三笠 陣 2023/11/05 12:16

秋津皇国興亡記(試し読み版)

秋津皇国興亡記

1 シキガミの少女

 白い髪、赤に近い琥珀色の瞳、秋津人にしては白すぎる肌、そして―――。
 どうして、自分は他の人たちと違うのか。物心ついた時からずっと疑問に思っていた。父様も母様も、城の人たちもみんな黒い髪で瞳の色も自分とは違う。屋敷の中で、自分だけが異質な存在だった。
 父様は私のこの容姿を、自分たち葛葉家の初代様と同じだから誇りを持てと言っているけれど、こんな妖(あやかし)みたいな容姿のどこを誇れというのか。その初代様だって、妖との混じり物だと蔑まれていたというじゃないか。
 城の人たちは、自分を好奇の視線で見るか、不気味なものを見るかのような目をする。家令や侍女が自分に聞こえるように悪口を言っていたこともある。
 だから、私は自分の容姿が嫌いだった。
 一度、そのことで母様を詰(なじ)ったことがある。
 多分、四歳か五歳の時。弟が生まれて、両親がそちらにかかり切りになっていた時期だ。
 当然、私は女だから、男子である弟が葛葉家を継ぐ。その弟の容姿は、屋敷の人たちと同じ秋津人らしいものだった。きっと、葛葉家当主として恥じない人間に成長していくことだろう。
 なら、自分は?
 こんな不気味な容姿を持った自分の居場所は、どこにあるのだろう?

「どうして母様は、私をみんなと同じように生んでくれなかったの!?」

 それは、今から考えれば酷い言葉だったろう。でも、どうしても母様を恨まずにはいられなかったのだ。
 その日は、城に勤める侍女に酷い言葉を投げかけられた。
 だから恨んだ、自分をこんな容姿に生んだ母様を。

「そんなことを言っちゃだめだよ」

 母様が私に何も言わずに顔を伏せて、父様も困惑気味に黙っていて、私が一方的に母様を詰っているところに響いた声は、自分と同じくらい幼い男の子のものだった。
 その瞬間、父様と母様の間に、緊張感が走った。

「……若様、お見苦しいところをお見せいたしました」

 父様が慌てて畳の上で姿勢を正した。母様もそれに倣う中、私だけは涙で濡れた顔で襖を開けてきた男の子を見た。
 城の中の人間でも、しかも子供でありながら、特に上等な着物に身を包んだ男の子。
 葛葉家が仕える結城家当主・結城景忠(かげただ)様の嫡男である男の子。
 ここまで走ってきたらしく、少し息が上がっていた。

「これ、冬花(とうか)!」

 結城家の幼い次期当主の男の子を前にして、未だ泣いている私を、流石に父様が叱りつけた。

「いいよ、別に。僕は冬花が心配だっただけだから」

 そう言って男の子は部屋の中に入ってきて、そっと着物の袖で私の涙を拭ってくれた。

「泣かないで。せっかくの綺麗な顔が台無しだよ」

「……私は不吉の子だって」

「うん」

「私が若様の近くにいたら、若様に不幸が降りかかるって」

 それが、侍女から言われたことだった。
 不気味な子、不吉な子、主君である結城家に禍(わざわい)をもたらす子。
 若様と同じ年に生まれた私は、私の母様が若様の乳母となったことで、乳兄妹(きょうだい)のような立場にあった。だけれども、容姿の特異な私が若様と近い立場になることを快く思わない結城家の家臣たちも多くいた。
 その所為で遠慮がちな私を、この男の子はいつも手を引っ張ってくれた。遊ぶときも、いつも彼が私を誘ってくれた。
 だからこそ、自分の存在が若様にとって不吉なものだと言われたことに耐えられなかったのだ。弟も生まれて、若様のお傍にもいられなければ、私の居場所は本当になくなってしまう。

「僕は、不幸になっていないよ」

 若様は何でもないことのように言う。

「……でも、これから不幸にしてしまうかもしれません」

「だったら、冬花が僕を守ってくれればいいよ」

「えっ?」

 その言葉は、私の中でひどく意外なものとして響いた。禍をもたらすかもしれない私が、若様を禍から守る? そんなことが、出来るのだろうか?

