●いろかにほへと22●
(はあ・・・ちょっと落ち着けましたかね・・・)
電車の窓の向こうを流れる景色を見ながら、鬼灯はようやく安堵のため息を吐いた。
現在の時間帯は、ちょうど穴が開いたように乗車率が少なかった。ほとんど乗車客がいないガランとした車両が、ガタゴトと揺れている。
鬼灯は一番端のボックス席の窓際に座り、窓の細いサッシに肘を置いて頬をつき、しばらくの休息に安堵していた。
電車に乗るまでも、なんと周囲の者たちの目の騒がしかったことか・・・。
上下に柔らかく弾む鬼灯の乳房に皆注目し、そこから目線を外せば絶世の艶なる美女。
まとっている衣装が鬼灯と同じだということには気付いているかもしれないが、妖艶な美女が鬼灯のコスプレでもしてるのだろうぐらいに考え、まさか美女本人が鬼灯の成り替わった姿だとは思いもしないだろう。
正体を知らない無礼な鬼の中には、列車の乗合でわざと隣に立ち、鬼灯の香りを嗅いだり、スマホをいじる振りをしてさりげなく肘を柔胸に当てようとして来たり、鬱陶しいことこの上ない。
しかも、反対車線のホームからは鬼灯の姿が丸見えで、まばらな数の上客たちのほとんどが、鬼灯をはっきりと見つめていた。
男も女も・・・。
さらに悪いことに、鬼灯の威厳を象徴する金棒を忘れてきたことが、ますます鬼灯本人だと気付き辛くさせていた。
いつもなら、片手になければ落ち着かない金棒が、今の鬼灯では男のときほど自由自在に扱えなくなっている。
持ち上げて肩にかつぐことはできるのだが、時間がたつにつれ、体力的に疲弊がたまってくるのだ。
気が付けば、金棒を引きずって歩いているし、そういう理由もあって、仕事の忙しさにかまけてつい、金棒を閻魔殿に忘れてきてしまった。
重くて邪魔だったとはいえ、やはりいつもあるものがないと落ち着かない。
ようやく人目から解放され、電車のボックス席に座ってゆっくり精神を休めながら、鬼灯はため息を深くついた。
その気だるそうな姿こそ、艶色で廃頽的な美を含んでいて、誰も見る者がいないかわりに、空気だけが、どこか気恥ずかしそうだった。
席の後ろでドアが開かれる音が聞こえ、切符拝見かと鬼灯が胸元に手を入れたところで、すぐに勘違いだったと鬼灯は手を再び出した。
足音は数人。
若い者たちらしく、軽薄なしゃべり方で会話を好きにしながら、いささかやかましく入ってきた。
(うるさいですね・・・)
目を瞑って彼らが通り過ぎるのをやり過ごそうとしたが、すぐ隣に人の気配を感じて目を開けたところで、目を瞑る前と座席の景色が変わっているのを知覚した。
若い男たちは鬼灯が一人で占領していた四人掛けのボックス席に陣取り、ただならぬ目線を鬼灯に注いでいた。
(・・・また何やら不穏な空気ですね・・・)
面倒を察知し、鬼灯は立ち上がって席を移ろうとした。
しかし、隣と前方に座った男たちがわざと足を投げ出して通路を完全にふさいでしまっている。
「すみません、席を移りたいので、足をどけてくれませんか?」
いささか冷ややかな声で鬼灯は言い放ったが、男たちの足はびくともしない。
瞬時に立腹した鬼灯は、その足を蹴り飛ばしてやろうと身体を後ろに引いた。しかしその瞬間、タイミングを見計らって帯を引っ張られ、バランスを崩して隣の男の上に腰を置いてしまった。
「おいおい、大丈夫かよ・・・」
「っ、離してください・・・!」
いきなり自分の身体にのしかかってきた柔らかい女体に喜びをかくそうともせず、若い鬼はさらに鬼灯の身体に腕を回そうとした。
(このっ、痴○行為ですよ!)
「うごっ!」
鬼灯は男の脇腹に肘をめり込ませ、その邪な考えと共に意識も轟沈させた。
男の腕から解放された鬼灯は、スッと立ち上がって今度こそその場から去ろうとした。
だがその瞬間、正面の席の男に妙なスプレーを顔面に吹き付けられる。
「っ!な、なにをするっ!」
慌てて顔をかばって得体のしれない気体から身体を守ろうとしたが、やはり少々吸い込んでしまったらしく、直後、天地が引っくり返るような奇妙な感覚に囚われて足元をふらつかせた。
(なんだ、これっ・・・)
必死に体勢を立て直そうとして意識を集中するが、傍から見たら脆弱この上ない足取りに、男たちの笑みも深くなる。
気絶した隣の男の代わりに新しい男がとってかわり、ついでに鬼灯を突き飛ばして、易々と元の座席に戻してしまった。
「う・・・・」
「まあ、おとなしくしてなよ、ネーサン。」
椅子に座った振動で頭がクラクラし、まともに思考を巡らせることができない。
自分でも危険な状況だとわかっているものの、バネ人形のようにグラグラする視界の中、鬼灯は指一本ろくに動かすことができなかった。
「ふふ、すげえデカ胸だなあ・・・顔も別嬪だし、たまらねえ・・・」
「エロいのに、黒い着物ってのがまたエロいよな・・・」
「真っ白な肌だぜ・・・なんかいい香りがするなあ・・・」
そう言って隣の男が、鬼灯のうなじに顔を近づけて蓮の花の香りを鼻孔へと運んでゆく。
意識は不鮮明ながら、カンであたりをつけて鬼灯は動き、その腕は見事に香りを無断で嗅いだ無礼な男を横殴りにした。
「おがっ!」
不意に予想だにしない攻撃を食らい、男が悶絶する。
男の鬼灯であれば、相手が吹っ飛んで車両のガラスを割り、外へ飛び出るほどの威力があっただろうが、現在のか弱い腕では、男に鼻血を出させるほどしかできなかった。
「痛ってなにしやがる!」
鬼灯に反撃しようとする仲間の手を一人が止め、
「まあいいじゃねえか。これぐらい生きが良いほうが、楽しみがなくね?」
と言って意識朦朧な鬼灯の身体に視線を這わせて、邪な笑みを浮かべた。