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吉備津彦伝本編の記事 (5)

しゅれでぃんがー 2020/05/27 21:18

吉備津彦伝 闇退治の章 旅立ち

【郵便受け】
 【桃太郎】は勅命を果たし続ける限り、月に一度、麓の村から物資を受け取ることができる。米や味噌に干した魚など。山菜や動物の肉などは自給自足(経費削減のためらしい)。柴刈りの翁の要求により、酒も少し入っている。しかし、物資の分だけでは全然足りないので、柴や肉を狩って、麓の村と交換したりもしているようだ。

 麓の村の村人は【鬼憑き】と顔を合わせることを嫌うので、品物を石の上に置いておけば勝手に酒を置いていくようになっている。【桃太郎】相手に品物を持ち逃げする命知らずは、今のところ現れていないらしい。

【吉備津彦の家】
 宮大工たちが建てた豪華で頑丈な家。二階は無いが離れがある。藤の山にはこういう建物が大小点在しているが、今はもう吉備津彦の家以外は廃墟同然になっている。






【 藤の山 吉備津彦の家 】

 山奥にぽつんと建っている家屋へ、一羽のカラスが舞い降りる。カラスは銜えた巻物を、家屋の玄関から少し離れたところに置かれた大きくて平たい石の上に置くと、カァと一声鳴いて飛び去った。

 少しして玄関が開き、洗濯の嫗が出てくる。金印で封された巻物を手に取ると、封を切ることなく持ち帰った。


 朝食の刻。囲炉裏を挟んで座る吉備津彦と叔父、叔母。叔父、叔母は並んで座り、吉備津彦は対面するように座っている。一人一つの座卓、質素ながらも一汁三菜。吉備津彦がこの山に来てから、一度もこの形が崩れたことは無い。この家にはちゃぶ台は無く、家具も最低限の物しか無かった。

 囲炉裏には火がくべられており、吊られた鍋が煮えている。今日は熊鍋らしい。

「吉備津よ」

 柴刈りの翁がおもむろに口を開いた。吉備津彦は口の中の熊肉を咀嚼し、十回以上噛んだ後に呑み込んでから答える。

「はい」

 柴刈りの翁は、そんな吉備津彦を眺めてクク、と喉を鳴らした。知らずに顔もほころぶ。返事ははい。口にものを入れたまま喋らない。洗濯の嫗の教えを忠実に守る、絵に描いたような良い子。それが、吉備津彦という男であった。

「おまえ、いくつになったっけ」
「………………」

 指折り数えて、吉備津彦は考え込む。代わり映えのしない山での生活は、時間の流れを忘れがちになる。

「今年で、三十になります」
「……そうか。もう、そんなに経つか」

 この世界では誕生日という文化は無く、人はみな年の初めに年を取る。雪解けが始まって、もうすぐ春の時期。数え年で、吉備津彦は三十歳になっていた。

「今日まで、よく励んだな」

 柴刈りの翁は、そう言って立ち上がり、奥の部屋へ姿を消す。この家で一番、飯を食うのが早い。吉備津彦は叔父の消えた部屋を見ながら、また箸を進める。

「娑婆に下りる時が来たぞ」

 柴刈りの翁は、赤備えの甲冑と巨大な太刀を持って戻ってきた。吉備津彦は箸と茶碗を握ったまま、ぽかん、と目を丸くした。


 柴刈りの翁が身に着けていた甲冑を身に着け、自身の身長ほどもある大剣を背負う。剣の名は『斬鬼丸』。柴刈りの翁が特注で作らせた剣だった。最後に、桃の刻印が刻まれた鉢金を巻いた。子どもの頃、その大きさを眺めるだけだった鎧と大剣。それを今、まるで元々自分の物だったかのように着こなすことができている。吉備津彦は、自分の姿を物珍しそうに見下ろし、背中を振り返りながら見下ろし。両の手を見下ろしてきょろきょろしている。

「男子が、そわそわするんじゃないよ」

 洗濯の嫗がやんわりとたしなめる。吉備津彦はきょろきょろしなくなった。

「まあ、適当にやってこい」
「気を付けて行っておいで」

 二者二様に言葉をかける。まるで散歩に出る子どもを送り出すかのように気安い。吉備津彦は、いまだ当惑したように無言で瞬きをしていたが。

「叔父上、叔母上」

 吉備津彦は頭を下げた。

「行って参ります」

 踵を返し、歩き出す。振り返ることも無く真っ直ぐに、山頂の方角へ。麓の村へは『下りない』と約束したから。山を越え、逆側から出発することにしたのだった。

 山頂へ近づくにつれ濃くなる藤の色と香り。咲き誇る藤と、舞い落ちる花びら。その香りに包まれながら、吉備津彦は。自身の心がまた、少しだけ高ぶっているのを感じた。


 吉備津彦の遠ざかる背中を見送る。姿が山に消えた後も、二人とも家には戻らずにたたずんでいた。

「別にいいんだ。【桃太郎】になんざ、ならなくても」

 柴刈りの翁はぽつりと呟く。洗濯の嫗は何も答えない。

「漫遊がてら御勤めを果たして。今後のことはてめえで決めればいい。その身を賭して、人を、世界を。守るに値するのか。この世は、本当に守るべきものなのか」

 柴刈りの翁にとって、この世のことなどどうでもよかった。自分に関わらず、自分へ干渉しないのであれば。物のついでで、守ってやる。その程度のものでしかない。だから力と技を教えはしたが。【桃太郎】の心得については、何一つ伝えることはなかった。

「……アタシは」

 洗濯の嫗は言った。

「【桃太郎】を育てたつもりはないよ。人として生きる上で、大切なことは教えたけれど」

 そう呟いて、洗濯の嫗は家へと戻った。彼女も、もしかしたら自分と同じ気持ちなのかもしれない、と柴刈りの翁は思った。嫁を貰って、子どもを作って。普通に生きて、普通に死ぬ。吉備津彦に、そんな風に生きて欲しい、と。

 まあ。とにもかくにも、まずこの御勤め。無事に済ませねば先も何も無い。柴刈りの翁はくあぁ、と大きく欠伸を一つして。頭を掻きながら、寝直しに戻った。そして寝転がった瞬間怒鳴りつけられ、渋々柴刈りへ行った。





【 藤の山 山頂 】

 山で一番藤の香が強い場所。山で一番の巨木が生えている。吉備津彦自身、滅多に来ない。しかし、この山の中で一番好きな場所。そこで、不意が降ってきた。

「おにいさん」

 声のする方角を見る。山一番の御神木の枝に、不思議な少女が座っていた。吉備津彦は知らないが、彼女はシャドウ・アリス。彼女は、吉備津彦を知っている。

 異国風の服装。それ以外に皆目見当もつかない。なので、何も考えないことにした。吉備津彦は柴刈りの翁の、分からないことは考えない、という教えを忠実に守っていた。とりあえず、普通の人間ではないのだろう。とだけは分かった。

「誰だ」
「………………♪」

 くすくすと鈴のように笑う少女。吉備津彦は何も言わず、じっ……と返答を待つ。

「おにいさん、何処に行くの?」

 吉備津彦はただ真っ直ぐにシャドウ・アリスを見つめている。名乗る気は無さそうなので、吉備津彦は待つのをやめた。

「北へ。鬼ヶ島に、闇の気配があるらしい」

 シャドウ・アリスは目を細めた。

「何で行くの?」

 吉備津彦は表情を変えない。

「勅命ゆえ」

 シャドウ・アリスはくすくすと笑った。

「何十年も閉じ込められて、助けた人たちは武器を向けてきたのに。何で助けてあげるの? 命令だから? それとも、おじいさんとおばあさんのため?」

 吉備津彦はふむ、と顎に手を当てて考え込む。シャドウ・アリスは目を細めて笑みを浮かべながら、待った。

「麓の村に、友がいる。闇を捨て置けば、また危険にさらされるかもしれない。山には、叔父上と叔母上がいる。命を果たさねば、迷惑をかけるかもしれぬ」
「それだけ? それが理由?」
「いや」

 吉備津彦は答えた。

「俺には、それが出来るからだ」

 この身に宿りし鬼の力。叔父から学び受けた武の力と鬼の技。これは他の者には無く、おそらく今は自分しか持っていない。ならば、自分がやらねばならぬ。

「闇が現れたというのであれば、闇を祓わねばならない。そうしなければ、この世は闇に覆われる」
「何故覆われてはいけないの? この世界の人は、あなたに何かしてくれたの?」

