勿忘草 2022/11/22 20:42

美少女(愚者)!新作イラストと勿忘草の実話の完結です!!

はじめての方はよろしくお願いいたします。
勿忘草です。
はじめての方はイラストだけでも見て頂けると嬉しいです。


応援して頂いている方は本当にありがとうございます
また前回も沢山のメッセージを頂き感謝しています!!
本当に励みになりとても嬉しかったです。

また嬉しくてアナログ作画を描いて見ました。
AIで制作していますと不思議なものでアナログ作画も良いと思います。

ノスタルジックな世界観とか手書きでしか表現出来ないですよ。

18年ぶりの新作イラスト第3弾です!
フォロワー様に公開しているので是非見てくださいませ。

ご興味ある記事だけ読めますように目次を作りました。
勿忘草の文章は長いのでイラストだけでも見て頂きたいです!

タロット美少女(愚者)

今日のタロット作品は美少女(愚者)です!

タロット(愚者)は特別なカード!

タロットカードの大アルカナは合計22枚です。
1番の(魔術師)から最後の(世界)まで番号があります。

しかしこの(愚者)は0番なのですよ!
トランプのジョーカーの起源とも言われています。

愚か者と可能性の象徴であるカードがご参考になれば嬉しいです。

また(愚者)に関連する話を投稿しましたのでよろしければこの機会に読んで頂ければ幸いです。

アナログ作画をAIで変換しますので是非見て下さいませ。
20年以上前にアナログで創作した作画となります。

最新AIで制作した作画です。

愚者

正位置の意味( 自由 純粋 無邪気 )
逆位置の意味( 我儘 軽率 不注意 )

タロット愚者のイメージで制作しました。
AIではタロットの二面性を意識して創作しています!

こちらが有名なウェイト版です。

危険な崖の上が制作できたのは良かったです。

タロットのメッセージがご活動のご参考になれば嬉しいです!

ご閲覧ありがとうございます。
今回はいかがだったでしょうか?

ここから先は勿忘草の実話になります。
勿忘草の実話完結編です!!
お時間ある時によろしければ読んで見てください。

ご興味ない方は全部読み飛ばしてイラストだけご観賞くださいませ。

フォロワー様に18年ぶりのイラスト第3弾を公開しています!

前回までの実話のまとめ

前回までの実話のまとめになります。

勿忘草は大昔に漫画家を目指していました。

小学生時代は学校で一番に絵が上手と言われました。
中学生時代も天才と言わて人気者に。
そして夢であった漫画家を目指して多摩美術大学を希望!
しかし‥‥父親の大反対に会い無念にも夢を諦めました。

そして私は大学は経済学部に進みました。
しかし余りにも講義と大学がつまらなく通わなくなりました。
ケインズ経済学とか統計学とか全く興味なかったのですよ。
そしてなんと!!3年も留年してしまったのです。

そして私の就職活動はとても難しい状況となりました。

最初の留年
授業が退屈で映画ばかり観てました。
勉強はしなかったので単位不足で留年!
ここまではたまにある事ですよね。いやいや勉強しろよ!

2回目の留年
留年した恥ずかしさもあり家に引き籠ってしまいました。
当然引き籠りなので単位不足で再留年!
両親は海外駐在なので事後報告と内緒で退学届けを無断提出!
親のコメントと承認の捺印を偽造しました。
なんと学生課がアメリカのニューヨークまで電話連絡!
父親は大激怒!
退学は承認されず私はちゃんと大学に通うように約束しました。
退学出来ないなら卒業するしかありません。

3回目の留年
退学出来ないので仕方なく大学に久しぶりに通い始めました。
大学の同期に誰も友達はいません。孤独でした。

そして学年末試験!!1講座だけ追試験になりました。
勿忘草は追試験の日時を間違えてしまったのです!
もう追試験は終了していました。
追試験の日時変更は学生掲示板に告知されていました。
この学生掲示板を見過ごしてしまったのですよ!
この追試験の日時を間違ったのが3回目の留年の理由です。

ミニコミ編集部への入部

3回目の留年は本当に落ち込みました。絶望しました。
そこで勿忘草は考えたのですよ。
私には決定的に情報がなかったのです。
当時はネットもメールもSNSも勿論ありません。
そこで友達が大学にいなかった私は部活に入部することにしました!
それがミニコミ編集部だったのですよ!

このミニコミ編集部が私を受け入れてくれたのです。
勿忘草は読書が大好きなので文章を書くのは得意でした。

しかし勿忘草はこのミニコミ編集部を退部する事になるのです!
その理由はミニコミ編集部の雑誌がカッコ悪いと思ったからです。

デジタル時代では信じられない事ですが全部手書きなのですよ。
それは私の大学のミニコミ編集部だけではありません。
驚くことに全ての東京の大学のミニコミ雑誌は手書きでモノクロでした。

そこで勿忘草は表紙はカラーで文章を活字にした商業誌のようなミニコミ雑誌を編集したいと考えました。

それが理由でミニコミ編集部の同志達と一緒に退部したのです。

新雑誌の創刊と就職活動

表紙カラーの活字の雑誌を創刊するのはとても難しかったです。
簡単なことではありませんでした。

最初の課題は編集部の場所の確保が必要でした。
ここで勿忘草は策士の如く一計を考えましたよ。
それがジャーナリズム研究部への入部です。
たった2名で廃部寸前だったのですよ。
これで編集部の確保が奇跡的に出来ました!