「だって、君たち葛葉家の初代は、結城家当主を呪詛から救ったことで家臣として取り立てられたんでしょ? その初代と同じ容姿の冬花なら、きっと僕を守ってくれるでしょ?」

「……」

 未だ涙で視界がぼやけていたが、男の子が笑っていることが私には判った。きっと若様は、私がずっと傍にいてくれることを疑っていないのだろう。
 父様に葛葉家初代様のことを聞かされても心に響かなかった私だったが、いずれ主君となるだろう男の子の言葉ならば素直に受け入れられた。
 でも、本当にお傍にい続けてもいいのだろうか。
 自分は女だし、葛葉家の当主となれるわけでもない。成長した弟の方が、この方のお傍にいた方がいいのではないだろうか。
 そんな卑屈な思いが、私の中で渦巻いていた。

「ねえ、君たち陰陽師が使役する……何だっけ?」

「式、ないしは式神でございますか?」

 父様が私に代わって答えてくれた。

「そうそれ、シキガミ、シキガミ」

 うんうん、と若様がいいことを思いついたとばかりに頷いていた。

「僕は陰陽師じゃないけどさ、冬花が僕のシキガミになってくれると嬉しいな。だめかな?」

 シキガミ。
 若様の言葉は純粋な陰陽師にとっては奇妙なものだったろう。でも、陰陽師としてはまだまだ未熟な私は、それが何かとても魅力的なものに思えた。
 この人のシキガミになる。
 その役割が与えられれば、ずっと若様の傍にいられる。

「御意のままに」

 だから幼い私は、そう答えた。その時流れた涙は、先ほどまでとは違ったものだった。頬を流れた涙の熱さを、今でも覚えている。

「じゃあ、約束だよ」

 再び若様は私の涙を拭って、小指を差し出した。指切りをしようということだろう。
 私はそっと、その小指に自分の小指を差し出した。まだ小さな子供の指に、互いの体温が絡み合う。
 二人にとって約束となり、契約となる呪文を一緒に唱えた。父様のような陰陽師から見れば、呪文に何の効果もない子供同士の戯れかもしれない。
 それでも、この児戯に等しい指切りの呪文は葛葉冬花という幼い少女の心を確かに絡め取ったのだ。

2 次期当主の憂鬱

 秋津皇国の皇都では紅葉の季節もそろそろ過ぎ、冬の訪れを感じる日々が始まっていた。

「なあ、いつから六家(りくけ)会議は冗談を言い合う場になったんだ……?」

 嘆きたいのか、溜息をつきたいのか、笑いたいのか、よく判らない調子の声が結城家皇都屋敷の執務室に力なく響いた。まだ年若い、少年の声だった。

「本人たちに冗談を言っているつもりはないと思うけれど?」

 少年の言葉に応じたのは、鈴のように透き通った凜とした少女の声だ。

「じゃあ、狂人たちの集会場所か?」

「本人たちは自分を正常だと思っているわよ、きっと」

「なお悪いだろ!」

 バン、と少年は机を叩いた。

「ルーシー帝国の東進に対抗しながらヴィンランド合衆国の西進を阻止するだけの軍事力整備なんて、冗談か狂人の戯言だろ! 秋津皇国(このくに)のどこにそんな金があるんだよ! 大陸植民地の鉄道敷設と南洋群島、新南嶺島(しんなんれいとう)の開拓で金と人をつぎ込んで、さらに陸軍と海軍の同時増強? どう考えてもおかしいだろ!?」

「……」

 実際その通りだと少女も思ったので、あえて沈黙を返答とする。

「とはいっても、六家すべてが賛成に回っているわけじゃないんでしょ?」

「まあ、まだ議論の最中だから何とも言えねぇけど、有馬家は強硬外交と軍事偏重予算には明確に反対派。長尾家も軍事偏重の来年度予算には反対。伊丹家と一色家は逆に対外強硬派。斯波(しば)家は旗幟を鮮明にしていない」

「結城家(うち)は?」

「もちろん、反対に決まっているだろ? でもな、もうすぐ始まる列侯会議で拒否権を持つ俺たち六家が賛成反対で分裂すれば、完全に会議の収拾が付かなくなる」

「難しいところね」

「何で父上もこんな時期に病気になるかなぁ……」

 ぶつぶつと、病床にある父親を心配するのではなく恨み言を漏らす少年。

「ちょっと景紀(かげのり)、御館様に対して不謹慎でしょ?」

「いや、冬花だってそう思わないか?」

「結城家はいずれ景紀が継ぐんだから、誰かを呪ったって仕方ないでしょうに」

 はあ、と少女―――葛葉冬花は溜息をついた。とはいえ、内心では目の前の少年に多少の同情もしている。
 皇国の六大将家(「将家」とは、華族に列せられている武家の総称)、いわゆる「六家」の一つ、結城家の次期当主である若君、結城景紀は齢十七の少年だった。元服は陸軍兵学寮(後の士官学校)に入った十歳の時に済ませており、その意味では十分に成人男性であるといえる。しかし、やはり現当主・結城景忠(かげただ)の代理として当主としての執務全般を代行するには若すぎると言わざるをえないだろう。
 とはいえ、だからといって景紀以外に務まるものでもないのだろうが。

