ニートの一分
おはようございます。
すばらしい日曜です。
私はこの場所の朝が大好きです。
超キレイで心が洗われます。
さて、現在わたしは東南アジア某国で絶賛ニート中なのですが。
最近ようやく社会的にやや受け入れられてきたとはいえ、定職を持つ社会人の方々におかれましては、いわゆるひとつの「ニート」というものに対して、ある種の偏見というか、凝り固まった考えがあるようにも見受けられます。
それはつまり…
命題1 ニート=無職
命題2 無職=悪
結論 ニート=悪
という乱暴な三段論法のことなのでございます。
今日は、この21世紀という進歩の時代に未だ蔓延っている旧態依然とした社会的通念の誤謬を正すため、PCを立ち上げさせて頂きました。
おそらく、多くの人々の脳内にあるステロタイプはこんなイメージかと思われます。
しかし、それは真実なのでしょうか?
今一度、深く掘り下げてみましょう。
モノとサービスが人間の消費可能な範囲を遥かに超え溢れかえっているこの時代。
普段行われているさまざまな仕事は、本当に世の中に必要とされてることなのでしょうか?
いま目にしているインターネットの画面を見ればすぐに分かる通り、すでに持っているモノと似たようなモノを買わせるための広告が、山のように溢れかえっています。
なぜならば、必要のない財を無理に買わせてでも通貨の流動性というものを担保していないと経済活動が成り立たないからです。
地球規模で異常に膨れ上がった人間の生活圏と資本主義は、欲望を強○的に再生産することでしか、それを維持することができない段階にまで至っております。
つまり、
「必要なモノがあるから作る、売る、買う」
のではなく、
「モノ作って売買するサイクルを維持していないと、経済が停滞して、モノの生産事態がストップしてしまう=社会が崩壊する」
という本末転倒な事態に、すでに陥っているのです。
それが地球環境を破壊し、異常気象・天変地異を引き起こし、はたまた自然の生態系というプログラムを大きく書き換えてしまうことによって、未知のウイルスの出現等の重大な災害を齎してしまっています。
イギリスの経済学者ジョン・メイナード・ケインズは、いまを遡ることおよそ100年前に、以下のような予言をしていました。
「100年後には科学が発展して、人類は労働からほとんど開放されるだろう」
「人々は週に15時間ほど働けば、それで生活していけるようになる」
そして、おそらくその予言は的中しました。
皆様が会社の机でパソコンに向かっている時間の中で。本当に生産的な時間は、一日のうち一体何時間でしょうか?
おおよそ、2-3時間程度なのではないでしょうか?
残りの大半の時間は、仕事のための仕事、チェックされた仕事をさらにチェックするための仕事、80点で顧客に提出すればいい仕事をなぜか上司のために90点までに仕上げている…
社会が必要としている本質的な価値を生み出さない業務が、その時間の大部分を占めているのではないでしょうか?
はたまたネットサーフィンやコーヒーを飲んでいるだけの時間も多いかもしれません。
ただ与えられた勤務時間を穴埋めするために机に向かっているようなことが、多いのではないでしょうか?
そして、さらにそのような行動様式には、一番大切な観点がスポイルされてしまっているのであります。
それは、人間が本来もっとも重きを置くべき「人間存在の優位性」と、私達が住んでいるこの「地球自然環境の保護」という考え方です。
ご存知の通り、労働とは生きていくための糧を得る手段であり、人間が労働そのものに隷属するような馬鹿げたことはあってはなりません。
ましてや、労働に隷属するために自分の健康や家庭や倫理観を犠牲にまでするようなことなど……しかし、それが平気で行われるどころか、美徳として称賛されることさえもあるのが、現代ビジネスの世界なのであります。
とどのつまりそれが過剰労働・過剰消費を生み、結果的に人間の尊厳を踏みにじり自然環境を破壊して、地球上の全人類生活の安全が脅かされているというのは、大いなる皮肉でしかありません。
「ビジネスは戦争」というのは、まさにその言葉どおりの意味なのでございます。
賢明な読者の皆様におかれましては、ここまで読み勧めた時点で私の言わんとするところを自覚された方も多いかと思われます。
つまり、こういうことですね。
おわかりいただけましたでしょうか。
まぁ、この考え方も徐々に普遍的な思想として世間に膾炙されていくのでしょう。
なぜなら、いわゆる「常識」というものは、数十年という短い期間で恐ろしい無責任さで変わっていくものなのでございます。
「人生百年時代」と言われる昨今からしてみれば恐ろしく短い期間です。
例えば、現代日本では蛇蝎のように忌み嫌われ「百害あって一利なし」という社会悪の典型とされている「喫煙」という行為も、数十年前までは「肉体的および精神的に成熟した大人の嗜み」として、日本国政府そのものが奨励していた、という事実がその証左。
天皇陛下からご褒美としてじきじきに下賜される「恩賜のタバコ」なるものがあったくらいですからね。
まぁ、冷静に考えて葉っぱを乾燥させて、火をつけて、煙を吸って気持ちよくなる…というのは、石器時代の原始人とやってることは同じなわけで…それをスーツを着たビジネスマンがオフィスビルの中で行うというのは、私から言わせれば非常にコメディチックなものなのでございます。
※喫煙自体を否定しているわけでありません。私も喫煙者なので。
人間の頭の中の変化は、常に社会の変容より遅れて、徐々にあらわれていくのです。
おもしろいですよね。
まぁ、上記の私が書いた駄文は、私より100倍頭の良い経済学者の方が「ブルシットジョブ」という一言で看破されておられるので、興味を持たれた方はWikipediaなどで検索されるとよろしいのではないかと、思っております。