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2024年 06月の記事 (6)

じゃが 2024/06/01 19:00

親友に告白されて試しに付き合ったら大好きになっちゃった話(♡ありver.)

「春休みが終わっても、もうここに来ることはないって⋯⋯なんか実感湧かへんなあ」
「まあね。でも、大学への準備でそれどころじゃないんじゃない?」
「そうなんかなあ。それさえ実感湧かへんわ」
「なーんか、小春はそのまんま大学生になって、そのまんま卒業しそうだよね」
「それ褒めてんのー?」
「さあね」

 響子は歯を見せながらいたずらっぽい笑顔を浮かべた。
 小春と響子は、今日この学校を卒業する。もう卒業式も終わったため、厳密にはすでに卒業生。小春はクラスメイトたちとたくさんの写真を撮り、帰宅する友人たちと泣きながら何度も別れをくり返した。そんな別れの波もすっかり過ぎ去り、日が傾いてオレンジ色に染まった教室には、すでに小春と親友の響子の二人だけとなっていた。

「まだ帰んないの?」
「だって⋯⋯一回教室から出たら、なんか二度と戻って来られへんような気がして⋯⋯」
「実際そうだけどね」
「やから帰りにくいねん」
「別に、学校に来たいならOG訪問とかでいつでも来れるじゃん」
「そうやけどなんか違うやん。もう明日から私たちはここの学生やなくて外部の人になんねんで? 全然ちゃうやん。⋯⋯ていうか私より響子の方がいつでも来られへんやん! 寂しくないん!?」

 響子は元々東京生まれで、入学から少し経った中途半端な時期に親の都合でこの土地に引越してきた。しかし、卒業とともに家族と再び東京へ戻ることになっており、進学先も東京の大学に決まっている。小春は地元の大学に進学するため、春休みが終われば二人は関西と東京、それぞれ別の場所での暮らしが始まる。

「全く寂しくないわけじゃないけど、卒業ってそういうもんだし」
「相変わらず響子はクールやなあ」
「学校なんてただの場所でしかないからね。私はそれよりも⋯⋯」
「?」
「小春と会えなくなることの方が、寂しいかな」
「な⋯⋯っ!」

 普段からクールでどちらかというと冷たい言動の多い響子の思いもよらない言葉に、小春の顔が急速に熱を帯びていく。

「なにそれ! めっちゃ照れるねんけど!」
「小春が思ってるより、私は小春のことが好きだよ」

(今日の響子、一体どうしたん!?)
 普段とは違ってあまりにストレートに自分の感情を伝えてくる響子に、小春の心臓はどんどんと鼓動が早くなっていく。

「私って、あんまり愛想がいい方じゃないじゃん? 中途半端な時期に引越して来たうえに態度も悪くて、あの時クラスでかなり浮いてるのは自分でも分かってた。でもさ、東京で通ってた学校も、私的には結構頑張って合格した学校だったんだ。それを親の都合で転校になったから⋯⋯だから最初は、友達だって一人もいらない、こんな学校生活なんて一日でも早く終わればいいと思ってた」

 そう言われて、小春は当時のことを思い返す。
 響子は普段からツン、とした近寄りがたい雰囲気はあるが、たしかにあの時の響子は今とは比べ物にならないほどの空気をまとっていた。

「でもそんな私に、小春だけは話しかけてくれたよね。私がどんなに素っ気なく答えても突き放しても、なんでか毎日毎日諦めずに私に話しかけてくれた。小春のおかげで他の友達もできたし、この学校がそれなりに好きになれた。あんな私に話しかけ続けた理由、さすがにもう教えてくれてもいいんじゃない?」
「それは⋯⋯」



 小春も初めは、人を寄せ付けないオーラを放つ響子に近寄ることはしなかった。しかしある日の放課後、テストの点数が悪すぎて教師に呼び出され補習になった小春は、教師に渡された補習用プリントを持って教室へ戻った。扉が開いたままの教室に足を踏み入れようとした瞬間、中で響子が一人、自分の席に座ったまま静かに涙を流しているのを目撃してしまった。
 どうしていいか分からなかった小春は図書室へ逃げ、そこでプリントをこなしながらも、先ほどの響子の姿が頭から離れなかった。その後、予想以上に時間のかかったプリントを教師に渡しに行き帰ろうとすると、「ちょっとええか」と呼び止められた。

