村田護郎さん追悼記事 「彼は何をやりたかったのか」(加筆再掲)
昨年(2018)暮、村田護郎さんの訃報(加筆再掲)
※これは2019年始め、別ブログに書いた記事を加筆修正したものです
メカニックデザイナーの村田護郎さんが2018年暮にお亡くなりになったそうです。
がっちりした体格に人懐っこい笑顔。
業界の大先輩であり、アニメや特撮ヒーローものをネット越しで一緒に見ては、毎日のように私達とIRCチャットでお話していました。
本当に、亡くなるほんの数日前まで。
上下関係をあまり好まなかったため、ごろさんと呼ばせていただいており、この記事でもその呼び方で失礼致します。
僕はロボを描くために生きてるんです
そんなごろさんの口癖
「ぼくはロボを描くために生きてるんです」
彼はメカ、ヒーロー、そして特にロボットに対しては異様なまでのこだわりを見せていました。
「ロボの存在が無ければ物語が成立しない作品
それがロボット物です」
当初、私はこの言葉の意味が分かりませんでした。ロボット物はロボットがテーマだと言うのです。
ロボットにより成される正義がテーマ、とかなら誰でも分かります。でもロボットがテーマって…?
やがて幾度となく彼の熱弁を聞いているうちに、なるほどこういう事かと徐々に理解できてきました。
例えば鉄人28号において、鉄人という「ロボット」の存在は、他の何にも置き換えられません。
鉄人を「すごく威力のあるライフル」とでもしたら、お話が成立しなくなってしまう。
ドラマも全て鉄人を中心に回っています。
それこそがロボット物なんです
とごろさんは言うのです。
「ロボという存在そのものが
世界観でありテーマとなっている作品
ぼくはそういうものを作りたいんです
ずっとそう言い続けていました。
だから近年のアニメで、ロボット物と冠した作品のいくつかを見ても、「これはロボがなくてもお話通っちゃうね」など、かなり手厳しい話もしておりました。
ロボットと萌え
そんな反面
「ぼくは萌えがわかってきた気がします」
私と一緒に萌えアニメを見ていたごろさんは、ある日突然そう言い出しました。
「萌えの本質はカワイイです
それ自体が世界観・テーマになっていて
良質の萌えアニメは
全てカワイイというテーマへと収束しているんです」
これは先に話しましたロボット物の世界観と同じだと言うのです。
この柔軟な発想には私も本当に驚かされました。
正直この多様化の時代、ごろさんの言うようなストイックで純粋なロボット物を作れるものだろうかとも心配もしていました。
しかし、いま萌えアニメはそれが出来ているじゃないか。
ロボだって不可能ではないし、希望もある。
そう固く信じていたようです。
その晩年と求道
同じ志を持つ優秀で気の合うスタッフと、晩年苦しめられていた慢性疲労を跳ね返す体力があれば、彼の言う本物のロボアニメは出来ていたかもしれません。
村田護郎さんは単なるメカデザイナーに収まらない人です。
ロボット哲学をもった求道者でした。
この記事を読んでくださった若いロボット好きのクリエイターの方々に、ごろさん…村田護郎の志が届きますように。