 吉備津彦は首をかしげる。

「何故、何かしてもらわなければならない?」

 シャドウ・アリスはわずかに目を見開いた。

「叔父上と叔母上、そして友が達者であればそれでいい。闇に覆われれば、皆に危険が及ぶ。ゆえに祓う。その過程でこの世全てが護られるのであれば、それはそれでよかろう。……これは、理由にはならぬのか?」

 世界を救うのは、物のついで。それ以外に理由は無い。吉備津彦は、言外にそう語っていた。

「――ふ。ふふふ。ふふふふふふふふふふふふ」

 シャドウ・アリスは喉を鳴らす。とめどなく溢れ出る笑いを垂れ流す。

「そう」

 ひとしきり笑った後、シャドウ・アリスは立ち上がった。

「またね、おにいさん」

 極彩色でごてごてした装飾が施された扉が出現し。シャドウ・アリスはその中へ消える。そして扉も瞬きの間に、何もなかったかのように消え去った。


 吉備津彦はしばし扉があった空間を眺めていたが。考えてもよく分からないので、また歩き出した。

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しゅれでぃんがー 2020/05/23 21:08

吉備津彦伝 柴刈りの翁の章 二頁目

【超絶奥義】
 通り名は【ワンダースキル】だが、和風物語ではこの呼称が使われているらしい。潜在能力を開放する強化スキルで、一度使用すればしばらく使えない。自身を強化するだけでなく、周囲の仲間に影響を及ぼすスキルもある。


【どこかの物語の森深く】





「引退する、だぁ?」

 美猴はあんぐりと口を開け、塞がらないままに目を丸くした。美猴と桃太郎は闇の出現を聞き、コンビで討伐の任務に出ていた。今はその帰り道。焚き火を焚いて、丸太を座布団に火を囲んでいる。

 彼らが出会った日から、二十年以上もの月日が流れていた。

「……理由は?」
「寄る年波には勝てねぇ、ってことさ」

 美猴は桃太郎をじっ、と眺める。桃太郎の顔には、出会った頃よりもずいぶんとしわが増えた。髪も白髪混じりが目立つ。老いている、というのは本当なのだろう。

「お前とは長い事組んできたが、俺にもう昔ほどの力は無い。いずれは脚を引っ張ることになるだろう。だからその前に、な」

 桃太郎はすっきりと笑っている。が、美猴は今にも殴りかからんほど、剣呑に彼を睨みつけた。

「馬鹿にするんじゃぁねぇぞ。てめぇが他人様のことなんぞ考えるタマかよ。もし解散はしたとしても、引退まではしねぇだろ。一人で勝手に戦って、勝手に死ぬまで戦うだろが」

 桃太郎は苛烈な男だった。ひとたび闇と聞けば、誰よりも早く一番に飛び込んでいく。そのせいで誰もついてこられないので、目付として美猴が同行するようになった。そして美猴も一緒に盛り上がってしまうので、いつの間にかこの二人が先駆け部隊となった。

 戦うことが、三度の飯よりも好き。それを絵に描いたような男。それが桃太郎。だから、美猴は彼の言葉の空虚さに憤った。桃太郎はそんな美猴が眩しいのか、目尻を緩めて目を細める。美猴はそれがまた気に食わない。

「なんだてめぇ、まさか腑抜けやがったか!? 俺様がトドメを刺してやってもいいんだぞ!?」
「くくく……すまんすまん。やはり、お前には分かるか」

 桃太郎からは後ろ暗さを感じない。どうやら臆したわけではないようだ。ならばこそ理由が気になって、美猴は問いたげな視線を刺す。

「うちのガキがな。この前、初めて御勤めを果たしたのよ」
「おつとめ、ってーと……前に言ってた、あれか」

 桃太郎の世界では、闇との戦いを【闇退治】と呼ぶらしい。それは桃太郎の義務であり、逃れえぬ宿命である。そう語っていた。しかし。ガキ、と聞いて、美猴は血相を変える。

「って、てめぇ! てめぇのガキたしかまだ二桁ですらなかっただろ!! なんてことさせてやがる!?」
「無論、近くで見てはいたがな。たった一人でやりおおせやがったよ」

 桃太郎は嬉しそうだった。美猴はなおもなにか言いたげに顔をくしゃくしゃさせるが、話が進まないので呑み込んだ。

「だがな……」

 桃太郎はその顛末を語る。美猴は聞き入った。そして、何も言えなかった。

「俺の国では、【鬼憑き】が幸せに生きる道は無い。一生日陰で隠れて生きるか、【桃太郎】として闇と戦い続けるしかない。多くの者は、その中で命を落とす。生き延びた者も、自由には生きられん。ひととせ絶えず咲き誇る、藤の山に幽閉される。許可なく下山すれば即討伐だ」

 吉備津彦は、本当なら討伐されるところであった。しかし討伐命令は下らず、吉備津彦も『下山しない』という約束をたがわなかった。

「あいつは運が良かった。外の世界を垣間見て、命を落とさずに済んだのだから」

 村でなにがあったのかは分からない。しかし、吉備津彦の下山をお上に報告しなかった、ということだけは分かる。それだけで充分だ。

「【桃太郎】というあざなは呪縛だ。命果てるまで闇と戦い、果てぬなら藤の牢獄で朽ちる。行き着く先は、死あるのみ」

 まあ俺が山に下ったのは、討伐隊がしつこすぎて面倒くさくなったからだがな、と桃太郎はぶははと笑う。しかし、美猴は笑わなかった。

「あいつは俺ほど強くない。このままでは飼い殺しにされるだろう」

 焚き火の炎がいつの間にか弱まっていた。桃太郎は慣れた手つきで柴を割り、くべる。そんな姿が似合っているようにすら見えて、美猴は時の流れを改めて自覚した。桃太郎は、こんなことが得意そうな男ではなかったのに。

「俺は、名前というものが無い。普通は親にもらえるそうだが、物心ついた時には親などもういなかった」

 捨てられたのか、それとも別の理由か。桃太郎はその理由を知らない。

「もしかしたら。俺が桃太郎になったのは。何でもいいから、【名前】が欲しかったからなのかもしれんな」

 自身が【桃太郎】となってからの歳月は、彼にとっては比較的平和な時間だった。昼夜襲撃に備える必要もなく、誰からも敵意を向けられることは無い。屋根のある場所で定住し、日がな一日のんびりできる。平和を知らなかった彼にとって、藤の牢獄は居心地のいい場所ですらあった。

「だから。【鬼憑き】を育てろなんて勅命が下った時は、正直言ってめんどくさいだけだったよ。世話役としてついてきた女も、口うるさくて鬱陶しい」

 桃太郎の世界では、増える闇の襲撃により、【桃太郎】が桃太郎ただ一人になっていた。ゆえにその事態を重く見た帝が、【桃太郎】を増やすために桃太郎に【桃太郎】の育成を命じたのであった。
 それを聞いて、美猴はなんとも勝手な話だな、とあきれかえった。しかし。悪態をつく桃太郎の顔は、思い出を懐かしむようにほころんでいる。

「そのわりには、懐かしそうじゃぁねぇか」
「まあ、な。この俺に向かって、真正面から怒鳴りつけてくる女なんて初めて見たからな。新鮮で珍しかった。あいつが俺をどう思っていたかは知らんが。少なくとも、俺の前で【鬼憑き】を嫌悪するような姿は、ただの一度も見せなかった」

 女は吉備津彦のことも、我が子のように可愛がっていた。親子ではないが、親子のような毎日。いつの間にかそれが日常となった。

「アレもお上のところで色々あったそうでな。左遷されたらしい。でも、こっちのほうが楽しい、と、一度だけ言っていたよ」
「そりゃぁよかったじゃねぇか」

 ぶは、と桃太郎は笑った。美猴も表情が緩んだ。

「……俺が【キャスト】を辞める理由は、もう一つある。【超絶奥義】が、使えなくなったからさ」
「――――――!? なんだとっ!!!? 」

【超絶奥義】とは、キャストとなった者だけが使える秘奥義、最後の必殺技のようなものである。自身の内に秘めた力を解き放ち、様々な能力を発動させる。それが使えなくなったということは。

「なんでそんなことが……」

 美猴は考え込み、そしてすぐに理解した。

「まさか」
「そのまさかだ。代替わりの時が来たのさ」

 【超絶奥義】は、一種類のキャストにつき一人しか使えない。そして、吉備津彦はそれを使うことができた。ならば、そういうことなのだ。

「元々俺は捨て石だった。そもそもが英雄なんてガラじゃねえ。本物の【桃太郎】が現れるまでの代役、繋ぎでしかなかった」

 襷(たすき)を繋ぐ役目を果たした、と考えれば、これで自分は御役御免ということだ。と、桃太郎はまた笑った。その顔に寂しさも憂いもない。だから、美猴もそれに対して何か言うことはやめた。

