休日、おつまみ用意してビール飲みながら執筆したりすることも多い最近の私ですが、おしっこ・おもらしネタを飲み食いしながら書くのはちょっとどうなのかな……と思いながら書いている今日この頃です(結局書いてるのかよ
せっかく皆様からいただいた熱い失禁ネタへのご支持に応えるべく頑張っております。いましばらくお待ちくださいませー。
さて。先週の近況記事で、芥川賞受賞作『東京都同情塔』の感想でも書こうかと申しておりましたが。
その後たまたま、「そういやちゃんと読んでなかったな」ということで、軽い気持ちで『ちいかわ』の単行本を買って読みましてね。まだ2巻までしか読んでないんだけど。
いやー、泡噴いて倒れそうになりましたわ。
というわけで今週の私は『ちいかわ』の話をしないと先に進めない男なのです。まぁまだ2巻までしか読んでない男の戯言ですが。
いやねー、ヤバいねこれ。今更だけど。
ゆるい日常の話と、妙にオッサンじみた食い物ネタと、そしてたまにデンジャラスなモンスターや謎の異能力に襲撃される展開とが混ぜこぜになって流れてくるこの感じ。
まぁやっぱり謎の異能力に晒されるサスペンスに心惹かれて読んでるんですけどw でもハチワレとちいかわの細やかな友情の描き方とか、たとえば新しいカメラ入手してワクワクするけど行動が道具に左右されて、でもそういうのも含めて楽しい、みたいな細やかな感情の描き方の深さがあるから、その日常を揺るがせてくる緊急事態の面白さも引き立ててる感じじゃないかなーと思いながら読んでました。日常のちょっとした「いいね」をピックアップして描くの上手いよなー。
私、基本的にね、どんなとんでもない傑作や、よく出来た圧倒されるような作品に出会っても、「へぇ、こんな作り方もあるんだ! すげぇ、俺も頑張ろう」って思って、あんまりそれで自分の創作意欲が減退することない、むしろすげぇ作品見た方が創作意欲湧くタイプの人間なんですけど。
そんな私でも、たまたま佐野洋子さんの『100万回生きたねこ』を読んだ時だけ、書けなくなったことがありまして。
こう、俺が小難しい言葉を何万文字も費やして、それでも描けないような感動とか意義を、こんな簡単な言葉で、こんな短い物語で、こんな見事に描けるんだったら、俺が四苦八苦して作品書く意味ある!?!? ってなって。マジでしばらく何にも書く気にならなかったんですよな。
この『ちいかわ』にも、同じ凄みを感じて、久しぶりにそんな昔のことを思い出したりしてました。
ボキャブラリー、語彙能力ってさ、いろんな本読んだり記事読んだりして、気になった単語は調べるクセさえついてれば、なんだかんだ増えていくのよ。増えた語彙で表現力を高めるってこともできるわけ。
けど、絵本に使われるような本当にやさしい、簡単な言葉で、いきなり本質をつかんだ表現をするっていうのは、これはそうできる事じゃないですよ。
絵本で使われるような言葉と表現の範囲内で、あんなシビアなバイオレンスの世界にギリギリまで踏み出していってる、そのスリルが独特の緊張感を生んでるんだよねぇ。
WEBでファンアート眺めてると、もっと露骨な表現によるIFとか描いてる人がけっこういるんだけど、逆に露骨なグロ表現まで行くほど、本家『ちいかわ』の表現に届かなくなるんだよな。
Xで「#ちい虐」タグまでざっと眺めたからね私w まあ一見ゆるいキャラをわざとグロい展開にあわせるって、海外ではハピツリとかあるし、日本でも大昔の2ちゃんにしぃ虐とかあったけどさ。でも安直にわかりやすいグロやっても、『ちいかわ』のキメラの「あは……あは……こんなになっちゃった」のインパクトに勝てないんですよな。
抑制されるから突き抜けられる、っていう、やっぱり創作表現って奥が深いのよ、そういう意味で。
杖エピソードの「心がふたつある~」もすごいよね。見知った友だちが怪物化していく、心まで異形に乗っ取られていくって、そういう鬱展開のマンガとかいっぱいあるし、セリフのパターンとかも色々あるけど、やっぱ『ちいかわ』の世界観で、中二病な言葉やショッキングな言葉を使わずに「心がふたつある」っていうシンプルな言葉で表現してくるのが、逆にゾッとする響きになってるの、上手いんだよなぁ。これはマネできませんね。
2巻の草むしり検定編で「ハチワレ、いいやつだなー」って感動してるのと、同時並行でWEB連載の最新回でハチワレでかつよ堕ち展開が同時にやってきて情緒をかき乱されたんですけどw あれもすごいよね。
