勿忘草 2023/01/03 15:00

今年もよろしくお願いします!30年前の漫画を公開します!


勿忘草です。

初めての方はなにとぞよろしくお願いいたします。

応援頂いた方とても感謝しています。
昨年は本当にありがとうございました!

勿忘草がAIで制作したご挨拶でした。

私の活動も身体が限界になりそうなのです…
いつまで継続出来るかわりません。

しかしなんとか励みを頂き創作活動が出来ました。
本当に心から感謝しています。
応援頂きありがとうございました!!!

新年の手描きの新作イラストを公開します!

また特別に私の30年前のアナログ漫画を公開しますのでお時間ある時に読んで頂けるととても嬉しいです。

タイトルが新年に相応しいと思いまして公開しました!

『バトルマシーンは電気兎の夢を見る』

これからもなにとぞよろしくお願いいたします。

勿忘草

勿忘草とは変わった名前ですよね。
これはワスレナグサと読みます。
なかなか難しい漢字で私も最初読めませんでした。
これが勿忘草です。

青い可愛い花💠ですよね!

この花言葉が大切な理由です。

私を忘れないで

また真実の愛の意味もあります。

新年に向けて勿忘草を描いて見ました。
勿忘草の手書きのイラストです。
よろしければイラストだけでも見て頂けると嬉しいです。

新年に勿忘草の命名の理由をお話しします。
また勿忘草の子供の時の印象的な出来事をお話しします。

ご興味ないですか?
ご興味ない方は全部文章を飛ばしてくださいませ。

勿忘草の名前の由来

この名前はあるゲームのタイトルをリスペクトしてます。

ご興味ない方は文章を全部読み飛ばしてくださいね。

探偵神宮寺のあるタイトルをリスペクトしているのです。

探偵神宮寺生誕30周年記念作品です。

素晴らしい傑作ゲームだと思います。
とても矜持あるノスタルジックで心温まる作品です。

神宮寺探偵と助手の洋子さん。
ハードボイルドな世界観が素晴らしい。

ハードボイルドお好きですか?
私は好きでしたよ。

有名な名言ご存じですか?

レイモンド・チャンドラーのハードボイルド小説
探偵フィリップ・マーロウの台詞です。

強くなければ生きていけない
優しくなければ生きている資格がない

お正月の名言としていかがでしょうか。

ハードボイルド探偵神宮寺シリーズ
1987年の新宿公園事件が最初のゲームです。
2019年にPS4とswitchで新作が発表されて30年以上ですよね!
基本的に舞台は東京の新宿です。

主要登場人物が同じゲームで継続した一番長い歴史的な作品だと思います。

「勿忘草の想い」

『探偵 神宮三郎 GHOST OF THE DUSK』
神宮寺生誕30年を記念して発売されたゲームです。
「鬼姫伝」「愛ゆえに」「勿忘草の想い」「揺らめくひととせ」が本編以外に収録されている短編でした。
ただこのゲームは3DSがないと出来ません。

この「勿忘草の想い」はとても感動的なお話たったのですよ。
孤児の女子高生の琴音さんがとても可愛くて健気で好きでした。

私の名前の勿忘草はこの作品のタイトルをリスペクトしました。

勿忘草の花言葉は(私を忘れないで)です。
また(真実の愛)でもあります。

美人助手の洋子さんの容姿が作品別に全く違うのが特徴で魅力ですよ。
大和撫子八変化です。
またこの作品の洋子さんの声優は能登麻美子さんなので素晴らしいです。

深い愛情の素晴らしい名作でしたのでご紹介しました。

勿忘草の花言葉 (私を忘れないで)