「ほら、シャキッとしなさい。いずれ結城家を背負って立つ人間がそんな調子だと、家臣たちも滅入るでしょ?」

 舶来品の机などが置かれ、板張り床に絨毯の敷かれた瀟洒な部屋の中で、冬花は幼馴染にして主君である少年に苦言を呈する。

「ここには俺と冬花しかいないし、家臣たちの前では真面目を装うから平気平気」

 そう言って、少女の苦言を何処吹く風とひらひらと手を振る景紀。

「私も一応、結城家家臣なんだけど?」

「その前に、俺のシキガミ」

「そりゃそうだけどさ……」

 冬花が景紀に対して気安い態度を取れるのも、それが大きい。
 幼い頃に、景紀(当時はまだ幼名を名乗っていたが)交わした式神契約。もちろん、陰陽師としての正式なそれではないが、二人の関係を表すのにそれ以上の言葉はない。
 今では冬花は、結城家嫡男にして次期当主である結城景紀の側近中の側近である。彼の呪術的身辺警護を担当すると共に、当主代理の補佐官的な存在でもあった。
 彼女が主君である少年を呼び捨てに出来るのも、幼い頃からの信頼関係があるが故だ。
 もちろん、互いにこうした気安い態度は他の家臣たちの目がない時にしか出さない。公人と私人としての切り替えは、二人とも完璧だった。ただ景紀に関しては完璧である反動故か、冬花の前では完全に一人の少年としか思えない状態になってしまう。
 そのことを冬花は嬉しく思う時もあるし、逆に彼に背負わされた重責を思って心配になるときもある。

「やっぱり、この国の国家制度が悪い。諸侯に分散した徴税権と兵権、中途半端な議会制度、その他諸々。唯一の救いは産業面で西洋諸国に出遅れなかったこと」

 ぶつぶつと、文句を垂れ流し続ける冬花の主。

「やっぱり、中央集権こそ至高だな。旧態依然とした封建制度とはオサラバだ。これで我が皇国は西洋に互する強国に早変わりだ」

「封建制度の片棒を担いでいる人間の台詞とは思えないわね」

「俺としてはむしろ、どうして産業が近代化しているのに封建制が維持できているのかが判らん。工業化によって農村部から都市部への労働人口の流出、それによって封建体制の維持に役立っている地主層の困窮、これで封建制度は自然崩壊するはずなのに……」

「現にしつつある諸侯の領地もあるといえばあるけど?」

「問題は俺たち六家の存在だな。領地が複数の領国にまたがるほど広大過ぎて、工業化によって都市部に人口が流れ込もうがそれは領地内での人口移動が起きただけ。都市への出稼ぎ農民の増加で税収が苦しい弱小諸侯と違って、財政基盤にそれほど大きな打撃を受けない。金山銀山に植民地の利権を押さえていることも大きい」

「とは言っても、最近は軍事費の増大で六家の台所事情も苦しくなりつつあるけど」

 補佐官的な役割を持つ冬花は、当然ながら政治・経済の話題でも応じることが出来る。各諸侯の財政事情などの基礎情報は、すでに頭の中に入っている。多くの呪文を暗記しなければならない陰陽師にとっては、大した苦労ではない。

「だから中央集権国家だ。すべての諸侯が、土地も領民も全部、皇主陛下にお返しして郡県制に敷き直す。徴税権も兵権も、中央政府に集中させる。これで皇国の前途は洋々、万々歳」

