【廃棄神譚】穐里明狸メインの短編シナリオ『落果少女』を公開!!【進捗報告】
今回は、『廃棄神譚』の前日譚から続く、
ヒロイン『穐里明狸』視点で描かれる短編ストーリー、
『落果少女』を公開です!!
※前日譚をまだ読んでない方は、↓こちらから是非!!
前日譚「芥とノラの世界」
https://ci-en.dlsite.com/creator/3595/article/228008
今回も執筆いただいたのは星野彼方さん
(@BeyondTheStar)
ほんとうに感謝しかありませんっ!!ヾ(´∀`)ノ
その丁寧で美しい文章で描写される世界を、
是非堪能してくださいませ!!
短編ストーリー『落果少女』
不愛想な人だ、というのが彼の第一印象だった。
毅然として大地に根を下ろし、しっかりと立つ姿は、まるで世界樹のよう。
その大きな手を差しだして、「生きねば、もったいない」と言う。
そうして、いとも容易く、この沈みかけた心を掬い上げてしまう。
強くなりたい、と思った。この人みたいに、強くなりたい。
そうすればきっと、この腐り果てた大地の向こう、あの空の上にあるかもしれない、自分自身の記憶に、きっと辿り着けるだろう。
大切な人の記憶に逢えるだろう。
新しい穐里明狸の、旅路の果てに。
*
ぐわんぐわんと、耳鳴りがしていた。風を切る、けたたましい音。
(あたし……墜ちていく)
必死に、つかもうとする。遠ざかっていく、あの人の姿を。
(……どう……して)
目もとから溢れて空へと零れ落ちていく涙さえ、あの人の元まで届かない。
やがて鈍い衝撃とともに、すべてが闇に包まれる。
風が耳元で唸る轟音も消えて。
捕食しようとするように、ぬっぺりと全身を覆って熱を奪う、奇妙な冷たさだけが残った。
(ど……して……)
パチリと、目が開いた。
暗い穴の底にいるような感覚から目を覚ました彼女の瞳に最初に映ったのは、自分が伸ばした手の甲だった。
その先に、見知らぬ天井の梁があった。
思わず肺いっぱいに空気を吸い込む。
どこかカビ臭かったが、それでも、悪夢が去っていく気配がした。
恐る恐る持ち上げていた腕を下ろし、変色した材木の染みを伝うようにして、視線を動かしていく。
(ここは……)
上体を起こすと、こちらに背を向けた男の姿が目に入る。
(誰、だろう)
見たところ、若い成人男性のようだ。
しっかりとした身体つきをしている。
武骨そうな雰囲気なのに、どこか動作は洗練されている。
そのたくましい背中を、ぼーっと眺め、目をシパシパさせる。
それから、周囲をぐるりと見回した。
古びた、どこかの家屋。
知らない場所だ。知らない……
記憶を辿ろうとして、途中で糸が切れたようにプツッと思考が闇に閉じ、遮断される。
(痛っ)
頭の奥を鈍く締め付けるような感覚があって、彼女はこめかみを押さえた。
うつむいた拍子に、温かい空気が、ふわっと鼻先をくすぐる。
嗅覚に訴えてくる何かを発見し、彼女は瞬時に痛みも忘れて、鼻をスンスンさせた。
(……ご飯の匂い!)
そう答えを導き出して顔を上げた途端、盛大にお腹が鳴った。
男が振り向く。
その鋭いような鈍いような、奇妙な眼差しと目が合った。
……恥ずかしさが込み上げてきて、かっと頬が熱くなる。
男は、端正な顔立ちをしていた。
厳格な雰囲気も、繊細な印象も、両者とも兼ね備えた不思議な人だった。
(い、今の、聴かれちゃった……よね……)
何か喋ろうとして、喉が張りついている感覚に、言葉が引っ込む。
すると、男が黙って椀を差し出してきた。中から、薄く湯気が昇っている。
おずおずと受け取り覗き込むと、薄く白濁した湯が入っていた。
瞬間、全身が渇きを意識した。
自分が干乾びかけていたことを認識し、慌てて口をつける。
そのまま一気に、ごくごくと飲み干した。
男は、その様子を黙って見つめている。
「あ、あ……」
徐々に張りついていた喉が剥がれ、潤いを帯び、言葉が沸いてくる。
「あり、がとう、ございます」
声が出た。自分自身の声に驚く。
「あの……」
男は、空になった椀を受け取りながら、「芥だ」と言った。
「堀部芥。ここは、俺たちの家だ」
複数人を意味する言い方に、他の住人を探して視線を彷徨わせつつ、
「あたしは──」
応じて名乗ろうとして、詰まった。
(あ……れ?)