「だが。最近ふと思うんだ。俺から【桃太郎】というあざなを取れば、いったい何が残るのだろう、とな」

 親にもらった名前も無い。人の世に伝わる名前も無くなった。ならば、自分はいったいなんなのだろう。桃太郎は素朴に自分へ問うた。

「それに。吉備津のことも気になった。ガラじゃねえんだが。まあ、なんだ。……心配なんだよ」

 美猴は彼の口から心配という単語がこぼれて、目を丸くした。まったく、本当にガラではない言葉である。桃太郎もそれを自覚しているのか、自分で口にしてぶははと笑った。

「アレはこれから、きっとつらい人生を送る。挫けることもあるかもしれない。あいつの為に、なんでもいい。何か、残してやりてえ」

 桃太郎は表情を曇らせた。

「だが。俺は、人からもらった物が無い。だから、あいつに残せる物が無い。なにもねえんだ」

 桃太郎にとって、物とは奪う物だった。与えてくれる人なんていない。欲しい物は自力で手に入れるしかない。しかし、そんな人生は、彼の手元に何も残さなかった。【桃太郎】というあざななど、本当は残したくないというのに。要らない物ばかりが残ってしまう。

「俺にあるのは、この力だけ。力は全てを解決する万能の手段だ。力が無くては、何も選べない。せめて、この力の欠片ぐらいは。あいつに残してやりてえ。俺はあいつに、『未来を選ぶ自由』を。残してやりてえんだ」

 桃太郎が【桃太郎】を辞める本当の理由。それは、ただこれだけのことだった。美猴はなんとも、複雑な気持ちになった。桃太郎は笑う。

「そんな顔をするな。これでも俺は、今日までそれなりに楽しかった。正義の味方の真似事をするのも、お前と馬鹿みたいに暴れまわるのも。俺はもう、充分楽しんだ」

 桃太郎が【キャスト】になれた理由は、単純にその力の強さだけだった。もし選考基準に品位や精神性という項目があれば、もしかしたら落とされていたかもしれない。吉備津彦を引き取り、洗濯の嫗と出会わなければ。途中で不適格と除名されていた可能性もある。

 彼が今日この日まで、【桃太郎】として生きてこられたのは。奇跡のような運命だったのだ。

「……ふん。まあ、いいだろう。後の報告は俺様がやっとくから、おめぇさん、もう帰っていいぞ」
「なに? いや、そういうわけには」
「いくんだよ。引退の件も上手い事言っといてやる。さっさと家族の元に帰りやがれ」

 しっしっ、と追い払うように美猴は手を払った。焚き火はもう、ほとんど消し炭になっている。森の切れ間からは、朝日が差し込んできていた。

「てめぇのガキがこっちに来たら。一人前になるぐらいまでは、俺様がめんどう見てやるよ。だからてめぇは安心して、老いて安らかにくたばるんだな」

 自身は老いぬ、修行中なれど仙人であるが故に。これが友との今生の別れになるかもしれない。美猴はそれでもなお、顔を背けて表情を見せないようにしながら、言った。

「それよりも。こっちにこられるぐらいには仕込んでおけよ。【桃太郎】の後釜とはいえ、無条件でこられるわけじゃぁねぇんだからな。そこまでは、俺様にもどうしようもねぇんだからな」
「ぶははははは! 心得た」

 桃太郎は立ち上がった。

「美猴」

 桃太郎は美猴の名を呼んだ。彼が美猴を名前で呼ぶのは、初めて出会った時から数えて、初めてのことだった。*美猴は背けていた顔を戻して、桃太郎の顔を見た。

「我が生涯の友よ。次の【桃太郎】を、よろしく頼むぞ」

 桃太郎は会心の笑みを浮かべると、目の前に障子を出現させ、静かに開いて中へ消えて行った。そして、障子も虚空に消える。そこには、美猴と燻った焚き火だけが残った。


「……ふん」


 美猴は桃太郎が座っていた丸太をしばらくじっ……と眺めていたが。立ち上がり、自身も門を開き消えて行った。

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しゅれでぃんがー 2020/05/14 20:35

吉備津彦伝 柴刈りの翁の章 一頁目

【図書館】

 あらゆる世界のあらゆる物語が蔵書された、異空間にある図書館のこと。その中には数えきれないほどの本棚があり、その本棚のどれもが本で埋め尽くされている。蔵書された物語の中で、特に有名なものや、偉業を成し遂げたものは、図書館が召喚を行いキャストとして契約することがある。

 マメールという司書が図書館を管理している。

【キャスト】

 図書館と契約した、物語の主人公やメインキャラのこと。キャストになった者は様々な物語を行き来することを許可され、図書館を通じて移動することができる。キャストは物語を闇に呑みこもうとする【闇の軍勢】という勢力と戦うことを義務付けられる。闇の軍勢を放っておくと、自分たちの物語にも侵攻される恐れがあるので相互互助の意味合いもある。正義感で応じてくれるキャストも多いが、別にそんなキャストばかりでもない。色んなキャストがいる。







 物語と物語の狭間の世界には、全ての物語を収める図書館が存在する。普段は司書しかいないその世界に、キャストたちが集まっていた。木製のテーブルと椅子、大きなポット。並べられた人数分のティーカップ。座っている人数は四人。

『ピ―タ―パン』のキャスト、アイアン・フック。
『ハーメルンの笛吹き』のキャスト、マグス・クラウン。
『西遊記』のキャスト、美猴。
『鏡の国のアリス』のキャスト、シャドウ・アリス。

 彼らは今日、新しいキャストが図書館に加わるということで集められたのだった。図書館の司書、マメールが口を開いた。

「皆様。本日は御足労いただき、ありがとうございます」

 対して、キャストたちの反応は様々だが、大まかには二種類。返事があるか、返事はないか、だった。

「ははは、なんのなんの。仲間が増えるなんて、賑やかになっていいじゃないか。先達として、導いてやらないとねぇ」

 そう答えたのはマグス・クラウン。服装と見た目通りのおどけた調子で、恭しく、大げさに語った。帽子とマスクは脱いでいても、道化の態度は崩さない。
 
「ケッ。俺様はどうでもよかったんだがな。サボると、お師匠がうるせぇからな。仕方なく来ただけだ」

 美猴が悪態をつく。残る二人は応えない。アイアン・フックは脚を組んで椅子に座りこみ、静かにティーカップを傾けている。シャドウ・アリスはマメールを視界にすら映すことなく、両手で頬杖をつきながら、心ここにあらずで虚空を見つめている。

 各々の様子にマメールは一瞬顔をしかめたが、すぐに気を取り直して続けた。

「【闇の軍勢】の勢いが増しています。発足して間もないこのシステムですが、敵は待ってはくれません。一刻も早く戦力を整え、迎撃態勢を整えなければならないのです」
「はいはい、その話は何度も聞いたぜおい。一致団結しろ~、だろ? 聞き飽きたぜ」

 美猴はうんざりした様子で口を挟んだ。

「仲良しこよしのお遊戯会じゃあねえんだ。普段からべたべたしなくたっていいだろうがよ」

 美猴は明らかにめんどくさそうだった。アイアン・フックは我関せずといった様子で、静観を崩さない。シャドウ・アリスはティーカップに入ったコーヒーにミルクを垂らし、マドラーで絵を描いて遊んでいる。マグス・クラウンは美猴をたしなめるでもなく、にこにこと笑みを絶やさず、しかし止めるでもなく。何もしない。

 マメールは抑えきれなくなったのか、小さくため息をついた。ここにいるキャストたちは個々の力が強いせいで、協調することを好まない者が揃っている。いや。好まない、というよりは、単純に興味が無い者もいるようだ。

「できたにゃ~☆」

 シャドウ・アリスが歓声をあげた。場の空気を全く意に介した様子はない。彼女の持つティーカップには、ミルクで猫の顔が描かれていた。

「ほう。これは見事だね。飲むのがもったいないくらいだ」
「おめぇさん、それ全部飲むんだよな? 残すんじゃねぇぞ」

 マグス・クラウンは感嘆の声をあげたが、美猴は冷ややかだった。シャドウ・アリスは手に持っているカップの他に、いくつものカップが前に並んでいる。そのどれもが雑に混ぜられたのか、白と珈琲色が混ざり切らずに濁っていた。