「牧、おるやろ。転校生の。できればでええんやけど、あいつのこと、少し気にかけてやってくれへんか? あいつの転校は急やったから、本人もまだ戸惑うてるんや。別に特別なことはせんでええ。倉敷はクラスでみんなと仲ええし、何かあったら俺に教えてくれへんか?」
「⋯⋯はーい」

 おそらく、周りと馴染めていない彼女に対して、いじめにでも発展するのではないかと懸念しているのだろう。職員室から出て下駄箱で靴を履き替えながら、常に人を睨むような目をしている彼女のことを思い出した。

「⋯⋯そんな風には見えへんけどなー」

 小春には、こちらが何をしたからといって彼女が心を開くようには見えなかった。しかし、クラスで彼女のことを疎んでいる生徒がいることも知っており、実際今の彼女に話しかける生徒は誰もいない。これから何か大きな問題が起こらないとも言えない状況であることは確かだった。だからといって自分にできることは何もない。教師だって、何もしなくていいと言っていた。とはいえ、先ほどの涙を見た後だと、どうしても彼女のことが気になって仕方なかった。
 そんな複雑な思いを抱きながら小春が校門を出ると、自分が進もうとしている方とは逆の方角から、何やら言い争う声が聞こえてくる。

「もういい! 私の気持ちなんか分かんないくせに!!」

 そう言って車から飛び出してきたのは響子だった。彼女は目から大粒の涙を流しながら車のドアを力任せに閉め、向こう側へ走って行ってしまう。運転席から急いで出てきたのはおそらく母親だろう。「響子!」と悲痛な声をあげながら追いかけようとしたが、すでに豆粒ほどの大きさになってしまった娘の背中を呆然と眺めるしかないようだった。母親はすぐに運転席へ乗り込むと、すぐに車は発進して今彼女が走り去った方向へと消えていく。
 小春はなぜか、その一部始終を見て泣きそうになっていた。二人がどんな言い争いをしていたかなんて、なんとなく想像はつく。
 いつも人を寄せ付けないオーラを放っていた彼女が小さな子供のように泣きじゃくっていた。綺麗な身なりをした母親が、なす術もなく抜け殻のようにただ立ち尽くしていた。
 その場面をもう一度思い出し、小春は考える。
 自分に何かできることは?
 その次の日。小春は初めて、いちだんと機嫌の悪い、今にも周りに嚙みつきそうな顔をしている響子に話しかけた。



「前も言うたやん。響子はぜったいええ子やって分かってたんやって」

 小春はあの時のことを響子に話したことはない。きっと、誰にも見られたくなかっただろうから。
 しかしそんなことを知るよしもない響子は、何度も聞いた小春の答えに不満そうに口を尖らせた。

「えー。最後まで教えてくれないの?」
「だからずっと言うてるやん! ⋯⋯⋯⋯て、最後てなに?」
「え?」
「いや最後て⋯⋯響子はもうウチには会ってくれへんってこと!?」
「いや、別にそういう意味じゃないけど⋯⋯」
「けど!?」
「今みたいに簡単に会えなくなるのは⋯⋯事実じゃん」

