この身は露と消えても……とある転生者たちの戦争準備《ノスタルジー》
さて、先日の輸送機の話題だけれど、コメント返しついでにもう少し掘り下げてみようと思う。
まぁ、いつものことであるけれども、これが確定した設定というわけではなく、あくまで叩き台という感じね。
さて、前回のおさらいからだが・・・・・・。
我が帝国の輸送機は二式大艇と深山改を除いて、その多くは200~300kg程度の積載量しかなく、人員輸送や重要書類などの高速輸送なら兎も角、戦略輸送には適していないことが明白である。
とは言っても、二式大艇ですら限界で1~2トン程度(人員60名≒3.6トンにはなるが、機体構造そのものが貨物積載には適していないから実際の貨物積載量は制限されると考える)、深山改で4トン程度(Wikiが更新されたのか、深山改の貨物積載量が4トンとある。先日調べたときは2トンという記述をWikiとは別のどこかで見つけて書いたが失念)であるから、現代の米帝様のC-5のように100トンもぶち込めるわけじゃない。
順次退役しているC-1ですら10トン程度であるから深山改が4トンというのは割と頑張っている方に思える部分はある。マッターホルン作戦のB-29改造輸送機も5~8トン程度と計算するべきだろうか?
ただし、一式貨物輸送機は2.5トンの積載量であり、全備重量と自重の差し引きを考えると零式輸送機も2トン程度積めそうな感じはする。
正確な数字がいずれにしても確認出来ないため、少なめの数字を基本的に信頼出来る数字として扱うが、極端に全備重量から自重を差し引いての数字が乖離するようであれば上方修正することで対応しようと思う。帝国陸海軍の輸送機の能力算定を再度機会を作って考えることにする。
さて、ここでコメントに対しての返答をしていこうと思う。
>ペイロードと航続距離
ペイロードは兎も角、航続距離は零式輸送機(原型DC-3)一式貨物輸送機(原型L-14)は何れも2トン程度に3000キロと十分なそれを有している。千歳から福岡までを1300キロひとっ飛び出来る数字だ。帝都からサイパン2400キロも余裕で飛べる。帝都~香港2900キロは余裕まだ少しある。深山改は4トンで4200キロである。
>川西に二式大艇と設計を共有化した輸送機
史実の晴空を発想の原点と理解するが、これ陸上機として?それとも飛行艇として?
陸上機としての開発を考えてのコメントであるとすれば、川西社内で議論された二式大艇陸上機化構想をスタート地点にすべきかも知れないね。その場合、二式大艇の発注時点で自主研究というそれで4発爆撃機の開発計画を進めて共通規格化をするというそれが理屈が通る様に思える。
>飛行場整備は原さんの暴走があるから解決済み
ブルドーザーが普及しているからね。なに、足りなければ”越後一の働き者”を動員する理由になるさ。むしろ、これからの出番を設ける意味でも推し進めるべきかも知れない。
>機体側の連結部分を砲兵トラクターのそれに一致させれば機体牽引
ドイツはケッテンクラートとかで機体牽引していたくらいだし、そこまで深刻にならなくても良いんでねぇ・・・・・・と思ったけれども、米帝空母の牽引用トラクター”モトタグ”の性能が分からんからこれはもう少し調べてみないとな。あぁ、これ、トヨタやコマツの独壇場の気がしてきた。
>バカガラスやギガント
>キ105(鳳)という輸送機
キ105やMe323の類いはなかなか評価が難しい。確かに積載量そのものを考えると絶大な効果がある一方で、その運用コストがイカレている。
希少鉱物・・・・・・例えばニッケルやタングステンみたいなそれを貴重なガソリンを使って短期間ピストン輸送するなら効果もあろうけれど・・・・・・永続的にと言う話は考えるだけでも頭痛がする。
しかし、制空権を確保した上で、100機単位で空挺降下でもやるってなると1個連隊相当の戦力を戦略拠点制圧に使えるから蘭印の油田とか要塞線の裏側へ降下して挟み撃ちとかそういう運用には好適であるかも知れない。ただし、被害は相当に出ると思うが。
さて、というわけで、輸送機の運用については戦略面と戦術面で考えて開発をしていく必要がある。勿論、この当時の場合、旅客機・輸送機・爆撃機は紙一重のところにある故に、転用が基本となっている。
作中の懸案DC-EXのそれだとてそうだ。予備設計くらいはねじ込めば出来ると思う。だが、あれもこれもと望むと史実と同じタイミングに深山・連山相当を開発することになって出遅れてしまう。
それは避けたいと思うわけだ。となると、DC-EXの開発と輸送機のそれは別軸で考えていくべきなんだろう。
現実的な方向性としては、史実と同じくDC-3のライセンス国産化を行った上で史実以上の量産体制と国内航空会社の助成が必要になるだろうな。
大日本航空の設立とその周辺も調べ直しになるな。