 そう意気揚々と未来像を描く景紀に、冬花は小さく首を傾げる。

「一応聞いておくけど、それは皇主陛下への忠誠と皇国への愛国心からの発想?」

「俺が楽をするために決まっているだろ」

 こいつ何を言っているんだ、という目線で景紀は冬花を見てくる。

「やっぱりね」

 そんな主君の姿に、陰陽師の少女は溜息を漏らす。

「早くこんな面倒な立場からオサラバして、隠居して株でも運用しながら悠々自適に暮らす。ああ、そこに冬花もちゃんといるから安心しろ」

「それはどうも」心の籠もっていない礼を、冬花は述べた。「史上最も下らない動機による中央集権国家構想ね」

「だが、皇国のためにもなるだろう?」

「それが否定出来ないのが、景紀のあくどい所よね」

 というよりも、齢十七にして隠居を考える人間もどうなのだろうか? 隠居以前に当主にすらなっていないというのに。

「まあ、景紀の妄想はこの際置いておくとして」

「いや、妄想じゃないから……」

「今目の前に迫っている問題から対処しましょう」

 主君の言葉をバッサリと切り捨て、冬花は会話の主導権を握る。

「佐薙家の姫と景紀との婚儀。来月に迫っているわよ」

「……」

 その時の景紀の顔は、苦虫を百匹は噛み潰したような表情だった。

「本当に、間の悪い時期に婚儀になったな」

 諸侯同士の政略結婚は、諸侯同士の軍事同盟の結成に繋がることから、皇主および内閣による承認が必要である。政治の実権は皇主の手から離れて久しいため、実質的には内閣の承認がすべてである。しかし、内閣の背後には六家が控えている。つまり、諸侯同士の結婚は六家の承認が必要ということである。
 逆に言えば、結城家と佐薙家の婚約が残る五家によって承認されたということは、二つの家が軍事同盟を結ぶことが許可されたということにもなる。とはいえ、この婚約には六家すべての思惑が詰まっているため、単純に結城家と佐薙家の結びつきが強まるというわけでもない。
 佐薙家は六家ではないものの、皇国東北地方に大きな影響力を持つ有力諸侯である。
 つまりは、大陸東方へと領土を拡大する仮想敵国ルーシー帝国に対するため、六家を初めとする中央政府の統制を皇国北方地域で確固たるものにしようというのが、今回の婚儀の目的である。

「でも、父上は病だしなぁ……」

「景紀の義父になるはずの佐薙家当主・佐薙成親(なりちか)の動向には要注意ね。下手をすると、結城家が乗っ取られかねないわ」

 だから、間が悪いのである。若く経験未熟な当主代理の少年を、義父の立場で操ろうとする可能性は十分にある。

「でもまあ」

 そこで景紀は人の悪い笑みを浮かべた。

「逆に結城家が佐薙家を喰っちまえば、俺の中央集権国家構想に一歩近付くわけだ」

「結局、そこに話を戻すわけね」

 呆れるべきか、その豪胆さに感心すべきか、冬花は迷った。

「いや、俺が安心して隠居生活を送るためには、この国が西洋列強の植民地にされると困るわけだろ? 将来的に俺が楽をするためなら、今すべき苦労はしておかないと後が怖い」

「真面目なんだか不真面目なんだか判断に困るわね」

「国益と俺個人の利益を両立出来る素晴らしい構想だと思うけどな」

 冬花から賛同が得られないことが不満らしく、景紀はふて腐れた声を出す。

「こんなことですねないの」

「ちぇー」

 わざとらしく、若き当主代理は舌打ちをした。まるっきり、駄々っ子の仕草である。

「……なあ、冬花。すねる、ってことで気になっていたんだが」

 突然、景紀の口調がそれまでのどこかふざけたものから変化する。先ほどまでの揚々とした語り口と違い、恐る恐るといったような躊躇いがちな口調だった。

「何よ?」

 一方、冬花はそうした主君の変化に気付きながらも、普段の態度のままに応じた。

「お前は、今回の俺の婚儀をどう思っているんだ?」

「結構なことでしょ? 結城家が皇国北方に勢力を拡大する好機じゃない」

「冬花、俺が聞きたいのはお前の政治的感想じゃなくて、お前個人の感想だ」

 本心を言ってくれと、景紀はどこか懇願するように言う。冬花はすぐにその理由を察した。
 自身の内面を整理するために、少しだけの沈黙を挟んで、白髪の陰陽師は答える。

「……正直に言えば、何も感じていないわけじゃないわ。あなたの隣にいるのは私だって思いは確かにあるし、これからその姫が景紀の隣に立つことで私の居場所がなくなるんじゃないかって恐怖はある」

「すまん」

「景紀が謝ることじゃないでしょ? それに、あなたのシキガミが私だけだから」

「ああ、そうだな。お前だけが、俺のシキガミだ」

 無邪気な子供に戻ったかのような口調で、景紀は柔らかく応じた。
 どこまでも、こんな不気味な容姿の自分の居場所を作ろうとしてくれる優しい主君。それだけで、冬花にとっては十分なのだ。