 そう呟いた響子の顔に影が落ちる。小春はその表情に、きゅっと胸を締め付けられた。

「⋯⋯なあ、響子」
「なに」
「響子はもう、ウチには会いたくないん?」
「そ、そんなわけない!」

 力強い声だった。しかしその声色の中に、今にも泣きだしてしましそうな悲しみも混じっているのを、小春は見逃さなかった。

「やったら、最後やないやん」
「でも⋯⋯お互いきっと忙しくなって、どんどん連絡もとらなくなる。そしたら――」
「響子!」

 響子は、小春よりも七センチほど背が高い。小春は軽くつま先を立てて背伸びをし、短い腕を伸ばして響子の頬を包んだ。

「ウチやって響子のことが好き⋯⋯大好きやねんで?」
「小春⋯⋯」
「やからな、今よりちょっと会わんくなったくらいで、ウチらの友情はなくならへんよ」

 響子の整った顔がくしゃっと歪む。そしてそのまま小春の手の中で俯き、その表情は見えなくなってしまった。

「きょ、響子? 大丈夫?」

 心配になった小春が横から斜めから、下から覗き込んで響子の様子をうかがうが何も分からない。
(どうしよ⋯⋯ウチ、なんか余計なこと言うたんかな⋯⋯)
 慌てながら自分の発言を思い返していると、響子の頬を包んでいる手が、ふ、と温かくなった。見てみると、響子の手が小春の両手の上から覆いかぶさっている。

「――うの」
「え?」

 小春の手がぎゅっと強く握りしめられる。

「ちがうの⋯⋯」
「違うって⋯⋯何が?」
「私の好きと⋯⋯小春の好きは⋯⋯違うの」

 小春は意味が分からなくて首をひねる。どういう意味、と聞こうとする前に、響子が震える声で話しだした。

「小春は可愛くて優しいから⋯⋯大学に行ってもすぐに友達もできる。あと⋯⋯⋯⋯彼氏だって」

 響子はそう、蚊の鳴くような声で、苦しそうな表情で呟いた。
 小春の胸が、どきんと跳ねる。

「そうしたらきっと⋯⋯私は小春に会えなくなっちゃう⋯⋯」
「な、なんで⋯⋯? なんで私に友達とか彼氏ができたら、響子は私と会えへんくなるん?」

 小春の手を握る響子の手に、さらに力がこもる。

「好き⋯⋯⋯⋯だから」

 響子の言葉に、小春は息を吞む。
 普段鈍いと言われる小春でも、ここまでの響子の話や声、表情を見ていれば、響子の好きがどういうものか、聞くまでもなかった。

「小春のことが好きだから⋯⋯小春に彼氏なんてできたら⋯⋯⋯⋯きっと私は嫉妬に狂って、小春のことを傷つけちゃう」

 響子の目に涙の膜が張っていく。それが零れ落ちないように、響子は必死に目元に力を入れてこらえているようだった。

「それに⋯⋯彼氏がいる小春に会うのは、私も辛い」
「響子⋯⋯」
「だからね、小春と離れる前に、自分の中でちゃんとこの気持ちに区切りをつけようと思ってたの。本当は告白までするつもりはなかったんだけど⋯⋯卒業式後の教室ってさ、なんか漫画の青春っぽいじゃん? つい、流されちゃった」

 響子がふふ、と上品に笑う。

「急にごめんね。困らせるようなこと言っちゃって。でも、もう忘れてくれていいから。自分勝手でごめん」

 響子は小春の手を自分の頬から離した。そしてそのまま響子の手は、小春の手からも離れていく。

「これからもずっと友達でいようね。大学になってなかなか会えなくなっても、連絡とらなくなっても⋯⋯私は小春のこと、ずっと親友だと思ってるから」

 誰が見ても無理しているのが分かる笑顔だった。響子は勉強ができて成績もいい上に運動神経まで抜群。しかしそんな響子でも、素直すぎる性格が災いしてか、演技だけは笑えないほどに下手だった。学園祭の出し物である劇の練習で初めて響子がセリフを喋った時、クラス中が一瞬凍り付いたことがあった。
 あの時、響子の演技に涙を流すほど大笑いした小春は、今回の演技も見逃すことができなかった。

「なっ! んで⋯⋯!」

 今まで黙っていて急に声を出したからか、変なところで言葉が詰まってしまった。しかし声を整える心の余裕はこの時の小春にはなく、がさがさな声のまま勢いで話を続ける。

「一人で言って一人ですっきりして、ほんまに自分勝手や! ウチのことが好きならはっきりそう言えばいいやん! なんで一人で納得してんの? ウチの気持ちは無視なん?」
「こ、小春⋯⋯?」
「恋愛って二人でするもんやろ? なのに響子は自分の気持ちばっかり! ウチがどう思ってるかなんて聞きもせーへん!」

