Skinaflint 2023/02/25 16:57

【お知らせ】猫ちゃんの生涯年表・今後の活動について

ざっくりとですが、こちらに書き留めておきます。

生誕

2005年4/5日
春真っ盛りに生まれた元気な男の子でした。

お迎えした日

2005年10月頃
6ヶ月となり親離れできる年齢ということで
当時存在していたMSNオークションの里親募集にてお迎えしました。
動物を飼うのは初めてでしたが、困ったクセなどもなく
ほぼ一日で新居に慣れました。

それからの流れ

2006年
猫と一緒にいる時間を増やすため会社を自主退職しフリーに。

目が合えば常に鳴き、呼べば返事をして来てくれるような
営業部長で、来客があっても積極的に挨拶にいくような子でした。
少し躾けただけで、人間用のトイレでオシッコもできちゃいました。
とにかく元気いっぱいな子です。

2011年
玄関前でずっと泣いていた子猫を拾い上げて猫家族二匹目に。
こいつがヤンチャなためか、8kg近くあった体重は6kgほどに

2016年ごろ
尿の量が異常なため診察したところ糖尿病と判明。
一ヶ月ほど入院、以降インスリン投与(注射)の毎日。

2019年2月
体調不良により診察、膵炎が発覚。慢性化。
以降ステロイドを併用していくがインスリンとの相性が悪く
低血糖の症状にならないよう監視する時間を長く取る。
ほぼ同時にコロナ禍が始まったため、間借りしていた事務所から
自宅に仕事のベースを戻す。

2022年10月
急にご飯を食べなくなり体調が悪化。
開腹手術の結果、(おそらく小腸からの)巨大な腫瘍が見つかる。
切除は困難と伝えられる。この時点では腫瘍は良性と伝えられ
食事を徐々に取れるように内服薬と点滴で一ヶ月ほど入院。
3kg台まで体重が落ち、以前ほどの元気はなくなったものの
立てるようになったので経過観察しつつ退院。
※本格的な別れを覚悟して毎日猫に泣きついてしまいました。

餌が少しづつしか摂取できなくなってしまったため
全てウェットフードに切り替え、2~3時間おきに少しづつ与えることに。
それでも腹が減れば鳴いてベッドに乗り起こしに来るほど元気。
(おかげで私は長期にわたり睡眠不足に)
与える錠剤はステロイド、胃腸薬、抗炎症剤、吐き気止めと4種類。
加えて貧血が酷いので鉄分を補うサプリメントも処方。
あまりにも多いため粉末にして餌に混ぜるように工夫。乳棒を購入。

2022年12月
徐々に様態が悪くなっていたため、主治医に勧められ
高度医療センターでの診察を勧められ診察。腫瘍がほぼ悪性との結果かつ
高確率でリンパ節転移、さらに常時貧血の原因が腸内出血と判明。
腫瘍の切除がたとえうまくいったとしても良策とはいえず、
おそらく失血で長くもたないとほぼ余命宣告。クリスマスの翌日でした。
猫は8時間(以上)の絶食で体力が限界のように見え、CT検査を断る。

今でも余命宣告の瞬間と帰りの夕日を浴びながら猫と一緒に乗った
タクシーの車内が鮮明に頭に残っています。
40年以上生きてきて、おそらく一番つらい一時でした。
主治医には終末医療に切り替えると伝え、薬だけ処方してもらう。
この動物病院も17年の間に院長が息子さんに引き継がれており
実質二世代にわたってお世話になっておりました。

2023年1月
一家全員で向かえた2023年。
いつ心臓が止まっているかわからないため常に呼吸を確認するように。
ケージを用意し、暗視機能つき監視カメラを取り付ける。
ほぼ下半身を引きずる生活になりながらも、今までのような生活をしたがる。
ベッドには前脚の力を使って飛び乗り、排泄も移動中休みながら
猫トイレに行き排泄。結局亡くなるまで粗相していたのは低血糖の時のみ。

ご飯も徐々に食べられる量が減っていきましたが、
それでも必死に餌皿に顔を近づけ、食べようとする姿が見受けられました。
動物の生に対する信念、執着心などを感じ大変勉強になりました。


2023年2月4日
ほぼ水も飲めなくなってしまい、終末医療として処方されながらも
副作用で食欲を失ってしまったため投与をやめていたトラマール
(主に癌の痛みを和らげる強めの鎮痛剤)を
粉末にし水に溶かしシリンジに入れ、口内投与。
なかなか寝付けなかった様子だったのが、グッスリ眠るように。
失血による脱力症状と相まっていたのかもしれません。
あまり入りたがっていなかったケージ内の座布団で横になるので
寒くないよう毛布をかけ、監視カメラでモニター。

2023年2月5日

明け方5時頃、監視カメラの毛布が上下しているように見えず
声をかけるが反応なし。
触れてみると死後硬直が始まっていることを確認、永眠。
惜しくもあと2ヶ月で誕生日という、17年10ヶ月の生涯でした。

私の部屋(寝室兼仕事部屋)は猫の部屋でもあるのですが
2階は子供がおり、非常にうるさいので普段は子供が寝るまで近寄りません。
ところが、亡くなる2~3日前に体を引きずりながら階段を登り、
子供たちの間で横になり大人しくしていました。
その時に自分もわかっていたのですが、彼もお別れが近いことを悟り
最後の挨拶として一緒に過ごしたかったのでしょう。衝撃的でした。
とても頭の良い子だったので、その事象が嫌でも鮮明に頭に残っています。


その後の自分は驚くほど冷静でした。
よく頑張ったねと声をかけながら仮のダンボール箱を棺として収め、
ペット葬儀の手配をし、花を買ってきて棺に散りばめました。
棺に横たわった猫はまるで剥製のように美しく、毛艶もそのままで
まだそこにいるかのような、妙な安心感があるくらい存在感がありました。

家族一同で向かった葬儀ではその棺ごと焼却していただきました。
骨壷に入れてもらい、部屋を片付けて一段落してから
ようやく自分の半身を失った実感が湧いてきました。
看病しながら毎日のように涙を流していたため、泣き崩れることは
それほどないにしても泣けないことがむしろ辛いような、複雑な気持ちです。


文章にまとめるのも辛かったため、勢いで一気にまとめてしまい
読みづらい部分が多々あったと思います。申し訳ありませんでした。

こちらの支援サイトは猫の治療費と生活費という名目で開始しました。
当初は猫がいなくなったら名目の半分が失われるため閉じるべきかと
考えましたが、猫ちゃんがあってこそのサイトだったと思うと
皆様とのご縁も猫が作ってくれたような、忘れ形見のような気がしまして
もうしばらく続けることといたしました。終わるのは簡単ですしね。

まだちょっと心が不安定な日々が続くと思うので
いつ心変わりするかわかりませんが、もうしばらくお付き合いくださいませ。
ここまで長文のご拝読ありがとうございました。

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