「だから、あなたが心配するような事態にはならないわ。佐薙の姫に嫉妬するようなことはしないし、それで結城家に混乱をもたらすようなことはしない。ねっ、私は出来る女でしょ?」

 出来るだけ深刻に聞こえないように、悪戯っぽい笑みと共に軽い口調で冬花は言う。

「ああ、お前が出来る女で助かる」

 景紀も、その冗談に乗った。
 きっと、彼も怖いのだ。二人の関係が、今回の婚儀によって崩れてしまわないか。崩れなくても、何か悪い方向に変化してしまうのではないか。
 そんな心情が、先ほどの質問に繋がったのだろう。

「……ってか、俺の質問、超絶恥ずかしくないか?」

 そして、恐怖心が去った後にやってくるのは羞恥心である。

「……まあ、有り体に言って自意識過剰発言よね」

 冬花自身も“出来る女”発言をしてしまったので、他人のことを言えた義理ではない。というよりも、完全に自分の胸にも突き刺さる発言内容であった。
 しばらく二人は羞恥から互いに顔を背け合う羽目に陥ってしまうのだった。





 それでも、冬花は思うのだ。
 あなたが私をシキガミだと思ってくれるなら私はそれだけで生きていける、と。

3 北国の姫の郷愁

 あの鳥はきっと、自分の故郷と同じ方向に向かっているのだろうと、佐薙宵は思った。
 鳥は自在に空を飛び、自分の望むところへと向かっていける。それを羨ましいと思う自分もいれば、何を馬鹿なことを考えているのだろうと思う冷めた自分もいる。
 将家の姫たる自分の運命など、それこそ生まれた瞬間に決まっているようなものだ。母の姿を見ていれば、それはおのずと判ってくる。
 少なくとも、噂には聞くが未だ一度も訪れたことのない皇都に行き、そして未だ一度も会ったこともない男性に嫁ぐことに、宵は納得している。それは納得というよりは諦観に近い感情なのかもしれないが、自らの運命を呪うほど絶望しているわけでもない。
 自分自身の魂が、自分自身の肉体を離れた所から観察している。そんな感情であった。
 ある意味、達観しているといえるのかもしれない。

「姫様、如何されましたかな?」

 馬車の反対側に座す老家令長が、怪訝そうに宵に問いかける。彼は、皇都へと向かう佐薙家の一行の最高責任者を務める立場にあった。

「いえ、鳥が飛んでいたので、見ていただけです」

 落ち着いているというよりは、抑揚に乏しい声で宵は答えた。そのまま、彼女は視線を空から馬車の中へと移す。
 宵を皇都に送り届けるための隊列は、彼女を世話するための侍女や護衛も含めて、二〇人ほどの人間で構成されていた。さらにそこに、結城家から派遣された随員五名が加わっている。
 佐薙家側の最高責任者が家令長であるのに対し、結城家側の随員の代表は執政である。執政は将家当主を補佐してその政務に参画することの出来る役職のことであり、主に家老級の家臣が任命された。
 将家家臣団の序列から見ても、執政の方が家令長よりも高い。自分の家が結城家に配慮してこのような人員配置になったのかどうか、宵は知る立場にはない。
 とはいえ、この隊列が佐薙家と結城家の力関係が如実に表していることは彼女にも判っていた。ただし、結城家の随員が佐薙家の家令長に指示を出すことはなく、あくまで佐薙家の独立性に対して配慮はしてくれている。
 皇都に到着し、自分が結城家の嫁いだ後、両家の力関係はどうなるのか。
 ふと、宵はそのようなことを思った。
 結城家の当主は半年ほど前から病にかかり、療養のために領地に下がったという。今、皇都で結城家の所領に関わる政務全般を取り仕切っているのは、自分が嫁ぐはずの十七歳の次期当主たる少年だという。
 しかし、どこまで彼が実際に政務を執っているかは判らない。単に、家臣団によって担がれているだけの存在である可能性もある。
 そして、自分の父もこの状況を最大限、利用しようとするだろう。
 皇国東北地方北部一帯に所領を持つ佐薙家、だがその領地は未だ十分に近代的な産業が育っていなかった。領内の産業の中心は農業であり、これに若干の鉱山、炭田、油田が加わっている程度。領内で多数の工場を稼働させている六家に比べれば隔世の感がある。
 皇都から各地に伸びる鉄道も、東北鎮台の置かれている中央政府直轄県・磐背県の首府・千代までで止まっており、佐薙家の領地である嶺奥国までは届いていない。
 そのため、東北地方北部に位置する嶺奥国の主要交通手段は徒歩、人力車、馬車、馬鉄などであり、それすら冬になれば降雪のために途絶えてしまう。
 当然ながら、そうした輸送能力の限られる地域に工場は進出してこない。
 領民たちの願いは、何よりもまず鉄道の開通であった。
 だからこそ父は、鉄道を敷設するために、事実上、当主不在となっている結城家への影響力拡大を図るだろう。
 それと、領地を隣接する六家の一つ、長尾家との領地紛争の有利解決も―――。
 自分は父を始めとする様々な思惑に絡め取られた人間に過ぎない。母がそうであったように、自分もそうなろうとしているだけなのだ。
 あるいは、自分がこれから嫁ごうとする結城家の嫡男、景紀も自分と同じような人間であるのかもしれない。
 もっとも、一度も会ったことのない人間に期待を抱くほど、宵は楽天家ではない。
実際に会ってみなければ景紀という人物の為人など判らないだろうから、下手な先入観を抱くわけにはいかない。だから宵は、自分が聞かされた景紀の人物像を大して信用していないし、自分から積極的に彼の為人を聞くようなこともしていない。そもそも、婚礼を前にして相手の悪い情報が入ってくるはずがないのだ。