 この辺りで小春の目からは涙がぼろぼろ流れ出す。子供のように泣きじゃくる小春を、響子は必死になだめた。

「響子のアホー!」
「小春⋯⋯ちょっと落ち着いて⋯⋯」

 それでも泣き止まない小春を見て響子は戸惑いを隠せない。しかし、興奮によって泣き止む様子のない小春に、響子は何度か深呼吸をする。そして意を決したように目を開くと、強い力で小春のことを抱きしめた。
 すると小春の涙は、驚きによって魔法のように一瞬で止まってしまう。

「ねえ、小春」
「なに⋯⋯」
「私、小春が好き」
「⋯⋯うん」
「⋯⋯⋯⋯付き合って、ほしい」

 教室にしばしの沈黙が流れた。外からはもう、部活動の声も聞こえない。

「えっと⋯⋯」

 小春の話し始めに響子が息を吞む。

「その前に一つええ?」
「は?」

 響子は思わず小春から体を離した。泣き止んではいるが、まだ目は潤み鼻の頭を赤くさせすんすんと鼻をすすっている。

「このタイミングで?」
「ご、ごめん⋯⋯」
「で、なに?」
「えっと⋯⋯好きか分からへんけど付き合うって、響子的にあり?」

 小春はこの言葉を言うことで、響子が怒ることは分かりきっていた。先ほどの流れならば、誰でもOKをもらえると思う。だから響子だってもう一度告白してくれたのだろう。
 小春はおずおずと響子の様子をうかがう。しかし響子は思った以上に混乱しているようで、幸いにも怒る様子はまだなかった。

「えっと⋯⋯ごめん、どういう意味? 言ってる意味が分からない」
「そ、そうやんな⋯⋯えっと⋯⋯」

 小春は頭の中にある自分の考えを、教室の机を並べるようにせっせと整理する。

「その⋯⋯私、今まで恋愛したことなくて⋯⋯彼氏もおったことないし、好きな人もできたことないねん」

 小春の言葉を聞いて、響子は少し意外そうに目を丸くした。

「だからウチら、あんまり恋愛の話したことないやろ? 話す内容なくて⋯⋯」

 二人が話している時、話題を振るのはほとんど小春だった。響子も振らないわけではなかったが、おしゃべりな小春の方が圧倒的に多く、話すのがあまり得意でない響子にとって色々と話を広げてくれる小春の性格はありがたかった。

「まあ確かに⋯⋯言われてみればあんまりないかも」
「やから、恋愛の好きとか、あんま分からへんくて⋯⋯。で、でもっ! 響子のことはめっちゃ好きやねん! 他の子よりも特別好き! ⋯⋯でもこれが、恋愛かどうかは自分でも分からへん⋯⋯」

 俯きながら、小春は響子の顔を見ることができなかった。自分のことを好きだと言う人に対し、酷いことを言っている自覚はあった。しかし、それを隠しながら響子と付き合うことは、小春にはどうしてもできなかった。

「⋯⋯ねえ、小春」

 柔らかい声が上から降ってくる。つられて顔をあげた瞬間、小春の両方の頬に痛みが走る。

「いひゃい! いひゃい!」
「ほんっとあんたって⋯⋯! ~~もうっ!」

 響子にぐいーっと頬をつねられる。別に本気で怒っている様子はないが、結構痛い。

「小春のバカ」
「ごめんー!」

 頬は結構痛かったが、いつの間にか、いつもの教室での二人の空気に戻っていた。
 しばらくすると小春の頬から響子の手が離れ、その手はそのまま小春の肩に乗った。

「まあ、そんなあんただから、好きになったんだよね」
「あ、ありがとう⋯⋯?」
「なに? 今更恥ずかしがってんの?」
「そ、そりゃあそうやん! よく考えたら人生初めての告白やし! うわ、意識したらめっちゃ恥ずかしなってきた⋯⋯。あかん、照れるっ」