「諦めないのはけっこうだけどよ。飲み物は粗末にするんじゃねぇぞ」
「お近づきのしるしに~、プレゼントだにゃ~☆」

 美猴の目の前にカップを並べるシャドウ・アリス。白く湯気を立てるティーカップが、美猴の前にずらりと並んだ。

「いやいらねぇよ。酒ならまだしも、こんなに飲みたかねぇや」

 シャドウ・アリスは途端に目をうるませる。

「美猴さん、アリスのこと、嫌い?」
「い、いや。そういうわけじゃあねぇけどよ……」
「だって、いらないって」
「紅茶はいらねぇがお前が嫌いってわけでも」
「やっぱり、嫌いなんだ。だからいらないって」
「~~~んぬぁーもうっ! 飲む!! 飲むから泣くな!!!!」

 途端に、シャドウ・アリスは雲間からのぞいた太陽のような笑顔を浮かべた。

「やったにゃー☆」
「てめぇ……」

 渋い顔をしてシャドウ・アリスを睨む美猴。そこにアイアン・フックから声がかかる。

「飲まんのか?」
「ぐっ」

 アイアン・フックはじっと美猴を見ている。

「飲み物を粗末にしてはいかんのだろう?」

 そう言いながら、ブラックのコーヒーを音もなくすする。美猴はふん、と不機嫌そうに鼻を鳴らすと、カフェラテの一つに口をつけた。

 不意に。テーブルの前に、突然障子が出現した。間髪入れず、すぱぁん、と勢いよく開かれる。中から出てきたのは赤備えの鎧武者。日に焼けた褐色の肌に、桃をかたどった印が刻まれた鉢金。和風な顔立ちの、背の高い男だった。

男はテーブルに座る面々を見渡すと、考え込むように顎に手をやり、首をかしげた。

「ふむ。祭りの仮装のようにも見えるが」

 美猴に視線を固定した男は、背中の大太刀をすらりと抜く。

「もしや、百鬼夜行かな? 仇なすものならば、切り捨てねばなるまい」

 男は美猴に切っ先を突き付けながら、にやりと口角を上げた。

「ここは、そういう集まりなんだろう?」

マメールは慌てて割って入ろうとした。が。

「面白れぇ……この斉天大聖様にガンくれて、ましてや因縁つけるたぁ。おめぇさん。覚悟はできてんだろうなぁ?」

 それを制して、美猴が立ち上がった。どこから出したのか、巨大な如意棒が腕の中に出現する。彼の武器は大きさが変幻自在なので、いきなり現れたように見える。男と美猴は一定の距離を保ちながら、テーブルから離れていく。

「何をしているのです、美猴! やめなさい、やめて!」

 戦闘能力は無いマメールには、キャストたちを止めることができない。こういう時に頼りとなるはずの他のキャストたちはというと。

「ははは、面白くなってきた! アジタートな予感がするね!」
「埃が舞う。離れてやれ」
「ふんふんふ~ん♪」

 マグス・クラウンは俄然面白くなってきた、と満面の笑みで今にも笛を吹きだしそう。アイアン・フックは我関せず。シャドウ・アリスは、今度はマカロンを積み上げて遊んでいる。マメールは真っ青になりながらも、周囲にある本棚へ何事か念じる。すると、視界を埋め尽くすほどに存在した本棚が、一瞬ですべて床に埋まるように消えてしまった。

 先手を取ったのは美猴。

「かァ――――――ッ!!!!」

 気合いと共に飛び上がり。自身の体を球のように丸めながら、高速で回転しつつ相手を急襲。美猴の技の一つ、【乾坤一擲】である。うなりを上げる如意棒が、喰らえば脳天を叩き割る。地響きが起こるほどの着地。しかし、鎧武者は飛び込むような前転で間一髪回避した。

「唸れ――如意棒!!」

 美猴はそれを見越していたのか、着地と同時に次の技を構えていた。手にした如意棒をさらに巨大化させ、振り回し、全てを薙ぎ払う【如意暴風】。初手から間髪入れずの大技。並大抵の者なら身がこわばり、必ず様子を見てしまう。ゆえに、美猴は心中で勝利を確信していた。

 しかし。

「聞くか――我が渾身の叫びを!」

 鼓膜を突き破るような一喝。周囲にいるあらゆる存在を、一瞬だけ本能的に硬直させる。【鬼殺しの一喝】と呼ばれる技であった。回転の態勢に入っていた美猴は、強○的にその動きが一瞬だけ断ち切られる。驚愕する美猴に、鎧武者はがらがらと笑った。

「剣撃の露となれ」

【鬼断ち】。暴力の権化のような衝撃刃が、動けぬ美猴を呑み込んだ。床は割れ、岩がせり出し、もうもうと土煙が立ち込める。常人なら跡形もなく消し飛ぶだろう一撃。しかし、鎧武者は構えを解くことはない。

 晴れた土煙の中から、美猴の形をした石像が現れた。

「――へ。今のはちぃっとばかし肝が冷えたぜぇ」

 岩が剥がれ、石像の中から無傷の美猴が姿を現す。あらゆる攻撃を防ぐ防御の術、【仙岩変化】であった。

「同感よ。異界の化生とは、どうやら俺の国のやつばらとは出来が違うようだな」

 鎧武者はぶはははは、とつばが飛ぶように大きく笑った。そのまま、どちらからともなく構えに戻る。が。

「そこまでだ」

 二人は声の方角へ振り返る。するといつの間にか、アイアン・フックが義手に仕込んだガトリング銃を構えていた。

「貴様の腕前は充分に分かった。その力、振るう場は今ここでは無い」

 その銃口は一瞬にして敵をハチの巣に貫くだろう。美猴は興が削がれたようにふん、と鼻をならし如意棒をまたも一瞬で仕舞った。対して、鎧武者は向けられた銃口を興味深げに眺めている。

「そいつは察するに、鉄砲の類か? それにしては珍妙な形だ。異界の絡繰か?」
「こいつは『銃』だ。貴様の言う鉄砲とやらの弾を、一秒間で百倍は多く撃てる。あまりやんちゃが過ぎるようなら、実際に味わうことになるぞ」
「なんとまあ……おっかない絡繰だな」

 鎧武者も銃弾は怖いのか。手にした大太刀を背中へ納した。

「やあやあ、新たな僕らの仲間よ。歓迎しよう」

 マグス・クラウンが気さくに立ち上がると、仰々しくお辞儀をした。道化の帽子をかぶっているのもあって、ともすればからかっているかのようにも見えた。

「僕はマグス・クラウン。こう見えて、ここでは一番の古株さ。そちらの海賊船長殿はアイアン・フック。ああ、仔細は本人から直接聞いてくれよ? なにせ、僕もまだ聞いたことがないからね。あちらのレディはシャドウ・アリスで……おや?」

 テーブルにいたはずのシャドウ・アリスは、いつの間にかいなくなっていた。座っていた席に残されているのは。ばらばらと散らばった色とりどりのマカロンと、すっかり冷めきった猫のラテアート。そのカップには、一口も口をつけられた形跡がなかった。

「やれやれ。相変わらず気まぐれな子猫ちゃんだね。まあいい。それで、そこの猿のような彼は、美猴。ああ見えて、神様に近い存在なんだよ?」
「今猿っつったか? てめぇ」

 美猴は剣呑にマグス・クラウンを睨みつけた。しかし、マグス・クラウンは全く意に介した様子はない。このやり取り自体、いつものことなのかもしれない。

「では、新たな僕らの仲間よ。自己紹介を、お願いできるかな?」

 名を尋ねられ、鎧武者は思い出したようにあ、と声を漏らした。しばし何事か考えこみ、そして口を開く。


「俺は『桃太郎』、と呼ばれているらしい。よろしく頼むぞ」

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しゅれでぃんがー 2020/04/22 18:04

吉備津彦伝 幼章【〆】

 父や母の顔は知らぬ。ただ、叔父上と叔母上がいた。


 叔父上は豪放磊落を絵に描いたような人物で。朝、山へ柴刈りに出かけ。日が暮れる頃に帰ってくると、俺に稽古をつけてくれた。鬼神の如き強さを持ち、一切の加減容赦無し。俺は毎日ぼろぼろになるまで挑んでは、気が付いたら朝になっていた。どうやらいつも気絶していたようで、叔父上が布団まで運んでくれていたらしい。朝起きて、居間を横切り。空になった徳利を抱えるように大いびきをかいている叔父上を横目で見ながら、起こさぬように素通りし。夜明け前、風呂に入る。それが俺の日課であった。