私の勿忘草の命名の由来を読んで頂きありがとうございました。
勿忘草を覚えて頂けると嬉しいです。

勿忘草の想いです。


私の子供の時の想い出

子供の頃の忘れられない印象的な想い出はありますか。

突然ですが実は私は帰国子女なのですよ。

長い文章になるのでご興味ない方は全部文章を飛ばしてくださいね。

私は幼稚園から小学生5年生まで香港で過ごしました。
5年以上ですね。

私が日本に帰国してから小学校では虐めに会いましたよ。

なにしろ私は女の子達が好きなテレビ番組や男の子達が好きな野球など全く知らなくて体験した事がなかったですので。

なので私はいつも独りで休み時間は小学校の図書室で本を読んでいました。
本はその時からずっと友達です。

小学校に行くのがとても辛くて不登校になりそうになりました。
幸い幼稚園時代の友人が覚えていてくれて声をかけてくれたので辛くてもなんとか小学校に通学出来ました。

香港では私は可愛くて漫画が上手で人気者だったのに帰国してからは日本の文化に合わず虐めに会い辛かったです。

中国人とか言われて虐められました。
そもそも香港は英国領ですし私は日本人です。
中国の方にも失礼ですよね。

私が住んできた時の香港はまだ英国の植民地でした。

香港の中国への返還が1997年ですね。
香港では中国への帰属に抵抗して民主化運動が続いています。

私が香港で過ごした頃はまだ返還が決まる前の大昔です。
これがその時代の香港です。

混沌としてとても印象的な街でした。
私がいた時代はまだ人力車がありましたよ。

私は安全のため香港日本人学校に専用送迎バスで通学していました。

クラスは全ての学年が1クラスで人数が少なかったです。
私は小学生でしたが中学は3人しかいないクラスがありました。

またオフィスビルを改装していたのでなんと学校に校庭がありませんでした!
私が日本に帰国した後に立派な校舎が建築されたようです。

当時良くも悪くも香港の街は混沌としていていました。

街を走る公営バスは英国で廃車になったバスを修理して利用していたので危ないので乗車しないように言われてました。

右側が昔の公営バスの写真です。
また左側が香港名物の2階がある路線電車です。

また夜のネオンの風景はとても幻想的でした。

現在はネオンも少なくなったようですね。

当時の香港は治安も悪く誘拐などがありました。
また現地の香港警察は香港マフィアと関係して信頼できないと言われていました。本当かはわかりませんが。

私の印象的な出来事をお話しします。

まだ私が小学生の低学年の時に迷子になったのです!

迷子なんて誰でも体験しますよね。
でも私はとても危険な場所で迷子になりました。

小学生でも高学年になった時は英語と広東語が日常会話程度は少しだけ話せるようになりましたが、まだ低学年で幼かったので英語も広東語も全く話せなかったです。

しかも迷子になった地区がとても治安が悪い場所でした。

正確な場所は思い出せないのですが日本人は立ち入らないように言われていた危険な場所でした。

その場所にはもちろん両親と一緒に行きました。
なぜそんな危険な場所に行ったのか理由は私にはわかりませんが、両親と一緒に何かの用事でその地区を訪れたのです。

そこで私は両親とはぐれてしまったのです。

喧騒とした街で独りになったしまいました。

本当に怖かったですね。

私はまだ小さくて可愛い子供だったので誘拐されるかもしれないです。
実際に誘拐事件などがありましたので。

広東語も英語も全く話せなかったのでどうにも出来ません。

警察官を探したけどいませんでした。

独りで泣いていました。
広東語で話されても意味がわからないのでどうにも出来ません。

危険地区と言われた場所で誰かについて行くのも怖くて出来ませんでした。
また広東語のイントネーションは独特で喧嘩しているように聞こえるのですよ。

もちろん携帯電話などなかった時代ですし公衆電話もなくてお金は全く持っていません。
タクシーに乗るのお金もなく怖かったです。

その時ある中年紳士が日本語で話しかけてくれたのです。

私の洋服が現地の子供とは思えなかったからかもしれないです。

私は迷子になったと日本語でその紳士に伝えました。

そうするとその紳士は私を助けてくれると言うのですよ。
その紳士は少しだけ日本語が話せました。

私は自宅の電話番号を聞かれました。
でもなんと自宅の電話番号を覚えていなかったのです。

いまでもそうなのですが私は数字が覚えられないのですよ。
いまも携帯電話の番号が言えません。
自宅の郵便番号も覚えられないのです。
たまに驚かれますがなぜか数字が覚えられないのです。