 急激に熱くなってきた顔を見られたくなくて俯くと、肩に乗っていた響子の手が小春の顎を捕らえる。親指と人差し指でくいっと上を向けられると、妙に熱っぽい目をした響子と目が合った。
 その熱視線から目を離せないでいると、響子がだんだんと近づいてくる。体中どこも動かせず、心臓だけが勝手にどくんどくんと早鐘を打つ。
 響子の顔が、小春と鼻先が触れ合うほどの距離に近づいた。
 たまらなくなって小春が目をつむると、頬に柔らかい感触がして、響子の気配が離れた。

「⋯⋯気持ち悪かった?」

 その声に小春が目を開けると、不安そうな表情の響子と目が合う。そして次に、言葉の意味を考える。
 小春の心臓は相変わらず破裂しそうなくらいどきどきと鼓動している。人の心拍数は一生で数が決まっているという話を以前、響子から聞いたことを思い出し、少し不安になる。
 横道にそれた思考を戻す。響子にキスをされて、気持ち悪かったか。

「そんなわけないやん」

 考える間もなかった。あまりにあっさり返す小春に少し面食らったような顔をした響子だったが、小春らしいと思ったのか、くすくすとおかしそうに笑い始めた。

「よかった。でももうこれで、私たちは友達じゃなくなっちゃったね」
「え? なんで?」
「私と、付き合ってくれるんでしょ?」

 付き合う、という言葉を響子が口にした瞬間、小春の顔は一気に赤く染まる。

「⋯⋯ええの? 私みたいに中途半端で」
「うん。もし途中で無理になったら、遠慮せずに言って」

 もしそんな時が来たら。小春はそんな未来を想像するだけで泣きたくなる。しかし恋愛に関して無知な小春はここで、絶対にそうならない、と言い切ることはできなかった。
 そんな小春の微妙な心情を察してか、響子はふっと柔らかく微笑むと小春のことを抱き寄せた。

「好きにさせてみせるから」

 響子の言葉に、小春の心臓が甘い音を立てる。今までのどんな緊張とも違う高鳴り。しかし、この高鳴りが恋なのか、今はまだ分からない。
 それでも、響子の腕の中がどんなベッドよりも心地いいと、小春は思うのだった。





 春休みの間、二人はこれから離れ離れになる寂しさを忘れるように毎日会っていた。
 初めのうちはカフェでおしゃべりしたりウィンドショッピングに行ったりと、友達だった頃と変わらない時間を過ごしていた。
 しかしそれが変わり始めたのが、春休みの中盤に差し掛かったころ。

「私の家に来ない? 平日だから親もいないし」

 そんな響子の誘いを小春は喜んで受け入れた。今までも響子の家に遊びに行ったことは何度もあったため、なんの躊躇いもない。いつものように簡単な手土産をもって、響子の家へ喜んで訪問した。

「隣、座っていい?」

 そして、響子の部屋でいつもと変わらないおしゃべりをしていた時、唐突に響子がそう聞いてきた。どうして今さら響子がそんな許可をとるのか、小春は不思議だった。
 しかし、実際に小春が腰かけていたベッドの隣に響子が来て手を握られ、驚いて響子を見るとその顔は驚くほど真っ赤に染まっているのをみて、小春はその時やっと、今自分たちがただの友達ではなく恋人同士だったことを思い出した。

「嫌じゃ⋯⋯ない?」

 恐る恐るといった様子で響子は聞く。

「う、うん⋯⋯でも⋯⋯」
「でも?」
「⋯⋯めっちゃ恥ずかしい⋯⋯」
「小春がそんな恥ずかしがると、こっちまで恥ずかしくなるじゃん⋯⋯」

 繋がれた二人の手は手汗でびっしょりと濡れていて熱い。それでもどちらも、その手を離そうとはしなかった。
 しばらく無言で手を繋いでいると、「小春」と響子が呟いた。小春が反射的に響子を見ると、真剣な目をした彼女と視線がぶつかる。そしてそのまま、ゆっくりと響子の顔が近付いてきた。
(き、キス、するんや⋯⋯!)
 どうしていいか分からず慌てているうちにも響子の顔が近付いてきて、小春はぎゅっと目をつむる。外まで聞こえてしまいそうなほど高鳴る心臓に、小春はだんだんと頭がふらふらしてくる。
 二人が唇が重なるまであともう一センチ。そんな時――。