 叔母上は優しかった。朝餉の後に、決まって吉備団子を一つくれた。俺はこれが毎日の楽しみだった。辛い物やしょっぱい物、苦い物しかないこの山では、甘い物などめったに手に入らぬ。毎日毎日、大切に味わって食べた。叔母上は俺が吉備団子を食べ終えるのを見届けると、川へ洗濯に出ていった。そして俺は、日が暮れるまで鍛錬をしていた。それが俺の一日であった。


 叔父上はたくさんの技を見せてくれた。例えば、地面が隆起するほどの剛力を獲物に乗せて叩きつけ、衝撃波とともに岩柱を繰り出す【鬼断ち】。例えば、身体能力を大幅に引き上げる【百鬼掃討の構え】。例えば、裂帛の気合いを放ち、相手の動きを止める【鬼殺しの一喝】。だが、俺はそのどれも、一つも。真似することすらできなかった。俺と叔父上の技には、どんな違いがあるのだろうか。いくら考えても分からない。何を試しても実らない。毎日毎日飽きることなく鍛錬を繰り返しては、毎晩毎晩叔父上に挑む。叔父上はそんな俺を、ただただ面白そうに眺めているだけだった。


「よしな、馬鹿がうつる!」

 これが叔母上の口癖だった。叔父上が粗暴な行いをすると、決まってこう怒鳴りつけた。どんなことをしていたかは、色々とありすぎてこれといった例を挙げることすら難しい。その後叔父上と口論になるが、ひとしきりお互いにわめき散らすと。気が済んだら何事もなかったかのように静まった。叔母上がこう怒鳴るということは、してはいけないことなのだろう。俺は叔父上の行いを見て、色々なことを学んでいった。





 ある日、山で童(わらべ)を見かけた。麓(ふもと)の村に住む者たちのようだった。俺は叔母上から、山を下りてはいけないと言いつけられていた。だから、無暗と人前に姿をさらすのも良くないのかもしれないと思い、遠目からずっと後をつけた。どんどんと山奥へ入っていく童たちの姿は、山の恐ろしさを知らぬように思えたからだ。

 案の定、彼らは野生の獣に遭遇した。冬ごもりを終えた猪の気性は荒い。獣の縄張りを犯した童たちは、空腹の猪に襲われることとなった。散り散りとなって逃げ去る童たち。しかし、一人の女子(おなご)が足をもつれさせ、転んだ。他の物は皆既に姿無く。仕方なく、助けてやった。助けた女子は、俺の顔を見るなり悲鳴をあげて逃げていった。

 その晩、叔母上にこの話をした。女子が何故逃げたのか、俺には分からなかったからだ。

「それはあんた、仕方なかったねぇ」

 叔母上はくすくすと笑った。どうやら目の前で猪を真正面から受け止め、投げ飛ばしたのがいけなかったらしい。普通の人間には、そういうことはできないのだそうだ。その日まで自分以外の人間を叔父上と叔母上しか見たことが無かった俺は、なんとも不思議な気持ちになった。疑問が、口を突いて出た。俺は人間ではないのでしょうか、と。叔母上は言葉に詰まり、表情が固まった。その顔を見て、こんな質問はすべきではなかったか、と後悔した。

 ずっと黙っていた叔父上が、盛大に酒を噴き出した。

「ぶはっ! ぶは、ぶはは、ぶはははははははっ!!」

 腹を抱えてごろごろ転げまわった。とても面白かったのだろうか。何が面白かったのだろうか。俺はまた不思議に思った。ひとしきり笑い転げたあと、叔父上は俺に向かって座りなおした。

「吉備津よ。言葉の意味など気にするな」

 意味、とは。と俺は聞き返した。すると叔父上は、くつくつと喉を鳴らして笑い含んだ。

「俺たちは確かに人の身を凌駕した力を持っている。しかし、間違いなく人ではある。傷が付けば血を流すし、老いるしな。俺に言わせてみりゃ、あいつらが軟弱なだけなんだよ」

 叔父上に比べれば。確かにあらゆる生きとし生けるものは、軟弱と言えるかもしれない。それを聞いて、俺は腑に落ちたような気になった。

「人間かそうでないか。それを分けるのはすなわち数だ。俺たちは少ない。あいつらは多い。だからあいつらが人間、ってことになってるだけさ。俺たちのほうが多ければ、俺たちが人間と名乗れていたかもな」

 結局はそれだけの違いでしかない。だから、自分が人間かどうかなど考えても仕方がない。酒でも飲んで忘れてしまえ。そう言うと、叔父上は寝転がってまた酒を飲み始めた。叔母上は口を挟まなかった。ということは、叔父上は間違ったことは言っていないということなのだろう。

「吉備や。人は弱いんだ。だから、許しておやり」

 叔母上はさらに、恐怖にかられた人間は俺を攻撃してくるかもしれない事。俺をかばった人間は、その人間が次に狙われるかもしれないことを教えてくれた。人間とはなんとも摩訶不思議な精神をしているのだな、と俺は思った。そんなことを考えていると、叔母上はまた俺の名を呼んだ。

「吉備や。おまえも人間なんだ。人の心を忘れてはいけないよ」

 俺の考えを見透かしたのだろうか。叔母上は聡い方だった。

「もし何かされたなら、やり返すなとは言わない。けどね。これだけは言っておく。弱い者いじめは、よすんだよ」

 叔父上は何も言わなかった。ということは、これも間違いではないのだろう。





 あくる日、別の童と遭遇した。

「あ、お前!」

 ひときわ体の大きな、太鼓のような腹をした童が言った。

「お前がこの山に隠れてる鬼だな! 成敗してやるぞ!」

 折れた木の枝を木刀のように振り回し、その切っ先を俺に突きつけた。その立ち振る舞いからは、武道の心得がどこにも見えない。素手ですら勝てそうだった。どうしたものかと考えていると、太鼓腹の男は得意げに勝ち誇った。

「へへん、怖気づいて声も出ないか。謝るなら今のうちだぞ! 大人しく山から出てけ!」

 どうやらこの童は、俺を山に棲む化生(けしょう)のたぐいだと思っているようだ。かといって、叔母上から弱い者いじめはするなと言いつけられている。か弱き者を、いじめることはできない。俺はなんと返すべきか思いつかず、なおもただただ黙っていた。

 すると、別の声が聞こえてきた。

「ま、待って」

 先日助けた女子だった。どうやら木陰から様子をうかがっていたらしい。何故隠れていたのだろうか。何故出てきたのだろうか。前はさらに数人の童がいたのだが、今日はこの二人だけのようだった。

「静(しず)! 出てくるなって言ったろ! 危ないから隠れてろ!」
「田助(たすけ)、待って……」

 静と田助というらしい。この田助という童は、俺を退治しに来たようだが。たった一人で得物は木の枝とは、よほど腕に自信があるのだろうか。この静という童は何をしにここへ来たのだろうか。尽きぬ疑問に、俺は自然とさらに押し黙った。

「あの」

 静という童が近づいてきた。田助とやらが止めようとするが、静とやらは聞かなかった。俺と静とやらは向かい合った。

「わ、わたし。しずっていうの。麓の村に住んでるの。この前は、みんなで探検してて。わ、わたし。帰ろうって。危ないって言ったのに。みんな行っちゃうから。心配で」

 静とやらは一生懸命に話す。彼女は村でも齢が上の方の子どもだから、下の者たちを放っておけなかったらしい。先日の童たちの中に、田助とやらはいなかった。そのせいもあったのかもしれない。

「えっと。あの。その」

 静とやらは顔を真っ赤にしてうつむいた。俺はただ黙って言葉を待つ。静とやらはひときわ大きな声で、

「――ありがとう!」

 と。上げた顔。丁度、目が合った。静とやらは、花が淡く開くように笑った。

「助けてくれて、ありがとう。どうしても、言いたかったの」

 田助とやらが、面白くなさそうにふん、と鼻を鳴らしてそっぽを向いた。


 この日、俺は友だちができた。短い間ではあったが、今でも鮮明に思い出せる。山で鍛錬をしている俺を、静と田助は毎日のように訪ねてきた。彼らはたくさん遊びを知っていて、三人で日が暮れるまで遊んだ。田助は侍になりたいらしく、俺の稽古を真似し、模擬試合を挑んできた。田助は一度も俺に勝てなかったが、それでも彼は腐ることなく幾度も俺に挑んできた。俺はそれを何度でも受けた。叔父上の気持ちが、すこしだけ分かったような気がした。

