タロット美少女(審判)!銃と美少女は魅力的ですよね!
はじめての方はよろしくお願いいたします。
勿忘草です。
応援して頂いている方は本当にありがとうございます
また前回も沢山のメッセージを頂き感慨しました!!
希望を頂きとても嬉しかったです。
また感慨しましたのでアナログ作画を描いて見ました。
デッサンは20年ぶりに描きました!
美少女と銃になります。
男性的な象徴の銃と美少女はなぜか魅力的です。
なぜでしょうか?
ミスマッチな世界観に背徳感があるのかもしれませんね。
美少女と銃の改造フィギアの特別写真もあります。
フォロワー様に公開しているので是非見てくださいませ。
ご興味ある記事を読めますように目次を作りました。
アドバイス本当にありがとうございました。
タロット美少女(審判)
今日のタロット作品は美少女(審判)です!
初投稿のAIイラスト(魔術師)は1番のカードでした。
20番のカード(審判)を投稿します!
勿忘草の1番好きなタロットカードです。
本来タロットカードは順番が大切なのですよ。
なので前回の3番目のカード(女帝)の次の(皇帝)をご紹介するべきなのですが、投稿内容に相応しいカードをご紹介する方針に変更させて頂きましたのでご了解ください。
そのほうがシンクロ率が高くよりご参考になると思いました。
アナログ作画をAIで変換しますので是非見て下さいませ。
20年以上前にアナログで創作した作画となります。
審判
正位置の意味( 復活 再生 覚醒 )
逆位置の意味( 挫折 離縁 執着 )
タロット審判のイメージで制作しました。
こちらが最新AIの作品となります。
審判は再生の象徴です。
私の1番好きなタロットカードでもあります!
挫折からの再生がメッセージです。
失敗からの復活また転生の意味もある強いカードです。
最後の21番目の最強の(世界)の前の20番目のカード(審判)
意識して表現できたのは以下となります。
カードの象徴である大天使ガブリエルを再現出来たこと。
神秘的な厳かな世界観が描写出来たこと。
復活と再生のイメージを表現出来たこと。
逆位置の挫折と執着のイメージも表現出来たこと。
AIではタロットの二面性を意識して創作しています!
神秘的な美少女の大天使が制作できたのは良かったです。
タロットのメッセージがご活動のご参考になれば嬉しいです!
ご閲覧ありがとうございます。
今回はいかがだったでしょうか?
ここから先は勿忘草の実話になります。
お時間ある時によろしければ読んで見てください。
ご興味ない方は全部読み飛ばしてイラストだけご観賞くださいませ。
フォロワー様に20年ぶりのデッサンを公開しています!
改造美少女フィギアもありますよ!
勿忘草がこの実話を公開していますのは、どんな辛い状況も後々のチャンスに繋がっている理を知って頂きたい思ったからです。
読んで頂いた方の勇気に少しでも繋がれば幸いです。
勿忘草の実話5話
勿忘草は大昔に漫画家を目指していました。
小学生時代は学校で一番に絵が上手と言われました。
中学生時代も天才と言わて人気者に。
そして夢であった漫画家を目指して多摩美術大学を希望!
しかし‥‥父親の大反対に会い無念にも夢を諦めました。
そして私は大学は経済学部に進みました。
しかし余りにも講義と大学がつまらなく通わなくなりました。
ケインズ経済学とか統計学とか全く興味なかったのですよ。
そしてなんと!!3年も留年してしまったのです。
そして私の就職活動はとても難しい状況となりました。
前回までの実話のまとめ
前回までの実話のまとめになります。
■最初の留年
授業が退屈で映画ばかり観てました。
勉強はしなかったので単位不足で留年!
ここまではたまにある事ですよね。いやいや勉強しろよ!
■2回目の留年
留年した恥ずかしさもあり家に引き籠ってしまいました。
当然引き籠りなので単位不足で再留年!
両親は海外駐在なので事後報告と内緒で退学届けを無断提出!
親のコメントと承認の捺印を偽造しました。
なんと学生課がアメリカのニューヨークまで電話連絡!
父親は大激怒!