私は広東語は分かりませんでしたが住所だけは覚えていました。

この住所だけは両親に暗記するように言われたのです。
いまでもこの住所だけは覚えています。

パーマーデーサンキントンイーサップホー

イーサップホーは広東語で数字なので番地ですね。

パーマーデーとは競馬場の近くです。

競馬は英国の伝統的な紳士の競技です。
英国植民地時代に建築された競馬場がありました。
跑馬地(Happy Valley・ハッピーバレー)のロイヤル香港ジョッキーの競馬場はイギリス人の社交場でもあったのです。

大昔の香港の競馬場の写真です。
左側に小さな山がありますよね。

私の自宅はこの競馬場の近くでした。
競馬場の左側の小さな山の上のマンションでした。

私の自宅はとても辺鄙な場所だったのですよ。

繁華街から山道を上がった上にあるマンションでした。
なんで両親がこんな辺鄙な場所を選んだか不思議なのですが……
繁華街から遠いので安全だと思ったのかもしれないです。

迷子になった私がその紳士に唯一覚えている住所を伝えました。

そうすると紳士は私を自宅まで連れて行ってあげると言ってくれたのです。

その紳士は身なりも良く親切だったので私は信じてお願いしました。
他にどうしようもなかったからです。

自宅まで遠路わざわざその紳士は私を一緒に連れて行ってくれたのです。
しかしその紳士もまさかこの山の中にマンションがあると思えないので何度もこの道で正しいのか確認されました。

新しい香港の競馬場の写真です。
手前に小高い山がありますよね。
この山の上にマンションがありました。

紳士は日本語が少しだけだけしか理解出来ないのでお互いに意志疎通が難しかったのですよ。

この山の上にマンションがあるとは思えなかったと思います。
しかし私の言葉を紳士は信じてくれました。

徒歩で2人で山道を上がって自宅に帰りました。

その香港人の紳士は遠路わざわざ見知らぬ私を守って連れて帰ってくれたのです。

もの凄く親切ですよね。
山道を徒歩で私の言葉を信じて一緒に自宅まで来てくれたのです。
その日が平日だったか日曜日だったか覚えてないのですが…
学校がなかったので日曜日だったと思います。

その紳士は他に用事もあったと思います。
それでも初めて会った私を時間かけて自宅まで連れて帰ってくれたのです。

この親切な紳士にはいまでも感謝しています。

私は自宅に待機していた母親にいきなり顔を殴られました。

心配だった気持ちはわかりますが……
母親にいきなり殴らたショックで私はまた泣きだしてしまって…
その紳士にちゃんとお礼を言えませんでした。

いまでもその事が心残りです。

その紳士のお名前も知らないですが。
両親がお礼をしたいと伝えたら固辞されたようです。

確かご職業が弁護士さんだったとお聞きしました。

なんの見返りもなく受けたご恩をいまでも覚えています。

一言ちゃんとお礼がいまでも言いたいです。

私を助けてくれてありがとうございました。

私の子供の時の実話を読んで頂きありがとうございました。

また長文になり申し訳ありません。

新年の新作アナログイラスト

新年に向けて勿忘草を描いて見ました。

勿忘草の手書きのアナログイラストです。

Forget-me-not 私を忘れないで

勿忘草の花言葉です。

私が長年住んでいた東京の三軒茶屋が背景です。
高い建物は三茶のシンボルのキャロットタワーですね。

キャロットタワーの最上階からの景色は素晴らしいですよ!
無料で行けますよ。
キャロットはウサギが好きな食べ物のシンボルですよね。

これからも勿忘草を思い出して頂けると嬉しいです。

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私のイラストと文章を読んで頂きありがとうございました。

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