勿忘草 2022/11/11 22:40

特別投稿ポッキーの日!!美少女とポッキーです!

今日はポッキーの日!!

はじめての方はよろしくお願いいたします。
勿忘草です。
応援して頂いている方は本当にありがとうございます。
また前回も沢山のメッセージを頂き感慨しました!!
とても励みになっています。本当に嬉しかったです。

勿忘草の稚拙なアナログ作品を楽しみにして頂けるなんて!

デジタル作画が出来なくて時代に取り残された私の作品を観て頂けるだけでも嬉しいです。私の作品が皆様の印象に残れば幸いです。

今日はポッキーの日なのでAIで美少女とポッキー制作しました!

AIはポッキーを制作出来るのでしょうか?
興味深いですよね!

最新AIが美少女とポッキーを作画出来るのか?!

結果からご報告すると無理でした。
試行錯誤しましたがAIがポッキーを認識するのに限界があります。
可能かもしれませんがいまの私には無理でしたよ。

この作画はポッキーに見えませんよね。
左側の謎の物体は巨大な(うまい棒)?!!

そして定番のポッキーゲーム!!
美少女同士のポッキーゲームをAIで制作しましたが……
これは更にいまの私には無理でした。

ポッキーゲームのアフターですね。
もう完全にキスしていますよね!!

まだまだAIでは制作に限界があります。
私より熟練した最新AIを創作出来る方なら可能なのかもしれません。
いまの勿忘草には無理でした!

AIでのポッキーゲームの創作は無理でした。

(このアナログのイラストは勿忘草が大昔に描いていた作品です。
エンジェルちゃんとデーモンちゃんと言う漫画です。)
かなりシュールな漫画ですよ。
またの機会に作品をお見せしたいです!

ご閲覧ありがとうございます。

AIでは無理でしたのでポッキーイラストを手書きで創作しました。

20年ぶりの手書きのアナログイラスト第2弾です!
フォロワー様に公開しているので是非見てくださいませ。

ここから先は勿忘草の実話になります。
お時間ある時によろしければ読んで見てください。

思い出すと絶望的な状況が後々の良い方向の原因だった事ばかりです。
また調子が良い状況が未来の不幸な出来事の原因だったりします。

勿忘草がこの実話を公開していますのは、どんな辛い状況も後々のチャンスに繋がっている理を知って頂きたい思ったからです。
読んで頂いた方の勇気に少しでも繋がれば幸いです。

全部読み飛ばしてイラストだけ見て頂いても結構です。

フォロワー様に20年ぶりの新作イラスト第2弾を公開しています!
イラストだけでも見て頂けると嬉しいです。

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

勿忘草は大昔に漫画家を目指していました。
前回の続きとなります。

前回までの実話のまとめです。
小学生時代は学校で一番に絵が上手と言われました。
中学生時代も天才と言わて人気者に。
そして夢であった漫画家を目指して多摩美術大学を希望!
しかし‥‥父親の大反対に会い無念にも夢を諦めました。

そして私は大学は経済学部に進みました。
しかし余りにも講義と大学がつまらなく通わなくなりました。
ケインズ経済学とか統計学とか全く興味なかったのですよ。
そしてなんと!!3年も留年してしまったのです。

最初の留年
授業が退屈で映画ばかり観てました。
勉強はしなかったので単位不足で留年!
ここまではたまにある事ですよね。いやいや勉強しろよ!

2回目の留年
留年した恥ずかしさもあり家に引き籠ってしまいました。
大学には行かず家で本と漫画を読んで暮らしました。
当然引き籠りなので単位不足で再留年!
両親は海外駐在なので事後報告と内緒で退学届けを無断提出!
親のコメントと承認の捺印を偽造しました。
なんと学生課がアメリカのニューヨークまで電話連絡!
父親は大激怒!
退学は承認されず私はちゃんと大学に通うように約束しました。
退学出来ないなら卒業するしかありません。

3回目の留年
退学出来ないので仕方なく大学に久しぶりに通い始めました。
大学の同期に誰も友達はいません。孤独でした。
1年引き籠っていたのでなかなか周囲に馴染めません。

そして学年末試験!!1講座だけ追試験になりました。
勿忘草は追試験の日時を間違えてしまったのです!
もう追試験は終了していました。
追試験の日時変更は学生掲示板に告知されていました。
この学生掲示板を見過ごしてしまったのですよ!
掲示板に日時変更が掲載されたこと教えてよ‥‥‥
この追試験の日時を間違ったのが3回目の留年の理由です。
3回目の留年は想定外で本当に辛かったです。
勿忘草の将来の就職は絶望的です。