 一か月後のあの日。あの日が来るまでは、とても楽しかった。


 その日は、田助と静が村の童たちを連れてくるという話だった。数日前に、叔父上と叔母上にそのことを話すと。叔母上はなにか言おうとしたが、一呼吸おいて「そうかい」とだけ口にした。叔父上は興味が無いのか、酒を飲んだまま振り返ることも無かった。

 我ながらいささか高ぶっていたのか。前の日、俺は叔父上との稽古を休んで、早めの床に就いた。


 飛び起きた。不穏な気配を感じた。焼けたような臭いだ。枕元に置いていた鍛錬用の木刀をひっつかみ、寝床から飛び出して臭いを辿った。夜明け前の暗闇の中を、麓の村が見える切岸まで走った。――村が燃えている。

 そのまま、俺は飛び降りた。





 木々の間を縫うように、野生の獣の如く山を駆け下りた。俺の脚はこんなにも速かっただろうか。自分でも驚くほどに、村がすぐ見えてきた。

 村から逃げてきた村人たち。その集団の中央を、切り裂くように駆け抜けた。村は、闇色の化生たちに蹂躙されていた。角の生えた人型の化生。叔父上が言っていた。この世界には、鬼とは別に、闇なる存在がうごめいていると。その者たちが、うじゃうじゃと群がるように、村中で破壊の限りを尽くしていた。足を止めぬまま、村の中央へと一直線に駆け抜けた。壊された物はもはや致し方なし。逃げ遅れた者がいれば見つけねばならない。

 村深くへ差し掛かるにつれて、化生の数は増えていく。木刀を堅く握りしめ、眼前で暴れまわる化生の集団へと切りかかった。一太刀にて両断。化生の体は崩れ去り、闇の中へ溶けるように消えた。どうやら倒せぬ類ではないようだ。返す刀で、驚愕に硬直した二体を切り伏せた。村の中央ににあった、集会所らしき建物の屋根へ一跳びで跳び登り、村中を見回した。いたるところから上がる黒煙、燃え盛る家屋。略奪するわけではなく、ただただ破壊を目的とした暴力が生々しく刻まれていた。家屋の中から、遠くから。ぞろぞろと闇色の化生たちが蟲のように這い出てくる。一様に、一目散に。俺の方へ向かってきていた。屋根の下はもはや土の色すら見えぬ。闇一色で埋め尽くされていた。

 向こうから来るのであれば話は早い。俺は屋根から飛び降りて、勢いのまま木刀を振り下ろす。轟音と共に地面ごと化生たちを吹き飛ばし、石欠片もろとも粉みじんに打ち砕いた。


 斬り。断ち。薙ぎ。突き。吹き飛ばし。跳ね飛ばす。眼下を埋め尽くすかのように群れていた闇の化生も、残すところ数匹というところ。逃げ遅れた者も見当たらなかった。いざ殲滅、と木刀を握りなおした時。突如として、大穴が開いた。闇色の化生たちよりもさらに黒い大穴は、上にあるあらゆる全てを呑み込んでいく。家屋は燃え盛るその炎までも。闇の化生たちすら、その深い闇に呑みこまれていく。あまりにも奇怪な出来事に、様子を見るしかできなかった。

 大穴から、巨大な化生が姿を現した。よじ登るように穴の淵へ足をかけ、闇の中から生まれ出でたそれ。姿かたちは他の化生と同じだが、大きさがはるかに違う。叔母上から寝物語に聞かされた、ダイダラボッチもかくやという体躯。でこに生えた二本角の化生は、体中から闇をしたたらせていた。

 このような巨大な化け物が暴れまわれば、この村は本当に滅びてしまう。そう思うよりも先に身体が走り出していた。放たれた矢のように駆け、家屋の残骸を踏み台に跳躍し。頭上より一刀両断せん。しかしその刃は通ることはなく。俺は豪速で瓦礫の山に叩きつけられた。

 何が起きたのか。一瞬分からなかった。片腕で止められ、その勢いのまま殴り飛ばされたのだ。自分が叩きつけられた音すら遠く聞こえた。背中から受け身も取れず。あまりの衝撃に呼吸ができない。巨大化生が近づいてきた。立たねば。立たなくては。急く気持ちとは裏腹に、膝が立たなかった。


「おい、化け物!」


 遠くから、声。田助の声だ。逃げなかったのか。逃げたのに戻ってきたのか。巨大化生に石を投げていた。

「こっちだ! こっちへ来い! かかってきやがれ!」

 お前では勝てない。逃げろ。いや。俺のせいか。俺が不甲斐ないばかりに、友を危険にさらしている。俺が守らねばならぬのに。力が。力が欲しい。友を守れるだけの力が――


(俺たち【鬼憑き】は、その身に鬼を宿していると言われている。本当かどうかは知らんがな。俺の技も、俺の中にある鬼の力を形にしただけなのさ)


 叔父上の言葉が脳裏によぎった。己の内の鬼を起こす。俺の内に眠る鬼は、友の一人も守れぬ如き矮小な雑魚なのか。そうでないというのであれば――今すぐこの場で、目覚めてみせよ。

 高速で傷が癒えていく。両の膝に力が戻った。全身に力が漲り、虹色の輝きとなってあふれ出た。我が身は修羅となりて、我が心無双の境地に至らん。木刀を握りしめ、大上段に構えた。繰り出したるは、【赤鬼】の技――【鬼断ち】。

 巨大化生は異変に気付き、振り返った。しかし、もう遅い。

「――全身全霊の一撃を受けよ!!」

 裂帛の気合いと共に打ち下ろした木刀が、大地そのものを刃と変えた。我が【鬼断ち】は大地を奔り、巨大化生を両断す。身体を真っ二つに割られた巨大化生は、闇へと帰り。夜明けの陽光の中へ、溶けるように崩れ去った。





 吉備津彦は木刀を払い残心を結び腰に差すと、田助の方へと歩み寄った。危険を顧みず助けに来てくれた友に、礼が言いたかったからだ。しかし、田助は吉備津彦が一歩近づくごとに、顔をこわばらせ後ずさっていく。不思議に思った吉備津彦は、一旦歩みを止めた。

「わ、わりぃ……吉備津。お前は。お前は違うって分かってるんだ。けど。震えが……震えが止まらねぇんだ」

 はたで見ても分かるほどに田助はがたがたと肩を震わせ、顔は蒼白になっていた。

「田助っ!!!!」

 そう叫びながら、女が走ってきた。歳の頃を見るに、田助の母親のようだった。彼女は田助に覆いかぶさるように彼を抱きしめると、吉備津彦に向かって敵意に満ちた視線を向けた。

「この化け物!! うちの子に近寄るなっ!!!!」
「か、かあちゃん! 違うんだ、吉備津は」
「あんたは黙ってなッ!!!!」

 鬼気迫る母親の言葉に、田助は言葉を失ったようだ。近づけば、斬りかかられそうな。殺されるような殺意を感じた。吉備津彦は先ほどまでに相対していた闇の化生たちよりも、田助の母親のほうに恐ろしさを感じた。

「吉備ちゃん!」

 静の声。彼女も村に戻ってきていたようだ。彼女のかたわらには、年を召した老人が一人。その後ろには、屈強な若い衆が何人も控えている。

「お初にお目にかかる。【桃太郎】よ。儂は、この村の村長じゃ」

 【桃太郎】。吉備津彦はその呼び名に聞き覚えがあった。当代の【桃太郎】は叔父上のはずである。ゆえに、何故自分がその名で呼ばれるのか。合点がいかず戸惑った。

「お主のことは、お主の育ての親より聞き及んでおる。思慮深く、正義ある若者じゃとな。村を救ってもらった恩もある。じゃから、儂も全てを話そう」

 村長は体を支えていた静に下がるよう手で示し、吉備津彦の前に進み出た。

「この村は【鬼憑き】を監視するために作られた。その動向を見張り、なにかあれば帝へ報告する。その代わりに年貢の免除と、食料その他の援助をお上より頂戴しておるのじゃ」

 村長の後ろに控える若衆は、皆吉備津彦を射殺さんばかりの眼光で睨みつけている。各々、農具を手にしており、クワやスキが朝日を反射して鈍く光っている。

「この村の住人は皆、【鬼憑き】に親きょうだいを殺された者たちじゃ。その者たちへの見舞金、という意味合いもある。それに、【鬼憑き】の真の恐ろしさを知らぬ者には、監視の任は務まらんからのう」

