ゲーム制作に哲学有用じゃね論
ゲーム作るなら哲学かじっておいたほうがいいなって思いました
私は哲学については昔に筋肉ダルマが「無知むち!」って連呼してたら解釈違い勢にとっつかまって、その後「アッポーもポォーウ!」ってジャイアント馬場とマイケルジャクソンのモノマネして煽ってたら始末された事くらいしか知りません
あとカントとかいうぶっ壊れキャラが環境ぶっ壊したせいで高難度ボスも新規キャラもカント前提の性能で実装されてる詫び石案件なことも知ってます
それくらいで、別に哲学専攻とかはしてないし本も読んでません
全てどっかで見た知識、どこで見たかは覚えてない、フィロソフィーの風上にも置けないではないか
ゲームというかストーリー制作において、テーマは大なり小なり必要ナリよキテレツ
そんで、そのテーマを広げたり視点を変えたりするのに哲学学んでおけば有用じゃねーかなって思いました
別に答えを得る必要はなく、こういう思想のもとでこのテーマに触れていったらどういう形で思考が遷移していくかという想像を張り巡らせるのに使えるのだ、多分
あとなんかそれっぽいこと言わせるのに使えるでしょう、ゲーテもそう言ってた、ゲーテはこの世の全部のセリフ言ったらしいからすべての発言責任はゲーテにある
世界の果ては滝だし星は天球を廻るし火山が噴火するのはチャック・ノリスを恐れているからだ
ゲーム制作期間が延びるとこういうのを思いついてしゃーない
今活かせぬ次の足場を見て、やがて足元を踏み外す
ならば俺は空中を蹴って空を飛ぶしかない
そして、この先の世に必要なのはゲーミング哲学
制作者とプレイヤーが持つべき、謂わば【愛遊】
電脳世界は肉体を失った精神世界であるが故に、現実という肉体を伴う物質世界とは違う倫理と法則によって成されている
だからこそ、現世に囚われぬ哲学が必要なのだ
七色に光るその哲学を