母の浮気/64
母は、呆気に取られたようである。それはそうだろう。幼子ではない子どもから、一緒に入浴したいと言われたのである。普通の母親だったら、「えっ、なんで?」と、なるのが当然である。良太は、母にも普通の部分があることを知って、安心半分、意外な思い半分といった感じだった。
しかし、すぐに、母は眉をひそめるようにして、
「そんなにお母さんと一緒に歩きたくないなら、もういいわ」
ふんっ、と横をむくようにした。
「どういうことだよ」
「だって、そんなの冗談なんでしょ。そんな冗談言って断るなんて、ちょっと感じ悪いんじゃない、良太」
なるほど、母は、デートの断りの口実として、良太がそんなことを言いだしたのだと、そのように判断したようだった。
「別に冗談じゃないんだけど」
「じゃあ、お母さんと一緒に、本当にお風呂に入りたいわけ?」
「ああ」
「なんで?」
「理由なんか無いよ。入りたいものは入りたいんだよ。ダメだっていうなら、仕方ないけど」
「本当に入りたいの……?」
「何回言わせるんだよ。入ってくれるの? くれないの?」
「…………別に、いいけど」
いいんかいっ! と良太は、心の中でツッコんだ。はっきりと断られるとは思っていなかったが、それにしても、何か理由をつけられてかわされるのではないかとは思っていたが、随分あっさりと許してくれたものである。そもそも久司と一緒に入ったわけだから、男と入浴することそれ自体には、そこまでの抵抗はないのかもしれない。何にしても、良太は、予想が外れたことを嬉しく思った。
「じゃあ、今から入ろうか、良太?」
「ああ」
「あっ……でも、シャワーだけじゃあったまらないから、お風呂沸かした方がいいわね」
そう言うと、母は、壁にかかっているタッチパネルで、風呂を沸かすための操作を行った。
「その間に、ここ片付けちゃうわ」
母が夕食の後片付けをし、風呂が沸くまで、良太は、リビングでテレビを見ていることにした。くだらないバラエティを右から左に聞き流していると、そのうちに、自動音声で、風呂が沸いたというアナウンスが響いた。
「じゃあ、一緒に入ろう、良太」
母がどこかうきうきとした声で言った。
ここに来て、良太は急に緊張してきた。さっき、風呂に誘ったときには、怒りが心を支配していたわけだけれど、インターバルがあったことによって、気持ちが落ち着いてしまったのだ。そうして、
――なんで、おれ、一緒に風呂に入ろうとか言ったんだ?
などと考え出す始末である。考えてみても、それは、本気で分からなかった。久司に対抗して、というわけでもないようである。しかし、口から出たということは、心の中にそういう願望があることは間違いないことであり、
「なにしてるの? 早く入ろうよ」
母の誘いに応えて、良太は、ソファを立った。