 村長は振り返った。

「田助は父を【鬼憑き】に殺された。じゃから、この通り【鬼憑き】に対しての恐怖が拭えん。お主は違うと分かっていても、身体が言うことを聞かぬようじゃ」

 ゆえに、田助の母も。自分のことをこれほどまでに敵意を持って睨むのだろう。そう吉備津彦は受け取った。

「お静は両親と弟を失っておる。この村におる子どもたちは、ほとんどが【鬼憑き】により親を失った子どもたちじゃ。そういった子らは、成人まではうちで面倒を見ておる。お静は、今の一番上の子なんじゃ」

 静と目が合った。静はなにか言おうとしたが、言葉にならずうつむいた。

「村の者は皆、【鬼憑き】に対して大なり小なりの想いを抱えておる。お主が違うと分かっておっても、皆。【鬼憑き】を見るだけで、消えぬ傷跡が疼くのじゃ」

 そこまで言われれば、吉備津彦ももう聞かずとも分かった。

「この子らを止めなんだ儂にも非はある。じゃが。すまぬが、もう山を下りないではくれんかの。不要不急の下山は避けておくれ。山への入り口は、金輪際封鎖しよう」

 吉備津彦の脳裏には、叔母の言葉が甦っていた。


(弱い者いじめは、よすんだよ)


 吉備津彦は踵を返した。

「あい分かった」

 振り返ることも無く、いつも通りの歩幅で歩きだす。友を助けることはできた。それだけで構わない。そのはずである。背後から、大きな声で名前を呼ばれた。振り返ると、田助と静が並んでいる。静の両の瞳からは、大粒の水滴がとめどなく流れ落ちていた。また、叔母の言葉を思い出す。自分をかばった人間は、代わりに村人から狙われるかもしれない。だから、多くを語ることはできない。

「達者であれ」

 吉備津彦はそう一言だけ残すと、もう振り返ることなく村を出て行った。背中にかかる「すまねぇ」、と、「ごめんね」は、聞こえないふりをした。





 帰り道の山道。柴刈りの翁が徳利をひっかけながら、岩の上に座り込んでいた。

「ごくろうさん。よくやったな」

 吉備津彦はちらりと見やるだけで、そのまま家路をてくてくと辿る。柴刈りの翁はそれ以上何も言わず、吉備津彦の後ろについて歩く。





 家近くの川辺に差し掛かった時、柴刈りの翁が言った。

「その恰好じゃあ、家が汚れる。顔ぐらいは洗って行け」

 言われるがままに川辺へ座り込む。水面に映った自分の顔は、血と砂に塗れていた。長く伸びた髪を結っていた髪紐も千切れてどこかに行ってしまって、お化けのような乱れ方をしている。寝間着のままに飛び出したせいで、山を駆け下りる際にぼろぼろに千切れており。そのうえ傷を負った時に噴き出した血がべっとりついていて、もはや雑巾のようになってしまっていた。

 吉備津彦は水面に映る自分の姿が、闇の化生たちと変わらないように思えた。

「――ぅ」

 視界が歪む。目じりからとめどなく水が垂れる。止めようと思っても、止まらない。いったいこれはなんなのだろうか。

「人間は悲しい時、目から熱い水を流すらしい。それを泪と呼ぶそうだ」

 柴刈りの翁は、吉備津彦の頭をがしがしと撫でた。

「今日という日を忘れるな。そうすれば。お前はいつまでも人でいられるだろう」

 柴刈りの翁はそう言ったきり、吉備津彦を残して立ち去った。

「――ぅう。ううう。ううううううう」

 溢れ出る泪を拭うことも無く、流れるに任せて吉備津彦はうめく。きしむほどに歯を食いしばり、漏れ出る嗚咽を押し殺す。流れ落ちた泪の雫はぽたぽたと水面に落ち、いつまでも波紋を描き続けた。





 柴刈りの翁は目を覚ます。どうやら酒を呑みながら眠ってしまったらしい。既に日は落ち始めており、空は茜色に染まり始めていた。

 柴刈りの翁は、吉備津彦に何も言わなかった。それは言わなかったのではない。語る言葉を持たなかった。何故なら彼は生まれてこのかた、今日まで一度も泣いたことが無いからである。敵意には敵意を持って、暴力には暴力でずっと返し続けてきた。ゆえに、悲しみに泪を流す、吉備津彦の気持ちが分からない。分からないから、何も言えなかった。

 本来、今朝の一件は自分が片付けるつもりであった。止める間もなく吉備津彦が飛び出してしまい、そのせいでこんなことになった。しかし、手出しをしなかったのは柴刈りの翁の意思でもある。【鬼憑き】である吉備津彦は。世間が自分をどう見るのかを、一度その目で見なければならなかった。少し早いが、その機会が今日だった、というだけのこと。

 予定通りのはずなのに。柴刈りの翁は、なったこともない二日酔いのような、胸のむかつきを覚えた。吉備津彦の様子を見ようと、居間から庭への襖を開けた。吉備津彦は、木刀の素振りをしていた。湯気が立ち昇るほどに汗をかきながら、一向に止める気配が無い。吉備津彦には、考え事があると素振りをする癖がある。それを柴刈りの翁は知っていた。答えが出るまで絶対に止めない。自分が寝ていた間中、ずっと素振りをしていたのだろうことが容易に想像できた。


 柴刈りの翁はじっ、と吉備津彦の様子を眺めた後。すっと襖を閉めた。





 その後。吉備津彦が齢二十五になった時。麓の村から文(ふみ)が届いた。差出人は田助と静。田助は侍となって、静と祝言を上げたという内容だった。

 吉備津彦はそれを端から端まで読み終えた後。雪が溶けるように顔をほころばせた。

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しゅれでぃんがー 2019/12/09 23:56

吉備津彦伝 鬼退治編 道中の一幕【〆】

【とある城下町の目抜き通り】





 道の両側に所狭しと並ぶ露店。ゴザを引いて店を開く者もいれば、台車や軒先に商品を並べる物もいる。それらの前ではしゃぎ、騒ぎ、迷う家族連れや男女。むろん男同士や女同士もいる。誰もかれもが目を輝かせ、眼にも耳にもにぎやかだ。

 吉備津彦たちは野宿続きの疲れを癒すため、一日だけこの町で宿を取った。そして朝、いざ出陣。と、いったところでこの市場に通りかかった。

 そこでいの一番に声を上げたのが留玉臣だ。

「せっかくだから見ていきましょ~! 素通りなんてダメダメ、ぜぇ~ったいダメ!! ありえないありえないありえな~い!!!!」

 全力で絶叫し駄々をこねはじめる留玉臣。そこに乗ってきたのが楽々森彦である。

「桃様。道中での戦いで消耗品がいささか心もとなくなってきたでござる。ここはひとつ、物資を補給するのがいいと、この楽々森は愚考するでござるよ?」

 身振り手振りでいやいやと不満を激しく表現する留玉臣。このままでは地面に転がってジタバタし始めるのはもはや時間の問題だろう。楽々森彦もしごく真剣な声色で進言したが、顔が完全に笑っている。

「お前たち! 今は【闇】退治の旅の道中、我らは先を急ぐ身なのですよ! 今もなお、闇の化生に苦しむ者たちがいるかもしれないというのに――」

 犬養健はそんな二人を毅然と諫めるのであるが。
 吉備津彦はそんな犬養健をたしなめる。

「よい」

 留玉臣は地団太を止め、マジで……!? という顔で目を輝かせながら吉備津彦を見上げる。楽々森彦はよっしゃ、といった具合にガッツポーズをとった。

「そんな……! 桃様、甘やかしてはなりませぬ!」

 吉備津彦は犬養健の肩にぽん、と手を置いた。

「急がば回れ、と言うだろう。このところ戦続きだった。たまの息抜きは明日への活力ともなろう」

 吉備津彦はお供たちを一瞥し、先頭を切って歩き出した。


「一回りしてゆくぞ。欲しいものがあれば、言え」



 ◆◆◆



「いやぁ~んこの紅(べに)の色か~わ~い~い~!」

 留玉臣は露店の前座り込み、両手を頬に添えながら歓声を上げた。その露店はゴザの上に品物を並べているが、雑多な感じをさせない並べ方をしている。取り扱っているものは化粧道具だけではなく、小物から食器、足袋など雑貨な品揃えをしている。

「ふむ……店主殿、これを頼む」

 駆けて行った留玉臣にいつの間にか追いついていた吉備津彦は、着くやいなやその口紅の購入を告げる。木製の丸い器に詰められた赤色の紅。持ち歩けるように蓋ができる作りになっている。

「ありがと~桃様! 好き! 愛してる!」

 留玉臣は吉備津彦にひし、と抱き着く。感情をあらわにすることをためらわない彼女は、感極まるといつもこれだ。犬養健がいくらたしなめても自重しないので、彼も最近は諦め気味で何も言わずにこめかみを押さえてため息を吐くばかりだ。