急に強すぎる力を手に入れて闇堕ちするっていうのもセリフパターンはいくらでも考えられるし、むしろ普通に発想したらショッキングな残酷な言葉がいくらでも出てきてしまいそうなシーンで、だからこそ「簡単」とか「言わないよねぇ!」みたいなやさしい言葉で、それでいて的確な言葉選びをされた方がギョッとする。
パラレルワールドちいかわに刃を向けられたハチワレの回、そこでいろんな人たちが「このあと交わされる会話」を予想・妄想してるのを眺めてたけど、誰も「言わないよねぇ!」っていうあの反応を言い当てられてなくてさ。
いや、敵わんわ、と思いながら読んでます。めっちゃ勉強になる。
単行本で読んでて十分面白いんだけど、やっぱリアタイでX上で見て、みんなのリアクションを共有しながら読む方が盛り上がるタイプの作品ですね。もっと早く追っておけばよかった。
あと、とにかく展開が早いのもWEB連載に特化したスタイルですよな。
WEB最新エピソードのパラレルワールド編もさ、ハチワレが異聞帯切除(?)を決断してから親友に刃向けられるまで、普通なら2~3話かける展開を1ページに詰め込んでるのがまずおかしいんだけどw でも、あれを分割してやってたら、やっぱあれだけの読者に見られてたら先の展開予測されちゃうんですよな。ハチワレでかつよ化までで一回切ったら、翌日更新するまでにもう「これ異聞帯ちいかわと敵対しちゃうんじゃね?」って誰かに予測されちゃう。そしてSNS上では、誰か1人にでも先の展開予測されたらそれを広く共有されちゃう。そういう時代にWEBで連載する者のスピード感っていうのもあると思う。
とにかく、今という創作環境でトップランナーやってる作品の強さというのを、改めてまざまざ体験した一週間でした。
いろいろ参考になった。私は同じ作風には行かないけど、吸収できるものはありますからな。
そんな感じ。
とりあえず時間を見つけて続きも読もうと思います。
そして……そして! 以下、『東京都同情塔』の感想もお送りします(おい
だってこのタイミングで書かないと読了直後の感興を忘れそうだし。この近況記事は私の備忘録も兼ねてますのでな。
ご興味ない方はスルーしていただいてOKです。
では。
世間では「ChatGPTが使用された小説」っていうところで注目された芥川賞作品でしたが、うん、ぶっちゃけそんな表層的なところで騒いでいては全然本質に届かないと思った。
むしろ、私たち生身の人間が発する言葉が、生成AIのようになっていってしまう、そういう近未来を描いたディストピアSFでした。
いやもう、中盤あたりからひたすら怖かったね。ホラー小説かこれ? っていうくらい怖がりながら読んでました。
中盤、主人公たちが夜の新宿御苑に忍び込んで、建築家の女性が自身の建築物の意図を語る……その言葉が生成AIそのものになっていく、っていう展開読んだ時、マジで怖すぎて震えてたからな。ここ数年見たり読んだりした中で一番怖いシーンだったよ。
ChatGPTみたいな文章生成AIと会話したことのある人なら、誰しもがうっすら感じる薄気味悪さってあると思うんだよな。どんな質問にもソツなく答えてくる、当たり障りなく穏当な返答が絶対に返ってくる、そういう存在と対話している時の、何とも言えないたまらない感じ。
本作の作中で女建築家が、ふとAIに「おまえは文盲だ」という激しい言葉をぶつけるシーンがあるんだけど、あの感覚すっごい分かるんですよな。
私も、ChatGPTと会話しているうちに、その当たり障りのなさにだんだん苛立ってきて、「どうにかして、こいつの化けの皮を剥いでやるぜ」みたいな気分になって、わざと倫理的に返答が難しい質問をいくつもぶつけてAIを困らせようとしたことがあります。
でも考えてみれば、その当たり障りのない返答はAIが最初から備えている属性ではなくて、何でもかんでも言葉狩りされて炎上してしまう現代という時代にリリースするために後から付された属性なんですよね。そして、AIをそのようにチューンしなければならなくしたバイアスは、生身の私たち自身にも等しくかかっている。
だから、我々もいずれ生成AIみたいな言葉を話すようになるんです。
徹頭徹尾、言葉を巡る小説なんだよな。
犯罪者が「ホモ・ミゼラビリス」というけったいなカタカナ語で呼ばれるようになり、だれも排除しない素晴らしい社会に変わっていくという設定の近未来で。聞きなれないカタカナ語で溢れかえった中で、だんだん私たち自身が生身で感じた言葉を発する余地がなくなっていく。
でもさぁ、表層的な言葉の清濁だけを整えたってしょうがないと思うんだよね。人間ってそんなに単純じゃないじゃん?
