時には雑談を……。【AIと絵のお話】
今回の内容は、誰でも知っている様な事を顰めっ面で話すがごとく内容かつ、毒が入った内容となっております。
苦手な方はお戻り下さい。
:
:
:
:
:
:
コロナの蔓延で外出が出来なくなった辺りから、各企業が重過ぎる腰をホンの少し浮かせた結果、デジタル化だのAIだのと、随分と世の中が変わってしまったように感じています。
その前後から急に流行り始め、昨今、話題になっているAI技術。
自分もナンチャッテながら絵を描くので、AIによる描画には興味を惹かれました。
興味を惹かれた以上、試さずにはいられない自分は、さっそく適当に導入して描いてもらいました。
三本腕の女の子や、双頭の猫さんetc。
夢に出てきそうな物の怪ばかりが生成されました。
でも、これをずっと続けて学習させたり、サンプルを用意したりする事で、もっとちゃんとした絵が描けるようになるそうです。
まぁ、アッサリと飽きて放り出したのですが、それはさておき……。
AIによる絵画の作成には、大きな問題があるようです。
それは「インターネットで他人の著作物を学習して、それを別の絵として生成してしまう事」です。
他人の著作物を勝手に使うのは論外として、これだけ聞くと、自分がやっている事と大差が無いように思います。
自分は絵を学習するのに、他の人の絵や過程を見て、模写して、改造して、取り込んで……そういう事もやってきました。
もちろん、そうやって作成した絵を自分の著作物とは言いませんでしたが、いわゆる「技術」は学んできたつもりですし、自分の絵にも反映されていると思います。
では、AIとの違いは何なのか?
再現性の低さでしょうか?
自分は「混ざり方が無秩序である事」が人間との違いだと思います。
色々な技術を学んで、この描き方いいなぁと感じて、それを練習して自分の物とする時、自分が今まで持っていた技術と混ざり合って新しい物が生成されているように思います。
そうして混ざり合って出来たものは「オリジナル」と言っても良いと思います。
でも、AIは違うようです。
アッチの絵、コッチの絵から、部分部分を持ってきて、キメラを作成してしまっている感覚があります。
それが何とも、気持ちが悪いと感じます。
では何故そんな事になってしまうのか?
それはきっと、AIに感情が無いからでしょう。
この絵が綺麗だから、この絵が好きだから、この技術を自分の物にしたい。
だから、その人の趣味趣向によって自然と統一感が出て「一枚の絵」として満たされる。
それは文字タグで表される程度では到底及ばない、言葉にできない程の微妙さ・多種多様さがあり、それ故に言葉で指令を出すAIでは「オリジナル」を描く事が出来ないのだと思っています。
それとは別の話として、世にある大多数のAIに、自分は胡散臭さと失望を感じています。
大昔、日本で「ロボット」という言葉が流行した事があったそうです。
ただ、コンピューターも未熟だった時代の事、世に出たロボットは電話機に毛が生えた程度の物だったそうで、多くの人が失望を感じたそうです。
今の「AI」も同じだと自分は感じています。
人工知能とは名ばかりの、ただ単なるプログラム、データの蓄積、そんな物しか世に出ていないように感じます。
感情が、心があって、初めて知能が生きるのだと考えます。
だから技術者の皆様。
まずは心を作ってください。
赤ん坊からで良いです。
ある程度の社会常識・生物の基礎であるプリセットを盛り込んだ状態で構いません。
とにかく、まるっきり無反応に見える状態からの心を作って、育ててください。
それが正しく成長した時、知能が正しく学習されると思います。
そして最後に自分が嫌いな事を毒吐きします。
それは他人の絵を見てAI認定する人達。
同一色の箇所がRGB数値で異なっているだの、普通はこの部分をこんな風に描かないだの、根拠に乏しい事を平気で言ってAI認定する人達。
一から丁寧に描かれた絵を、一人の人間が途方もない時間をかけて技術を積み重ね、喜びと苦しみの中から生み出した作品を、絵に殆ど興味も無いような人達が、AIで自動生成した絵だと決めつけ囃し立てる。
そういった人達が、真面目にそう考えているのか、はたまた煽りたいだけなのかは不明ですが、これは作者に対して考え得る限り最も酷い侮辱の一つです。
これがまかり通ってしまっている事を、本当に辛く感じます。
人間に描けてAIに描けない絵が存在しても、AIに描けて人間に描けない絵なんて存在しないと自分は考えていますが、どうなのでしょうか?