 幸いなのが、吉備津彦に邪な気持ちが欠片も無いことであろう。

「旦那」

 店主が吉備津彦へ手招きする。

「化粧は顔が見えなきゃ出来ませんぜ。見たところ旅暮らしの様子。水場でも無けりゃ使いにくいでしょう」

 店主はすっ、とゴザの上から商品を手に取る。

「こいつは折りたためる姿見でさ。この大きさなら邪魔にならんでしょう」

 手のひらサイズの折り畳みの鏡。留玉臣はそれを見て、しおしおとしおらしくなった。

「で、でも……紅の上にそんなのまで買ってもらうのは、ちょっと……悪いかな、って……」

 もじもじと口ごもる。吉備津彦の懐事情はある程度知っている。詳細は会計役の犬養健しか知らないが、吉備津彦は助けた人からの御礼もほとんど受け取らない男だ。余分なものを買うお金など持ち合わせていないはずである。今回の買い物だって、正直我が儘過ぎたかも、と内心で留玉臣はびくびくしているのだ。

 吉備津彦に嫌われたくない、と留玉臣は心の底から恐れていた。
 しかし。

「確かにそうだな。なら、それも頼む」
「まいど」

 吉備津彦は二つ返事で決めた。

「えっ! い、いいの? 桃様?」
「よい」

 吉備津彦は微笑んだ。

「女だからと区別はせぬ、とは言ったが。女を捨てよと言った覚えはない。お主は器量も良いし、化粧だってしたい盛りであろう」

 吉備津彦は代金を払うと、紅と鏡が入った包みを留玉臣に手渡した。

「これはお主に必要なものだ。ならば、俺も惜しむまい」

 留玉臣は手の中の包みをまじまじと見下ろすと、顔を真っ赤にして包みを抱きしめた。


「ぁりがとぅ……ももさま……」



 ◆◆◆



「桃様! 拙者はこれが欲しいでござるよ!」

 にょきっ、と生えるように脇から現れた楽々森彦が、露店の商品を指さした。その指の先にあったのは……

「ぬ……これは、なんだ?」

 茶色い。なにか乾燥している。なにやら植物のようにもみえるが、ただただ茶色いという印象しか見受けられない。見た目では種類が分からなかった。

「立てば芍薬、座れば牡丹。歩く姿は百合の花……「あたしのこと?」違うでござるよ。座ってるでござる」

 両手の人差し指で自身の頬を強調し、可愛さアピールで乱入した留玉臣は。にべもなく楽々森彦に両肩を押さえられて座らされた。ちぇー、といった感じで留玉臣は口をとがらせむくれている。

「と、いうことわざでおなじみの。【芍薬の根】でござるよ」
「しゃくやく?」

 吉備津彦は首をかしげる。芍薬と言えば、花の名前。それぐらいの知識しかない。

「芍薬とはその名の通り、薬に使われる薬草でござる。根っこは煎じて飲めば腹痛を、傷口に塗れば消毒を。なんにでも使える万能薬でござる」
「ほう……作れるのか?」
「薬学は座学でちょっとかじったでござる。それぐらいなら拙者にも作れるでござるよ」

 楽々森彦は忍者の里の出身である。それゆえ、忍術についての深い知識と技術を持っている。その立ち振る舞いからは想像をさせないが、いっぱしの忍者なのであった。

「みんなの分を作ったら、残りは売って路銀にしてもいいでござるな!」

 にっしっし、といたずら小僧のように笑う楽々森彦。

「いいだろう。店主殿、それを包んでくれ」
「まいど」

 店主は芍薬の根を包みながら、楽々森彦をちらりと見やる。

「お兄さん、なかなかめざといね。それに目利きも利くようだ。こいつはおまけだよ」

 店主は露店とは別に置いてある風呂敷の中から、空の木製薬容器を取り出した。手のひらに収まるような、まあるい小さな軟膏入れである。

「4つ。あんたがたたちの頭数と同じ数をあげよう。もっと欲しいなら、買っておくれ」
「おぉっ!! これはかたじけのうござる。さっそく今夜作っておくでござるよ!」


 はしゃぐ楽々森彦を見つめながら、吉備津彦は薄く微笑んだ。



 ◆◆◆



「して」

 吉備津彦は背後、やや離れた位置で控える犬養健に振り返る。

「お主は、何が欲しい?」
「私は結構でございます」

 犬養健は即答した。吉備津一行の台所事情を預かる身、初めからそう決めていたのだろう。
 吉備津彦は顎に手を当てて考え込んだ。

「ふむ……このままでは、供(とも)に褒美すら与えられぬ主(あるじ)になってしまうなぁ。それに褒美を与える者と与えぬ者がいる、となると、俺は供を贔屓する主となってしまう」
「な゛っ……!」

 これ見よがしにはぁ、困った困った、と悩みだす吉備津彦に、犬養健は大慌て。

「私はそんなものをいただかなくとも、桃様に忠義を誓っております!」
「いやさ、世間体の問題だ。このままでは俺は極悪主として、皆からそしりを受けるであろう……」
「そのようなこと、いつも気にしていないではないですか!」
「いや。これからは気にしようかと思ってな。いや、あぁ、これはどうしたものか……」

 吉備津彦は口角を緩やかに上げて、くつくつと喉を震わせた。
 犬養健はそんなことに気づく余裕は無いようで、あわあわと狼狽している。
 留玉臣と楽々森彦は、そんな二人のやり取りをにこにこしながら眺めている。

 そんな時、店主が動いた。

「まあ、買う買わないは別として。ひとまず品を見てみておくれよ。欲しいものが、無ければ無いでいいからさ」

 それを受け、犬養健はちょっとたじろぐ。
 吉備津彦はそんな犬養健をじっと見つめている。

 犬養健は、はぁ、とため息をつき。露店の前でしゃがみこんだ。

「………………」

 端から端まで眺めまわすように、じっくりと視線を添わせる。そして、数舜だけ目が止まった。
 吉備津彦はそれを見逃さず、視線の先を追う。そこには、一冊の帳面があった。

「これか」
「あ……っ!」

 帳面を手に取ってぱらぱらとめくる吉備津彦。その帳面は白紙のようで、厚手の表紙紙(ひょうしがみ)に色がついているだけだった。
 犬養健が慌てて何か言おうとするが、間を置かず留玉臣と楽々森彦が、吉備津彦の両脇から帳面をまじまじと眺めた。

「なぁにぃこれ?」
「出納帳でもつけるでござるのか?」

 何に使うのか、興味津々。二人ともそんなことが顔に書いてある表情をしている。
 吉備津彦も、じ……、と犬養健を見つめている。

 犬養健は、観念したように肩を落とした。

「桃様はいずれ、一国一城の主となるお方。その日が来た時の為に、その武勇を記録しておきたいのです。皆に、その偉大さを教え、伝えるために」

 むろん、一つたりとも忘れはしない。そう固く思っているが。もしかしたら、伝えられないようになることもあるかもしれない。そんなことが無いように、形として残したい。犬養健は、そう思っているのだ。

 吉備津彦はそんな犬養健の告白に、淡い笑みを浮かべた。

「あいわかった。では、これもいただこう」
「まいど」

 手にしていた帳面をそのまま犬養健へと手渡す。犬養健は手の中の帳面を少しだけ見つめると、大事そうに懐へしまった。

「旦那」

 店主がござとは別の風呂敷をごそごそと探る。

「帳面があっても書くものがありませんとな」

 風呂敷からすずりと筆を取り出した。
 筆は漆(うるし)塗りのようにつややかな光沢を放っている。

「ふむ。至極当然だ」

 吉備津彦は高そうな筆のことなどみじんも気にした様子がなく、代金を支払おうと懐を探り始める。
 店主は首を振った。

「こいつはおまけです。その代わりに、旦那方がいつか大きなことをなす時。あっしを呼んで儲けさせてくださいな」

 そう言って、店主は、年老いたしわくちゃの顔で笑った。

「かたじけなし」

 吉備津彦はありがたくそれを受け取った。



 犬養健はもらった紙とすずりと筆で約束状を作成し、店主に手渡した。
 その後もおいしそうな団子やせんべい、どら焼きなどを買い食いしては犬養健が怒り、他の二人は悪びれもせずけたけたと笑う。そしてその光景を、吉備津彦は笑みを浮かべながら見守っていて、そんな吉備津彦を見て犬養健は仕方なく折れる。

 ひとしきりそうやって楽しんだのち。
 彼らはまた旅立った。

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