しかしこの3回目の留年が良かったのですよ。

ここから実話の続きとなります。

3回目の留年は本当に落ち込みました。絶望しました。
そこで勿忘草は考えたのですよ。
私には決定的に情報がなかったのです。
当時はネットもメールもSNSも勿論ありません。
口コミしかない時代に勿忘草は情報がなかったのですよね。

なので追試験の情報も知りませんでした。
またつまらない講義だけでは大学に行く気力もありません。

そこで友達が大学にいなかった私は部活に入部することにしました!
しかし和気藹々な明るいサークルに入る勇気はありません。
いまさら運動系サークルも無理です。
3回も留年した私を受け入れてくれる部活は難しいです。
とても考えましたがある部活に入部出来ました!

それがミニコミ編集部だったのですよ!

ミニコミはご存じですか?
おそらくご存じないと思います。もう使わない言葉ですね。
昭和の当時はほとんどの大学に1つミニコミ編集部がありました。

大学の文芸同人誌のような雑誌を編集して販売する部活です。
春の新入生に向けて大学の様々なサークル紹介なども掲載してました。

このミニコミ編集部が私を受け入れてくれたのです。
編集部には良くも悪くも少し変わった個性的な方が多かったです。
なので3年も留年している私を受け入れてくれました。
勿忘草は読書が大好きなので文章を書くのは得意でした。
なのでミニコミ編集部は私には相性の良い部活だったのです。

編集会議をして企画を決めて文章を書き雑誌にします。
とても楽しかったです。
いつも独りで興味のない経済学の講義と自宅を毎日往復する孤独な2回目の留年の日々と比べて、私は充実した日々を過ごすようになりました。

しかし勿忘草はこのミニコミ編集部を退部する事になるのです!

なぜ3年も留年した私を受け入てくれた部活を退部したか?!
それには理由があります。
その理由はミニコミ編集部の雑誌がカッコ悪いと思ったからです。

デジタル時代では信じられない事ですが全部手書きなのですよ。
このミニコミ雑誌は手書きした文章をそのままモノクロで印刷して製本していたのです!
信じられないですが当時はパソコンどころかワープロもなかったです。
ワープロご存じですか?
ワープロすらない時代なので費用を抑えるために手書きの文章をそのまま製本していたのですよ! 

それは私の大学のミニコミ編集部だけではありません。
東京の様々な大学のミニコミ編集部の集まる大きなパーティーに出席して他の大学のミニコミ雑誌を全部見ましたが、驚くことに全ての東京の大学のミニコミ雑誌は手書きでモノクロでした。

そこで勿忘草は表紙はカラーで文章を活字にした商業誌のようなミニコミ雑誌を編集したいと考えました。

それが理由でミニコミ編集部の同志達と一緒に退部したのですよ。
編集部の内部分裂ですね!
受け入れてくれたミニコミの先輩方には申し訳なかったと思います。
そんな先輩方も3年留年している私のほうが歳上でしたので複雑なお気持ちだったと思います。

しかし表紙カラーの活字の雑誌を創刊するのはとても難しかったです。
まず費用が必要です。
手書きのモノクロのミニコミ雑誌の10倍は必要でした。
デジタルがない時代なので印刷会社に活字にして貰う必要があります。
また編集制作をする場所の確保も必要です。

簡単なことではありませんでした。
しかし勿忘草はこの雑誌を完成することに成功しました。
それにはまた不思議な出逢いと出来事がありましたよ。

この東京の大学ではおそらく初めての活字の雑誌を編集完成させる事が出来なかったら私は出版社に新卒採用されませんでした。

3年も留年した勿忘草の就職活動は困難を極めて壊滅的で全社が不採用でしたが、ある出版社がこの私が初代編集長だったミニコミ雑誌を見て採用してくれたのです。
しかしその採用も不思議な運命の出来事でした。

長い実話を読んで頂きありがとうございました。

またの次回にその後の不思議な運命をお話ししたいです。

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フォロワーの皆様に20年ぶりの新作イラストをお見せしたいです。
第2弾のアナログイラストです。

ポッキーと美少女をアナログで描きました!

思い入れのある美少女なので是非見て頂ければ嬉しいです。
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