 部屋の真ん中に置かれている小さなローテーブル。その上にあるスマホが音を立てて振動した。
 その音は数秒で止まったものの、突然のことに二人は同時に体を飛びあがらせる。テーブルの方を見てみると、音が鳴っていたのはどうやら響子のスマホのようだった。響子は大きく溜息をつき、スマホを手に取る。画面を指で何度かタップした後、再び大きく溜息をつきながら、小春に画面を見せてきた。画面にはメッセージアプリが開かれていて、相手は響子の母親だった。

『晩ごはんは何がいい?』

 そんなメッセージとともに可愛らしい犬のスタンプが送られていた。

「台無し」

 響子は一言そう言うと、スマホを持ったままベッドに寝転んだ。響子の母親のあまりのタイミングの良さに、小春は思わず笑ってしまう。

「なんか、見られてるんちゃうかってくらいタイミングよかったな」
「そうだとしたら余計に腹立つ」

 先ほどまでの緊張感と甘い雰囲気は消え去ってしまったが、そのことに小春は少なからず安心していた。嫌だったわけではないが、心の準備ができていたとは言えなかった。
(⋯⋯次、響子の家に来るときは覚悟しとかな)



 しかし、その次というのはあっという間にやってきた。

『明日、またうちに来ない?』

 響子から来たメッセージに小春の胸が高鳴る。これにOKするということは、前回中断したキスの続きをするということ。
 小春は震える手で、スマホにメッセージを打ち込んだ。

『ええよー!』

 自分のOKのスタンプの後、響子からも可愛らしい犬のスタンプが送られてくる。

「あー! むっちゃ緊張する!」

 そんなやり取りを経て迎えた翌日。小春は朝から緊張でいっぱいだった。しかし、これから先の展開を考えたところで緊張が募るばかり。頭に浮かぶ昨日のキス未遂事件を頭から振り払い、響子の家のインターホンを押した。

「いらっしゃい」

 迎えてくれた響子はいつも通りで、特段変わった様子はない。それに少し安心しながら、小春は響子の部屋へと向かった。
 響子が部屋の扉を開けると、部屋の真ん中に置かれているローテーブルには、すでにグラスに入った飲み物が用意されているのが見えた。

「そこ座って」

 響子はそう言ってベッドを指さす。いつもならどこでも適当に座って、と言う彼女が席を指定してきた。しかもその場所は昨日のベッド。小春は否が応でも、意識せざるをえなかった。
 ありがとう、と返事をして、浅くベッドに腰かける。すると響子は今度は許可をとらず、小春の隣に腰かけてきた。

「小春」

 名前を呼ぶ声とともに手が握られる。あまりの急展開に小春は思わず「は、早ない?」と言ってしまった。口から出た後でもっと言いようがあったのではと後悔の気持ちが生まれるが、響子は気を悪くした風でもなく「だって!」と切羽詰まったように答える。

「また⋯⋯邪魔されたら嫌だし⋯⋯」
「でもまだ朝の十時やで? 私も今来たばっかやし、大丈夫やって」
「で、でも!」

 今日の響子は、いつにもなく余裕がないように見えた。普段の響子ならこんなに何かを焦ることはない。今小春が言ったようなセリフも、いつもなら響子が小春をなだめるときに使うようなセリフだった。
 響子は顔を辛そうに歪めると、握っていた小春の手を離して自分の顔を覆い隠した。

「小春には⋯⋯私の気持ちは分かんないよ⋯⋯」

『もういい! 私の気持ちなんか分かんないくせに!!』
 響子の悲痛な叫びを思い出す。あれは、目の前にいた母親だけじゃない。世界に向けて言ってたのだと小春は思っていた。誰も自分のことを分かってくれない。想像もできないような寂しさ、悲しさに包まれていたのだろうと。
 そして今、ほとんど同じセリフを、今度は自分が言わせてしまった。そしてそれは明らかに、目の前にいる小春にのみ適用される言葉だった。