「……皇都は、どのようなところなのでしょうか?」

 とはいえ、これから自分が住むことになる場所のことは気になる。

「やはり皇国の都だけあり、活気がありますな」言葉を選ぶような素振りを見せながら、老家令長は答えた。「もちろん、我が国府たる鷹前《たかさき》も皇都に劣っているとは申しませんが、建物の高さには圧倒される思いです」

「建物、ですか?」

「左様です。皇都の中心部には、官庁の庁舎や商店が城の天守の如くに立ち並んでおります。まあ、いささか洋風の建築様式を取り入れたために節操のない、猥雑な印象を受けないこともないのですが」

 家令長は、そうした都市計画を策定した六家を中心とする中央政府を暗に批判しているようだった。
 特に佐薙家は六家の一つである長尾家と領地問題を抱えているため、家臣団の中には六家中心の統治体制に不満を持っている者も多い。
 今回の宵の婚礼に関しても、六家勢力によって佐薙家が吸収されて家や領地の独立性が失われてしまうのではないかと懸念を示す家臣たちもいる。彼らにしてみれば、仕えるべき主家の衰退は牢人となる危険性を孕んでいるので、なおさら切実であった。
 だからこそ、父はそうした家臣たちの懸念を払拭するためにも、結城家から最大限の利益を引き出すため、自分と若き結城家の当主代理を利用しようとするだろう。

「私は異国の文物をあまり目にしたことが少ないので、それはそれで見てみたいものです」

「左様でございますか。皇都には異国の商人たちも多数おりますので、そうしたものを目にする機会は多いかと」

「それは、楽しみです」

 本当にそう思っているかどうか疑わしいほど平坦な口調で宵は感想を口にした。皇都の様子に興味はあるが、それは自分の心を期待で震わせるほどのものではないのだ。
 確かに、皇都に行けば異国の文物に触れられる機会もあるだろう。それはそれで面白そうではあるのだが、どこまで自分に自由が認められるかは判らない。
 母は、父に嫁いでから国府・鷹前を出たことはないという。自分も恐らくは、二度と故郷の地を踏むことはないだろう。
 鷹前に留まる母と会えなくなることだけが、宵にとっては心残りであった。
 母は父の正室でありながら、子供は女子である宵一人だけである。父は皇都で公家出身の女性を側室にし、彼女との間に一男一女をもうけていた。佐薙家はその男子が継ぐことになるだろう。
 将家においては、例え側室であっても後継者たる男児を産んだ女性の地位は高くなる。逆に正室であっても、男児を生めなければその扱いは冷淡なものになる。
 佐薙家における母の立場を思えば、母一人を国に残していくことに、後ろ髪を引かれる思いであった。
 だがその母も、娘との別れは覚悟していたのだろう。
 鷹前を発つ前に、これからは結城家の人間として生きるようにと宵に伝えたのだ。
 あるいはそれは、佐薙・結城両家の政治問題に宵が巻き込まれないようにするための助言であったのかもしれない。
 再び、彼女は窓の外を見る。
 先ほど見えた鳥は、もうどこにもいない。その行方を知りたいとも、特に思わなかったが。


 ここまでお読み頂き、ありがとうございました。
 本編は「秋津皇国興亡記」( https://ncode.syosetu.com/n9451gu/ )まで。

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