批判と誹謗中傷の違いについて【クリエイターがアンチに叩かれたときの対処法】

 批判と誹謗中傷はしばしば混同されますが、全く違うものです。批判とは、相手の間違いを正すために、批判的な視点から建設的な改善提案をするというものです。誹謗中傷とは、相手の間違いを正すためという立派な大義名分のためにやることではなく、ただ単に相手の心を傷つけて自尊心を根こそぎ破壊するために、心無い言葉を浴びせて精神攻撃をおこなうということです。

 古代中国には、主君が家臣の諫言を素直に聞き入れることで、問題を上手く解決できたという逸話が多く存在します。自分にとって耳の痛い指摘は、素直に取り入れればしばしば自分のためになるケースがあると思います。

 素人クリエイター(だけではなくプロもそうなのかもしれませんが)も、ユーザーの批判の声を無視するのではなく、建設的な批判だと思えばそれを取り入れる柔軟さが、ときには必要になるのかもしれません。戦国時代の日本の武将や、古代中国の指導者のように。

 しかし、誹謗中傷は別です。誹謗中傷は、相手の心を傷つけるためだけにおこなう、非常に非建設的なおこないであり、真剣に耳を傾ける必要は全くありません。また、アンチから誹謗中傷をされた際にそれを真正面から受け止め、真剣に傷ついてしまうのも、よい対応とは言えません。クリエイターがアンチから誹謗中傷をされたときのベストな対応は、真剣に受け止めず、水をどれだけ入れても全て流れ落ちてしまうザルのように、右から左へと受け流すことです。

 ジョセフ・マーフィー博士は、自分が他人から傷つけられてしまったときの対処法について、次のように語っています。

「他人を許すことは、心の平和にも、輝くような健康にも欠くべからざるものです。もしあなたが完全な健康と幸福を欲するならば、かつてあなたの感情を傷つけた人をすべて許さなければなりません」

 これは、酷いことをした人間と仲良くしろとか、好きになれという意味ではありません。相手を許すことと、相手を好きになるということは全く意味が違います。他人を許す、というのはある種の寛大さを相手に対して持つということです。

 例えば、もし小さい犬が大きな犬に対してキャンキャン吠えたとしても、大きな犬は小さな犬に対していちいち吠え返したりせず、静かにスルーするという余裕を見せることがあります(もちろんこれは例え話であり、実際の犬がそのような行動原理であると主張するものではありません)。大きな犬と同じように、人間も、真剣に耳を傾ける価値のないノイズは静かにスルーすればよいということです。

 もちろんこれは、「言うは易く行うは難し」です。僕もなかなか、頭では分かっていても実行に移すことはできません。人から誹謗中傷をぶつけられたり、煽られたりすると、つい腹を立てて反論したくなってしまいます。今後は気を付けたいと思いました。

この記事が良かったらチップを贈って支援しましょう!

チップを贈るにはユーザー登録が必要です。チップについてはこちら

月別アーカイブ

記事を検索