「ごめん、なんか私キモイね。朝から嫌な思いさせちゃったし、今日はもう帰っていいよ」
「え⋯⋯」
「別に小春を責めてるわけじゃないから。全部、私が悪い。本当にごめん」
「そ、そんなことない! キモくもないし、嫌な思いやってしてへん!」
「いや、本当にもういいから⋯⋯」

 そう言って、席を立とうとする響子。そんな彼女の両頬を、小春は反射的に自分の両手で挟むように捕まえた。
 キモくないし嫌でもない、キスしたくないわけでもない。伝えたいことはたくさんあるのに、うまく言葉が出てこない。
 小春は挟んだ両手を、ぐいっと自分の方へと引き寄せた。

「んっ!」

 キスというより衝突だった。
 よく失敗だと言われる歯と歯がぶつかり合うものは避けられたものの、がちがちになった小春の唇が驚いて半開きになった響子の唇にぶつけられた、色気のないキス。
 時計の針の音、外から聞こえる車が走る音。普段意識しないと耳に入ってこないような色々な音が鮮明に聞こえてくる。
(これ、どうしたらええの!?)
 しかし今の小春はそんなものに意識を向ける余裕はなかった。恋すら分からないのにキスの仕方なんて分かるわけもない。唇をぶつけてから小春は微動だにせず、呼吸すら止めて固まっていた。
(あ、あかん! 息が、もう⋯⋯!)
 唇を離すタイミングも分からず体内の酸素残量が減っていく。地上五階にある響子のマンションで、小春は溺れ死にそうになっていた。

「ふあーッ!!」

 とうとう酸素が切れて唇が離れた。小春の意志で離したというより、溺れた人間が水面で必死にもがいた結果のようなものだった。
 はぁはぁ、と肩で息をし、必死に酸素を取り込む小春の様子に、ぽかんとしていた響子の顔がくしゃっと歪んでいく。そして数秒後――。

「あはははは!!!」

 恋人同士の初めてのキスの後とは思えないような笑い声が響いた。お腹を押さえて目尻に涙を浮かべて。これだけ響子を笑わせる芸人がいたら、お笑いコンテスト優勝は確実だろう。
 
「な〝、なにをそんな笑ってんの⋯⋯」
「小春、声やばい」
「そら⋯⋯⋯⋯人生でこんなに呼吸せーへんかったんは初めてやから⋯⋯声くらいしゃがれるわ⋯⋯」
「何で息止めてたの?」
「何でって⋯⋯自分でも分からへん⋯⋯」

 最後に何度か深呼吸して、ようやく小春は落ち着きを取り戻してきた。その頃には響子の爆笑もおさまってはいたが、まだたまに思い出すのか、「ふふ」と顔をそむけて笑いをこらえている。

「さすがに笑いすぎやろ! 誰のせいやと思ってんねん!」
「いや、ごめんごめん。そりゃ私が悪いのは分かってるけど、小春が⋯⋯⋯⋯ふふっ」
「もう! そんな笑うんやったら二度とキスせーへん!」

 ふん、と鼻を鳴らして響子から顔をそらすと、後ろから優しく抱き寄せられた。

「ごめん」
「もう⋯⋯」
「ありがとう、小春」
「⋯⋯嬉しかった?」
「⋯⋯うん。すごく」
「そっか」

 小春は響子の方に体を向け、そのままぎゅうと抱きついてみた。ハグなら友達の頃からいつもしていたため、緊張も少ない。
 その抱擁に応えるように、響子がさらにぎゅうっと強く抱きしめる。

「なあ響子。一つ聞いていい?」
「ん?」
「ウチな、別にキスが嫌やったわけじゃないねん。さっきも言ったけど、まだ来たばっかやし、ちょっとゆっくりしてから⋯⋯って思っただけやねん。緊張もしてたし」

 そこで小春は響子の腕の中から顔を上げ、彼女を見つめる。

「響子⋯⋯なんか、焦ってる?」

 響子はそう言われると、困ったように眉を下げた。

「⋯⋯うん、そうかも」
「なにを焦ってるん?」
「そもそもさ、小春が同性の私と付き合ってくれるなんて思ってもなかったから⋯⋯夢のようなんだ、今。でも春休みなんて、すぐに終わっちゃう。ていうか春休みが終わる前に、私引越しちゃうし⋯⋯そしたらしばらく小春に会えなくなって⋯⋯小春は大学になったらたくさん友達を作って、もしかしたら本当に好きだと思える人に出会えて、私は振られちゃうのかなって。そしたら夢の時間は終わり。小春はそんなことないって言ってくれるけど、私はいつ振られてもいいよう、覚悟しておきたいんだ。⋯⋯じゃないと、どんどん辛くなっちゃうから」