引き出すべき言葉が、そこに無かった。
普段の通い慣れた道を歩こうとしたら、突然に虚空へと投げ出された──そんな感覚に襲われて、バランスを失い、彼女はよろけた。
すかさず歩み出てきた芥が、肩を支えてくれる。
(大きな、手)
一瞬、その手が自分を抱え上げるイメージが浮かんできた。昏い闇の底から、自分を掬い上げてくれた、大きな手──。
「あたし……」
自分の名前が、わからない。
出生が思い出せない。
それでも、「あたし」と言った。
習慣や常識のようなものは、確かに残っている。
だけど……「あたし」が、わからない。
「あたし」という言葉以上の「あたし」の情報が、何もない。
探しても探しても、頭の中に、何もない。
無性に、誰かの名前を叫び出したくなる自分がいた。
暗闇に包まれてしまった記憶の中で、誰かを探そうとしている自分がいた。
でも、その相手が誰なのかも、わからない。
パニックに陥りそうになる、ひたすらに闇へと墜ちてしまいそうになる、その狭間で。
「──アキサトアカリ」
声が、頭上から降り注いできた。
「アキサトアカリと、言うんだろう」
芥が、彼女の肩に片手を添えたまま告げる。
「それは……どうして……」
「そう、名乗った」
「あたし、が?」
見上げて問いかけると、芥は頷く。
(あたしが……名乗った?)
アキサトアカリ、という音が、自分の中へと浸透していく。
リズミカルに、共鳴し、光を放ちながら、ストンと落ちてくる。
(あたしの名前……)
穐里明狸。
音が、実体を伴い、形を成す。手を伸ばして、その名を虚空に描いた。
(これは、確かに、あたしの名だ)
穐里、明狸。
(たいせつな、とてもたいせつな、名前だ)
「あたしの名前は、穐里明狸──」
口に出して唱えると、その音の並びが、身に纏うようにして定着する感覚があった。
「……記憶が」
呟き、芥が瞳を覗きこんできた。
慎重に明狸の頭部に触れる。
外傷がないか、改めて確認してくれているらしい。
わずかにくすぐったく、明狸は身じろいだ。
「とーさま。新入り、起きた?」
新しい声が聴こえてきた。
見ると、可愛らしい少女が、顔を覗かせている。
(新入り……?)
「ノラ」
芥が呼ぶと、少女は小走りで駆け寄ってきた。
その様は、どこか小動物のよう。
じっと明狸を無表情に覗きこんだかと思うと、すぐに興味を失ったみたいに芥を見上げる。
「朝食にしよう」
芥が言った。
すると、現在は朝らしい。
窓を見ると、確かに明るいと言えば明るいが、どこかどんよりとしている。
日中という感じは、あまりしなかった。
朝とは、もっと爽やかな出で立ちでは、なかったか。
天からの光に感謝する、そんな新しい一日の訪れを、朝と呼ぶのではなかったか。
そんな違和感が、胸中に生じて落ち着かない。
自分の知っていたであろう世界と、この場所は何か本質的に異なる気がした。
そんな明狸の視線と疑問に気がついたのか、芥が言った。
「本国とは、様子が違うだろう」
芥の言葉に、目をパチクリさせる。本国……。
「ここは腐界だ」
「腐界……」
「服。乾かしておいた」
ノラと呼ばれた少女が、割って入るように、ずいっと、雑に折り畳んだ衣服を差し出してきた。
どこか見覚えのある……どうやら明狸の服らしい。
その時になってようやく、明狸の思考は、衣服という概念に追いついた。
自身の身体を見下ろす。
「~~~っ!」
全裸だった。あまりに無防備な、一糸纏わぬ姿。
(うわうわうわうわわわわわわ!)
慌てて両腕で自分を抱くようにして上半身を庇い、脚を折り畳む。
が、それはそれでムチムチッと太ももを見せつけるような体勢になってしまった。
(え!? 見られた!? 全部!? 上から下まで!?)
恥ずかしさで死んでしまいそうな明狸だったが、芥に気にした様子はない。
「泥だらけだったからな。あのままだと風邪を引くところだ。それに、傷の手当てもしなければならなかった」
淡々と述べて背を向け、土鍋へ向かう芥。
言い訳、といったふうでもなく、ただ事実を告げているだけという感じだ。
お腹の音を聴かれたことを恥ずかしがっている場合ではなかったと、今さら気がつく。そして意識した途端に、再び腹の音が、この世の終わりみたいに鳴り響いた。
(どうして、今、鳴るの~!?)