毒蝮三太夫が「おいババア! 長生きしろよ!」ってあえて汚い言葉を使うのがかえって優しさが伝わって人気が出るみたいなことあるわけですよ……と書こうとして、若い人には通じないかも知れないなと反省するんだけどw
『原神』のティナリの伝説任務でさ、ティナリが「バカ、上だよ、上を見るんだ」ってプレイヤーに暴言を吐いてくるシーンがあるんだけどw でもゲーム配信とか見てると、このシーンでけっこうな人がむしろ嬉しそうなリアクションとるんだよね。それは、他人行儀でなくなってむしろティナリが心を開いてくれた、そういうニュアンスが乗ってるからでさ。
言葉がきれいだから優しい、言葉が汚いから人間性もダメなんてことはないと思うんだよね。そういう表層だけで語るのはおかしいと思ってて。
本作の最後の方で、本国でレイシスト(差別者)と非難されてるジャーナリストが出てきて、「ファッ〇!!」とか言いまくるんだけどw でも、なぜかそいつが出てくることで、読んでる私は奇妙な安心感を感じてたりしました。本作のもう一人の主人公、タクトくんもそれにちょっと感化されてたりするの可愛かった。
むしろそういう乱暴な言葉、悪口雑言の中にこそ「人間っぽさ」を感じて安心したのかも知れないな。
実は時代によって「人間らしさ」の意味は変わっている、っていう話もありましてね。
かつては、「理性、正確さ、理論的であること」が「人間らしさ」だったっていうんですよ。これは獣と対比して、人間には獣にはないモノがある、っていう形でそう思われていたって。ところが、コンピューターが登場することで「正確さ、理論的」な部分のお株が奪われてしまって、それ以降「人間らしさ」が「臨機応変、豊かな感情、思いやり」みたいな意味に変わっていったという。
でも、今後生成AIが普及していったら、人間とするような会話もコンピュータが出来るようになっていくよね、じゃあそういう時代の「人間らしさ」って何だろう? っていう話でね。
そこでXのタイムラインで誰かが「エロいことだ」って言ってたんだけどw 現状のChatGPTをはじめとする文章生成AIはエロはご法度なんで、エロトークをできることこそが人間の証明ということになるw
さらに言えば、暴言、汚い言葉もまた、人間しか話さないかも知れず。これからはむしろそういう「あえて砕けた、汚い言葉も交えて真情を語っていく」ことこそが「人間らしさ」になっていくかもね、などと思ったりしました。
私は本作に登場した、口の悪い自称レイシストのジャーナリスト、好きだなぁ。
私がエロ小説書きになったのも、本作が描いたようなディストピア近未来の到来に対するレジスタンスでもあるかも知れないね。
頑張りますよ、っと。
そんな感じでした。
やれやれ長くなっちゃった。書きたいこと多すぎるんだよね。
鳥山明先生に関してしんみりした話もしたいし、今ちょうど『君たちはどう生きるか』と『ゴジラ-1.0』のアカデミー賞受賞のニュースが入って来たんでそれについて語っても良いんだけど……まぁ、機会があったらまた。
ではでは。今週も張り切ってがんばりましょう。
支援者さん限定小説の一覧はこちら