【超絶奥義】
通り名は【ワンダースキル】だが、和風物語ではこの呼称が使われているらしい。潜在能力を開放する強化スキルで、一度使用すればしばらく使えない。自身を強化するだけでなく、周囲の仲間に影響を及ぼすスキルもある。
【どこかの物語の森深く】
「引退する、だぁ?」
美猴はあんぐりと口を開け、塞がらないままに目を丸くした。美猴と桃太郎は闇の出現を聞き、コンビで討伐の任務に出ていた。今はその帰り道。焚き火を焚いて、丸太を座布団に火を囲んでいる。
彼らが出会った日から、二十年以上もの月日が流れていた。
「……理由は?」
「寄る年波には勝てねぇ、ってことさ」
美猴は桃太郎をじっ、と眺める。桃太郎の顔には、出会った頃よりもずいぶんとしわが増えた。髪も白髪混じりが目立つ。老いている、というのは本当なのだろう。
「お前とは長い事組んできたが、俺にもう昔ほどの力は無い。いずれは脚を引っ張ることになるだろう。だからその前に、な」
桃太郎はすっきりと笑っている。が、美猴は今にも殴りかからんほど、剣呑に彼を睨みつけた。
「馬鹿にするんじゃぁねぇぞ。てめぇが他人様のことなんぞ考えるタマかよ。もし解散はしたとしても、引退まではしねぇだろ。一人で勝手に戦って、勝手に死ぬまで戦うだろが」
桃太郎は苛烈な男だった。ひとたび闇と聞けば、誰よりも早く一番に飛び込んでいく。そのせいで誰もついてこられないので、目付として美猴が同行するようになった。そして美猴も一緒に盛り上がってしまうので、いつの間にかこの二人が先駆け部隊となった。
戦うことが、三度の飯よりも好き。それを絵に描いたような男。それが桃太郎。だから、美猴は彼の言葉の空虚さに憤った。桃太郎はそんな美猴が眩しいのか、目尻を緩めて目を細める。美猴はそれがまた気に食わない。
「なんだてめぇ、まさか腑抜けやがったか!? 俺様がトドメを刺してやってもいいんだぞ!?」
「くくく……すまんすまん。やはり、お前には分かるか」
桃太郎からは後ろ暗さを感じない。どうやら臆したわけではないようだ。ならばこそ理由が気になって、美猴は問いたげな視線を刺す。
「うちのガキがな。この前、初めて御勤めを果たしたのよ」
「おつとめ、ってーと……前に言ってた、あれか」
桃太郎の世界では、闇との戦いを【闇退治】と呼ぶらしい。それは桃太郎の義務であり、逃れえぬ宿命である。そう語っていた。しかし。ガキ、と聞いて、美猴は血相を変える。
「って、てめぇ! てめぇのガキたしかまだ二桁ですらなかっただろ!! なんてことさせてやがる!?」
「無論、近くで見てはいたがな。たった一人でやりおおせやがったよ」
桃太郎は嬉しそうだった。美猴はなおもなにか言いたげに顔をくしゃくしゃさせるが、話が進まないので呑み込んだ。
「だがな……」
桃太郎はその顛末を語る。美猴は聞き入った。そして、何も言えなかった。
「俺の国では、【鬼憑き】が幸せに生きる道は無い。一生日陰で隠れて生きるか、【桃太郎】として闇と戦い続けるしかない。多くの者は、その中で命を落とす。生き延びた者も、自由には生きられん。ひととせ絶えず咲き誇る、藤の山に幽閉される。許可なく下山すれば即討伐だ」
吉備津彦は、本当なら討伐されるところであった。しかし討伐命令は下らず、吉備津彦も『下山しない』という約束をたがわなかった。
「あいつは運が良かった。外の世界を垣間見て、命を落とさずに済んだのだから」
村でなにがあったのかは分からない。しかし、吉備津彦の下山をお上に報告しなかった、ということだけは分かる。それだけで充分だ。