 小春は、響子の言葉に胸を痛め目を伏せた。そして不意に目線を部屋へと向けると、部屋の隅の方に、まだ使用していないダンボールが立てかけてあるのが目に入った。これから引越しに使われるのだろう、折り目一つなく綺麗な状態だった。

「だからさ、今のうちに⋯⋯小春がまだ私だけを見てくれてるうちに、できるだけ思い出を作りたくて焦ってた⋯⋯ごめんね」

 そんなことない、というのは簡単だった。しかし、恋すらしたことのない小春が、大学という未知の環境で何が起こるのか想像もつかない。もしかしたら響子の言うように、本当に自分が好きだと思える相手と出会うことだってないとは言い切れない。響子の焦りは、もっともだと小春は思った。

「⋯⋯そんなこと言わんでよ」

しかしそれでも、小春は響子の言葉を否定せずにはいられなかった。そしてそれは、響子が望んでいる答えでないことも分かっている。だが響子のことが大切だからこそ、嘘の「好き」を言いたくないとも思った。

「響子が言うように、たしかにこれからのことは分からへん。でも、一つだけ言えるのは⋯⋯私は、友達ができたからといって、恋人である響子への連絡をおろそかにしたりはせーへん。忙しくなったらちゃんと言うし、もし⋯⋯もし、響子以外にほんまに好きな人ができたら⋯⋯ちゃんと、正面から言う。その時は響子を傷つけるかもしれへん。でも、逃げずにちゃんと言う。やから、できるだけでええから、ウチのことを信じてほしい」

 小春の言葉に、響子は目を伏せた。その瞳からは今にも涙が零れ落ちそうになっている。そんな響子の表情を見てしまえば胸が締め付けられる思いだが、それでも小春は目をそらさずに真っ直ぐ彼女を見つめ続けた。

「⋯⋯ありがとう、小春。ごめんね。なんか私、小春と付き合えてから、空回りまくってる⋯⋯」
「大丈夫やで。響子の知らない一面を見れて嬉しいわ」
「なんか悔しい」

 響子はそう言って、再び小春を強く抱きしめる。

「でも⋯⋯そういう小春の優しさに、私は惹かれたんだよ」

 耳元で甘く囁かれて、小春は急激に顔に熱が集まってくる。なんと返せばいいか分からず、小春は隠れるように響子の胸に顔を埋めた。





 それから、平日はほとんど響子の家で二人の時間を過ごした。響子の親が家にいる時は仕方なくカフェなどでおしゃべりをして過ごしたが、どうにか二人きりになれる場所を見つけてはキスやハグをくり返した。
 そうしてあっという間に日々は過ぎていき、気づけば響子の引越しまで一週間を切ってしまった。

「んっ⋯⋯」

 この日もいつものように、響子の部屋で二人の時間を楽しんでいた。響子の部屋では基本的に常に二人で寄り添いあい、手を握り、おしゃべりの合間にキスをして過ごす。
 小春も初めは恥ずかしかったキスに随分慣れ、自分から響子へキスを求めることもあった。響子とのキスは心地よくて大好きだったが、これが恋愛感情かと聞かれれば親鳥に甘える雛のような気もして、なかなか気持ちをその先へと進ませることはできなかった。そのことに対して、小春は少し焦っていた。おそらく以前、響子が感じていた焦りと似たようなもの。響子の引越しの日が近付くたびに、少しずつその焦りは大きくなっていった。

「ん⋯⋯響子⋯⋯もう一回⋯⋯」
「っ⋯⋯小春、」
「んん⋯⋯っ」

 ベッドに二人で寝転びながら小春はその焦りを埋めるように響子にキスを求めた。

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