裸の腹を押さえる。
「おお」
すると、何を思ったかノラが近づいてきて、明狸の腹に耳を押し当ててきた。
「ちょっ!?」
「もう一回やって」
「ね、狙って出るものじゃないですから……!」
「む」
手で腹をつつかれる。
ついでに、つままれる。
(お、おもちゃにされてる……?)
「あうぅ……」
混乱する明狸をよそに、芥は部屋の奥で、土鍋に突っ込んだ棒を回している。
「食べれば、元気が出る。話は、それからだ」
彼が背を向けている隙にと、明狸はノラの手から半ば奪うようにして衣服を受け取り、大急ぎで身に纏い始めた。
*
明狸は、土の中から掘り出されたという。
世界樹の一部が崩落し、その破片とともに、明狸は空から墜ちてきた。
そして、埋まっていたのだ。
芥とノラが掘り出さなければ、そのまま死に至っていただろう。
明狸は、墜ちてきた。
この腐界に。
世界樹の根が張り、空を世界樹が覆う、この腐界に。
(世界樹……)
ここまでの話を、自分自身の体験として、実感として、認識できているとは言いがたい。
この空に巨大な木が広がっていて、明狸はその上で暮らしていたはず──そう言われても、ピンと来なかった。
本国、という場所の記憶さえないのだ。
ただ、この腐界という森を訪れたのは本当に初めてだろうということは、なんとなく自分でも理解できた。
だから、どこか違う場所から自分はやって来たのだということだけは、確かに思えた。
(本国、か)
明狸の衣服は、本国のものだという。
だから、明狸の出生は本国で間違いないと。
(この空の上にある国。どんなところだろう)
思いを馳せながら、明狸は手の中の料理を見下ろす。
芥がよそってくれた椀の中身は、得体の知れない肉だった。
それを単に煮込んだだけのもの。ろくに味付けもしていない、あまりに大雑把な料理。
正直、美味しかった。
お腹が栄養を求めていたから。
非常に感謝していた。
命の恩人というだけでなく、食事まで頂いてしまったから。
だが。
(もっと、美味しくできる……)
この気持ち、この心の中で燃え上がるものは何だろうと考えながら、明狸は料理を口に運ぶ。
咀嚼を繰り返しながら、
(もっともっと、この食材の良さは引き出せる……)
そんな思考が、後から後から湧いてくる。これは、いったい、どうしたことだろう。
「お代わり、いるか?」
「へ?」
明狸は自分の椀を見下ろす。
あっという間に平らげてしまっていた。
「頂きます……」
芥の視線に赤くなるのを自覚しながら椀を手渡す。
(見られちゃったんだよね……全部……)
記憶はないけれど、おそらく異性に対して、あのように肌を晒したことは、これまでなかったのではないだろうか。
むしろ、あったら驚きだ。
そんなはずはない。
きっと自分は清廉潔白、淑やかで清楚でうぶな生娘に違いないと、勝手に想定している。
想定しながら、中身いっぱいになって戻ってきた椀を受け取り、肉食系と言わんばかりに箸を動かす。
「それだけ元気なら、大丈夫だ」
言われてみて、確かに、と思う。
少し前まで土に埋まっていた人間が、食を求めている。
肌を見られたことに反応している。
何か、とても哀しいことがあった気がするのに。
絶望に似た闇に溺れそうになっていた気がするのに。
身体は、生きようともがいているのだ。
——生きたいか。
そんな問いかけが、頭の中でこだました。芥の声だ。
(死に……たく、ない)
だから、自分は今、ここにいる。
食事を口に運ぶ。
熱が喉を通る。
栄養が全身に行き渡る。生きろと告げる。
芥が静かに立ち上がり、布を差し出してきた。
「えっ」
泣いていた。
穐里明狸は泣いていた。
どこか自分の内側からやって来た涙を、瞳から零していた。
頬を伝い、椀の中に落ちて、汁に溶ける。
「どうして」
その涙の理由も、知ることができない。
きっと、知らねばならないのに。
この涙の意味を、価値を、痛みを、噛み締めねばならないのに。
自分が、何者なのか。
それすら知らないのに、ただ食事が温かい。
ここに生きている。
生きてしまっている。
「食事は、泣きながらするものじゃない」
無表情に肉を口に運びながら、ノラが言った。
「喜び、感謝するもの」
明狸は、芥の差し出す布を受け取った。
顔に押し当てるようにして、涙を拭っていく。
人の匂いがした。
芥の匂いだろうと思うと恥ずかしくなったが、ざわついた心が落ち着くまで、布を当て続けた。
*
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数が多いとテンションが上がって開発が捗ります。
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