「【桃太郎】というあざなは呪縛だ。命果てるまで闇と戦い、果てぬなら藤の牢獄で朽ちる。行き着く先は、死あるのみ」
まあ俺が山に下ったのは、討伐隊がしつこすぎて面倒くさくなったからだがな、と桃太郎はぶははと笑う。しかし、美猴は笑わなかった。
「あいつは俺ほど強くない。このままでは飼い殺しにされるだろう」
焚き火の炎がいつの間にか弱まっていた。桃太郎は慣れた手つきで柴を割り、くべる。そんな姿が似合っているようにすら見えて、美猴は時の流れを改めて自覚した。桃太郎は、こんなことが得意そうな男ではなかったのに。
「俺は、名前というものが無い。普通は親にもらえるそうだが、物心ついた時には親などもういなかった」
捨てられたのか、それとも別の理由か。桃太郎はその理由を知らない。
「もしかしたら。俺が桃太郎になったのは。何でもいいから、【名前】が欲しかったからなのかもしれんな」
自身が【桃太郎】となってからの歳月は、彼にとっては比較的平和な時間だった。昼夜襲撃に備える必要もなく、誰からも敵意を向けられることは無い。屋根のある場所で定住し、日がな一日のんびりできる。平和を知らなかった彼にとって、藤の牢獄は居心地のいい場所ですらあった。
「だから。【鬼憑き】を育てろなんて勅命が下った時は、正直言ってめんどくさいだけだったよ。世話役としてついてきた女も、口うるさくて鬱陶しい」
桃太郎の世界では、増える闇の襲撃により、【桃太郎】が桃太郎ただ一人になっていた。ゆえにその事態を重く見た帝が、【桃太郎】を増やすために桃太郎に【桃太郎】の育成を命じたのであった。
それを聞いて、美猴はなんとも勝手な話だな、とあきれかえった。しかし。悪態をつく桃太郎の顔は、思い出を懐かしむようにほころんでいる。
「そのわりには、懐かしそうじゃぁねぇか」
「まあ、な。この俺に向かって、真正面から怒鳴りつけてくる女なんて初めて見たからな。新鮮で珍しかった。あいつが俺をどう思っていたかは知らんが。少なくとも、俺の前で【鬼憑き】を嫌悪するような姿は、ただの一度も見せなかった」
女は吉備津彦のことも、我が子のように可愛がっていた。親子ではないが、親子のような毎日。いつの間にかそれが日常となった。
「アレもお上のところで色々あったそうでな。左遷されたらしい。でも、こっちのほうが楽しい、と、一度だけ言っていたよ」
「そりゃぁよかったじゃねぇか」
ぶは、と桃太郎は笑った。美猴も表情が緩んだ。
「……俺が【キャスト】を辞める理由は、もう一つある。【超絶奥義】が、使えなくなったからさ」
「――――――!? なんだとっ!!!? 」
【超絶奥義】とは、キャストとなった者だけが使える秘奥義、最後の必殺技のようなものである。自身の内に秘めた力を解き放ち、様々な能力を発動させる。それが使えなくなったということは。
「なんでそんなことが……」
美猴は考え込み、そしてすぐに理解した。
「まさか」
「そのまさかだ。代替わりの時が来たのさ」
【超絶奥義】は、一種類のキャストにつき一人しか使えない。そして、吉備津彦はそれを使うことができた。ならば、そういうことなのだ。
「元々俺は捨て石だった。そもそもが英雄なんてガラじゃねえ。本物の【桃太郎】が現れるまでの代役、繋ぎでしかなかった」
襷(たすき)を繋ぐ役目を果たした、と考えれば、これで自分は御役御免ということだ。と、桃太郎はまた笑った。その顔に寂しさも憂いもない。だから、美猴もそれに対して何か言うことはやめた。
「だが。最近ふと思うんだ。俺から【桃太郎】というあざなを取れば、いったい何が残るのだろう、とな」