退学は承認されず私はちゃんと大学に通うように約束しました。
退学出来ないなら卒業するしかありません。
■3回目の留年
退学出来ないので仕方なく大学に久しぶりに通い始めました。
大学の同期に誰も友達はいません。孤独でした。
そして学年末試験!!1講座だけ追試験になりました。
勿忘草は追試験の日時を間違えてしまったのです!
もう追試験は終了していました。
追試験の日時変更は学生掲示板に告知されていました。
この学生掲示板を見過ごしてしまったのですよ!
この追試験の日時を間違ったのが3回目の留年の理由です。
■ミニコミ編集部への入部
3回目の留年は本当に落ち込みました。絶望しました。
そこで勿忘草は考えたのですよ。
私には決定的に情報がなかったのです。
当時はネットもメールもSNSも勿論ありません。
そこで友達が大学にいなかった私は部活に入部することにしました!
それがミニコミ編集部だったのですよ!
このミニコミ編集部が私を受け入れてくれたのです。
勿忘草は読書が大好きなので文章を書くのは得意でした。
しかし勿忘草はこのミニコミ編集部を退部する事になるのです!
その理由はミニコミ編集部の雑誌がカッコ悪いと思ったからです。
デジタル時代では信じられない事ですが全部手書きなのですよ。
それは私の大学のミニコミ編集部だけではありません。
驚くことに全ての東京の大学のミニコミ雑誌は手書きでモノクロでした。
そこで勿忘草は表紙はカラーで文章を活字にした商業誌のようなミニコミ雑誌を編集したいと考えました。
それが理由でミニコミ編集部の同志達と一緒に退部したのですよ。
今回の実話の続き
ここからが実話の続きとなります。
表紙カラーの活字の雑誌を創刊するのはとても難しかったです。
まず費用が必要です。
手書きのモノクロのミニコミ雑誌の10倍は必要でした。
デジタルがない時代なので印刷会社に活字にして貰う必要があります。
また編集制作をする場所の確保も必要です。
簡単なことではありませんでした。
最初の課題は編集部の場所の確保が必要でした。
ミニコミ編集部から一緒に退部したのは合計5人!
雑誌創刊には資料や編著作業のための場所が必要です。
退部したミニコミ編集部は伝統のある部活動なので正式に大学に認可された部室が大学校内にありました。
編集方針の違いで突然退部した私達に部室が認可される事など絶対に不可能です!しかし部室の確保は場所と電気光熱費など大学が負担してくれるので雑誌編集には絶対に必要だったのですよ。
ここで勿忘草は策士の如く一計を考えましたよ。
それこそまさに奇策でした!!
それは部の乗っ取りです。
戦国時代のような発想でした!
部室のある部活動を乗っ取ろうと考えたのです。
しかし部室のある部活は伝統ある部活動ばかりなので簡単に乗っ取れる訳ありません。勿忘草は大学に部室がある部活動を全部調べましたよ。
そしてたまたま理想的な部活動を見つけました!!
それがジャーナリズム研究部です。
なんとこの部活動は調べて見ると驚くことがわかりました。
伝統ある部活動なので部室が認可されているのに正式な部員が2名しかいなかったのです!たった2名で廃部寸前だったのですよ。
そして活動停止状態の部員のお二人に雑誌を創刊させたいので入部させて欲しいとお願いしました。
なんの面識もないので突然の提案に驚いたと思います。
しかしこの提案に賛同して下さったのですよ。
もともと活動停止状態だったのが理由かもしれません。
またこのお二人がとても個性的な方達でした。
部長さんはなんと勿忘草と同じように3年留年していました!
ほとんど大学には行かずに東京の六本木のスナックで働いて本ばかり読んでいる個性的な方でした。ほとんど動かなく無口でしたが頭脳明晰な方でした。
もう1人の部員の方はロックミュージシャンのような方で洋楽のロックを愛されていました。この方も2年留年してアウトローのようでしたよ。
このお二人がミニコミ編集部を退部した見ず知らずの5人を受け入れてくださったのです。
これで編集部の確保が奇跡的に出来ました!
