「初めてがあなたでよかった」冒頭サンプル
星村千代((ほしむらちよ)は、十秒起きに時計を見ていた。
(後一分、五十九、五十八……三、二、一!)
三時ちょうど。インターフォンが鳴る。
千代は部屋を飛び出し、階段を駆け降りた。玄関ドアをガチャリと開ける。
「こ、こんにちは」
少年が立っていた。
白いポロシャツに、紺のスラックス、使い込んだ白いスニーカー。小さな鞄を持っている。ごくごく普通の、でもスポーツ少年らしい服装。昨日よりも、髪が短く刈り上げている。
はにかんだような笑顔が、印象的だ。
「ようこそ、大河(たいが)くん!」
千代は満面の笑みで彼を迎え入れた。
「お、お邪魔します……」
「どうぞどうぞ」
大河を部屋へ案内する。
千代は、部屋を完璧に掃除した。ピカピカのフローリングの床。かわいいラグマットとローテーブル。整理整頓された学習机。ぬいぐるみや写真立てが置かれた棚には、埃ひとつない。
「えっと、ここに座ってもいいかな?」
大河はラグマットを指差した。千代が頷くと、そろそろと腰を下ろした。
千代はキッチンに飲み物を取りに向かった。
今日は、初めての彼氏、宮川大河(みやがわたいが)との、記念すべき初・家デートである。
大河にとっても、千代は初めての彼女だという。
(ああ、緊張しちゃうな。お茶を飲んで、ゲームしておしゃべりして、そして……)
両親は親戚の法事に参加している。明日の夜まで帰ってこない。
嫌でも、妄想が膨らむ。
(ま、まだ駄目よ! 今はほら、お茶を持っていかなくちゃ!)
麦茶を入れたコップを二つ、部屋に持っていく。大河は正座をして待っていた。
「どうぞ」
「ど、どうも。あ、これ、お土産」
大河は小さな紙袋から、クッキーの箱をとりだした。近所の美味しいケーキ屋さんのものだ。
「ありとう!」
千代はローテーブルを挟んで向かい側に座る。クッキーをポリポリと齧る。大河も無言でお茶を啜っている。二人とも、何も言わない。
学ラン姿の大河を見慣れているせいか、私服の大河がすごく新鮮だ。あと、いつもよりちょっと良い匂いがする……気がする。
大河も、千代のことをじっと見ている。千代は急に恥ずかしくなった。
(だ、大丈夫かな、髪とか顔とか服とか、変じゃないよね?)
顔が真っ赤になるのを感じる。慌てて、横に置いていたゲーム機を取り出した。
「ね、ね、大河くん! ゲームやろう、ゲーム!」
「あ、うん! そうだね!」
千代の部屋には、父のお下がりのモニターがある。そこにゲーム機を繋ぎ、電源を入れる。
ゲームの内容は、誰もが知っている有名な対戦ゲームだ。
撃たれた倒したと二人で盛り上がりながら、しかし千代は大河のことで頭がいっぱいだった。
校舎裏で告白してから、約三ヶ月。制服デートしたり、サッカー部の応援に行ったり、ささやかだけと素敵な思い出を育んできた。
だが千代は、もっと彼を知りたい。彼と──初めてを分かち合いたい。
だから、家デートを提案した。そして今日、大河は来てくれた。
(きっと、大河も……)
時間は刻一刻と過ぎていく。勝っては負け、勝っては負けを繰り返す。
やがて、窓から西日が差す頃。二人は疲れて、コントローラーを床に置いた。
「いやあもう、楽しかったね」
「うん。僕、普段はネット対戦だから、こうして人と一緒にやるのは初めてだよ」
「そっか。私も、正月に親戚が集まった時くらいしかやったことないよ」
それっきり、部屋はしんとなった。
千代と大河の、二人の視線が絡み合う。
「千代……キスしてもいい?」
千代は大河の背中に腕を伸ばした。大河も千代を抱きしめる。そして、唇を重ねる。少し冷たく、柔らかい。
大河の唇が千代の唇を啄む。やがて、彼の舌が、千代の口に入ってくる。千代はそれを受け入れた。彼の舌は、まるで蛇のように動く。未知の感覚が、千代の脳をぼうっとさせる。
ぐらり、と二人の身体が傾いた。そのまま床に倒れる。
大河の口が、千代から離れる。つうっと、唾液の糸が引く。
「……ベッド、行こうか」
「うん」