親にもらった名前も無い。人の世に伝わる名前も無くなった。ならば、自分はいったいなんなのだろう。桃太郎は素朴に自分へ問うた。
「それに。吉備津のことも気になった。ガラじゃねえんだが。まあ、なんだ。……心配なんだよ」
美猴は彼の口から心配という単語がこぼれて、目を丸くした。まったく、本当にガラではない言葉である。桃太郎もそれを自覚しているのか、自分で口にしてぶははと笑った。
「アレはこれから、きっとつらい人生を送る。挫けることもあるかもしれない。あいつの為に、なんでもいい。何か、残してやりてえ」
桃太郎は表情を曇らせた。
「だが。俺は、人からもらった物が無い。だから、あいつに残せる物が無い。なにもねえんだ」
桃太郎にとって、物とは奪う物だった。与えてくれる人なんていない。欲しい物は自力で手に入れるしかない。しかし、そんな人生は、彼の手元に何も残さなかった。【桃太郎】というあざななど、本当は残したくないというのに。要らない物ばかりが残ってしまう。
「俺にあるのは、この力だけ。力は全てを解決する万能の手段だ。力が無くては、何も選べない。せめて、この力の欠片ぐらいは。あいつに残してやりてえ。俺はあいつに、『未来を選ぶ自由』を。残してやりてえんだ」
桃太郎が【桃太郎】を辞める本当の理由。それは、ただこれだけのことだった。美猴はなんとも、複雑な気持ちになった。桃太郎は笑う。
「そんな顔をするな。これでも俺は、今日までそれなりに楽しかった。正義の味方の真似事をするのも、お前と馬鹿みたいに暴れまわるのも。俺はもう、充分楽しんだ」
桃太郎が【キャスト】になれた理由は、単純にその力の強さだけだった。もし選考基準に品位や精神性という項目があれば、もしかしたら落とされていたかもしれない。吉備津彦を引き取り、洗濯の嫗と出会わなければ。途中で不適格と除名されていた可能性もある。
彼が今日この日まで、【桃太郎】として生きてこられたのは。奇跡のような運命だったのだ。
「……ふん。まあ、いいだろう。後の報告は俺様がやっとくから、おめぇさん、もう帰っていいぞ」
「なに? いや、そういうわけには」
「いくんだよ。引退の件も上手い事言っといてやる。さっさと家族の元に帰りやがれ」
しっしっ、と追い払うように美猴は手を払った。焚き火はもう、ほとんど消し炭になっている。森の切れ間からは、朝日が差し込んできていた。
「てめぇのガキがこっちに来たら。一人前になるぐらいまでは、俺様がめんどう見てやるよ。だからてめぇは安心して、老いて安らかにくたばるんだな」
自身は老いぬ、修行中なれど仙人であるが故に。これが友との今生の別れになるかもしれない。美猴はそれでもなお、顔を背けて表情を見せないようにしながら、言った。
「それよりも。こっちにこられるぐらいには仕込んでおけよ。【桃太郎】の後釜とはいえ、無条件でこられるわけじゃぁねぇんだからな。そこまでは、俺様にもどうしようもねぇんだからな」
「ぶははははは! 心得た」
桃太郎は立ち上がった。
「美猴」
桃太郎は美猴の名を呼んだ。彼が美猴を名前で呼ぶのは、初めて出会った時から数えて、初めてのことだった。*美猴は背けていた顔を戻して、桃太郎の顔を見た。
「我が生涯の友よ。次の【桃太郎】を、よろしく頼むぞ」
桃太郎は会心の笑みを浮かべると、目の前に障子を出現させ、静かに開いて中へ消えて行った。そして、障子も虚空に消える。そこには、美猴と燻った焚き火だけが残った。
「……ふん」
美猴は桃太郎が座っていた丸太をしばらくじっ……と眺めていたが。立ち上がり、自身も門を開き消えて行った。