりしたでしょうね。歌詞の内容が気になったのも、もしかしたら越人の歌い方や態度が気になったからなのかもしれません。
尚、現存する最古の翻訳とも言われており、民俗学だけでなく言語学などの観点からも非常に価値のある歌のようです。
そして、NHK出版『NHKカルチャーラジオ 漢詩をよむ 愛 そのさまざまな形 人への愛』のp55では、"櫂をこぎながら越の歌をうたい、鄂君を感動させた。鄂君は喜んで刺繍入りのふとんを持ち上げ船頭にかぶせた。船頭は鄂君と結ばれたという。"と書かれています。お幸せに!
以上が概要になりますが、もう少しこの歌にまつわるエピソードと、文法的な細かいところを見ていきたいと思います。
この歌は前漢の劉向という人がまとめた故事・説話集「説苑」の「善説」編に登場するもので、その本の中では「襄成君という王が戴冠して自分の領地に赴いた時、荘信という高官が握手を求めた。大変無礼なことであるので襄成君は嫌がったが、荘信は"鄂君という人の話をご存知ないんですか?鄂君は大層聡明で寛大な心を持ち、身分の低い越人とも分け隔てない心で接し…"と話し始める。襄成君は驕っていたことを反省し、荘信と握手を交わしたのち、指導を賜りたいと願い出た」のように紹介されています。
劉向は「人の上に立つ者は、広い心を持ちなさい。他者をぞんざいに扱ってはならない」ということが言いたかったのだと思われます。まさかここでBLの出典として紹介されることになるとは想像していなかったことでしょう。
余談ですが襄成君という人も鄂君も美男子だったようです。本や解説サイトなどを見ていると、やたらと「美男子」「イケメン」といった文字が登場してきます。。
以下、詩の解説です。
非常に古い詩であることと、少ない字数であるため全てを正確に現代語訳することは難しく、中国でも何通りもの解釈があるようです。
その上、原文「越人歌」も、越の人の歌を楚の言葉に翻訳したものなので、この時点で既に意訳のような変換がされているかもしれません。
越語→楚語→古代中国語→現代語…と、何度目かの翻訳になってしまう以上、正確さを追い求めるよりも、肩の力を抜いて「こうだったら素敵だな」と鑑賞したほうが楽しめそうです。
「今夕何夕兮」…これは直訳で「今日はどんな夜」ですが、手元の本では"感嘆文"と注釈されているので、「今日はなんと素敵な夜だろう」と訳したいと思います。
「蒙羞被好兮 不訾诟耻」…ここが結構難しく、解釈の分かれるところのようですが「王子を想うことが出来るのなら、他人に叱責されても嘲笑されても構わない」といった手元の本の現代語訳が素敵だったので、これを採用したいと思います(注2)。
「心几烦而不绝兮 得知王子」…ここもかなり訳し方が分かれるようです。「今日舟に乗るのが王子様だと知って、とても恐縮しちゃってます」「今日舟に乗るのがあなた様だと分かって、胸がいっぱいで動揺してます」「あなたという人が王子様であられるので、緊張しています」…等等。個人的には初恋の衝撃といった感じで「あまりに素敵な王子様を見てしまって、心がざわついて堪りません」的なニュアンスが好きですね。
最後の「山有木兮木有枝 心说君兮君不知」は最も有名な一節のようです。「越人歌」は現代版として今日もカバーソングのように歌われているのですが、どうやらここがサビのようです。
また、詩には「兮」といういかにも漢文っぽい謎の字が多用されていますが、これは「楚辞」などの古い詩歌によく見られる置き字で、日本の民謡の「ナー」「ヤー」に近い、語調を整えるものです。
以上が文法的な解説になります。
尚、この歌は作者不明のため、漕ぎ手を女性だとする解釈や解説なども存在するのですが、当時の時代背景から漕ぎ手が女性というのは少し考え辛いのと、なにより前回ご紹介した「少年よ、刺繍で飾ったふとんを抱え、鄂君が越の人に応えたように、どうぞ泊まりに来ておくれ」…といった詩が存在することが、古来からBLの代表作と考えられていた証拠にもなりえそうです(中々風情のない詩ではありましたが…)。
しかし越人の性別が男だったのか女だったのかが重要なのではなく、「歌を通じて、民族、身分の差を越えて結ばれた」という大昔の詩歌が残っていることにこそ、価値があるのだと言えそうです。
劉向が「説苑」で言いたかったのは「君子たるもの、寛容であること…」ということだったのかもしれません。しかし本質や性別がどうであれ、「越人歌」が自由恋愛のエピソードとして大変魅力的であることは確かです。
(花の刺繡が入ったふとんは、以降同性愛の象徴となったようですが…)(注3)
(注1)引用元原文:「据刘向《说苑·善说》记载,楚王子鄂君子皙初至封地举行舟游,钟鼓齐鸣。摇舟的越人趁乐声刚停,便抱双桨用方言唱了一支歌。子皙听不懂,叫身边的人翻译成楚语,就是这首歌谣」『古詩一百首』(周啸天)商务印书馆国际有限公司 2021 p.12
(注2)引用元原文:「只要能与王子相好,我就不在乎别人的责骂耻笑」『人一生要读的古典诗词』(烟波)吉林文史出版社 p.8
(注3)引用元原文:「就是鄂君子皙锦绣的花被披在这个不知道是船家女还是小伙子的身上,“鄂君被”就成了同性爱的象征」『情诗簡史』(郦波) 学林出版社 p.45