【ジュークボックス】AIの学習と人間の学習
https://twitter.com/DYR_Input_Think/status/1667831193424007168
元漫画家で議員になった赤松健氏の講演が文字起こしされていた。読んでみたが、そこここで見かける情報の通り、赤松氏は画像生成AIについて中立のように読めた。どちらかというと肯定的のような空気を感じるし、否定するというよりもそもそも今後の社会の流れ、画像生成AIが社会に浸透して進化していくことは止められないということを大前提に認識しているように俺は読めた。実際、俺もそうなると思う。電気を発明した人類はもはや電気無しでは生活できない。画像生成AIも、いずれそうなるだろう。
俺は、Twitterで毎日見かけない日は無いような。画像生成AIについて大きな感情をぶちまける人々の意見を目にするたび。なんというか、冷めた気分になっていた。自分でもその感情の正体は分からなかった。だが、それほど重大なことに感じられないというか。大きな感情に振り回されている人を傍から見て、理解はできる気がするけど全く共感できないというか。そんな謎を自分の中に感じていた。
今回は、それについて判明したので。その時にかわされた同居人との会話を題材に記事を書いてみることにする。
同居人は画像生成AIについて肯定派だ。その論の根本にある主張は、【絵描きは他人の絵柄を真似していない人間はいない】というものだった。彼は専門学校時代から絵の歴史について資料を漁っていたこともあり、事あるごとに俺にその話をしてくる。
なんでも、現代の絵柄というのはルーツをたどれば必ず「メビウス」というのが出てきて(俺にはメビウスというのがなんなのか、人の名前なのかとか何も分からない)。それと並列だったか、参考にしたかどうかもっと昔の芸術とかも学習して産まれてきたのがディズニー……って言ってたかな。まあ、メビウスとディズニーがかなり太古の昔にあるんだけど。そこから学習して出てきたのが「手塚治虫」であるらしい。で、現代の絵描きはルーツとして必ず「メビウス」と「手塚治虫」があって、これらの配分が人によって違うだけなんだそうだ。
手塚治虫の次あたりに大きな絵柄として、「大友克也」がいて。……いや、手塚治虫は大友克也の先か? 後か? なんて言ってたかな……。まあ、そういう人がいて。あともう一人。松本……なんていう人だったかな。なんか現代の絵描きの色の塗り方は全員この人のパクり、みたいなことを同居人が言ってたんだけど。思い出せない。まあそういう人がいて。そこから「鳥山明」に繋がるらしい。で、ワンピースの作者の初期の絵柄なんてもろ鳥山明で……という感じで。現代の漫画絵というか、イラストの歴史というのはそういう風につながっているんだとか。
そして、画像生成AIの学習というのは言ってしまえば人間が他人の絵を模写したり学習して練習して自分なりに変化させていって……みたいな営みと同じであり。機械と人間では方法とそれにかかる時間が違うだけ、ということらしかった。自分の絵を学習されるのが嫌、という人に対して。彼は【じゃあ君は誰からも絵柄をパクらなかったんですか? そんなことあり得ないよね】という結論を出していた。それを聞いて、俺も自分の中の疑問にようやく答えを見つけた気がした。やってることは、機械も人間も同じなのだ。論を出してる人たちは、感情ばかりが先行して論理が見えなかった。だから不思議にしか思えなかったのだ。
まあ、俺はそもそも【画像生成AIが絵を描くとして、それで自分が絵を描かない理由になるのか?】という疑問があったので。まあ、文字作成AIでもいいよ。そういうのがあったとして、俺よりも完成度が高くて面白い文字を書くAIがあったとして。それはそれとして、俺は俺が書きたい物を書くだろうから。なんでAIを目の敵にしているんだろう、という疑問が根本的に解決できなかったんだよね。気持ちが分からないから。ただ、これに対しても一定の回答は出てきた。
画像生成AIに絵を描かれて困る人。それは、今現在絵を描いて生計を立てている人だろう。それが仕事無くなる、となると生活が破綻してしまう。だから怒るのではないか。そんな話になったんだけど、もしかしたら嘆いているのかもしれない。絵を描く仕事しかしてこなかったというか、絵を描く仕事からいきなり他業種へ移ることも難しい。だからこれからどうしたらいいんだろう。そんな思いが彼らにTwitterでの嘆きになっているのではないか。怒りではなく、嘆き。日本語は便利である。色んな表現があるから。
今後、画像生成AIはさらに進化を続けるだろう。フォトショップも名前に恥じない性能を手に入れたようだし。最近では写真から鹿を消して、と指示して写真の鹿を囲うと鹿が消えて鹿の部分に予想で背景が書き直されるそうだ。すごい。で、AI機能で問題が起これば自分たちが責任取るだか相手になるだとかをAdobeが言ったらしい。絵描きにとって【Adobeが言った】というのは絶対らしい。そう言ってた。だって、納品でpdf使わない会社は存在しないから。最終的な調整みたいなことはほぼ確実にフォトショでやるから。みたいなことを同居人が言っていた。Adobeの言うことに賛同しないということは、Adobe使えないということだから。絵描きは仕事できないよね。じゃあ受け入れざるを得ないじゃん。納得しようがしまいが。だから、今後の画像生成AIの進化と社会浸透は不可避であり速度は上がり続ける。同居人はそう言っていた。
俺はプロじゃないから、生計立ててる人たちの気持ちを分かることはできないけど。世の中には、変わることのない絶対的な流れってものがあるもんなので。今後大変なんだろうな、ということだけは分かった。