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その他のお話の記事 (2)

ya-ho-games 2024/06/26 07:00

魔獣の子孫、その名はめーちゃん(CV公開)。

いつも応援ありがとうございます。
新作RPG『アダルトヴィジョン!-reSTARt from the ERO-』予告中です。

今回は、新作で最初のCV公開です。



魔獣の子孫、めーちゃん(CV野上菜月様)

不思議なことに、『どの声がめーちゃんの声なのか』はいまだ定かではないという…どの声がめーちゃんの声なのか、新作発売時にぜひお確かめください。

今作に登場する複数名の人物に関し、
sasAIchi様のci-enのお力をお借りしています。
https://ci-en.net/creator/4481

告知のお手伝い

音声作品や初期のRPGよりご協力頂いており、今作でもご協力頂いております野上菜月様のユーチューブがゼロからスタートせざるを得ない状況になってしまったようです。
新作は、すべてを失った者たちが生み出す「ゼロから始まる」物語ということもあり、微力ではありますが、こちらでも告知の応援をさせて頂きたいと思います。発信ができなくなったり難しくなってしまうことは、誰にとってもよくないことですからね。
まだご存じでない方は、チャンネルがお引越しになるそうですので、以下の情報をご覧ください。

野上菜月様のci-en
https://ci-en.dlsite.com/creator/3836/article/1171629

https://twitter.com/p_o_g_s2/status/1803419363040751849




フォロー限定で新規HCGの一部を閲覧可能です。
予告ページでは更新されていませんが、HCG数は現在60枚以上に増加しています。
(今まで通り、立ち絵、ノーマルのイベントシーンはこの枚数に含みません)


画像クリックで予告ページへ。

予告ページに新作RPGの詳細がございます。
明るい雰囲気がありますが、状況次第でシーンのあるほぼ全キャラに凌○展開が発生します。

魔物や魔術の存在するファンタジー世界で、まだ生まれていない芸術AV(アダルトヴィジョン)による作品作りを志し、夢に向かってゼロからスタートする美少女『監督ちゃん』とひょんなことからそのアシスタントになることになった人物の物語です。

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RPGに関する記事に関して、新作やアプデを楽しみにしているよ!とか、このキャラはとても好みだよ!という時にぜひ「いいね!」ボタンを押して頂けると大変ありがたいです。

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ya-ho-games 2024/06/24 07:00

『歴戦のプレイヤー』

いつも応援ありがとうございます。

来月、私自身の内臓の疾患に関する追加の検査が行われる予定で、半療養状態です。今までの治療、投薬が功を奏していることを願っていますが、結果が出てみないことには分かりません。

また、こちらの記事は病気と年齢の問題で目を離せない家族の介護の合間や、その最中にできることが限られるため、その中の一つとして入力しております。自分なりの限られた現状への反逆です。
どんな難しい状況であっても、できる限りのことをすることは大切だと考えているからです。一人で歩くこともできない私の家族本人も、もちろん力を尽くしているはずです。

RPGから少し離れたお話も混ざります。
わずかに新作に関するヒントが隠されています。


2017年に最愛の家族を失ってから死別を含めたトラブルが絶えずずっと大変でしたが、特にここ1~2年の間に本当に大変な日々を送っており、今もそれを乗り越えるために手を尽くしています。どうも簡単に生きることはできないようです。

その中で、たくさんの人に支えられ助けて頂き、それは医療の分野だけでなく、介護や栄養面に関する役立つ情報であったり、仕事に関してであったり様々です。

そうやって、見えないところで多くの人に支えられ人は生きていていて、それが自助努力と重なることで、振り返って思えばよくもあんな無茶な状況を超えられたものだと思うような危機的な状況も乗り越えられるのかもしれません。


今回のタイトルにもありますが、
『歴戦の(RPG)プレイヤー』とは結局なんなのかと思うと、個人的には『ゲームがうまい人』ということではないと思っています。一面的には何らかのゲームの適性が高いということはあると思いますが、うまいへたではない。

『歴戦のプレイヤー』はたとえば今もどこかで何かに一生懸命取り組んでいる人、世の中の誰かのために手を尽くしている人、時に命を懸けて、ほんの少し今より何かを良くしようと試行錯誤し、時に孤独に、時に人の力を借りながら、そのためにやれることを全てやろうとする、諦めの悪さを持ったごく普通の人間の中にある要素なのだと思います。
その能力は個体差こそあれ『学習能力』、『勘と未来予測』、『固有の感性』。
試行錯誤を繰り返して無限に学習し、起こるであろう危機を事前に察知し、それぞれ固有の感性を駆使して物事に取り組む。
記録に残すことのできない、記憶にだけ残る数値化できない未知数の要素だと思います。
それは特殊能力、超能力を持っているという話ではありません。

ya-ho-gamesのRPGにおいては、一つのテーマとして『運命に立ち向かう』というものがあります。
決められて変えることのできない、あらかじめ定まっている強大な力がそこにあり、介入先の世界の住人が試行錯誤の末、もがきにもがいても、どうしても『運命』というものを打ち破ることには力が足りません。そんな簡単に『運命』が打ち破れるのなら、恐らく現地の世界の住人がどうにかしてしまうでしょう。
では、彼ら彼女らは、どうにもできないからと諦めるしかないのでしょうか?