次の課題は表紙カラーの活字印刷の雑誌の制作費用の確保です。
最初の印刷会社さんの見積りは100万円相当でした。
販売収入など良くて200部で10万円です。
当時は電子書籍どころかパソコンがない時代です。
そこで考えたのが広告収入です。
販売部数が少ないのに広告で大きな収入をあげる企画が必要がでした。
その企画が当時の大学では画期的な著名人へのインタビュー記事でした!

こうして新雑誌が完成しました。
東京の大学では初めての表紙カラーの活字の雑誌の創刊が出来たのです。

そして勿忘草にも就職活動の時期が訪れました。

就職活動は全ての企業が不採用でした。
3年も留年した私を採用してくれる企業などありません。
金融機関やメーカー企業など書類選考以前の問題です。
そもそも不真面目な私が勤まる訳ありません。
就職しても1ヶ月も通勤出来ないでしょう。
そんなわけで全ての企業が不採用でした。

実話の完結編

ここからが勿忘草の実話の完結編です。

全ての企業がことごとく不採用でした。
流石に私は困りましたよ。
正社員採用は諦めるしかないと思った時に想定外の運命が訪れました。

それは険悪な関係だった父親が助力をしてくれたのです。

私は漫画家になるのが夢で美術大学に進学したかったのです。
漫画家も美術大学も父親の大反対で諦めました。
なので父親との関係は険悪だったのですよ。

そんな父親が私の状況を見かねて助力をしてくれました。
私の夢を絶った罪悪感もあったのかもしれません。
数社の出版社の役員を紹介してくれたのです。

私の父親は電通の社員でした。
いまや影の政府と言われる巨大広告企業の電通です。
しかし父はエリートでもなんでもなかったのですよ。
父が就職した当時の電通は無名な会社でした。
広告会社は(ちんどん屋)とか馬鹿にされていた時代です。
有名大学の出身でもなかった父は九州の田舎者で、創業者に九州出身者が多い電通に縁故があり入社したのです。

父親は電通に勤めていたので出版社の役員と交流がありました。
なので数社の出版社の役員を紹介してくれました。

ただ紹介してくれただけで採用してくれる訳ではありません。
やはり不採用の会社ばかりでした。


しかしある出版社の役員の方が創刊雑誌を見てくれました。
私が初代編集長だった大学の創刊雑誌です。

これを創刊させたのは素晴らしいと思ってくださったのです。
当時は独創的だった活字と広告収入の大学生の雑誌でしたから。

時代は出版社による雑誌の創刊ブームでした。
私の経験が役立つと採用してくださったのですよ!

不思議なものです。
私の漫画家への夢を奪った父親の助力。
また私が追試験の日時を間違った事による3回目の留年。

この事がなければ私は出版社に入社出来ませんでした。
運命とは不思議なものですよね。

狭き門である出版社に入社出来て本当に良かったです。
好きな本に囲まれた自由な雰囲気の出版社は私には良い職場でしたよ。


しかしまた不思議な運命が訪れます。
それは私の出版社が大手のKADOKAWAに買収されたのです。

KADOKAWAは国内最大のメガコンテンツ企業です。
大量の小説、ラノベ、漫画、アニメ、映画、ゲームを提供しています。

私は最初はとても嬉しかったですよ。
大好きな小説、漫画、アニメに関わる事が出来るのですから。
私の愛するKADOKAWAの作品はたくさんありました。

しかし数年経過すると状況が大きく変わりました。

デジタル時代と出版不況が訪れたのです。
危機感を持った出版社の状況は大きく変化しましたよ。

特にKADOKAWAの利益至上の経営方針は強化されました。
私にはとても耐え難いものになりました。

昔の出版社は作家さんやクリエイターさんと関係を築きながら読者の方々に作品を届ける喜びがありました。

しかし売り上げが最も大切な状況となったのです。
職場はいかに営業利益を出すかの重圧が重くて本当に大変でした。

なにより耐え難いのは愛する作品が商品として扱われる事でした。
創作には愛が必要だと思うのです。
そんな売上しか見ない職場の状態に耐えられなくなりました。

ある日の朝のことです。
駅のホームに私は1人で座っていました。
何度も会社に向かう電車に乗ろうとしても何故か動けないのです。

この日からも紆余曲折ありましたが……
私は精神疾患と診断されて原因不明の身体障害者となりました。
身体の全身疼痛と機能不全で長年自宅療養をしています。


KADOKAWAは自主退職しましたよ。

これで勿忘草の実話は完結となります。

人生は塞翁が馬ですね。
少しビターなエンディングですが実話となります。

そんな私が18年ぶりにまた創作を始められたのは幸福ですよ。
皆様の温かい応援のお陰です。
だからとてもとても感謝しています!

長い長い実話を読んで頂き本当にありがとうございました。

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

フォロワーの皆様に新作イラストをお見せしたいです。
大好きなエンディングの美少女をアナログで描きました!

思い入れのある作品なので是非見て頂ければ嬉しいです。
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