次の課題は表紙カラーの活字印刷の雑誌の制作費用の確保です。
最初に印刷会社さんの見積りは100万円相当でした。
これはハードル高過ぎます!
販売収入など良くて200部で10万円です。
当時は電子書籍どころかパソコンがない時代です。
なので大学構内の販売所での販売と知人への直接販売しか方法がないので販売収入には限界があります。
そう考えると現代は夢のような時代ですよ。
販売収入以外の費用は自己負担になります。
しかし大学生です。雑誌編集のために大金を支払う訳にはいきません。
そこで考えたのが広告収入です!
もともと広告収入は少ない金額でしたがミニコミ編集部にもありました。
これは打ち上げなどで使う行き付けの居酒屋さんとか、大学の近くの飲食店さんからお付き合い費用として少額の広告収入がありました。
しかしそのような少額の費用では全く足りません。
逆に言えば広告収入が少ないので、東京の大学のミニコミ編集部の全ての雑誌は活字でなく手書きだったのです。
販売部数が少ないミニコミ雑誌なので当然ですね。
販売部数が少ないのに広告で大きな収入をあげる企画を考える必要がありました。
その企画が当時の大学では画期的な著名人へのインタビュー記事でした!
当時のミニコミ編集部は大学校内の事しか取り上げてなかったのです。
いきなり芸能プロダクションに電話してタレントや著名人やアイドルの取材を申し込みました。
意外ですがなんの実績もない大学生の雑誌にわざわざ時間を取って皆さんインタビューに応じて写真も撮らせてくださったのですよ!
この著名人のインタビュー記事が掲載される事をアピールして広告営業活動をしました。そしてなんとか格安の親切な印刷会社さんの協力で自己負担なしに創刊を果たせました!
東京の大学では初めての表紙カラーの活字の雑誌の創刊が出来たのです!
大学の部室練で連日夜遅くまで編集活動をしましたよ。
巻頭インタビュー記事以外には小説や映画のレビュー、また音楽作品の紹介、エッセイや文芸小説なども掲載しました。
残念ながら雑誌は数刊で廃刊になりましたが。
私は引退して卒業となり時代は変化したので仕方ないですね。
そして勿忘草にも就職活動の時期が訪れました。
とても難しい状況でしたよ。
全ての企業が不採用でした。
3年も留年した私を採用してくれる企業などありません。
金融機関やメーカー企業など書類選考以前の問題です。
そもそも不真面目な私が勤まる訳ありません。
就職しても1ヶ月も通勤出来ないでしょう。
そんな中で1社だけ最終役員面接まで行った企業がありました。
大手広告代理店の博報堂です。
それには理由があります。
勿忘草は自己アピールの文章に漢字2文字を書いて提出したのですよ。
勿論文章も少し書きましたが漢字2文字を大きく筆で書きました。
これが独創的だったのですよ!!
一次面接と二次面接ではこんな書面は初めてだと驚かれました。
その理由を聞かれて私はこのように答えましたよ。
「アピールは広告と同じで目にとまらないと埋もれてしまいます。」
インパクトが大切だと偉そうに伝えたのです。
これが良かったのですよ。
しかしなんと最終面接で不採用となりました。
その理由はなぜか大事な役員面接に遅刻したのです!
ちなみに遅刻しなくても不採用だったかもしません。
理由は大昔で忘れてしまいましたが20分は遅刻しました。
携帯電話がない時代なので連絡出来なかったです。
役員さん達は怒らずに面接を笑顔でしてくれました。
社会人として失格ですよね。申し訳ありません。
そんなわけで全ての企業が不採用でした。
流石に私は困りましたよ。
正社員採用は諦めるしかないと思った時に想定外の運命が訪れました。
全ての企業に不採用だった私がどうして復活出来たのか?
その再生の実話は次回お話したいと思います。
次回が最終話となります。
よろしければお付き合いくださいませ。
長い実話を読んで頂き本当にありがとうございました。
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フォロワーの皆様に20年ぶりのデッサンをお見せしたいです。
少女と銃をアナログで描きました!
思い入れのある美少女なので是非見て頂ければ嬉しいです。
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