それでもどうにもならない危機に、最後の最後にやってくる要素。
予定外のイレギュラーとして絶対に必要なものが『プレイヤー』の存在です。それがRPGだと思っています。私はただ、その介入に必要なプログラムを組んでいる添え物に過ぎません。
『プレイヤー』と接触して初めて、RPGが完成します。
プログラムがいかに『プレイヤー』の力に耐えられ、そのポテンシャルを受け止めきれるか、それだけです。だいたい受け止めきれません。まだまだ私が未熟だからです。

『プレイヤー』にとって、RPGを通した別の世界への介入は、『寄り道』かも知れません。
すべての『プレイヤー』に、帰るべき大元の世界があり、それぞれの世界で今も何かに取り組み、時には当人の自覚なく、少しずつ誰かを支え救っているのですから。
その『寄り道』は、別世界の住人(や災いの側)からすれば、「自分にメリットもないのになぜ?」と思うような不思議なことでもあります。理由はきっとそれぞれでしょう。

助けを求める呼び声に応じ、どこからか必ずやってくる何者か。群れではなく独立した個。雲のようにつかみどころがなく、風のように去り、時により姿を変え、まるで別々の人間が複数でその役回りを演じているかのように、その時々に必要な能力を持ち出して発揮する。時に役割を引き継いでいく。

そう思うと、少なくとも私と同じ世界に生きる『歴戦のプレイヤー』は途方もないほど数多く存在し、私が知り得ない中、今もどこかで死力を尽くし、それぞれができることを行い、ある意味でこの世に存在するあらかじめ定まっている強大な力を乗り越えようと、途方もない数のイレギュラーが同時に、独自の意志をもって立ち向かっているとも言えます。
今はその自覚がなかったり、やがてその時が来るという人もいるのかもしれません。

人間というものがちっぽけで、どれだけ力を尽くしても小さな力ではどうにもならないから、と諦めることはできるはずですが、それは命が終わる最後の瞬間でもできると覚悟し、最後の最後まで諦めず死力を尽くす人がいる。
人間の可能性を最後まで信じてがんばろうとする人がいて、それは一人ではなく、また誰しもがそうした存在足り得、成り得る。
そうしたことの積み重ねが、ギリギリでこの世の中を支え保っている気がします。
私は、そうした人間の小さな積み重ねを信じています。人間の力がどれだけ小さくても、それは無駄ではなく、懸命に生き、死力を尽くすことに意味はあると信じています。
人間が力を合わせ限界まで力を尽くせば、諦めない限りできないことはないと。

人によってはそれは病気との闘いであり、仕事や学業との闘いであり、気象や災害との闘いであり、様々な形があると思います。
それがどんな形であれ、当人の認識としてどれだけ小さいことであれ、そこに利己的でない他者を思いやる気持ちが少しでもあれば、きっと誰かを支え、いつか救うものと思います。

そうして今も死力を尽くし闘い続ける人を私は尊敬し、応援し、元気でいてほしいと願っています。目立たないことであっても、必ず誰かがその大切さをわかっています。
人任せではなく、少しでも自分にできることを、と何かに取り組み、続けることはとても勇気がいることです。
本当にいつも支えて頂いてありがとうございます。


こんな記事を書いたのは、私の病気の問題で「もしも」があるかもしれないと前回の検査の際に理解し、そして「もしも」があった時は、こうした思い出もすべて消えて、自分の存在が消えてなくなるということをリアルに感じてしまったからです。今はそれが病気を原因としては、すぐではないだろうとおおよそ分かったので少しほっとしています。

大切な人を喪う心を抉られるような辛さを体験したことは何度もありますが、自分が当事者となった場合は、それは大切な思い出をすべて忘れ、積み重ねることもできなくなるという意味で、その寂しさと恐ろしさがいつか必ずやってくるということに、しばらく、言葉にできないものを感じました。

だからこそ、できる限りのことをして生きることは大切なのだと改めて思いました。
最後の最後、決して自分の人生は無駄ではなく、やるべきことを尽くして生き抜いたと、そう思いたいですし、それが人間の素晴らしさだと思っています。

皆様もどうか健康を第一にお過ごしください。


This time, I could not make time to translate it into English properly due to the difficulties in taking care of my family. This is because even machine translation can sometimes result in incorrect expressions, so I have to spend time reviewing and adjusting each time.

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