「うちみたいな弱小チャンネルはどうせ企業案件のコラボなんてありえない...」
そんな個人勢にはどうでもいい話ですが、野心家のみなさんは内心考えてると思います
自分のメモ用にちょっとずつ書き留めていたことを公開します
Vroidに背景を合わせると、同じ衣装でも背景によって卑猥に傾くと感じたことがありました
非日常空間にふさわしい衣装の人がショーのステージのような場所に居てもおかしくないが、駅のホームに居たらおかしいです
↑これは好きだけど↓これはなんかイヤです。ビキニアーマーとぬいぐるみの背景が調和しないから。伝わるかなあ...
なぜ背景次第なのかというと、ワイセツの定義は「TPOを外すこと」と三島由紀夫も書いてます
三島由紀夫「桃色の定義」
「桃色の定義」は三島の著書「不道徳教育講座」に収録されているエッセイのひとつで
「それがふさわしくない、見たいとも思っていない状況で唐突に裸の女の尻を見せつけられてギョッとするような事、それがワイセツである」
というような文章です。
「桃色の定義」はサルトルや鴎外を引用したりしてるけど、ぜんぜん難しくなくてとてもわかりやすい文章です
こんなにわかりやすく言語化できるのは、三島が文豪だったからでもあり、今でも議論されるカルチャー上の問題は当時すでに発生していたんだろうと思います
もし必然性のない意外なシチュエーションばかりを求めるようになったら「彼はワイセツなものばかりを求めるようになった」ということになるという。
これは簡単に言うとラッキースケベのことだと思います
対して純愛の末に身も心も結ばれるような内容は、必然性があったわけだから「エロではあるがワイセツではない」ということなります
ワイセツの条件は他にも二つ書かれていて
人体を意志や人格のないパーツとして扱う事
これは今でいう人格排泄とか時間停止のことかな
そして、たぶんフェチズム全般にいえることです
もうひとつは、見る者に情熱的な感動を呼び起こさない事
これは良識派のオタクが言う「誰かの萌えは誰かの萎え」だと思うんですが
見る者に感銘を与えないエロはすべてワイセツ ということになると異性愛者にとって異性向けに作られたエロはほとんどが単なるワイセツになるのか??
私もえっちなものを視聴したり作ったりしている身ですが、見ようとしていない時に唐突に出現するエロ(つまりワイセツ)はきらいです。
ポスターや看板などの否応なく目にはいるものは規制でいいと思うんですが、まずネット広告が不愉快なものが多いので、ブロッカーアプリを使って極力見ないようにしています。
私は見たい時に見る自由と見たくない時に見ない自由、両方を求めます。この二つは矛盾しません。
キャラの年齢的条件
先日から未成年YouTuberのASMR動画が禁止されるようになりました
世の中貧しい国や地域もたくさんあり、実際に子どもを使役して稼ごうとする大人がいる以上仕方ないのかなと思います
三島はワイセツの条件に被写体の年齢を挙げていません
でもこの方が言っているのは三島によるワイセツの条件の一つ
「人を物として扱う」と基本同じだと思います
低年齢のモデルは官能的な服装や仕草をしていることが本人の意思によるのか?その意味や結果を理解しているか?についてノーの可能性を示唆するからです
https://twitter.com/honeking/status/1462208889957482501
大人の女性が自分の意思で主体的に官能的な服装や動作をしているのがセクシー
状況・年齢等で本人の意思が曖昧化するとエロに傾き
偶発的に見ちゃいけないもんが見えたりするのは卑猥/ワイセツ
と理解してます
もちろん階段状ではなくグラデーション的に変化します
でも最終的には自分は自分
発信者として自分のセンスが他人や世間と対立するかどうかは二次的な問題です
その前にまず自分の中で卑猥とセクシーの線引きができる程度の、自分なりの基準やセンスがなければどうにもならない話なので。
自分なりのセンスを持つのは、誰かの言いなりになる事とは違います
でも有名になりたい人なら、たとえばディズニー基準のようなワールドワイドな視点も置き去りにせず、時代や世界と親和し取り入れたうえでの自分基準を持つといいんでしょうね
とにかくジャンルを問わずたくさんのものを見て、勉強して、それぞれが獲得していくしかないものです
そうやって獲得した自分基準で表現したことを、誰かが思いもよらない視点から見てきたり、そのサイトのルールで突然拒否されたりすることがあるかもしれないけど
それは全部、表現した先にいる相手側との問題で
自分の世界は自分の世界です
サイトの運営側が決めたことなら、従うか、抗議するかの二択しかないんですが、どうするか決めていくのも自分軸あってのことです
有名人の真似だったり、自分基準ではなく決めたことには抗議も何もありません
「このくらいしなくちゃだめなんだ(売れいない/人気が出ない/有名になれない)」という言葉は要注意です
まずこの言葉が出てくる時点でそこはもう完全にレッドオーシャンで、「このくらいしなくちゃ」の「このくらい」を実行したところで上手く行かない可能性も大な状況になっています。チキンレースです
そして、こういうことを言う人は別の方法を充分試してから言ってるのか?というと違います。たいがい工夫も試行錯誤も不充分です
人気絵師、台本師、先輩ボイス活動者、Vtuber などの人種のセンスが参考になるかというとこれまた疑わしく
私の母はシンガーソングライターを目指していた人間なんですが
芸術や芸能というのは昔からヤクザや女衒に近い場所に位置していて、堅気の人間の感性とは違います。だから時に齟齬が起きます
世の中もどんどん移ろっていて、ちょっと前までは上手く行ったやり方が次の瞬間もう通じなくなります
最後に頼れるのは自分です
自分が望む世界観、自分が望んだ表現 を大事にがんばりましょ✨
背景、Vroid衣装は前回の記事参照です